「オン・ザ・ロード1972」<20> 06/27 青森駅
「オン・ザ・ロード1972」 80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次 全日程
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<20>2017/06/27 青森駅
札幌をでて、函館の青函連絡船で、またトラックにヒッチハイクして、本島に戻ってきた。この日、青森駅に泊まったことになっているが、記憶がない。そのかわりやたらと印象深い思い出があるので、ここに書いておく。
その思い出が、この日の出来事であったのかどうか、定かではないが、我が人生の中で、そのようなつながりのある旅程はそれほどないので、きっとこの日のことに違いない。
私は竜飛岬に行ってみたいと思った。斧の形をしているのが下北半島、その西側に小さな丘のような半島となっているのが、津軽半島だ。ここもある意味、本州の北端のポイントである。そこに向かってヒッチハイクを始めた。
ここは小さな街道で、長距離トラックなど走っていなかった。地元民の生活道がくねくねと続いているような、当時でもさらにローカルな雰囲気満載の街道であった。それでも最初は地元の人達の行き来があったが、だんだんと道は細くなり、やがて、まばらな家や漁師小屋が続いていて、道にそれらが飛び出してくる始末だった。
もはや街道や道路というより、まばらに点在する小屋を繋ぐための細道、といいう風情になってきた。はぁ、ここからまだまだ距離はあるはずだが、本当に行けるのか・・? そんなことを考えている時に、一台のトラックが止まってくれた。
その風情からして、停まってってくれたオジサンは結構年配な漁師で、地元で作業中であっただろう。とても親切で、人懐こく、いろいろ聞いて来た。しかし、私は、そのオジサンの言葉を、一言も理解できなかった。
何度も聞き返すのだが、まったく分からないので、どうせそういうことを聞いているのだろうと機転を利かせ、僕はこうして、ヒッチハイクで日本一周をしているのですよ、仙台を出発してもう10日くらいになるけれど、北海道から帰ってきて、これから竜飛岬まで行くのです、と自己紹介した。
彼の言葉は分からなかったが、彼は私の言葉を100%理解してくれたと見えて、大笑いしていた。そして、何か親切にいろいろアドバイスしてくれるのだが、まったく分からない。私は、竜飛岬からさらに日本海側を下って半島を一周してみたいのです、と話した。
だが、彼は大慌てで、何か大きな声で言っていた。何を言っているのかその時は分からなかったが、後でそれは十分理解した。
竜飛岬は本当に北端で、岩場のところだった。そこにはもう道さえない。そこら岩場を伝って、日本海側の波打ち際を歩いていくなんて、ビギナーのヒッチハイカーにできることではなかったのだ。オジサンは、一生懸命、それは無理だよ、道がないよ、ここから引き返したほうがいいよ、と言っていたのだ。
2019年の現在では、言葉も道も、昔の話だろう。しかし、強烈な思い出として、私はあの時のことをよく友人たちに話しては、懐かしむ。
さて、日本一周を終わったあとの感想ではあるが、この津軽半島の閉塞したひっ迫感は、ある種、九州鹿児島の南端あたりと似ているな、と思ったことである。ちなみに、私たちの中部東北は、島根や鳥取の山陰地方の雰囲気に似ている。
そして沖縄の文化と、北海道の開拓民ではない、アイヌの人々の文化も、似ているなぁ、と肌で感じたものである。
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