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2019/02/03

「オン・ザ・ロード1972」<18> 06/25 札幌(ドッキング at ドッコ)

<17>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<18>1972/06/25 札幌(ドッキング at ドッコ)

 当時、私たちの雀の森の住人達は男子4人組の仲間であった。その活動のスタートとして企画されたこの「80日間ヒッチハイク日本一周の旅」も、本来4人の旅であった。だが、れおんは当時東京で部屋を借りてアルバイトをしていたので、東京から南の後半に参加する予定になっていた。

 前期的にスタートした流峰、悪次郎、そして私の三人のうち、流峰は、自分の125CCバイクでの旅行となり、純粋なヒッチハイクは、私と悪次郎二人だけであった。れおんは後から、50CC原付バイクを駆使し、南日本での参加となる。

 4人組とはいえ、それぞれ別々に一人旅をし、一週間に一回程度、あらかじめ予定していた集合地点に合流した。そしてそこで情報を交換などして、次の旅程にそれぞれまた旅立つ、というアイディアである。

 その最初のドッキングの日が、6月18日仙台スタートの一週間後の6月25日の札幌なのであった。ちなみにその後は、山形、京都、三重、愛媛、福岡、鳥取、小諸、東京、と一週間ごとに一回づつドッキングし、仙台に帰ってきた。

 さて、その第一回目のドッキングポイントだが、残念ながら、私は全然記憶に残していない。そもそも「ドッコ」とはなんであったのか。いずれ、流峰や悪次郎に聞いてみれば、断片的なことが思い出されるかもしれないが、いずれ、カウンターカルチャー情報センターのようなところだったと思う。

 旅に出るにあたって、私たちはおおよそのスケジュールを決めており、ドッキングポイントとなる地点には、あらかじめ手紙でその予定を伝えて、お願いすべきはお願いしておいた。だから、どこの地点においても、歓迎ムードであったが、18~20歳の若者たちには、まだまだ一宿一飯の恩義の、その重さの意味がよく分かっていなかった。あらためてお世話になった方たちに対して、47年も過ぎた今、ここで感謝の意を表しておきます。

 さて、ドッコそのものだが、記憶は確かではないものの、札幌の情報センターと言えば、なんとなくイメージが残っているものがある。いくつかのスペースを、いくつかの時代に訪れているので、混同しているか、まったく勘違いしているか、定かではなが、まずは叩き台として抜き書きしておいて、後で訂正でもしよう。

 そこは、大きな建物の二階にあり、ミニコミ書店と自然食レストランを兼ねたようなものであり、学生運動の流れの学生や、フォークソングを歌うグループや、主婦になりたての若い女性などが出入りするような店だった。

 特にその頃はウーマンズ・リベレーション(女性自由化運動)、いわゆるリブと言われた動きが多く報道されており、その影響化にある女性たちの職場でもあったように思う。私はこの店に佇みながら、最も一番最初に玄米菜食主義のマクロビオティックの情報に触れた。

 スタッフの女性たちもピキピキとしていて、なかなか魅力的な場所だった。しかしまた、宿泊スペースはなかったはずだから、おそらく、そこで知り合った学生などで、好意を持ってくれたアパートなどに、一夜の宿を借りたのだったと思う。

 私は札幌の「バイブレーション」というとても素敵なカラー謄写版刷りのミニコミを発行していた、ジプシーハウス、というところを探していた。だが、正確な住所を知らず、その後もほとんど確たる情報に触れることもなく過ぎ、私の中では幻の運動体となって、今では伝説化して残っている。

<19>につづく

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