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2019/02/02

「オン・ザ・ロード1972」<15> 06/22 稚内駅

<14>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<15>1972/06/22 稚内駅

 この日、私は稚内駅に泊まったことになっている。当時のメモにそう残っているのだから、間違いはないだろう。しかし、その記憶はまったくない。ここが稚内、という記憶はないが、こここそが宗谷岬の稚内、だった。

 記憶のどこかに、確かにこの岬を訪ねた記憶がある。押し入れをひっくり返せば、ここで撮影した写真の一枚も出てくるかもしれない。そのうち出て来たら、ここに貼り付けることにする。

 稚内の宗谷岬というと、私の頭の片隅に女性の姿がチラホラ浮かびつつ消える。どうも雰囲気がそんなムードだったのか、当時、現地でどこかの旅人と友達になって一言二言、言葉を交わしたのか、あるいは友達となって半日くらいは旅を共にしたのだったかもしれない。

 駅の雰囲気はよく覚えていない。この80日間のヒッチハイクの旅の中で、私は7~8回、駅に泊まったようだ。稚内駅、札幌駅、青森駅、富山駅、福岡駅、奈良駅、飛騨高山駅、小諸駅、清水駅(静岡)、日立駅(茨城)などなど、各地で鉄道駅にお世話になっているが、ほとんど、そのひとつひとつに記憶がない。

 それはおそらく私が乗り鉄でも、撮り鉄でもなかったからだろう。駅に泊まると言っても、鉄道で移動して駅に泊まるわけではない。ヒッチハイクで、泊まる場所を見つけられない日は、街の中央に行って駅のベンチや床に横になるのである。

 当時、どこの駅でも夜の7~8時になると、リュックサックを背負った学生風の若者たちが集まってきて、それぞれに場所取りをして泊まり込んでいた。彼らは無銭旅行者と言われ、もちろん銭が全くないわけではないが、リーズナブルな旅をしようとすると、駅の待合室で一晩過ごすことも多かった。

 当時は治安も悪くなかった。ちいさないざこざはあっただろうが、日本人性善説がまかり通っているような時代で、極端に悪い人は少なかった。無銭旅行者たちは、両側にポケットのついた横幅の広いリュックを背負っていた。だから、駅などの雑踏を歩くときは、邪魔になるので、体を横にして人込みを通り抜けた。背中に甲羅を乗せて、体を横にして歩く姿が蟹に似ているので、カニ(蟹)族などと呼ばれたりもした。

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 私は叔父貴から借りた一眼レフカメラをリュックに入れて旅を続けていたが、当時のフィルムは結構な値段だった。今のデジカメやスマホのように、パチパチ何でも撮れるような時代ではなかった。貴重品だったので、あまり写真は残っていない。それでも、アリバイを証明するかのように、要所要所では画像を残している。

 少なくとも、私は鉄道駅には大変お世話になったが、乗り鉄でも、撮り鉄でもなかった。

<16>につづく

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