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2019/02/02

「オン・ザ・ロード1972」<14>06/21 網走(消防士宅)

<13>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<14>1972 06/21 網走(消防士宅)

 私が青春時代にヒッチハイクをしていたのは1970年の16才の時から、1975年の21才までの約5年間の間に限られている。その間、いろいろな人に拾ってもらったものである。セールスマンや町の商店主などは限りなく、元力士や米兵、謡の女教師や、竿竹屋さん、自衛隊員や、漁師のおじいさん、などなど限りない。

 その中でも、パトカーに二回ヒッチハイクしたことがある。いや護送されたわけではない。ゆっくりパトロール中のおまわりさんなどは、結構面白がって乗せてくれたりするのである。カンカンカンとカネを鳴らしながら疾走してくる消防車に、親指を立ててヒッチハイクしようとしたことがある。が、これは失敗した。「こらぁ、ドケろ~」と怒鳴られた。当然だ。

 明示的に消防士に拾ってもらったという記憶はないが、このメモを見る限り、この日私は網走に向かってヒッチを続け、ついに網走に到着したのである。

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 網走と言えば、高倉健さんの映画などで一大ブームになっていた。ひとつのポイントとして、網走番外地である網走刑務所にだけは到達したいものだと思っていた。こうして当時の写真を見ると、決してその門には柵がついているわけではなく、ここから中に足を踏み入れようとすればできたのだろうが、それはしなかった。

 ちょっと悪ぶってサングラスをかけてみたものの、それほど長時間留まっていたとは思えない。当時自撮り棒などはなかったので、近くにいた誰かにシャッターを押してもらっているのだが、誰に押してもらったのか記憶はない。

 おそらく、これはその消防士の方が押してくれたのだろう。途中の国道のどこかで拾ってくれた消防士が、どこに行くのかと尋ねてきたので、網走刑務所に行きたい、と言った私を、親切にここまで運んでくれたのだ。

 その夜は彼の家に泊めてくれた。当時18歳だった私にとって、この人はだいぶ大人に思えたが、おそらく当時でまだ22~3歳の若者だっただろう。非番で私服だった。そして一人暮らしだったように思う。遠来の客人を面白がって丁寧に扱ってくれた記憶がある。

 そもそも北海道は、日本全国でも一番ヒッチハイクがしやすいところである。あった、と言い直すべきか。すでに50年近くの昔の話である。北海道の人々のルーツは内地から移住してきた人たちが多く、開放的で、親切だった。ちなみに、私の個人的な意見であるが、当時で一番ヒッチハイクのしにくいところは京都であった。

 京都の人々は、割と好奇心が強くて、ゴタゴタなどがあるとサッと寄ってくるが、何か頼み事をしようとすると、サッサといなくなった。当時の私には、京都人も、学生も観光客も見分けがつかないところがあったが、とにかく京都でのヒッチハイクは苦労した。

 ヒッチハイクで京都に近づくことも、街から出ることも至難の技だった。京都周辺では、どうせならサッサと最短距離を電車ででて、郊外に行ってからヒッチを始めるべきである。

 最北の地、北海道、その最果ては網走だろう、という勝手な思いがあった。網走は結構な町で、もっともっと最果てがあることは、後で知った。それでも、やはり網走という地名は、あまりにも有名である。当時の私は、ここが日本最北というエレジーを充分に味わった。

<15>につづく

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