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2019/02/02

「オン・ザ・ロード1972」<13>06/20 トラックの中(札幌→旭川)

<12>からつづく 

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
★★★★★

<13>1972 06/20 トラックの中(札幌→旭川)

 18歳のヒッチハイクの旅、仙台を出発して、
3日目にはすでに北海道に到達していた。当時、モータリゼーションの普及が目覚ましく、特に物流では大型貨物トラックの大活躍が目立っていた。

 北海道に渡るのも青函連絡船で渡ることになる。こんな時ヒッチハイカーは青森側でトラックにヒッチハイクするのである。当時、トラック輸送は二人組の運転が定番となっていた。交代しながら運転し、座席の後ろは、仮眠用のベットがついていて、ゆったりと横になって眠ることができるのだ。

 そして都合のよいことに10トントラックなどは、トラックをフェリーに載せてしまえば、もちろんトラックそのものの料金は取られるのだが、人間は運転手とサブの運転手二人分の乗船賃がタダになる。若い貧しいヒッチハイカーは、こういうトラックを狙うのだ。

 そして、二人乗務が定番とは言え、一人で長距離トラックを運転している運ちゃんたちも多くいた。彼らは、一人で長時間運転しているので、むしろ喜んでヒマつぶしにヒッチハイカーを拾ってくれた。私はタダで北海道に渡ったのである。

 この日の日程を見ると、函館からずっと同じトラックに乗っていたのだかどうか定かではないが、この日の運転手のことは、かなり強いイメージとして記憶に残っている。

 この運転手はかなり体が小柄だった。175センチの私に比較したら、かなり小さかった。おそらく150センチ、いやもっと小さかったかもしれない。10何トンという大型長距離運転手としてはかなり短身だ。なんせ運転席には、何枚もの座布団が厚く折り重ねられ、その上に小さな体を乗せて、ようやく運転台から顔が見えるような角度であった。

 しかし、運転そのものには自信があると見えて、かなり強気な発言も目立った。運転しているので、助手席に乗せてもらっているこちらに目を向けるわけではないが、ちょっと目がランランとしているような気配を感じた。

 そして、「オレはもう一週間も寝ていないんだよ」とつぶやいた。え、それは無理だろう。おそらくまだ30前後であっただろうその運転手は、あの高度成長突入の日本経済の中で、必死に運転しまくっていたのだ。

 突然、ガタと、前の左タイヤが道路の路肩にぶつかった。うわっ、と驚いてしまった。彼はちょっと居眠りをしたのだ。大型トラックなので、それほどビクつきはしなかったが、北海道の道路はまっすぐ長く単調ではある。寝不足ではなくても、確かに誰でも眠くはなるのだ。

 それにしても、この運転手、どのようにして一週間も連続して運転できているのだろう。その秘密は、やがて分かった。運転手は国道脇にあるドライブインに停車した。この当時、運転手たちの羽振りは良かった。普通の人の倍以上の収入があったはず。この運転手ならさらに高収入だっただろう。

 彼らは気前よく、貧乏なヒッチハイカーに食事をおごった。この時もすっかり彼の善意にすがったのだが、食事が終わって再出発しようとする時、彼はドライブインのマスターとコソコシ話をしていた。そして、裏に回って、湯飲み茶わんを一個借りたのだ。

 その茶わんをどうするのかな、と見ていると、彼はその湯飲みを逆さにして、裏の足の部分のへこんだところに、何やら白い粉を入れて、水で溶いた。そしてそこに確か注射針かなにかを入れて吸い取ったのだ。

 その風景をマスターは決して喜んでみていたわけではない。いやぁそれはなぁ、という風で、仕方なく場所を貸している、という感じだった。それでも、その雰囲気はいつもの常連さんだから、仕方ないか、というような慣れた感じであった。

 確たるものではないが、あれはいわゆる覚醒剤という奴だろう。戦争中、工場などで働かされた若者たちは、ヒロポンという薬を渡されて、昼夜連続で働き続けたという話を聞いたことがある。ゼロ戦で敵艦に向かっていく特攻隊員たちも、この薬を配られたとも聞いた。

 ちなみに、ヒロポンのヒロとは、ギリシャ語の、愛する、という意味だそうだ。フィロソフィーとは日本語に哲学と翻訳されているが、そのフィロのことである。ソフィーは智慧だ。つまり智慧を愛する、そう、それが哲学なのである。

 ポンとはギリシャ語で労働を意味するらしい。だから、ヒロ・ポンとは、労働を愛する、というネーミングになる。このクスリ、頭がスカッとしてかなり仕事も一時的にはかどるらしいが、依存性が強く、すぐに体がガタガタになる。

 あの運転手は、自分で「オレは若い時からこの薬を使っているんだよ。だから眠らなくても運転し続けることができるし、疲れない。だが、その代わり、体が成長しなかった。」と言った。そうか、この運転手の秘密が理解できた。

 私は、覚醒剤でギンギンにキメて運転している運ちゃんに、旅のハンドルさばきを任せて、後ろの豪華な仮眠用ベットで熟睡したのだった。

<14>につづく

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