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2019/02/02

「オン・ザ・ロード1972」<12>06/19 百石高校

<11>からつづく 

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
★★★★★

<12>1972 06/19 百石高校

 百石高校と言えば青森県である。もちろん、この日、正式にこの学校に泊めてもらったわけではない。この日のヒッチハイクは県をまたいで、宮城県・岩手県・そして青森県に入った。だが、夕方になってもどこかに泊まる算段はできなかった。

 私は、トボトボ歩いて、近くの学校の敷地を見つけ、静かに入り込んだ。ちょうどよい具合に、広い校庭にある朝礼台を見つけたのだ。それは何かの儀式などがある時に、校長先生などがお話しをするために備えられているものだ。鉄骨で作られた頑丈なものだった。

 うまい具合に上は屋根のになっていて、地面の上はちょうど小屋のような形になっていた。夕闇にまぐれて、ここを私の二日目の宿と決めた。ヒッチハイクで歩き疲れた体には、とにかく横になれる場所があれば、それでよかった。シュラフに入って眠りについてしまえば、あとはすぐに夢の世界だった。

 さてさて、ここからは私の記憶が確かではないのだが、さりとてこの学校以外の思い出とは思えないので、記しておくが、次の日の朝、おそらく6時ごろだっただろう。周囲の校庭が騒々しいことに気がつき、目が覚めた。驚いたことに朝礼台の周りには、たくさんの人たちが群がっていた。

 周囲ばかりではなく、朝礼台の上にさえ人の気配があった。最初何が起こったのか気が付かなかったが、それは朝のラジオ体操だということがだんだんわかってきた。ほんの10分か20分、その人の群れは、やがて静かになって、散っていった。

 不思議なことに、誰も私に不審げに目をくれる生徒も先生もいなかった。私がうまく息を殺して隠れることに成功していたからだろうか。それとも、みんな哀れな若い旅人を大目に見てくれたのだろうか。

 私はヒッチハイク生活で、駅にも泊まったし、屋根つきバス停にも泊まった。大きな土管のようなヒューム管を一夜の宿させてもらったこともあったが、学校の朝礼台の下に潜り込んで泊まったのはこの時だけである。

 当時はセキュリティも甘かった。何処の学校も、校庭くらいに忍び込むのは別段に不審がられるような時代でもなかったのである。

<13>につづく

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