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2019/02/02

「オン・ザ・ロード1972」<11> 06/18 気仙沼の魚やさん

<10>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p  目次  全日程
★★★★★

<11> 1972 06/18 気仙沼の魚やさん

 その日は、私たちの80日間ヒッチハイク日本一周の初日であった。リュックの詰め方も、手元の持ち物も、とにかくすべてが不慣れだった。初日からして手に持っていた地図はなくすし、途中で寒気覚ましになるかなと持参したウィスキーの小瓶を割ってしまうなど、散々な出来事が続いた。

 それでも仙台を出発してから太平洋岸を北上し、何台かのクルマに乗せられて、ヒッチハイク初日は気仙沼まで来た。最後に乗せてくれたのは、気仙沼の魚屋のオジサンだった。オジサンと言っても、当時おそらく40歳前後であっただろう。お店を持って魚を販売していたのではなく、行商とか仲卸の方だったに違いない。

 彼はもの珍しいヒッチハイクの若者に興味津々ではあったが、なかなかこちらを怪しむ振る舞いは緩まなかった。今晩うちに泊まっていけ、と勧めてくれたので、こちらとしてはありがたく泊めてもらった。だが、オジサンは、私のリュックはクルマの中に置いておけ、と車内に閉じ込めたまま鍵をかけた。

 こうして荷物を保管してしまえば、変なことをしたり、悪事を働いて途中でいなくなったりはしないだろう、という彼なりの読みだったのだろう。もとよりこちらは悪知恵などまったくないヒッチハイクの超ビギナーである。オジサンに言われるままにして、風呂にも入れてもらい、ご飯もごちそうになり、大変ありがたい旅のスタートを切った。

 朝、ちょっと早目に目を覚ましたと思ったが、オジサンの家族はすでに起きていて、朝食前に、散歩がてらに市場でも見てきたら、と勧められた。そこから歩いて数分のところに魚市場はあった。叔父さんの家は小さな一軒家の平屋だった。

 あのオジサン、今回の津波で大丈夫だっただろうか。ご存命であれば、すでに85才か90才ほどの年配だろう。一宿一飯の恩義を感じつつ、自分は、住所をお聞きしてお礼状を書くほどの余裕のない、無礼な若者でしかなかった。今でもご健在であるなら、これからもますますご健勝であられますように、お祈りいたします。

<12>につづく

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