「一彫入魂 面打ち・仏像彫刻に挑戦! 」 塩飽 晴海<1>
「一彫入魂 面打ち・仏像彫刻に挑戦! 」ノミを通じて自分と対話する姿 (定年前から始める男の自由時間) <1>
塩飽 晴海(著) 2005/01 技術評論社 大型本 126ページ
No.4242★★★★☆
新図書館シリーズ5/10はこの本だ。面打ちも仏像彫刻も、とりあえず挑戦済みだが、こちらも奥が深い。やりかけて中座している作業工程がいくつかあって、いつかは再スタート、と狙ってはいるが、なかなか腰は重い。
この本すでに10数年前に出た本だから、ややセンスがNOWくない。「定年前から始める」? って、定年制度に関わらず生涯現役を貫こうとする我が身としては、その定年とやらは、何歳の、何を意味しているのやら、と揶揄したくなる。
十数年前ならイメージとしては、60歳が定年であっただろう。ということは、55歳あたりから、定年後に備えてね、というお諭しなのであろうか。「男の自由時間」。このフレーズも泣かせるね。50代後半なら、ほとんど自由時間がとれなさそう。だからこそこのフレーズに惹かれるのかもね。
定年後は自由時間であふれかえっている、っていう雰囲気。本当かな。我が世代としては、60を超えても、そんな奴は少ない。ほとんどがまだ仕事にしがみついている。しがみつかざるを得ない。
年金受給もままならず、さりとて子供たちの自立も遅い。当然、働かざるを得ないのだ。おそらくこれが永遠に続く。みんな生涯現役ではないか。
「一彫入魂」。ベタなコピーだが、実際、彫刻は体力勝負だ。なかなかに筋肉痛になる。であるからこそ定年前から始めて体の使い方に慣れたい。体が痛くて眠れない日だってやってくる。
「ノミを通じて自分と対話する」。たしかにね。我が身としては、彫刻刀とカッターナイフだけで彫っているので、ノミはまだ使っていない。彫刻には、材料となる材木とともに、道具も必要となる。
私としては、まず樹齢1300年のカヤの間伐材との出会いが仏像彫刻のスタートだ。面打ちとの出会いは、能「名取老女」公演がスタートだ。スタートではあるが、この道一筋というわけではない。それはなかなか大変そうだ。趣味とも言わず、一時の気まぐれで創作意欲が掻き立てられている、というところだろう。
実は、いつも坐禅会に参加している「みんなの寺小屋」で、近々仏像彫刻教室が始まるという。私も暗黙のうちに誘われている。はてさて私は参加するのだろうか。ひとつ始めれば、後には引けない。考えどころだ。
| 固定リンク | 0
「26)迷の巻」カテゴリの記事
- 「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <2>(2019.01.11)
- Global
(2019.01.11) - 「『サピエンス全史』をどう読むか」 ユヴァル・ノア・ハラリ他(2019.01.09)
- 「さよなら、仏教」――タテマエの僧衣(ころも)を脱ぎ去って 高橋卓志(2019.01.09)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「迷の巻」編(2019.01.11)
コメント