「さよなら、仏教」――タテマエの僧衣(ころも)を脱ぎ去って 高橋卓志
「さよなら、仏教」――タテマエの僧衣(ころも)を脱ぎ去って
高橋 卓志 (著) 2018/12 亜紀書房 単行本: 280ページ
No.4247★★★★☆
本を閉じて、しばし考えた。時が時なら、素晴らしい本としてレインボー評価をすべき一冊である。1948年生まれの70才のお坊さんのお話しである。最初から一貫して自称を「ぼく」で通しているため、文体が非常に若い。まるで30代の若者が書いているような印象さえある。
最近は、「さよならインターネット」 、「さよなら、インターネット」、「さよなら未来」などとタイトルのつく本を続けて何冊か読んだ。あるいは、「アップデートする仏教」、「〈仏教3.0〉を哲学する」、「ごまかさない仏教」などなど、ざっくりと「仏教」と括ってしまう本がいくつか目についた。
「さようなら」、と大見栄を切ってしまうことがカッコイイ時代なのかもしれない。あるいは、「仏教」、と一口にまとめてしまうことが、流行っているのかもしれない。そもそもは出版社の売らんがためのタイトルづくりであるかもしれない。
されど、この「さよなら。仏教」は、真摯な臨済宗のお坊さんが、結局自分の人生を生き切って、お寺を去る、お話しである。思えば、いわゆる仏教史は、改革運動の連続であったわけで、今初めて内部告発が始まったわけではないが、様々な批判や葛藤があって当たり前で、この本は、その一つの表出である、と理解すれば、それほど大騒ぎするほどのことではない。
戦後生まれの「現代っ子」お坊さんが感じた「仏教界」の内部話は、その立場でなければ分からないことが沢山あり、それも真摯に生きていたからこそ言い放ちうる内容ではある。
されど、当ブログの評価としては低い。なぜか。
この方の「仏教」は、この世的すぎる。実際的なお寺レベルの「仏教」に拘泥し過ぎている。そもそもなんの疑問もなく「仏教」と言ってしまってはならない。もっと神秘に向かっての扉をひらく工夫をしなくてはならない。
そして、未来に向けた、世界的な宗教性としての意識を探究する糸口を見つけなければならない。どこか出発点が違っている。
よくできた方であり、愛されたお坊さんであろう。個人的には立派なお人柄だ。だけど、どうも素直じゃない私などは、この方の「仏教」では救われない。寺がいやなら、さっさと以前に出るべきであったのだろう。「出家」もできない「坊さん」のお話しが、延々と展開されている気がする。
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