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2019/01/26

「一彫入魂 面打ち・仏像彫刻に挑戦! 」 塩飽 晴海<2>

<1>からつづく

 

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「一彫入魂 面打ち・仏像彫刻に挑戦! 」ノミを通じて自分と対話する姿 (定年前から始める男の自由時間) <2>
塩飽 晴海(著) 2005/01 技術評論社 大型本  126ページ
★★★★☆

 

 二回目の借り出し。前回は出会いがしらに手を出して借りてきたのだが、今回は「能」をキーワードに、それなりに覚悟して借りてきた、つもり。

 

 面打ち、の文字に大きく引きつられて借りてきたのだが、その下に仏像彫刻の文字もあったのだった。この本、ほとんど、面打ちと、仏像彫刻が、半々の内容になっている。

 

 よくよく考えてみれば、バランスの取れた一冊で、たしかにこの一冊で、おおよそのことが分かることになっている。

 

 自分ではまったくのドシロートではない、という気構えを持っているつもりではいたが、この本で紹介されているカルチャーセンター教室の生徒たちは、10年を超える高齢者たちもたくさんいて、はぁ、そこまでして教室に通っているのか、とビックリする。

 

 いずれにせよ、私なぞは、初心者の初心者。人前でしゃべることさえ憚れるような、ドシロートでしかない。このままドシロートのまま撤退するのもよし。心あらためて、入門の門を叩くのもよし。されど、入門するには、それなりに覚悟が必要だ。

 

 仏像と面打ちなら、どちらかといえば面打ちのほうを再開したいが、だがしかし、これまで二面作った段階では、あの制作過程のむずかしさのひとつひとつが思い出され、ああ、あの体験をまたするのか、と、ため息がでる。

 

 肩がこる、指をケガする、腰を痛める、とにかく体力が必要だ。そして、ひとつの作品を仕上げる気力。それもこれも、まずは道具が必要だ。材料を選び抜く眼力も必要だ。そして、全体としての大枠も視野に入れておく必要がある。

 

 この本、簡単には書いてあるが、簡単には取り組んではならない本の一冊である。本として、一冊楽しんで読んでいるうちが花だ。

<3>につづく

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