「禅の語録」導読 禅の語録20 小川隆

「禅の語録」導読 禅の語録20
小川 隆 (著) 2016/04 筑摩書房 シリーズ・全集 単行本: 292ページ
No.4298★★★★★
禅宗は、早くから、禅者の教説や言行を文字に書き記して伝えて来た。「不立文字」といいながら、禅宗の書物はひどく多いではないかと揶揄されるこおともあるが、そうではない。
特定の教条を定立せず特定の聖典を奉じないからこそ、禅者は、その時、その時の、その人ならではの一句を吐きつづけてきた。
それは他とのとりかえも他との統合もうけつけぬ、かけがえのない言句であったがゆえに、その言葉の数だけ個別に記録され、伝承されてゆかねばならなかったのである。p1「はじめに」
なるほど~~、そうであったのか。コトンと肚に落ちる言葉である。目からウロコ。
そうした言葉は、ほどなく入唐僧・入宗宗たちによって日本にも将来され、爾来、各種の禅籍が、日本の禅門において読みつがれてきた。
この間、個々の字句にとらわれず、あくまで実施の修行の糧としてそれを読むという姿勢が保たれてきたのは、ある意味、当然のことであった。
禅籍は肚で読む、という言いかたは、今日でもなお死語になっていない。p1「はじめに」
ふむ~、なるほど~。
これに対し、禅宗中国古典文献の一種として語学的・文献学的に読み解こうという試みが開始されたのは、実はわずか半世紀余りほど前のことでしかない。p1「はじめに」
せっかくのものを文献学的に読み解いてしまうのも、もったいないような気もするが、私のような門外漢の目に触れるように白日の下にさらしていただくのは、とてもありがたい。
この本は、この最初の一ページを読んだだけで、もう充分なような気さえしてきた。ありがたや~。
つづく
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