「アップデートする仏教」 藤田一照他
「アップデートする仏教」
藤田 一照 (著), 山下 良道 (著) 2013/09 幻冬舎 新書: 289ページ
No.4230★★★☆☆
この本を読むのはグッドタイミングではない。じゃぁ、いつ読めばいいかと言えば、いや、別に読まなくてもいいのだ、という意味を込めている。対談しているのは、我が世代の曹洞宗の僧侶二人。私よりは1~2歳ずつ若い。
この本は、ボヤキ漫才、ボヤキ川柳みたいなもので、まぁ、せいぜいボヤキ仏教、と言ってあげようか。そもそもが、仏教をどうかしよう、と考えている。それが仮に2.0だろうが、3.0だろうが、決して彼らのボヤキは止まらない。
もうすこし煮詰めて言えば、仏教ではなく、禅1.0、禅2.0、とでも名付けた方が、まだましだったように思う。されど、続刊の「<仏教3.0>を哲学する」(2016/09春秋社)に到っては、すでにネーミングで失敗している。
禅、あるいはZENをアップデイトするなら、1.0や2.0ではダメだ。ZEN 0.0でなければならない。だからこそ、当ブログでは、OSHO ZENと言っている。まぁ、一歩譲ってZEN OshO とでも言っておこうか。ZEN 〇なのだ。
2500年の仏教=Buddismをどうのこうのしようというのは、一人や二人のボヤキ坊主どもではどうにもならん。仏教と取り組むから、余計な雑念が必要とされ、脇道も増える。最初っから禅に取り組まなくてはならない。ZENでもいい。とにかく、それを自らに見つけ、体現する以外にない。
思えば、私もスリランカには少なからぬ縁がある。生家の菩提寺は、戦後、曹洞宗を離れ、単独寺院となって、スリランカ仏教と関係を密にしている。23才でOSHOの元に行った時、まずはビパサナの10日間を潜り抜けさせられたのも、何かの縁である。
さらには翌年、スリランカに渡り、当時仏足山に滞在されていた藤井日達上人のもと、一か月の修行を許され、また当国の縁者たちによって、国内の有力寺院を見て回ることができたのも、これまた深い縁であった。
1991年の、国際環境心理学スピリット・プレイス・シンポジウムの時にも、すでにスタッフから、テック・ナット・ハンの情報がもたらされ、早くから、その流れを意識することができたのも、近辺にアンテナを高く張っている友人知人が多かったせいもあった。
仏教はアップデイトしないだろう。五五百歳=2500年の後、ゴータマ・ブッダの流れは、その法輪が止まってしまう、とすでに法華経にあるではないか。もう充分なのだ。それは、もうアップデイトなどせずに、休ませるべき時に来ているのだ。
新しく法輪を回すのは、弥勒=マイトレーヤ、友人としてのブッダなのだ。無駄な抵抗はよせ。ボヤくのはやめよう。時代は、ZEN 0.0なのだ。
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<追記>
後半、一部知った名前が出てきたので、ここに抜き書きしておく。
良道 わたしが言う青空と雲の話はプルシャとプラクリティという区別だとすっきりするんじゃないか、と「ヨーガ・スートラ」の専門家の伊藤雅之さんという方が言ってましたね、一法庵の接心に参加された時に。
注 伊藤雅之・・・(1964~)愛知学院大学文学部准教授。ヨーガをはじめとするスピリチュアリティ文化の研究員。p223「第五章 アップデイトする仏教」
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「現代社会とスピリチュアリティ」 現代人の宗教意識の社会学的探究 (伊藤雅之 2003/03 渓水社)では、OSHOを取り上げており、私も多少取材協力した。
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