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2018/12/07

「禅林画賛」―中世水墨画を読む 入矢義高他<1>

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「禅林画賛」―中世水墨画を読む <1>
島田修二郎・入矢義高監修 1987/10 毎日新聞社 大型本: 497ページ
No.4299★★★☆☆

 あるひとりの親戚の茶の間で見つけた本。乱雑に本が部屋中に置いてあり、なにかの拍子に蹴っ飛ばしそうになるくらい本が散らばっている。その中でも、一段と大きくて厚く、とにかく「禅」の文字が目に入ったので、とりあえずは質問してみた。

 還暦も過ぎたわが親戚は、かつて四国地方を旅行した時に、旅館の部屋にこの本があって、いたく気に入ったそうだ。帰宅してから、あちこちの古書店を探したが、なかなか見つからずやっと見つけて翌日買いに行ったら、すでに売れた後だったらしい。

 それから彼の、この本の探索が始まった。京都の古書店のカタログにこの本を見つけたのは、すでに10数年前だそうだ。だが、あまりに高価なので、購入を見送ったらしい。なんせ、もともと数万円する定価の豪華版なのだが、なんとその3倍の値段がついていたらしい。

 彼は、それでも、毎年毎年そのカタログを見続けてきたが、まったく売れる気配もないらしく、価格ダウンの機運も見つからなかった。そこで最近、ようやく清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入に踏み切ったとか。

 有閑階級の彼にしても、それほど高価な本を購入することはめったにない、とのことで、この本は彼のお宝なのだ。ふむふむ。

 しかしながらだ。わが図書館を検索してみると、すぐ隣の公立図書館にはキチンと蔵書で収まっている。実際、こうして私は簡単に配本してもらって、無料で拝読できているわけだ。なぜにそれほど悩む必要があったのかね。

 読むだけではなく、自分のモノにしたい、というのであれば、ネットで検索してみるのもいいだろう。やって見ると、確かに高価本ではあるが、ほとんど定価と同じ価格でネット上で流通しているものもある。保存の程度とか、入手経路とか、それぞれにこだわりはあるだろうが、それにしてもなぁ、と思う。

 彼も一時パソコンブームの時は、ノートPCなどを揃えてネットサーフィンなどしていたのだが、どうも性に合わないらしく、ネット接続をしていないばかりか、PCそのものをやめてしまっているようだ。経費が掛かる、ということで、この手の「老人」も増えてはいるが、ああ、もったいないなぁ、と思う。

 ちょっとしたネット環境があれば、中古のPCくらいはすぐに手に入る差額を、惜しみなく京都の古書店に支払っているのである。彼にしてみれば、この「京都の古書店」というところが、気に入っているのであろう。それぞれのこだわりである。ゆるそう。

 さて、中身だが、私個人としては、ぜひとも座右に置いておきたい、というこだわりはない。禅画は、唐代よりもむしろ宋代に発展したらしく、当ブログの関心がそちらに移り始めたら、欲しくなるやもしれず、今はあまり大口をたたかないでおこう。

 巻末の検索をめくってみると、なにやら「把不住」の文字もある。当該ページを開いてみると、さして大きな記事でもなく、ふ~ん、程度で終わる内容であった。なにはともあれ、すこし時間をかけて、なぜに彼がこの本に魅せられたのか、その辺をすこし探ってみようと思う。

<2>につづく

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