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2018/12/06

「空っぽの鏡・馬祖」OSHO<3>

<2>よりつづく

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「空っぽの鏡・馬祖」 <3> 
OSHO
スワミ・アナンド・ソパン (翻訳), 1992/12 壮神社 単行本、 367p

 ゴータマ・ブッダの成道会に合わせて12月1日~8日の臘八接心の坐禅を行っている。早朝40分の坐禅(10分の経行はさむ)を二回、夜も同じく二回、当センターの瞑想ルームにて。

 ちょうどそのタイミングで、カナダ在住の友人Maがビデオを二本、「アディナタのデスセレモニー」と、「OSHOスピリチュアル・テロリスト(日本語版)」を送ってくれた。二本ともずっと昔に見たことのあるテープではあるが、当時ではなかなか入手困難であったので、個人所有はしていなかった。

 今回、あらためて見て、OSHOはなんとまぁ過激なマスターであるか、とあらためて感嘆した。それと同時に、ビデオでOSHOを見る、という体験を久しぶりにしたものだから、たくさんあるビデオを再視聴するのもいいなぁ、と思い始めた。

 いざ天井階のバックヤードを見ると、あるわあるわ、う~ん、こんなにあったのか、とあらためて呆れてしまった。先年、マル君がDVDに焼き直すと行って、大量に持って行ったが、完了したから返すね、と返却された。そしてダビングしてプレゼントします、と約束していたのに、その約束は果たされないまま、彼はちょうど一年前に逝ってしまった。

 リアルタイムでは、現在当ブログは唐代の禅マスターを辿る作業に入っており、ちょうど洞山、雲居、馬祖、慧能などを訪ねている最中だった。そういえば、馬祖こと「MA TZU」のビデオも何本かあったはず、と探し出した。

 入手してから何度も見たわけではないが、ある事ははっきり覚えていた。現在探し出したのは4本。さて、日本語版の本「空っぽの鏡」と、英語版「MA TZU, the Empty Mirror」(September 1988)を揃えて、ビデオを再生してみた。

 うん、これがなかなかよい。本だけじゃ分からない、OSHOワールドが展開されている。すでに30年前の講話であるが、生き生きと、リアルにフィードバックされる。これはいいな。我が瞑想センターでも、古いビデオライブラリーを活用して、ビデオ鑑賞会を定期的に開催するのもいいな、と思い始めた。

<4>につづく

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