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2018/11/03

「阿波研造―大いなる射の道の教」 桜井保之助

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「阿波研造―大いなる射の道の教」
桜井 保之助 (著) 1981/03 出版社: 阿波研造先生生誕百年祭実行委員会 古書,   485ページ 27.4 x 19.6 x 3.6 cm  限定非売品
No.4282

 いやはや実に大冊である。弓、あるいは阿波研造をキーワードとして、これでもかこれでもか、というくらいに史実や研究が、当時の画像やデータをもとに、一元的に一冊にまとめられている。

 実に重厚な造本とともに、その資料の多彩さに、圧倒される。この本が非売限定品であることも納得できる。本を作る側としては、この本には値段はつけられないだろう。携わった人々の志しに敬意を表する。

 読む側にとっても、一朝一旦には活用しがたい、奥深い内容となっており、地理から歴史、文学から科学、医学、身体から、武道、仏道、インド、ドイツ、古代中国など、言及する範囲は実に多岐にわたる。

 著者名は一名となっているが、原稿の素案を寄せた人々は多数に渡るであろう。関係者の積年の努力が実った一冊である。

 この本を拝見して、まず驚いたのは、発行年が1981年と割合最近であることである。しかも、著者の住所が仙台市河原町一丁目となっている。なんと、私たちの瞑想センターも、実は前後してこの地に移転したのであった。

 あの当時、あの町内に、この大冊に関わった人々が住まわれていたのだと、思うと、ちょっと背筋が伸びてくる、というものである。

 研造が、禅学用語を多く用いながらも、禅そのものには批判的であったことの正しさが、佛教の思想史をよみただしてみていっそう明らかになった、といってよかろう。p442「第七の章 円熟期」 

 最盛期には一万数千人の門下を抱え、その多くは、地元の旧二高や東北大関係者であったことにより、その弟子筋は超エリートのインテリ層が多いように見受けられる。それぞれに見識が広く、偏らず、高ぶらず、そして誠実かつ一途な人々の一団である。

 研造の禅への傾倒は、神仏からさらに禅へと突き詰め、さらにそれを超えようとしたところにあり、また禅への批判とは、つまり身体性のことであっただろう。只管打坐をどう見るか、作務をどうみるか。弓と禅。

 この本においては、道元や出口王仁三郎まで、口絵の画像付きで紹介されまとめられている。あまりに多岐にわたるので、初心者はどこが入り口やら出口やら迷いに迷ってしまいそうになるが、そこはそこ、矢は一心に的へと向けられているに違いない。

 いや待てよ、研造の弓が、無心の矢であったとするなら、的すらないことになる。

 ドイツに帰国したあとのオイゲン・ヘルゲルがのちにナチ党員になったこと、研造の起こした大射教が結局、弓道連盟に吸収されて行ったことなど、史実をもう少しキチンと捕まえなければ、即断はできないが、「弓と禅」にはまだまだ止揚されるべき高見が残されているようでもある。

 しかしそれにしても大冊である。私は幸いにも地元の図書館に蔵書として残されていたからこそ拝読できたものの、遠方の、さらには海外のその道の士には手が届かない本なのかもしれない。一読書子としての幸甚を痛感する。
 

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