「東京ブギウギと鈴木大拙」 山田奨治<1>
「東京ブギウギと鈴木大拙」<1>
山田 奨治 (著) 2015/04 人文書院 単行本: 249ページ
No.4288★★★★★、
時にはネットのおせっかいなお勧めにも、有効な情報が含まれている。鈴木大拙リンクで飛び出してきたこの本、最初はなんのことやらわからなかったが、これが実は、当ブログにとっては大きな鉱脈にぶち当たった印だったかもしれない。
鈴木大拙には、実は養子がいたのである。あまり語られることのなかった男の子は、極めて素行の悪い洋風の風貌を持ったいわゆるヤンチャな不良児だった。が、長じて20代には、服部良一と知り合い、あの「東京ブギウギ」の作詞をしていた、というのである。
ここで作詞となっている鈴木勝がその人。本書では鈴木アラン勝となって登場し、むしろアランが周囲の通称であったようである。時には、ヴィクター・ベルウッドなどのペンネームを使って、当時の雑誌などの記事も書いていたようだ。
本書で「東京ブギウギ」がでてくるのは、ようやく中頃になってからだが、とにかく鈴木大切のライフストーリーが中心になっており、その覚りすました仏教学者のDT・スズキを悩ましたアランを絡ませて、これまであまり語られなかった鈴木一家の「迷」の側面を洗い出す。
後半になると、アメリカのビート・ジェネレーションとの絡みにも及ぶが、この辺は当ブログにとっては一度踏襲した道筋である。
この本にたびたび登場する本に「鈴木大拙 没後40年」(松ヶ岡文庫編 2006/5 河出書房新社)がある。この本を読みながら、私も何度も思い出していた本であるが、当ブログにおいては既読である。読んだのは2006/12/04。あれから12年も経過してしまったのか。
あの時、私はこんなことを書いておいた。
この本には、その他、日野原重明、源了園、千玄室、立松和平、鎌田東二、中村元、柳宋悦、朝比奈宗源、その他の重要人物たちの一文が編集されている。ちょっと異色なところでは、末木文美士が「大拙の戦争批判と霊性論」p90を寄せている。彼は、ブライアン・ヴィクトリアの「禅と戦争」を取り上げて、大拙の裏面を暴き出す。この周辺を深く掘り下げていったら、来るべき地球人スピリットの次代ステージが見えてくる可能性もある。Bhavesh 2006/12/04
「この周辺を深く掘り下げていったら、来るべき地球人スピリットの次代ステージが見えてくる可能性もある。」 今、その機会がようやく巡ってきたかもしれない。
アランという子供のネーミングは、アラン・ワッツを連想させるが、DT・スズキとアラン・ワッツが出会う、ずっと前に鈴木アラン勝は生まれている。ほぼ無関係な同名だが、読む側にしてみると、毎回子供の名前アランが登場すると、あのいたずら者アラン・ワッツの顔がちらついてきて、イメージしやすい。(笑)
著者は1963年生まれの研究者。この世代は、もちろんビート世代でもなければ、いわゆる全共闘世代でもない。60年代70年代のヒッピー・ムーブメントも、アットタイムでは目撃していないだろう。
この世代において、このような研究がされている、ということ自体に私は関心を持つ。そもそも、同時代に起きている事象というものは、リアルタイムでまとめ切れないものだ。全体を見渡せれるようになるのは、時間差がある。10年も20年も、時には50年も100年もかかる。
当然その間に、情報の劣化が起こるし、誇張も粉飾もおこる。時には隠蔽や削除、加筆や創作さえ行われる危険性がある。そういう危険性を分かったうえで、このような「歴史」モノの研究や論述も、時には楽しいものだ。
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