「禅宣言」 OSHO<21>
<20>からつづく
「禅宣言」<21>
OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03 市民出版社 単行本 541p
★★★★★
あなたは、今この瞬間にくつろぐことができる!
そのくつろぎの中で、きっとあなたは光を、覚醒を、目覚めを見つける。ゲシュタ・イタルに起こったことは、必ずしも禅の紹介にはならない。
彼女は古くて伝統的な禅師たちのもとにいた。私にとって禅とは、非常に単純で、無知で、楽しい方法だ。苦行的なもの、生ー否定的なものは何もない。世俗を放棄する必要はなく、僧になる必要もなく、修道院に入る必要もない。必要なのは自分自身に入ることだ。それはどこでもできる。
私たちは、それをできるだけやさしいやり方でやっている。そして禅は、私がやろうとしているくらいやさしいものになって初めて、現代人の関心を引くことができる。そうでなければ現代人には、
やることがたくさんある----するべきことがたくさんあり、探るべき道がたくさんあり、気にをそらすものがたくさんある。
禅を遊びに満ちた小さなものにすることだ。そうすれば眠りに入ろうとするとき、その前に五分のうちに自分自身の中に入り、一晩じゅう自分の中心にとどまることができる。すると夜全体が、安らかで静かな気づきとなる。
眠りは身体の中にあるが、その下には宵から朝までの光の流れがある。
ひとたび、眠っているときにも一定の気づきがあると知ったら、一日じゅう、どんなことをしていても、覚醒し、意識を保つことができる。要は仏性を、あくまで普通で、平凡で、単純で、人間的な事柄とすることだ。OSHO p498 「サマサティ--最後の言葉」
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