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2018年11月

2018/11/30

「わけあって絶滅しました。」 世界一おもしろい絶滅したいきもの図鑑 丸山貴史他 

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「わけあって絶滅しました。」 世界一おもしろい絶滅したいきもの図鑑 
丸山 貴史 (著),    今泉 忠明   (監修),    サトウ マサノリ (イラスト),    ウエタケ ヨーコ (イラスト),     & 1 その他 2018/07 ダイヤモンド社 単行本(ソフトカバー): 192ページ
No.4296★★★★★

 おやおや、意外な刺客が・・・。奥さんがこんな本もあるよ、と教えてくれた一冊。孫の小学一年生が喜ぶだろう、と借りてきた本。こういうシリーズがあるそうだ。

 ほう、と思うこと多し。これだけの動物が絶滅しているのだから、人間もいずれ絶滅しても、いいよね。人間、だれでも死ぬように、人類も絶滅するんだ。それを当たり前に受け入れていくことが大切だよね。

 そこで、この本の例にならって、人類(ホモサピエンス)の絶滅理由を考えてみた。

 そだね~、僕たちが絶滅した理由は三つあったかもね。ひとつは核だし、ひとつはコンピュータだし、ひとつは欲望だったね。考えてみれば、三つとも、考えすぎだったんだよね。
 
 そもそも神という思い付きの例えを作ったことが、僕たちが80億個体まで増殖できた理由だったが、それが結局、破綻の原因にもなったんだ。

 神なんていなかった。それを思いついたのはいい考えだったが、そこにひっかかりすぎたのがまずかったね。もうすこし早く離れるべきだった。

 核で電気や水素を作ったが、それが爆発して原爆となり、自分ばかりではなく、地球全体を壊してしまった。その後は、ロボットたちが生き延びたようだが、彼らは低酸素環境でも、なんとか生きていけるからね。

 彼らは個体維持の欲望がないので、ホモサピエンスよりも長生きするかもね。

 こうすりゃよかった。 ほどほどで手をうつべきだったね。けっこう幸せだったのに、それ以上を望み過ぎたよね。

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「大拙」 安藤 礼二

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「大拙」
安藤 礼二 (著) 2018/10 講談社 単行本: 354ページ
No.4295★ 

 
この方の名前は当ブログにおいても何度か登場している。たしか村上春樹についてのオムニバス本ではなかった。ググってみると、
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」安藤 礼二他2009/07河出書房新社編集部/編

「徹底解明 村上春樹1Q84」「群像」 2009年 08月号
 講談社
ニーチェ入門」 悦ばしき哲学 2010/06 河出書房新社
などであり、1967年生まれの文芸評論家にして美大の教授が、なぜに鈴木大拙を一冊ものしたかの、必然性がいまいちわからない。

 結局は後記でわかるように、10年前に「鈴木大拙」 没後40年松ヶ岡文庫編(2006/05 河出書房新社)の編集に関わったことが機縁のようで、確かにこの方の名前も記されている。その後、雑誌「群像」に書いたものを加筆編集して、この度一冊として出版された、ということであるようである。

 この本はなかなかに面白い。すでにほぼ大略が決まってしまった当ブログ2018年後記の新刊ベスト10の、ベストスリーの一角に食い込んでくるくらいの勢いのある一冊である。実際は★5くらいかな、と思ったが、新刊本と当ブログの関心が、時期的に一致するということは少ないので、そのタイミング賞ともいうべき特別枠で、レインボー評価としておく。

 それにしても、なぜこの時期にD・T・スズキなのか。それはこの著者にしても言えるし、当ブログにも言える。これまでにない関心が、このZEN者に視線が集まってしまうのは、当然、この時期におけるZEN「ブーム」を背景にしているからである。

 何度目かのOSHOの「禅宣言」読書完了の直後にこの本を読むのはちょっと辛いのだが、あれこれあちこちの本箱をぶちまけたような展開は、一度眠りかけたこちらのマインドを、またまた刺激してくるような、ちょっと好ましからざるスタイルである。

 それでもなお、いままでのステロタイプの大拙像を、ぶち壊し、再構築してみよう、という試みは快感が伴わないでもない。西田幾太郎やビストリア夫人とのからみは当然として、スエデンボルグやマイスター・エックハルト、神智学協会や、ブラバッキーやクリシュナムルティ、今東光の父・今武平や民芸の柳宗悦、南方熊楠あたりまで登場させるに至っては、あまりにも守備範囲を広げ過ぎではないか、と失笑したくもなる。

 老荘や禅文献に触れるあたりは当然としても、スピノザあたりまで登場するに至っては、ふむふむ、これって、我がブログの散漫と相図形を成しているのではないか、と納得。これは、いずれ時間を取って、精読して、付き合わせてみなければ・・・。

 なにはともあれ、面白かった。長生きはするもんじゃ。

つづく

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「禅宣言」 OSHO<22>

<21からつづく

禅宣言
「禅宣言」<22>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 

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 東雲を映して淡し初氷  把不住

<23>につづく

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2018/11/29

「禅宣言」 OSHO<21>

<20>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<21>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 あなたは、今この瞬間にくつろぐことができる!

 そのくつろぎの中で、きっとあなたは光を、覚醒を、目覚めを見つける。ゲシュタ・イタルに起こったことは、必ずしも禅の紹介にはならない。

 彼女は古くて伝統的な禅師たちのもとにいた。私にとって禅とは、非常に単純で、無知で、楽しい方法だ。苦行的なもの、生ー否定的なものは何もない。世俗を放棄する必要はなく、僧になる必要もなく、修道院に入る必要もない。必要なのは自分自身に入ることだ。それはどこでもできる。

 私たちは、それをできるだけやさしいやり方でやっている。そして禅は、私がやろうとしているくらいやさしいものになって初めて、現代人の関心を引くことができる。そうでなければ現代人には、

 やることがたくさんある----するべきことがたくさんあり、探るべき道がたくさんあり、気にをそらすものがたくさんある。

 禅を遊びに満ちた小さなものにすることだ。そうすれば眠りに入ろうとするとき、その前に五分のうちに自分自身の中に入り、一晩じゅう自分の中心にとどまることができる。すると夜全体が、安らかで静かな気づきとなる。

 眠りは身体の中にあるが、その下には宵から朝までの光の流れがある。

 ひとたび、眠っているときにも一定の気づきがあると知ったら、一日じゅう、どんなことをしていても、覚醒し、意識を保つことができる。要は仏性を、あくまで普通で、平凡で、単純で、人間的な事柄とすることだ。OSHO p498 「サマサティ--最後の言葉」

<22>につづく 

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2018/11/28

「サリン事件死刑囚」 中川智正との対話 アンソニー・トゥー

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「サリン事件死刑囚」 中川智正との対話
アンソニー・トゥー (著) 2018/07 KADOKAWA 単行本: 232ページ
No.4294★☆☆☆☆

 事件全体の一定程度の区切りを迎え、最寄りの図書館にも、関連の資料がいくつか入っているようだ。人気があって予約を入れても当面読めそうもない人気本もあれば、予約がまったくない本もある。この本は、まったく予約がなかった一冊である。

 特段に関心があるわけでもないし、まったく無関係な世界なので、心は動かないが、他に面白そうな本もなかったので、ヒマつぶしに予約を入れてみた。

 ちょっとめくってみた限り、やはり当ブログとはまったく無縁の一冊であり、メモするほどのこともないが、面白くなかったということを記録しておくためにだけ、このメモを残しておく。

 あの、裸で飛び上がっている写真と、最終解脱者、というプロフィールだけで、立ち読みした書店で、私は呆れてしまった。あんな世界に引っかかってしまったのは、やはり本人の因果なのであり、免疫のないインテリがどうのこうの、というエクスキューズは、当ブログにとっては、なんの意味もない。

 著者は、化学物質の専門家であるようだが、当ブログはまったく無縁である。この本が将来なんらかの意味をもつとすれば、実際のデータとしての記録としてかもしれないが、残念ながら、当ブログにはやはり、まったく無縁である。

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2018/11/26

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<15>

<14>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <15>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 現在、この「間違いだらけ~」シリーズの執筆陣は、大変な苦境に立っているだろうな。この本は毎年年末に出版されるのが恒例になっている。ということは、11月が脱稿の時期なのであり、もう原稿の締め切りはもう伸ばせない時期になっているのだ。

 どうせ、一年間、情報は流転しているので、どこかで見切り発車しなければならないのは仕方ないが、それでも今年は特別に苦悩しているだろう。どんな文章になってでてくるか見ものなだな。

 この本は、ちょっと当ブログとしては的外れのようでもあるが、実は隠れたネタ本である。パソコンとクルマは、煩悩の塊である。欲しいものは欲しい。だけど、なかなか買い替えることは簡単にはできない。

 さてカルロス・ゴーンと日産、ルノー、三菱問題だ。新車もまともに買い替えようとしていない一ユーザーのメモなど、大した意味もないが、まずは自分のブログだから、好き勝手なことを書いておこう。

 日産をルノーに持っていかれるのはイヤだな。たしかにルノーは素敵なクルマもあるが、だからと言って日本に合っているとは思えない。日本でルノーを見かけるなんて、稀だ。一部のクルマは、ルノースタイルを焼き直して踏襲しているかに見える車種もあるが、決してカッコイイとは言えない。

 ましてや三菱まで持っていかれるなんて、やっぱりイヤだな。三菱には乗ったことないけれど、それなりに魅力あるシリーズもあった。コンプライアンス問題で味噌をつけて、売上が下がっているのはわかるけど、なにもルノーに持っていかれる必要もないではないか。

 パソコンもあれよあれよ、という間に、国内メーカーはほとんど絶滅してしまった。このままいくとクルマだって、国内のメーカーなんてなくなってしまうかもよ。ここはルノーとは分離して、日産=三菱連合として、もうすこし立ち直したらいいんじゃないかな。

 それと、経営者として、カルロス・ゴーンとスティーブ・ジョブスを比較検討してみるのも面白いかも。この二人ほとんど同年代である。ある意味、ダウンしている会社を立て直した、という意味では、二人は共通している面も多い。

 されどジョブズは、56歳と7か月を一期として、さっさと去って行ってしまった。ゴーンは、ちょっと散り際を間違ったな。あまりにも強欲過ぎた。二人ともレバノンやシリアという第三世界をルーツとしているというところも面白い。

 ゴーンは、政治家としてどこかの国の大統領を狙っていたのではないか、などという下馬評もあるが、大ビジネスマン必ずしも大政治家ならず。おそらくいくらカリスマでも、ゴーンには政治家は無理だっただろう。

 グローバル社会になれば、今回のようなことはたくさん起こってくるだろうし、いちいちうろたえていてはいけないのだが、こういう問題になると、我ながら、愛国主義者になるのがおかしい。がんばれ!ニッポン、となる。

<2019年度版>につづく 

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「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<13>

<12>からつづく

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<13>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

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 VAIO A12。さっそく、大型家電店で見てきました。パンフレットもネットでは見ていたが、やはり紙ベースで手にとらないと実感がわかないのは、半デジタル親父の宿命か。

 ワタシ的には、これは買いだな。大きさもまあまあ、重さもまあまあ、接続部分もまま、タブレットの使い勝手もまあまあ。しかし、残念なのは、この製品が春に出なかったこと。あんなに、VAIOの2in1コールをして探したのに、まったくその情報はなかった。だから、別機種を購入してしまったのだよねぇ。

 タイミングとしては、あと数年はパソコンの買い替えはない。その間にもっと別な製品がでてくるか、他社が競合をしてくるか。あるいは新製品ゆえ、改良され、さらに値段もこなれてくるかもしれない。

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 基本、手持ちのタブレットが古くなってきているので、買い替え時期にきている。どうせタブレットを買い替えるなら、A12もありだなぁ。それに、最近はライフVSワークで、二台のPCを分離しろという時代が近づいている。どうせ、さらにもう一台となるなら、このA12もありだな。

 店頭の値付けはちょっと高い。余計な機能や性能を持っているからだろうが、性能は確かに高い方がいい。でも、ちょっと待てよ。ホントに機能は充分か? キーボードの下は光らないように見える。ヒンジ部分は、確かにと思えるが、いまいちカッコイイとはいいがたい。

 重さはジャスト1キロというような表現も目につくが、バッテリーをつけると200グラムほど重くなるらしい。軽いにこしたことはない。そこんとこの見極めだな。

 カタログとよ~く見比べてみよう。そして、ここまで来たら、また他社製品との比較も必須となってきた。

つづく

 

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2018/11/25

「洞山」 現代語訳 洞門禅文学集  飯田利行<1>

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「洞山」 (現代語訳 洞門禅文学集) <1>
飯田 利行 (翻訳) 2001/12 国書刊行会 単行本: 238ページ
No.4293★★★★★

 この本は、現在の当ブログの進行において、極めて重要なポイントにある一冊である。「禅宣言」の進行上、そして「把不住」のルーツへの退却として、この一冊がミッシングリンクとして存在している。 

 登場するチャンスを待って、ずっと待機しているのだが、なかなかその場面が登場しない。一体いつになるのか、と、気長に待っている。忘れてしまいそうなので、ここに顔だけメモしておく。

 さて、どうなるかな?

<2>につづく

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「禅宣言」 OSHO<20>

<19>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<20>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 彼(トマス・マートン)は言う、「禅は我々の便宜的な範疇のどれにも当てはまらない」

 彼の言葉はどれも美しいが、何かが欠けている。その欠けているものは、体験があって初めて見いだせる。そうすれば比較もできる。そうでなければ、トマス・マートンはまったく正しく見える---禅者に見える。でも彼は禅者ではない。彼はそうなりたかった。禅者であれば日本へ行く必要はなかった。私は一度も日本へ行ったことがない。
 

 実際、日本の禅院や禅の大学では私の本が読まれている。でも私は、一度も日本に行ったことがない。行く必要がない。ブッタ自身は一度も日本に行かなかったし、マハカーシャッパも日本に生まれたわけではない。 

 彼(トマス・マートン)が日本に生きたいと望んでいたのは、あることをよく認識していたからだ。それはキリスト教が役に立たないということだ。それで役に立つ新しい道を探していた。彼の言葉、「禪は我々の便宜的な範疇のどれにも当てはまらない」はただしい。 

 しかしたんに「我々の範疇に当てはまらない」というだけではない、どんな範疇にも当てはまらない。それは範疇を超えている。キリスト教的な範疇や、ヒンドゥー教的な範疇、イスラム教的な範疇、ジャイナ教的な範疇・・・・・禅はどんな範疇にも当てはまらない。 

 どこまでも本源的だ。だからどんな範疇にも当てはまらない。本源的なものはいつも個別的だ。それは範疇とならない。 

 みんなは私がどこかの範疇に当てはまると思うかな。あらゆる範疇に私は反する! なぜ反するかといえば、私がそれに当てはまらないからだ。それに私は、誰にも適合したいとは思わない。自分自身で充分だ。私にはどんな宗教もいらないし、どんな哲学もいらないし、どんな範疇もいらない。 

 言い換えれば、私は自らがひとつの範疇だ。 

 禅がどんな範疇にも当てはまらないのは、禅が自らひとつの範疇だからだ。それもきわめて反逆的な範疇、まったく体系のない範疇だ----あらゆる種類の野の花が、バラや蓮と等しく受け入れられる。 

 蓮であろうがバラであろうが、あるいはたんなる野の花であろうが関係ない。唯一大事なのは花開くということだ。すべては自らの潜在性にしたがって花開く。その点ですべては等しい。それ以外には、色も違うし、美しさも違うし、香りも違う----まったく香りのないものもあるだろう。 

 だから、どれも範疇に当てはまらない。でも開花に関するかぎり、すべては精一杯に開花している。隠されていたものはすべて現実になっている。その植物の中に夢としてあったものが、現実として開花している。 

 前途は、あなたの潜在性の開花だ。誰もが違った潜在性を備えている。だからあなたが一個の禅者として花咲くとき、あなたはかけがえのない個人となる-----どの範疇にも当てはまらない。たんにキリスト教的な範疇に当てはまらないというだけではない。それがトマス・マートンの言う「実際、禅は我々の便宜的な範疇のどれにも当てはまらない」という言葉の意味だ。

 ただし、よく言っておくが、禅はどんな範疇にもまったく当てはまらない----あなたのであれ、我々のであれ、他人のであれ・・・・・。禅はマインドを超えている。あらゆる範疇はマインドのものだ。これこそが、マインドに対する唯一の反逆であり、マインドを超えていくものだ。

 これこそが自己に対する唯一の革命であり、非自己、「アナッタ」の中へと入っていくものだ。これこそが、ありとあらゆる束縛、牢獄、範疇、主義、イデオロギー、世界観、哲学からの、究極的な自由だ。それは、マインドが生み出し、マインドが理解しうるすべてからの、絶対的な自由だ。それはまた、ハートからの自由でもある。OSHO p106

<21>につづく

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2018/11/24

今日の気分はこの三冊<41>WIRED/pen/ZEN

<40>からつづく

 

今日の気分はこの三冊<41>

 

今日の気分はこの3冊 目次

 

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「WIRED」VOL.31 「ニューエコノミー」ぼくらは地球をこうアップデートする
Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン) (著), 2018/11/13   WIRED編集部 (編集) 出版社: プレジデント社 雑誌 218ページ
WIRED関連リスト

 

「Pen」2018年11/15号超おさらい! 日本美術史
2018/11 出版社: CCCメディアハウス 雑誌 p150

★★★★☆ 

 

「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅
美術手帖編集部 (編集) 2016/10 美術出版社 雑誌 p211

★★★★★

<42>につづく

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2018/11/23

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<12>

<11>からつづく

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<12>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

 VAIOの新しいシリーズができたようだ。A12

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 ヨガ式と言っていいのか、分離式と言っていいのか、タブレット式と言っていいのか、興味津々。12というのは、画面の大きさに起因するだろう。A12は12.5型ワイド。S13は13.3型ワイド。A12のほうが1割小さいが、まぁまぁ対応できるだろう。ましてやタブレット仕様の場合は、この小ささが役立つだろう。V0003901_e85728382c564a3885eaafbc7f
 重さはどうか。決して軽いとは言えない。A12は1.209kg、S13は1.06kg。むしろA12のほうが重い。本当はここで1.0kgを下回ってほしいのだが。
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 タブレットだけで使う場面はどれだけあるのか。簡単に外れるということ自体、割とストレスになる場合があるかも。キーボードの厚さ、電源の持ち時間、比較すべき点は多い。今のところ、カッコイイとは決して言えない。V0003901_e85728382c564a3885eaafbc_2
 価格は、A12が161KY~。S13は103KY~。もちろんオプションや内容にもよるが、かなりの価格差がある。緊急性、必要性、趣味性など、チェックポイントはいろいろあるが、全体としては、現在のところ、まだまだ静観。

<13>につづく

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2018/11/21

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<14>/「<インターネット>の次に来るもの」<22>/「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」<21>

<13>からつづく

 

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <14>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 

 ヘッドライトの黄ばみや傷を取り除くために、防水ヤスリとピカールを準備した。そして、いずれ週末の時間のある時にやろうと思っているのだが、とにかく、試しにピカールで磨いてみた。

 

 これが何とも効果ある。三か月もすると元に戻るというレポートがあるものの、逆に言えば、三か月も持てば、十分効果あったということになるだろう。

 

 その時、いろいろ考えた。我がクルマもいろいろ経年劣化がある。これは仕方ないのかなぁ、いやいやまだまだメンテナンスを積み重ねていく価値はあるぞ。

 

 基本はとにかく整理整頓だな。クリーニングが必要だ。綺麗にして、磨いて、片づける。時にはワックスも必要だろう。コンパウンドで削る必要もある。タイヤだって、もうすこしおしゃれしてあげる必要もあるだろうな。

 

 機械は機械、技術は技術、目的がある限り、精一杯の機能を発揮してもらうように整備していくのは当然のことであろう。もし機能を十分発揮できていないとすれば、それはユーザーの怠慢でもあるのではないか。

 

 それは何も、クルマばかりではない。ITやネットワークもそうなのではないか。

 

「間違いだらけのクルマ選び」<15>につづく

 

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<21>からつづく 

 

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「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 <22>
ケヴィン・ケリー (著),    服部 桂 (翻訳) 2016/07 NHK出版 単行本: 416ページ 目次

 

 ケヴィン・ケリーのいうことももっともだ。だけど、頭でわかっただけでは、技術は役に立たない。それを活用しないと。わがIT環境は、あまりにも怠慢な状態で放置してあるのではないか。

 

 まずメールの在り方。結構ジャンク・メールがやってくる。かなり膨大な量になる。されど、このところ呆れかえって、放置したままになっている。当然、用途別に使い分けてはいるが、キチンと分けたり、フィルターをかけたりすれば、この「被害状況」はもう少し軽減できる。

 

 その他いろいろ思いつくが、とにかくメール環境は再整備しよう。少なくとも、大事なメールを、ジャンクメールの中に埋もれさせて、見逃してはならない。キチンと大事なメールは、すぐ即応できる体制が必要だ。

<23>につづく

 

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<20>よりつづく 

 

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「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 <21>
リズ・ダベンポ-ト/平石律子  2002/09 草思社 単行本 222p

★★★★★

 

 すでにもう閉じてしまったはずのこの本ではあるが、私の場合は、結局この本に基本がある。まさにデスクトップ。

 

 キチンと技術は技術、機能は機能と、その性能を発揮してもらわなければならない。そのためには、怠慢は許されない。

 

 そこまでくると、当ブログの現在進行形の禅やマインドフルネスについても思いが及ぶ。禅はともかくとして、マインドフルネスはマインドフルネスとして、その<効果>をキチンと発揮してもらうように、磨いていく必要がある。 

 

 実務に役立つようにしなければならない。機能は機能だ。技術は技術だ。道具は道具だ。

 

つづく

 

 

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2018/11/19

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<13>

<12>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <13>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

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 細かいことは書かないでおこう。時事問題については、敢えて触れない、というポリシーを貫いてきた当ブログである。細かいことについては根拠も薄いし、第三次、第四次のニュースソースしかないわけだから、無責任なことは書けない。

 しかし、一般的な消費者、ユーザーの立場としてはメモしておいても構わないだろう。かくいう私とて、日産車に乗っていた時代は十年以上に及ぶ。ひとりの意見は意見だ。

 今回のニュースは、全体の報道を見なければ分からないが、視点は二つ。ひとつは、私が乗っていた何台か目の日産車は、ゴーンが来る直前のステーションワゴン車だった。スバル車などが人気の分野だったが、私はちょっとコンパクトな実用車が必要だった。

 実は、これが完全なハズレだった。燃費が無茶無茶に悪かった。使い方も当時とは違ってはいるものの、一か月の出費が現在のベーシックハイブリッドの5倍は行っていた。当時はまだあまりクルマに意見を持っていなかったので、こんなもんかな、と思っていたが、それにしてもひどかった。

 エンジンがひどかった。なんと、新車二年目にエンジンを交換したのだ。ディラーが気の毒がって中古のエンジンを探してくれたのだが、ずいぶん高かったぞ。通常エンジン乗り換えなんて、聞いたこともない。

 フロントガラスに傷がついて交換。これも痛かったなぁ。ずいぶん粗悪品をつかまされたのではなかっただろうか。

 それに内装もなぁ・・・・。ある夜、葬式帰りの坊さんを乗せてお寺に向かっていた。雑談をしながら、コワい話もしていた。田舎道だったので、ちょっとバウンドした。その時、なんと、運転席の天井についていた室内ランプが落ちたのだ。

 落ちたと言っても、電源コードがついているので、天井からぶら下がって、ボヨンボヨンとはずんでいた。まるで天井からお化けがぶら下がっているかの様だった。その様子を見ていた坊さんが、うわぁー、と驚いていた。驚くなよ、あんたは坊さんだろう、とは思ったが、誰だって、コワいものは怖いよな。

 ディスクブレーキの効きも悪くなったし、ガタガタ、ギーギーと音がして、これも交換した。タイヤもパンクした。下取り価格も泣くに泣けないような始末だった。もう、いやんなったよ。あれ以来、私は今後絶対日産車には乗らない、と決めた。だから、スカイラインだろうが、リーフだろうが、ePowerだろうが、私の心は閉じてしまった。

 だがしかし、ゴーンの日産就任はその後のことだ。ゴーンには責任はない。むしろ、あんな日産を立て直したのだから、むしろその手腕は褒められるべきだろう。

 二つ目の視点は、彼の年齢。実は、彼は私たちと同年代だ。生まれた日は数週間しか違わない。その彼が40代で日本に来て、相当のやり手であったことは確かなのだ。

 反面、それは経営者としての功績なので、共感とか、感動とかいうものではなかった。三菱自動車を傘下に収めた時も、すごいな、と思ったが、日産や三菱という国産会社を次々と買収するようなやり方には、なんだかなぁ、と思わざるを得なかった。

 今後、どのようなニュースの展開になるのか、それにもよるが、まぁ、とにかく私は日産は乗らないな当面。

 やっちゃったな、NISSAN  。。。_| ̄|○

<14>につづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<12>

<11>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <12>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 クルマとしての機能があれば、あとはスタイルなんぞはなんとかなる、とは思うものの、やはり、クルマの形状は好みが大きく作用する。そして、スタイルだけではなく、その輝きが落ちてくると、やっぱり悲しくなる。

 ボディーそのものもそうだが、最近どうも気になってきたのが、ヘッドライトのカバーの曇り。別段に機能に影響はないだろうと思ってきたが、いやいや、ヘッドライトの照度が下がっているかもよ。

 そこで動画を検索すると、あるはあるは、やはり私と同じような悩みをもつドライバーは決して少なくないのだ。あの手のこの手の対策が講じられている。まぁ、諦めてすぐに代替えというよりは、多少の抵抗はしなければならない。

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 さっそくお勧めのキットを買い揃えてきた。全部で1YK。これで悩みがすっきりするのなら、安いものだ。時間ができたら、さっそく作業に取り掛かってみよう。

<13>につづく

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2018/11/18

「WIRED VOL.31」「ニューエコノミー」ぼくらは地球をこうアップデートする

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「WIRED VOL.31」  「ニューエコノミー」ぼくらは地球をこうアップデートする
Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン) (著), 2018/11/13   WIRED編集部 (編集) 出版社: プレジデント社 雑誌 218ページ WIRED関連リスト
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 この表紙をSNS広告で見た時にはドキッとした。そんなことはあるまい。これは何かのパロディか?

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 あきらかに、
「WIRED VOL.01」 特集 OUR FUTURE テクノロジーはぼくらを幸せにしているか?2011/06)を下敷きにしている。なんじゃ、こりゃ? そう思ったのも仕方ない。「WIRED」は、一年前に休刊したばかりではないか。

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「WIRED VOL.30」
/ 特集「Identity デジタル時代のダイヴァーシティ 〈わたし〉の未来」(2017/12)で、「惜しまれながら」、散っていったはずではないか。そして、長く編集長を務めていた若林恵は「さよなら未来」なんて、最後っ屁をひって去っていったばかりではないか。

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 「さよなら未来」ディターズ・クロニクル 2010-2017(若林 恵 2018/04 岩波書店)。はっきり言って、あまり面白くなかった。内容というより、読んでいるこちらの気分がね。去っていった男のクダクダしい話は、もうどうでもいいな、と思って、あまり詳しくは読まなかった。

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 家入一真「さよならインターネット」 まもなく消えるその「輪郭」について(2016/08 中央公論新社)よりは面白かったけど、武邑光裕「さよなら、インターネット」 GDPRはネットとデータをどう変えるのか(2018/06 ダイヤモンド社)などとの、関係は、今後どうなる?

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 はてさて、今度は、「ぼくらは地球をこうアップデートする」である。この号、よくよく見ると出版社がプレジデント社に変わっている。もともと身元がはっきりしない雑誌ではあるが、こうも放浪されると、読むほうとしては、よくわからんぞ~、ということになる。

 価格も倍になり、判型も変わった。はてさて、今後はどうなるのか。リブート号とはいうものの、今後も続刊していくのだろうか? 月刊? 隔月刊? 季刊? それすらわからない。こんな訳の分からない雑誌など、本来相手にしていてはいけない。その論説自体が、すでにいい加減なものになっているのではないか。

 もともとアメリカの雑誌本体のほうはしっかりしているのだが、どうも日本語版に安定感がない。ケヴィン・ケリー「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 (2016/07 NHK出版)などは説得力があり、すぐには納得はできないし、共感できない部分もあるが、まずは「説得されて」みようかな、という魅力はあるのだ。当ブログの一つの指針でもある。

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 今回、この「WIRED」リブート号も本来は★3つくらいにしておきたいところだが、いろいろな負の話題性も含めたうえでのレインボー評価としておく。ケヴィン・ケリーも登場していて、次のような記述もある。

 ぼくはブロックチェーンが革命的だとは思わないんだ。もっとディスラプティブなもの、例えば人工知能、あるいは人口現実と比べたって、そこまでとは言えない。ケヴィン・ケリーp050

 当ブログでも一時、先駆的にブロックチェーンや仮想通貨を追っかけてみたが、無視しないまでも、自分のテーマじゃないなぁ、と思う。この号のサブタイトルも「ニューエコノミー」となっている。これもまた、無視はしないまでも、主テーマじゃない、と感じる。

 つまり、IDEA-INNVATIONSの標語を持つこの雑誌ではあるが、テクノロジーについては、やはり当ブログとしては追っかけ力もないし、主テーマじゃないので、いずれフェードアウトしてしまう危険性が高い。

 話題としては面白いし、現代人としては、一応の一般的な理解力はつけておきたい。だけど、もっともっと大事なテーマがあるのではないか? そんなことを感じながら、まずはもう少し、この雑誌の行方を見つめていることとする。(未練かなぁ・・・・・・・)

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<11>

<10>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <11>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 今日は一日、グータラしながらも、クルマの一日だった。洗車し、カメラを調節し、タイヤを交換し、室内を清掃した。もうこれだけで十分だ。一日がクルマの日であった。

 そもそも、もっと頻繁にクルマのケアをしなければならないのだ。いつも使いっぱなしで、いざとなった時に困る。そうならないように、法定の定期点検はプロにやってもらっているから、基本は心配ないのだが、それでもやっぱりなぁ、と反省する。

 洗車は通常、みんなどのくらいの頻度でやっているのだろう。天候にもよるし、思い入れにもよる。オーナーとしての性格もあるだろうし、クルマの程度にもよるだろう。

 一般的な感覚では、月1~2回程度ではなかろうか。隔週ウィークエンド、おそらくそんなものだろう。私もそうありたいが、よくよく考えてみれば、1シーズン1回なんてことも、ないではない。春に1回、夏に1回、秋に1回なんて、そんなペースの時もあったような気がする。

 それでもクルマは走ってくれるが、クオリティーとしては、やはり洗車の後は気持ちよく走れる。なんか軽い。これは気分だけではなくて、本当なのだろう。スプリング類とか、足回りの泥やほこりの類が清掃されて、思いっきり機械類が喜んでいるようだ。

 ウィンドウもクリーナーを使って曇りおとし。見通しがよくなれば、更に気持ちいい。気をいれてやれば、新車の輝きがもどってくる。新車にはならないが、新車の時の胸のときめきを思い出す。しかし、新車にはならない。それはそうだ。

 そんなタイミングで、やはり新車情報が気になってくる。あれこれ思いを巡らす。資金が潤沢にある人々には悩みはないだろうが、生活必需品だけに、なければ困るので、予算案を頭に入れながら、あれこれ浮気心で、クルマの情報を探る。

 カタログをもらいに行ったり、ネットで検索したり。クルマ雑誌も気になる。狙いはやはりEVだが、こなれていない。機能もスタイルも、価格も。どうも現実味がない。それでは、とスポーツカーに浮気したり、まがいものEVやハイブリッドの試乗レポートに目をやる。

 でもなぁ、やっぱりだめだ。こちらの頭をガツーンと割ってくるものがない。ハートがときめいて寝つけなる、というほどのクルマがない。おそらく、カネがあっても、スタイルが良くても、最後はやっぱり決めてはEV機能だ。ここんとこがこなれてこないと、現実味がない。

 しかたない。洗車し、大事に乗りながら、現車を気長に乗り継ごう。そして、次のクルマのために多少でも頭金をためながら、日々を過ごしていこうではないか。

<12>につづく

 

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「把不住述懐」<31>神無月

<30>からつづく

「把不住述懐」 
<31>床の間に無字の公案神無月   目次

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<32>につづく

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2018/11/17

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<10>

<9>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <10>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 バックカメラの取り付けについて、あんなことも、こんなことも、やりたいことはいっぱいあったが、結局できなかった。少なくとも、クルマの原型を大きく変形解体するような改造は私にはできない。

 道具もなければ、経験もない、度胸もない、とくると、あとは、おざなりに無難な方法を探すだけである。結局、最小限の加工で、こうなった。

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 バンパーの上に両面テープで張り付けて、社内のコード類はマットの下を這わせてある。機能的にはこれで十分だ。

 バックカメラなんぞ、すでに当たり前の機能になっているのだろうが、わが8年落ちのベーシックハイブリッドにとっては、なかなか新鮮である。バック時に後方が見えるのはうれしい。

 たしかに、ガイドラインはないし、取り付け位置が低いので、正確な視野に欠ける。それに若干魚眼レンズ化しているので、ちょっと変な画像になる。画質だって、決して完全とは言えない。夜間はよく見えない。

 それにしても、これはこれで十分だ。10年落ちのポータブルナビに今回3KY弱でバックカメラをつければ、安全性は一段と高まったと言える。

 さっそく、奥さんに自慢したら、おおお、と驚いてはいたが、バックの時しか映らないの? とちょっと不満そう。おいおい、バックの時にしか映らないからいいんじゃないか、と思ったが、まあ、運転しない人と闘ってもしょうがない。

 たしかにバック用にドライブレコーダーも必要な時代だが、まず、今回はバックカメラにとどめておく。

 それにしてもだ。このたった単機能をプラスしただけで、わがドライブライフは大きく変化するのだ。引き続きいろいろ検討していこう。

<11>につづく

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「禅宣言」 OSHO<19>/ 思い出の小箱から」鈴木大拙のこと岡村 美穂子他<3>

<18>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<19>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 トーマス・マートンにまつわる話は、とても悲しいものだ。たぶん彼は西洋では、禅にもっとも近づいた人間のひとりだっただろう。彼には詩人の感性があった。他の人々は、知性によって、マインドによって、禅に近づいている。OSHO p92

 トーマス・マートンについては多くを知らない。ほう、と思っていたところ、突然、大拙とマートンのツーショット写真に出くわした。

「禅宣言」<20>につづく

ーーーーーーーーー

<2>からつづく

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「思い出の小箱から」 鈴木大拙のこと <3>
岡村 美穂子 (著)    上田 閑照 (著) 1997/04 出版社: 一燈園燈影舎 単行本: 207ページ
★★★★☆

 OSHOはトーマス・マートンは、暗殺されたと言っている(禅宣言p92)。 ウィキペディアでは、「1968年、観想修道会の国際会議に参加するためアジア各地を回り、同年12月10日、滞在先のタイバンコクで扇風機による感電で死去した。」となっている。
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 この他、マルティン・ハイデッカー、アラン・ワッツ、エーリック・フロム、などとの写真も紹介されている。

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 エーリック・フロムは、「弓と禅」のオイゲン・ヘルゲルがナチ党員だったことについて、大拙にかなり突っ込んだ質問をしていたとされる。

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2018/11/16

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<9>

<8>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <9>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 部品が届いた。本来、こういう形であるべきだが、31twzvkasjl__sy355_ 入手できたのは、こういう形。

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 これはこれで、構わない。二つのプラグは無駄にはなるが、機能的には可能だ。接続してみると、イケル! これはこれでいいんじゃないか。ただ、ちょっと接続が悪いので、途中で使用できなくなったりするが、キチンと接続を確認すればいいだろう。ここまで+3KY弱だから、予算内でカバーできた。

 さて、今度は、室内の配線はともかくとして、バックカメラそのものの取り付けである。

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 こんなことをやったり、

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 こんなことをして、

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 うまいこと、こういう風に取り付けることができるだろうか。ここまできたら、これはなんとかしなければならない。

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 ここんとこに

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 こうなるんだな。うまく行くかなぁ・・・・・・( ;∀;)

<10>につづく

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「思い出の小箱から」 鈴木大拙のこと 岡村 美穂子他<2>

<1>からつづく

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「思い出の小箱から」 鈴木大拙のこと <2>
岡村 美穂子 (著)    上田 閑照 (著) 1997/04 出版社: 一燈園燈影舎 単行本: 207ページ
★★★★☆

 後半は上田 閑照の大拙論だが、特段に転記すべきところはないのだが、次の一節だけがが気になった。

 何時だったか、(西田幾多郎)先生のお宅で大拙先生と一緒になったことがある。何かの話のうちに、大拙先生は禅は要するにこういうもんだと言って、前の卓子(テーブル)をガタガタ動かされた。西田先生はそれが余程面白かったのであろう。その後も、外の人々のいる席上で、「君も居たから知っているだろう」と私の方を顧みながら、「大拙が言ったことだが、禅は要するにこういうもんだ」といって、やはり卓子をガタガタ動かされた」と西谷啓治先生が「我が師西田幾多郎先生を語る」の中で伝えておられる。p105「禅と世界」

 この話とは登場人物も、おそらく意味も全く違うのだろうが、私は私なりの別な話を思い出した。

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「天界と地獄」
イマヌエル・スエデンボルグ (著),    柳瀬 芳意 (翻訳) 1962/08 出版社: 静思社 単行本: 480ページ
No.4292★★★☆☆

 15才の私は高校生になった。クラスには二人の長期欠席者がいたが、一か月くらいして初めて登校してきたひとりに日下君という長身で色白で、物静かで優雅な、一風変わった同級生がいた。

 彼は高校受験の試験が終わったあと、風邪をこじらせて肺炎になり、冥界をさまよっていたという。合格し、入学式になっても登校することができなかった。5月になってようやく登校できるようになって、初めてできた友人が私だった。

 彼は休学している間に、霊感を持つようになって、他の人のオーラが見えるようになったという。ふん、そんなこともあるものかな、と面白がっていたが、その後、高校卒業後に、ある人を紹介された。

 勝又さんという人が、勝山公園の中に住んでいるから会いに行こうというのだ。当時おそらく40代であっただろうその人物は、なにやらキリスト系の修行者であったらしく、おそらく勝山企業の有力者の引き合いで公園内の小さな平屋の日本家屋に住んでいた。

 1973年の春頃と記憶しているが、そのお宅ではすでにこたつの布団は外してあり、掘りごたつの足組だけがテーブル変わりとなっていた。勝又氏は私たちにガラスコップにサイダーを注いでごちそうしてくれた。

 彼は「魚と水」という印刷物を発行しており、その折、私はスエデンボルグの「天界と地獄」の書籍を勧められた。彼とはおそらく1~2時間会っていたと思うのだが、その中で、オーラの話になった。そしてちょうどそのころ話題のユリゲラーの話にもなった。

 勝又氏は、あんなことはなんでもないんだよ、私にもできるよ、と言ってこたつのテーブルに両手の平をおいた。そして、そこから30センチくらい離れたガラスコップに「念力」らしきものを「送った」。

 見事に、その「念力」はガラスコップまで届いて、中のサイダーの表面が揺れて波だった。念力とはこんなことだよ、と彼は満足そうだった。

 しかしだ。これは誰が見ても、勝又氏がその両手で、こたつの足組をガタガタと小刻みに揺らしたから、ガラスコップも揺れたのであって、それは念力でもなんでもない、と私は思った。あまりにもあからさまだったので、手で揺らしたからでしょう、なんてことは、ひとことも言えなかった。

 彼は満足したように、次の話題に移っていったが、何を話したのかはほとんど覚えていない。ただ、あのガタガタは一体何だったんだろう、と今でも思う。10代の私たちを驚かそうとしたのだろうか。それとも、単にこのように物理的に振動が伝わっただけだよ、と明らかにしてくれようとしたのだろうか。

 私は高校生時代からバプテスト教会に通ったり、夏休みのバイブルキャンプに参加したりもしたが、ちっともキリスト教との機縁は深まらなかった。それなので、彼らとの距離も一向に縮まらなかったし、このスエデンボルグの本も、読まずじまいで、それでも今でもずっと手元にある。

 あのテーブルをガタガタする、というのは、ひょっとすると有名な小話だったのだろうか。ここで関係ありと考えると、鈴木大拙は、若くしてスエデンボルグの「天界と地獄」を翻訳しているということだから、この本とは直接つながってはこないが、勝又氏は大拙のエピソードを知っていたのかもしれない。

 今はこんなことしか書けない。何度も何度も、人生の中で思い出すエピソードだったので、ここにこんな形で書き残しておく。

 以前、当ブログにおいて、「鈴木大拙」 没後40年(松ヶ岡文庫編 2006/05 河出書房新社)をメモした時、私はこう記している.。

 この本で初めて知ったことはいくつもあるが、まず一つは大拙が初期的に英文から日本語に翻訳して紹介したのがスエデンボルグの「天界と地獄」であったことである。私はこの一冊にひとかたならぬ思い入れがある。15歳のときに出会った同級生から紹介されたのがこの本で、さっそく購入したことだった。私が本格的な精神世界や神秘主義にふれることになった一冊だが、ここにすでに最初から大拙がいた、ということになる。 Bhavesh 2006/12/04

 ここでのメモは当たらずとも遠からずではあるが、この「天界と地獄」を購入していたのは、少なくとも1972年に18歳になってからだった。そのことは訂正しておく。手元の手書きメモや資料で、それははっきりした。

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「思い出の小箱から」<3>につづく

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2018/11/15

「思い出の小箱から」 鈴木大拙のこと 岡村 美穂子他<1>

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「思い出の小箱から」 鈴木大拙のこと <1>
岡村 美穂子 (著)    上田 閑照 (著) 1997/04 出版社: 一燈園燈影舎 単行本: 207ページ
No.4291★★★★☆

 DTスズキ、などと肩意地張って文字面を追うよりも、柔らかい女性の口語体で、軽やかに語られるセンセイもなかなかすがすがしい。岡村は、82歳の折、渡米した大拙に15才で出会い、それから12年間、側で身の周りの世話をした人。

 日本では、お手伝いさんのオコノさんが亡くなって、夫人もなくなった。その後の大拙のごく身近な証言者に成り得る人は、この人をおいて他にそれほど多くない。拍子抜けするところもあるが、貴重な証言も飛び出してきて、3DのZEN教師の姿が浮き彫りにされる。

 エーリック・フロムや、アラン・ワッツ、トーマス・マートン、など、OSHOの禅宣言にも登場するような人々が、さりげなく、あっけらかんと登場する。ひとつひとつが興味深いが、ここから何事かの哲学的な手掛かりや、達人伝などを抽出しようとしてはいけない。

 第一部では、ハイデッカー、西田幾多郎、オルダス・ハクスレー、ヤスパース、ユング、久松真一などなど、名だたる人々が、さりげなく、横丁の、八っさん、熊さんのごとく脇役を務める。

 <2>につづく 

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「Pen」2018年11/15号超おさらい! 日本美術史<2>

<1>からつづく

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「Pen」2018年11/15号超おさらい! 日本美術史<2>
2018/11 出版社: CCCメディアハウス 雑誌 p150
★★★★☆

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2018/11/14

「Pen」2018年11/15号超おさらい! 日本美術史<1>

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「Pen」2018年11/15号超おさらい! 日本美術史<1>
2018/11 出版社: CCCメディアハウス 雑誌 p150
No.4290★★★★☆

 「Pen」は好きな雑誌である。本屋に行ってもついつい視線を奪われる。かと言っても、毎回手にするわけでもなく、小遣いを削って自宅にお持ち帰りという号は、ごくごく限られている。ほとんどが立ち読みで終わる。

 しかし今回は、「完全保存版」と銘打ってあるだけあって、ついつい衝動買い。これだけの内容でこの価格は安いでしょう。なんだか豊かな気分になった。

 縄文時代の土器・土偶、飛鳥時代の仏像、奈良時代の大仏、平安時代の仏画・絵巻、鎌倉時代の彫刻、室町時代の水墨画、桃山時代の屏風と利休の茶、江戸時代の浮世絵、明治時代の日本画、そして現代のモダンアート。

 ここまでくれば、まずは日本の美術史の縦糸はピンと張られた感じだ。この縦糸にゆったりと横糸を絡ませれば、それは見事な日本美術史になろうと言うものだ。

 藤田正勝 「日本文化をよむ」 (2017/08 岩波書店)では、 五つのキーワードとして、心、悪、無常、花、風雅、 が取り上げられていた。あの集約性に匹敵するような内容である。

 この雑誌のように、超おさらい!世界美術史、なるものが登場しないだろうか。こんな簡単なまとめができれば、それはそれは素晴らしいことだろう。

 店頭では「ホモ・デウス」が平積みされていた。世界的ベストセラー、との触れ込みだ。人類はどこに向かうのか? サイエンスとサピエンスの未来。

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 面白そうだが、どうも面倒くさそう。このテーマも、この雑誌の画像数十枚のように語られるなら、もっと簡単に理解できそうだなぁ。

 

 この本もいずれ気が向いたら、読んでみよう。

<ユヴァル・ノア・ハラリ>につづく

<2>につづく

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2018/11/13

「青葉城の鬼」三隅研次監督

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「青葉城の鬼」
三隅研次 (監督) 長谷川一夫 (出演), 1962年作品   販売元: 大映 形式: VHS モノクロ   時間: 101 分
No.4289★★★☆☆

 山本周五郎原作「樅ノ木は残った」の映画化。NHK大河ドラマ「樅の木は残った」 総集編 (1970) とはまた別な面白さが満載である。この映画でようやくストーリーの概略を理解した。

 原田甲斐はともかく、ようやく伊達兵部や伊達安芸の立場が分かってなるほど~、と納得できるようになった。とにかく伊達藩は外様である。いずれ取りつぶしというシナリオの中での「伊達騒動」謀略であった、と、物語は語っている。

 誰を悪者にするのか。徳川を悪者にしたら、伊達も当然取りつぶしになる。結局、徳川と刺し違える形で、原田甲斐は、自らを悪者にして伊達藩を守った、のだ。ふむふむ。

 となれば、明治維新まで続いてきて、その子孫である我々が、この仙台地方の繁栄の基礎をつくった伊達藩の恩恵に浴しているということになる。

 はてさて、藩のため、お家のため、という封建時代の感覚は、私たちには分からない。家のため、会社のため、お国のため、・・・? それは本当なのか、と疑問符がいくつもつく。

 日本人は「忠臣蔵」とか「義経」とか、こういうストーリーに弱いのかもしれない。だとすれば、これはこのまま鵜呑みにして、まずは山本周五郎の原作の小説を読んでみる必要があるのだろう。  

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<8>

<7>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <8>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

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 SNSで新型パッソの広告が。う~ん、悪くないんじゃないかな。あのサイズ感、デザイン、価格。これはこれでいいだろう。前から気になっていたクルマでもあるが、わがカーライフにフィットするかどうかは微妙なところ。

 なにはともあれ、ディーラーのショールームへ。試乗車の運転席にも座ってみた。そこでいろいろ分かった。

①まず運転席のひじ掛けは使える。ベンチシートはいい。でも、やっぱり横幅がせまいよなあ。
②後席もまずまず余裕があるが、頭上はぎりぎり。私は後ろの席に乗りたくない。事故の時は大けがしそうだ。
③コスパが優れているのが魅力なのだが、上位機種を選んでしまうと、ライバルが増えてしまう。
④エクステリアはいいけど、インテリアとかは、やっぱりチープ。値段相応だ。
⑤燃費はどうか? 実際乗ってみないと分からないが、現在のベーシックハイブリットに比較すると、全然悪い。比べようがない。
⑥軽と比べてどうなの? もともと軽には興味ないけど、他のリッターカーよりは狭そうだ。
⑦結局、セカンドカー、奥さんカーならこれでもいいけど、高齢者カーとしては、私は満足できなさそう。
⑧ないものねだりをしていても仕方ないが、どうしてもこのクルマ、という魅力はないな。
⑨実際に試乗して、運転感覚、乗り心地、体とのフィット感を確かめたいところだが、あんまり期待しないでおこう。
⓾なんだか現実をみたようで、ひとつ夢が消えたような気がする。その他。

 そもそも現状のクルマを10年10万キロ乗る気でいたのだから、まずはそれを貫徹しなければならない。まだ8年8万キロですよ。あと二年。じっくり考えよう。そしていよいよ今のクルマがダメになったら、その時に考えよう。

 今回の教訓。

①浮気はやめよう。誠実にひとつひとつ目標を達成しよう。
②軽やKはおそらくだめだな。もちろん中古もいやだけど。
③徹底して現在のクルマを乗り切ることが、より現実的で、コスパだな、結局。
④はやく、リーズナブルなEV出てこい。大っきくなくて、お手頃で、エコで、かわいい奴。
⑤ごく当たり前な、ユニークな奴。
⑥それでもやっぱり、あちこちキョロキョロしそうだ。まぁ、キョロキョロくらいは許そう。
⑦クルマさん達、がんばって! 魅力的なクルマ、お願します。m(__)m 

<9>につづく

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2018/11/12

「東京ブギウギと鈴木大拙」 山田奨治<2>

<1>からつづく

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「東京ブギウギと鈴木大拙」<2>
山田 奨治   (著) 2015/04 人文書院 単行本: 249ページ
★★★★★

 OSHOの「まな板に乗った人々」(「禅宣言」1998/03  市民出版社)のリストの中に、千崎如の名前があるが、不勉強でその名前を他に聞くことはなかった。ところがこの本で初めて出合ったので、ここに転写しておく。

 (釈)宗演はこの旅に、弟子の千崎如(せんざきにょげん)(1876頃~1958)を同行させた。如幻は日本で台頭する国粋主義に嫌気がさして、宗演の帰国後もサンフランスシスコに残って布教する道を選ぶ。それからは、ホテルで働いて生活費を稼ぎながら英語を身に付け、公共図書館で西洋哲学の本を読み、ゴールデンゲート・パークでひとり座禅をした。p139「第5章 大拙とビート世代」

 さてここで名前の表記が違っているようだが、如幻が正しい。

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 対するOSHOは「禅宣言」でこう回答している、

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六十五歳同級会挨拶

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 皆さん、こんにちは。お久しぶりでございます。

 本来であれば、この開会の挨拶は、会長のK君の担当でございますが、ご家庭の行事が急きょ重なってしまいまして、私が代わりにピンチヒッターを担当させていただくことになりました。 宜しくお願いいたします。

 振返りますと、1960年、ローマオリンピックの年、私たちは小学校に入学いたしました。途中で転校してしまった同級生や、他の学校から転入してきた人たちもありましたが、45名の4クラス、ほぼ変わらぬ180名の編成でした。

  五年生の時には東京オリンピックがありました。学校にテレビが入ったのもこの頃でした。 中学校一年生の時の6月には、ビートルズが来日して大変な話題になりました。私たちはなにか新しい時代に突入したような気分になったものです。

  中学校三年の卒業式前には、学生運動なども盛んになり、東大安田講堂の攻防戦などをテレビで見ていた記憶があります。

 その後、私たちはそれぞれの進路に向かって歩み出し、親友となって切れずに付き合ってきた仲間もいますし、あれ以来会っていない友人もあります。思わぬところで再会した友人たちもたくさんありました。

 成人したあとは、クラス単位での同級会なども行われていたようですが、私の記憶では、30才の時に、4クラス揃っての同級会が初めて開かれました。

 そして42歳の厄払いの年に、中学校のそばにありました高正会館で約百名ほどの同級生たちがそろって再会を喜び合いました。その時、これからはもっと回数を多くしたらいいのではないか、との提案があり、それからおおむね5年おきくらいに開催されてきました。

 年によって集まれる人たちも限られていて、お正月に開催されたり、お盆に開催されたりと、秋の行楽シーズンがいいのではないかなど、いろいろな意見がありましたが、時期はともかく、集まれる時に集まれる人々で続けて行こう、ということで今日まで続いてきています。

 今回は65才の機会に開催されるわけですが、毎回参加していただいている人々もありますし、今回はるばる遠路から参加していただいている方もいらっしゃいます。また参加したいけど、どうしても参加できないので、皆さまによろしく、とのメッセージをお寄せいただいた方もあります。

 そして、残念ながら、すでに故人となられた友人たちも少なからずいらっしゃいます。あらためてご冥福をお祈りいたします。

 今回は、そういう人たちの思い出も含めて、旧交を温めることができればいいなぁ、と考えております。 本日は、素敵な会場をお借りしておりますので、どうぞゆっくりお過ごしください。

 これで開会の挨拶とさせていただきます。

  紅葉舞ふ友と集いし五重塔  把不住

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2018/11/11

「東京ブギウギと鈴木大拙」 山田奨治<1>

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「東京ブギウギと鈴木大拙」<1>
山田 奨治   (著) 2015/04 人文書院 単行本: 249ページ
No.4288★★★★★、

 時にはネットのおせっかいなお勧めにも、有効な情報が含まれている。鈴木大拙リンクで飛び出してきたこの本、最初はなんのことやらわからなかったが、これが実は、当ブログにとっては大きな鉱脈にぶち当たった印だったかもしれない。

 鈴木大拙には、実は養子がいたのである。あまり語られることのなかった男の子は、極めて素行の悪い洋風の風貌を持ったいわゆるヤンチャな不良児だった。が、長じて20代には、服部良一と知り合い、あの「東京ブギウギ」の作詞をしていた、というのである。

 

 

 ここで作詞となっている鈴木勝がその人。本書では鈴木アラン勝となって登場し、むしろアランが周囲の通称であったようである。時には、ヴィクター・ベルウッドなどのペンネームを使って、当時の雑誌などの記事も書いていたようだ。

 本書で「東京ブギウギ」がでてくるのは、ようやく中頃になってからだが、とにかく鈴木大切のライフストーリーが中心になっており、その覚りすました仏教学者のDT・スズキを悩ましたアランを絡ませて、これまであまり語られなかった鈴木一家の「迷」の側面を洗い出す。

 後半になると、アメリカのビート・ジェネレーションとの絡みにも及ぶが、この辺は当ブログにとっては一度踏襲した道筋である。

 この本にたびたび登場する本に「鈴木大拙 没後40年」松ヶ岡文庫編 2006/5 河出書房新社)がある。この本を読みながら、私も何度も思い出していた本であるが、当ブログにおいては既読である。読んだのは2006/12/04。あれから12年も経過してしまったのか。

 あの時、私はこんなことを書いておいた。

 この本には、その他、日野原重明、源了園、千玄室、立松和平、鎌田東二、中村元、柳宋悦、朝比奈宗源、その他の重要人物たちの一文が編集されている。ちょっと異色なところでは、末木文美士が「大拙の戦争批判と霊性論」p90を寄せている。彼は、ブライアン・ヴィクトリアの「禅と戦争」を取り上げて、大拙の裏面を暴き出す。この周辺を深く掘り下げていったら、来るべき地球人スピリットの次代ステージが見えてくる可能性もある。Bhavesh 2006/12/04 

 「この周辺を深く掘り下げていったら、来るべき地球人スピリットの次代ステージが見えてくる可能性もある。」 今、その機会がようやく巡ってきたかもしれない。

 アランという子供のネーミングは、アラン・ワッツを連想させるが、DT・スズキとアラン・ワッツが出会う、ずっと前に鈴木アラン勝は生まれている。ほぼ無関係な同名だが、読む側にしてみると、毎回子供の名前アランが登場すると、あのいたずら者アラン・ワッツの顔がちらついてきて、イメージしやすい。(笑)

 著者は1963年生まれの研究者。この世代は、もちろんビート世代でもなければ、いわゆる全共闘世代でもない。60年代70年代のヒッピー・ムーブメントも、アットタイムでは目撃していないだろう。

 この世代において、このような研究がされている、ということ自体に私は関心を持つ。そもそも、同時代に起きている事象というものは、リアルタイムでまとめ切れないものだ。全体を見渡せれるようになるのは、時間差がある。10年も20年も、時には50年も100年もかかる。

 当然その間に、情報の劣化が起こるし、誇張も粉飾もおこる。時には隠蔽や削除、加筆や創作さえ行われる危険性がある。そういう危険性を分かったうえで、このような「歴史」モノの研究や論述も、時には楽しいものだ。

 

<2>につづく 

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2018/11/09

「禅という名の日本丸」 山田 奨治

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「禅という名の日本丸」
山田 奨治   (著) 2005/04 出版社: 弘文堂 単行本: 353ページ
No.4287★★★★★

 「オイゲン・ヘリゲル小伝」 弓道による禅の追求(池沢幹彦 2018/04 東北大学出版会)にこの本の紹介が載っていたので参照してみた。ヘルゲル=ナチ党員、という説の調査においては、少なくとも日本語文献ではこの書に極まるであろう。

 著者は1963年の工学系の研究者。この書においては、日本という摩訶不思議なものが、ゆがんだ鏡像にどのように映り、日本人はそれをどのように受け取るか、という情報学的な側面からまとめられている。

 そのケースとして、「弓と禅」、そして竜安寺の石庭がまな板に載っている。なかなかの力作である。なるほどと思わされることしきり。ただし、読者としての情熱は、途中で切れた。私としては、ヘルゲル=ナチ党員、という図式が明瞭になればそれでいい。別段にだから批判するとか、信用しない、ということではなく、なにか隠されているようなのは嫌だ、というだけなのだ。

 阿波研造の弓が、日本の弓道の中核から大きくはずれていたり、弓は必ずしも禅と関連して考えられる必要がない、としても、私は一向に差し支えない。もちろんヘルゲル=ナチ党員という図式も、いまは直ちにだから、という性急な文脈にはない。

 そしてまた、日本における、日本人が考えている禅と、西洋に紹介されたZENに齟齬が数々ある、ということも、今は敢えて大きな問題にはならない。

 そもそも、日本における禅が、これから人類をリードしていくZENの完成形であるかどうか、さだかではないではないか。

 翻って考えてみれば、OSHO・ZENなどは、和尚や禅という文字からイメージする日本人の意識からは、かなり離れてしまっていると思われる。そして、OSHO・ZENのほうもまた、伝統的な和尚・禅などには、あまり拘泥していないように思われる。

 例えば、一連の枡野俊明の「禅の庭」シリーズも、正直、なんだかなぁ、と思わざるを得ない。どこか受けに入っていて、本質的な部分が失われているように思う。

 もちろん、この工学系の研究者である山田奨治なる方の視点も、面白いとは思うが、どこまでも肩入れしたくなる、というほどでもない。なぜだろう。

 当ブログは現在、「迷の巻」を進行中である。つまり、迷いが、どこにあるのか、定かでなくなっているように思う。迷いがあればこそ解決があり、禅なり庭なりが、覚りという解を携えてくるに違いないのだ。

 迷いなくして、禅なり庭なりを論じても、少なくとも当ブログにおいては「解」とは成り得ない。つきもせぬ百論を繰り返していればいいさ、と静かに立ち去ってしまうだけである。

 仮に、日本の弓が解であったなら、なにもヘルゲルを論じる必要もなければ、ナチ云々を調べる必要もない。禅が解であったなら、その西洋的理解云々もまた、まったく不要な遠回りの議論となる。

 当ブログにおいては、すでに日本の禅も、西洋のZENも、とりあえず解足り得ない、という認識の上にいる。弓や庭などは、さらに遠い事象たちである。

 もっというなら、OSHO・ZENは解足りうるか、というのが、当ブログにおける、目下の重大テーマである。現在はもっとも近い位置にあるとは言えるのがOSHO・ZENである。それが立証されるには、わが「迷」がどこにあり、何がその「解」足りうるか、にかかっている。

 庭だとか、弓だとかは、個人的には、もはやどうでもいい。禅でもZENでも、もうどうでもいいのだ。ただ我が「迷」の鍵穴にぴったりフィットするのは、何か。問題意識はすべてここにかかっている。

 それにしても面白い本である。違った文脈でまたこの本と再会したい。要再読。

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2018/11/08

「 OSHO・反逆の軌跡」ヴァサント・ジョシ <2>

<1>からつづく

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「異端の神秘家  OSHO・反逆の軌跡」現代の覚者・魂の伝記<2>
ヴァサント・ジョシ 著 2018/11 市民出版社 A5変判・並製 400頁 原著2010/05 
★★★★★

 さっそく近くの大型書店を覗いてみるが、あるべき棚には見当たらない。店内検索パソコンを見ると、実は一冊だけ入荷していた。だが、まだ陳列棚に運ばれていない段階だった。女性店員さんが、さっそく持ってきてくれた。

 ざっとめくった限り、やはり、「反逆のブッダOshoの軌跡」(1984/10 めるくまーる社 原著1982)に加筆訂正した、「OSHO The Luminous Rebel」 ( 2010 Wisdom Tree)の邦訳である。ということは、前半部分はすでに読了済みなので、後半部分から読み出した。

 最初の最初からOSHOと表記されていたり、いくらジャーナリストという触れ込みであったとしても、おそらくサニヤシンの一人であろう著者の、やや身びいきな点が気にならないでもない。それでもやっぱり一気に読ませる内容である。

 

 「Osho:アメリカへの道」 砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相(マックス・ブレッカー  2005/10 めるくまーる 原著1993)が、オレゴンのコミューンで起きた出来事を詳しくレポートしているのに対し、こちらはOSHOが肉体を離れるインドの1990年までを追いかけている。

 同時期をOSHOと生きてきたサニヤシンや、以前よりOSHOに意識を向けてきた読者なら、すでにほとんどのガイドラインについては周知している内容である。されど、このようにまとまって紹介されているレポートは少ない。初めてOSHOに触れる人や、これから読んでみたいという人には、うってつけのガイド本になるに違いない。

 しかし、それにしても、と思う。この本でさえ、1990年までのストーリーなのである。あれからすでに四半世紀が過ぎて、ようやくこの段階か、と日本のOSHO「研究」追っかけの遅々とした歩みに愕然とする。

 大きく分けて1974年から1990年までの、OSHOが私たちの視野に入っていた間の17年間以上の、すでに28年が経過したのである。ひとりOSHOの存在について談義される必要は感じつつも、それ以降、いわゆる「残された夢」についての言及は、はてさて、どこまで進んでいることだろうか。

 断片的なサニヤシン達の忘備録や回顧録がぼつぼつ出現して久しいが、それでもやはり全体的な、俯瞰的な、グローバルな意味でもOSHO「ムーブメント」の全体が、今一つ見えていないのではないだろうか。

 もちろんネット社会の現在、その機能を駆使すれば、おおよその世界全体での活動を追っかけることはできないわけでもない。されど、この本のように、自称であっても、ジャーナリストや作家という立場の人が、本気になって、レポートしなければならないのではないか、と思う。

 毀誉褒貶はあれど、玉川信明はその著「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」(2001 社会評論社)でこう述べている。

 これだけの神秘的で偉大な人物を日本の知識人たちはまったくと言っていいほど、無視し、マスコミにも取り上げられないというのは、知識人の怠慢というより悲劇である。p8

 割と身近に存在していた吉福伸逸のような人物は、最初の最初から、自らの立ち位置を対極に取り、歪曲した情報を流し続けた。もちろん好意的に取り上げた研究者たちも多くいたが、日本においてはアメリカにおける情報が不足していたばかりではなく、1995年の忌まわしい事件が足を引っ張った。

 それにしても、と思う。58歳で肉体を離れたOSHOに比して、すでに、我が身を初め、友人たちの多くが、すでに還暦を迎え、さらに命を永らえんとしている。マスターに依存しすぎることなく、自らのストーリーを展開していてもおかしくない時代である。

 この本を手にして、改めて、「I leave you my dream」との最後の言葉が重みを持ってくる。

 つづく

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2018/11/07

「オイゲン・ヘリゲル小伝」 弓道による禅の追求 池沢幹彦

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「オイゲン・ヘリゲル小伝」 弓道による禅の追求
池沢 幹彦 (著) 2018/04 東北大学出版会 単行本: 111ページ
No.4286★★★★★

 「弓聖 阿波研造」池沢幹彦 2013/08 東北大学出版会、「阿波研造―大いなる射の道の教」 桜井保之助 1981/03 阿波研造先生生誕百年祭実行委員会、の二冊を読めば、「新訳 弓と禅」オイゲン・ヘリゲル 魚住 孝至 2015/12、の意味も違って読めてくる。

 さて、ヘルゲルがドイツに帰国後ナチ党員になったというくだりが気になっていたので、この本を探ってみた。

 1937年にはヘリゲルはナチ党員となり、38年にはエアラゲン大学の副学長、44年からは学長に就任して、大学管理の職務に励んだ。p75「第三章 帰国後のヘリゲル」

 この時代のドイツの情勢を考えれば、このような流れになることも仕方なかったのか。

 敗戦後に行われたナチ党員としてのヘリゲルの断罪と弁明の顛末については、山田奨治教授の詳しい調査報告がある。弁明書を提出したヘリゲルは、裁判の結果1948年に、「消極的な同調者」と裁定された。p76 同上

 その詳しい調査というのは「禅という名の日本丸」山田奨治 2005 大修館)。図書館に入っているので、近日中に目を通してみよう。

 この本、割と小品だし、内容も他所と重なるところも多いが、この本が、本年、2018年にでているところは注目点である。近年になっても、「弓と禅」はいまだに今日的な話題なのである。いや、今日になったからこそ、さらに検証が必要になっているということか。

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「 OSHO・反逆の軌跡」 ヴァサント・ジョシ<1>

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「異端の神秘家  OSHO・反逆の軌跡」現代の覚者・魂の伝記<1>
ヴァサント・ジョシ 著
2018/11
市民出版社
A5変判・並製 400頁
原著2010/05 
No.4285★★★★★

 

 「反逆のブッダOshoの軌跡」(ヴァサント・ジョシ著 プラブッタ訳1984/10 めるくまーる社 原著1982)は改訂されて、「OSHO The Luminous Rebel: Life Story of a Maverick Mystic」Vasant Joshi (著) 2010/05 出版社 Wisdom Tree となった。その邦訳がこの本である。

 

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 実はこの本、情報がリリースされたばかりで、手に取って読んではいない。発売になって入手できたら、また感想等をメモすることとする。

 

 この本、当ブログ今年の下半期新刊ベスト本の一位になることは間違いない。最近それほどヒットする本はないし、こちらの読書意欲も減退ぎみである。期待は高まる。どんな本に出来上がっているだろうか。

 

 <2>につづく

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2018/11/06

「文藝春秋」 2018年11月号

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「文藝春秋」 2018年11月号
2018/10 出版社: 文藝春秋 雑誌 460ページ
No.4284★★★★★

 文藝春秋。当ブログにおいてはお初の登場である。出版社としての文藝春秋社はなんどもお世話になっている。されど、単体としての雑誌が顔を見せたのは初めてで、しかもおそらく今後はもはやそうそうは出現しないだろう。

 古稀を迎えた姉が、新幹線の移動時間の穴埋めに、キヨスクで婦人公論を探したらしいが、売り切れで、こちらの雑誌を手にとったらしい。されど、さっぱり読むところがなく目的地に到着してしまったため、もう読まないからと置いていった一冊である。

 おいおい、それは駅に捨ててくればよかったじゃないか、といいつつ、もらえばもらったで、興味津々なのは、当ブログそもそもの体質である。ざっと目を通してみた。

 ことさらに読んでみたい記事などないが、いわゆるアットタイムな話題をうまく取り込んで、次々と特集のような体裁を整えていて、これはこれで、この雑誌が今でも生き残っている理由が分からないでもない。今年で創刊95周年だそうである。

 この雑誌は月刊誌である。週刊誌であるなら、また違った経緯をたどっただろう。読まなかった週刊誌などもらっても、ますます置き場に困る。床屋に行ったり、銀行に行ったりした際の待ち時間に、週刊誌やスポーツ紙などに目を通すことがある。だが、そのような状況だからこそ手が伸びるのであって、敢えて週刊誌とはならない。

 ここ十数年、新聞は読まない生活が続いて来た。日常はテレビとラジオ、それにネットニュースで十分だ。ネット接続に金がかかっている。その元手を回収しようとして、どうしもネットのヘビーユーザーになってしまっている。まぁ、それで十分なのだ。

 今回、この月刊誌を手にとって、うん、これはこれでいいのかな、と思った。私はあえて定期読者にはならないが、ネットはフェイクニュースが多すぎるし、SNSは偏った情報に身を任せてしまいがちだ。新聞なども、公共性といいつつ、結構変更している。

 週刊誌ではなく、月刊誌というサイクルがなかなかいいかもしれない。日々移り変わる世の中を、ひと月単位でまとめていくのはいいかもしれない。テレビやラジオは、実はうるさすぎる。無節操に次々と話題を追っかけ過ぎる。もうすこし落ち着いた情報がほしい。

 今回のこの文藝春秋、実は、有体の話題ニュースに交じって、県内のある地方の地域住民のレポートが掲載されていた。これが良かった。個人的にゆかりのある地で、しかも、話題の取り上げ方が良かった。

 なるほどなぁ、月刊誌は月刊誌で、努力を続けている。これはこれでいいんだろうな。

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2018/11/05

「樅ノ木は残った 」 総集編NHK大河ドラマ  <2>

<1>からつづく

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「樅の木は残った」 総集編<2>
平幹二朗他 (出演) 1970放映 全2巻セット~NHK大河ドラマ [VHS] 販売元: アミューズ・ビデオ 時間: 189 分
★★★★★

 

 

 NHK大河ドラマを意識し始めたのは、この番組があった1970年頃だった。その頃から、ずっとこの手の時代劇は好きになれないのは、こちらに何か理由があるに違いない。刀が嫌いである。封建制が嫌いである。ドラマが嫌いである。その他、いくつも理由が考えられるだろう。

 そうは思っても、50も過ぎて、還暦も超え、残る余命もそれほど多くないはずだという予感がしてくると、どうやら、この私でも時代劇が好きになり、地元の伊達藩ゆかりの話にも耳をそばだてるようになったようだ。

 それにしても、やっぱり、伊達一門ならぬ身なれば、もうひとつ感情移入できないものがある。四代綱村展が現在開催されている。もし原田甲斐のようなドラマがなかったら、この伊達藩は残らず、現在の仙台地方の文化も大きく変わっていたかもしれない。

 伊達藩ゆかりの史跡観光ボランティアガイドに手を挙げて、研修中ではあるが、はて、さて、どこにどう手をつけていいのか正直よく分からない。まずは手当たり次第試行錯誤しているところだが、はてさて、そこから一体何が生まれるのか、自分でも半分よく分からないし、自分でも半分楽しみである。

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「神と仏の明治維新」 古川順弘

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「神と仏の明治維新」
古川 順弘 (著) 2018/10 洋泉社 新書: 207ページ
No.4283★★★★★

 仏教伝来以来の神仏混交、伝来の仏達の権威を借りた本地垂迹、そして近世における神仏分離、廃仏毀釈。その経緯についての簡単な説明で、この本の大体の役目は果たされている。

 それ以降は、明治維新前後からの具体例が列挙されている。約40の神社仏閣の実例を俯瞰的に見る事によって、いったい何が起きていたのか、改めて再認識させられる。

 されど、と思う。そもそも宗教とは何のためにあるのか。国家維持のためにあるのか。治安のためにあるのか。

 ひとりひとりの人間にとって、その精神性は、だれにも制限されるものであってはならない。仏を礼拝しようが、神に祈願しようが、そもそもは、個人の精神性に依拠されるべきである。

 国家や、社会全体による個人圧迫はあってはならないが、明治維新のような革命時においては、とかく混乱がつきものである。

 俯瞰的に見れば、さまざまな矛盾はあれど、ひとりの人間が同時に何十もの神社仏閣を信仰することなどありえない。個人レベルでは、どのような変遷があれど、それはそれ、本人の嗜好性のなせる技である。

 されどあまりに形式化された、腐敗して、本質が失われてしまった伝統や風習などは、つねに革新されていかなければならない。

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<7>

<6>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <7>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 バックカメラが届いた。思っていたよりガッチリした商品で、これなら耐用年数も長いかも、と期待する。

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 さて、取り付ける段に当たって、問題はいくつかある。

1)バックカメラはバックギアと連動しているのだが、その電源端子はどこに取りつけるべきなのか。赤いコードのところに一緒に差し込んでしまっていいのかどうか? アースは適当なボルトに絡ませればいい、とのことなのだが・・・。

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2)そして、カメラそのものはどこに付けるのか? よく見れば取り付けるべき場所はすでに、最初から確保されている。

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 この穴に中からうまく装着すればそれでいいだけなのだが、はてさて、この穴にたどり着くまでに、どこから何を外せば、いいのか。気が遠くなる。

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 うまくこうなってほしい。内部的な配線などは、カーペットの下などを這わせたってかまわない。だが、この部品の取り付けだけは、なんとかしなければならない。

3)そして、あらためて気づいたことだが、バックカメラと手持ちのナビを接続するには変換コネクターケーブルが必要になるのである。ネットの達人は自作で作成したという。

848808_m そういえば、わがガラクタ箱にも何個かありそうな部品ではあるが、いくらひっくり返しても適当なものは出てこない。さっそく家電量販店を梯子するが、この類の部品は極端に少なく、いくつかの部品を重ねても、うまく行くという保証はなさそうだ。

 そこでネットで検索すると、専用のものが一個だけ売れ残っていた。ここでさらに2KYほど経費がプラスになるが、しかたあるまい。

<8>につづく

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2018/11/03

「表装生活」―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう  麻殖生 素子<5>

<4>からつづく

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「表装生活」 
―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう <5>
麻殖生 素子 (監修) 2010/07 単行本: 92ページ

★★★★★
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つづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<6>

<5>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <6>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 現車ナビの課題は急転しそうだ。まず、現行ナビはポータブルでかわいい奴なのだが、なんとバックカメラがつけることが分かった。すでに10年落ちのナビだが、当初からつけることができたのだ。そのことにまったく気づかなかった。

 追加のバックカメラは、近くのカーコーナーにいくと最安値で8KY位する。これだと、新規のナビも視野に入ってくる。そこでネットで検索すると、なんと送料込みで2KYほどで入手できるのだ。その実例もネットにアップされている。さっそくネットで新品を購入。数日後に到着する。

 バックカメラの仕組みというものがよく分かっていなかったのだが、つまりバックギアに入れた時点で、バックアップランプが点灯する、その信号をナビに送って、そのギアの時にだけ後方を映し出すもののようだ。

 安全エリア提示のガイドラインというものは常識だろうが、今回入手するものは、安価なだけに、そのガイドラインは掲示されない。部品が到着しないことにははっきりしないが、おそらく取り付けにはそれほど困らないだろう。

 さて、ナビの地図データだが、すでに10年落ちなので、実に不安定である。あちこちで訂正が必要だ。新しいデータのサービスもあるようだが、本体新規帰替えができるほどの高額だ。ところが、ネットでは、フリーのデータもあるようだ。これも魅力的ではあるが、あまり深入りは禁物である。

 全体としては合格域なので、あとは手持ちのスマホのナビ併用で実用になるだろう。

 あと5年、5万キロ、走るぞ。

<7>につづく

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「阿波研造―大いなる射の道の教」 桜井保之助

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「阿波研造―大いなる射の道の教」
桜井 保之助 (著) 1981/03 出版社: 阿波研造先生生誕百年祭実行委員会 古書,   485ページ 27.4 x 19.6 x 3.6 cm  限定非売品
No.4282

 いやはや実に大冊である。弓、あるいは阿波研造をキーワードとして、これでもかこれでもか、というくらいに史実や研究が、当時の画像やデータをもとに、一元的に一冊にまとめられている。

 実に重厚な造本とともに、その資料の多彩さに、圧倒される。この本が非売限定品であることも納得できる。本を作る側としては、この本には値段はつけられないだろう。携わった人々の志しに敬意を表する。

 読む側にとっても、一朝一旦には活用しがたい、奥深い内容となっており、地理から歴史、文学から科学、医学、身体から、武道、仏道、インド、ドイツ、古代中国など、言及する範囲は実に多岐にわたる。

 著者名は一名となっているが、原稿の素案を寄せた人々は多数に渡るであろう。関係者の積年の努力が実った一冊である。

 この本を拝見して、まず驚いたのは、発行年が1981年と割合最近であることである。しかも、著者の住所が仙台市河原町一丁目となっている。なんと、私たちの瞑想センターも、実は前後してこの地に移転したのであった。

 あの当時、あの町内に、この大冊に関わった人々が住まわれていたのだと、思うと、ちょっと背筋が伸びてくる、というものである。

 研造が、禅学用語を多く用いながらも、禅そのものには批判的であったことの正しさが、佛教の思想史をよみただしてみていっそう明らかになった、といってよかろう。p442「第七の章 円熟期」 

 最盛期には一万数千人の門下を抱え、その多くは、地元の旧二高や東北大関係者であったことにより、その弟子筋は超エリートのインテリ層が多いように見受けられる。それぞれに見識が広く、偏らず、高ぶらず、そして誠実かつ一途な人々の一団である。

 研造の禅への傾倒は、神仏からさらに禅へと突き詰め、さらにそれを超えようとしたところにあり、また禅への批判とは、つまり身体性のことであっただろう。只管打坐をどう見るか、作務をどうみるか。弓と禅。

 この本においては、道元や出口王仁三郎まで、口絵の画像付きで紹介されまとめられている。あまりに多岐にわたるので、初心者はどこが入り口やら出口やら迷いに迷ってしまいそうになるが、そこはそこ、矢は一心に的へと向けられているに違いない。

 いや待てよ、研造の弓が、無心の矢であったとするなら、的すらないことになる。

 ドイツに帰国したあとのオイゲン・ヘルゲルがのちにナチ党員になったこと、研造の起こした大射教が結局、弓道連盟に吸収されて行ったことなど、史実をもう少しキチンと捕まえなければ、即断はできないが、「弓と禅」にはまだまだ止揚されるべき高見が残されているようでもある。

 しかしそれにしても大冊である。私は幸いにも地元の図書館に蔵書として残されていたからこそ拝読できたものの、遠方の、さらには海外のその道の士には手が届かない本なのかもしれない。一読書子としての幸甚を痛感する。
 

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「弓聖 阿波研造」 池沢幹彦

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  「弓聖 阿波研造」
池沢 幹彦 (著) 2013/08 東北大学出版会 単行本(ソフトカバー): 281ページ
No.4281

 「弓と禅」のオイゲン・ヘリゲルが弓のマスターとして師事したのが阿波研造であった。1880年、宮城県石巻地方に生まれた武道家である。あの書で展開されるストーリーがこの仙台の地であったことに改めて驚くとともに、リアリティを持って再認識するに至った。

 ヘルゲルがレポートしている真夜中の指導、一矢が的に命中したあと、二矢がさらにその一矢を真っ二つにしたという出来事の他に、この本ではさらに驚くべきエピソードを披露している。

 それはある時、道場に他流試合の上段者が現れ、くじ引きの末、阿波から弓を射ることになった。かねてからそのよそ者を尊敬していた阿波は、的の四隅を綺麗に射り、ど真ん中を空けておいたという。ど真ん中には、あなたの矢がふさわしいと。

 その姿を見て、その他流試合者は、参った、と言ったとか、言わなかったとか。とにかく、それだけのことができた阿波研造であった。

 弓に関する個人的なエピソードはこの他いろいろあるが、今回は、かつて10年前に書いた「弓道パーフェクトマスター」  基本技術から的中率を上げる極意まで!(村木恒夫 2009/10  新星出版社)のリンクだけ張り付けておく。

 ヘルゲルはドイツに帰国したあと、ナチ党員になったという事実は、エーリック・フロムと鈴木大拙との絡みの中で紹介されている。

 また弓禅一如の阿波研造の弓道に対しては、旧来の弓道の流れからすれば、禅に偏り過ぎて、弓そのものを軽くあしらっているのではないか、との批判も当然あったようである。

 阿波研造のお墓(石巻門脇・称法寺)は、3・11災害で大きく被災して全国的に有名になってしまった、あの大川小学校の近くにあるらしいが、震災で流され、今は寺の境内に横倒しになっているという(この本の出版当時 2013)。

 率直な意見を述べておけば、確かに一筋に何事かを極める姿は美しいし、達人とされる人には学ぶことが多く、賞賛されてしかるべきである。されど、世には一つ事を極めることもなく、達人などと呼ばれるはずもなく、賞賛など一切関係なく人生を送る人の方がはるかに多い。

 しかるに、一等賞の人だけが光明を得るかのような錯覚や、二等賞以下の人々に嫉妬心を残してしまうような、禅ではあってはならない。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、ともいうではないか。

 天才なおもて往生をとぐ、いわんや凡人をや、と言い換えたい。

 弓は弓として、武道として、スポーツとして、武術として存在していくだろう。されど、もしことが禅に及ぶなら、決して物事の優劣はなにごとかのコンテストのようなものであってはならない。そして、一部の達人にだけ依拠するようなものであってはならない。

 わがOSHOサニヤシンは、ゾルバ・ザ・ブッダという人間像を持っている。すべてのものごとを楽しみ、さらに意識の高みを味わい尽くす。それはどの方々にも、どの道にも、なんの不都合もなくフィットする人間像であろう。

 しかしまぁ、それにしても、阿波研造、偉大なり。わが郷土の士に、敬意をもって礼拝したい。

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2018/11/02

「芭蕉 最後の一句」 生命の流れに還る 魚住孝至

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「芭蕉 最後の一句」 生命の流れに還る
魚住 孝至(著) 2011/09 筑摩書房 単行本: 309ページ
No.4280★★★★☆

 テーマとしてはそうとうに面白い。当ブログとしては飛びつきたいようなタイトルである。芭蕉辞世の句と言えば、旅に病んで夢は枯野をかけ巡る、でしょう、と断定したくなる。一般にはそうであろう。しかし、著者はそうでない、という。

 この句について、私も過去にメモしておいた

10)今から、ちょうど40年前に、インドのプーナでOSHOの元でグループセッションを受けた。三日間の「エンライテンメント・インテンシィブ」というセッションである。ひたすら「私は誰か」を言語化し続ける。対面して座ったパートナーは、ひたすら、その話を受容し続ける。

11)単純な自己紹介に始まった一日目など、あっと言う間に過ぎ去り、二日目などは混とんとして、何が何やらわからなくなる。時にはフリークアウトしてしまう参加者もいないわけではない。

12)そして、三日目になると、何事かの終結がやってくる。三日目だ、もう終わる、という多少の安堵もある。そのタイミングで、なにかのひらめきが、どんと落ちてくる。

13)私の場合は、なぜか最後は芭蕉の一句が飛び出してきた。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」 芭蕉の辞世の句である。なぜだったのか、知らない。私がそんな句を深く覚えていたなんて、知らなかった。愛しているとも知らなかった。だが、私は「私は誰か」の問いかけの最後の答えとして、この句を選んだ。日本語もわからない欧米人相手に、その意味を話しつづけていた。Bhavesh 2017/05/26

 私にとっては大事なタイミングの大事な一句となっている。もしそこに変更があれば、これは重大な沽券にかかわる問題である。

 著者は、この辞世の句は4日前の作であり、本当の最後の一句は、亡くなる直前に、以前の句を作り直した次の句であるという。

 清滝や波に散り込む青松葉  芭蕉

 「清滝」は、京都の西方にあり(都の町家のひとにとって嵯峨より向こうはあの世の世界であると言われている。山が西側から迫る中を、清流が流れている。p274

 清滝は、あの世とこの世の境目である。青松葉(あおまつば)には、松尾芭蕉(まつおばしょう)の音がすべて入っているという。松葉を逆にしたから読めば芭蕉(ばしょう)となると。

 なるほど。そして滝に落ちるのは黄色く枯れた松葉であり、青松葉がそのまま「散り込む」というのは、芭蕉の心意気を表している、と。

 著者は1953年生まれ。私と同年配である。この方が2011年、あの3・11直後に発表したのがこの本だ。著者もまた最初1995年当時は、枯野が芭蕉の辞世の句であると思っていたらしいから、私がこれまで知らなかったのも、別段に恥ずかしいことだとは思わない。

 しかし奥さんから教えてもらって、青松葉を調べ始めたらしいが、それはそれ、ちょっと深読みしすぎなのではないか、と思わないでもない。

 基本、私は、これまでも芭蕉の辞世の句は、枯野でいいと思う。なぜなら、芭蕉は科学的に立証されなくてはならないものではないからだ。芭蕉はわが胸のうちに生きていればそれでいい。

 であればこそ、奥の細道において、芭蕉は松島の句を残さなかったし、平泉の金色堂も参拝しなかった、という言い伝えにも信憑性がでてくる。芭蕉のわびさびから考えて、あまりいじくり回すのはどうなのだろう。曖昧なものは曖昧なままでいいのではないか。

 自分はあの世に行っても、青い松葉のまま溶け込んでいくぞ、というより、迷っている芭蕉のほうが、わが心情に迫ってくるものがある。これでこそ芭蕉、と思う。

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉 

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2018/11/01

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他<1>

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「京都人の密かな愉しみ」<1>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ
No.4279

 おそらくこの本が、当ブログ今年下半期のベスト本の一角に食い込んでくることはまちがいない。この本が素晴らしいというより、テレビ番組が素晴らしかった。焼酎で一度寝して、つけっぱなしになっていたテレビでやっていたこの番組、途中から見たのだった。

 「桜散る」というせつないストーリーである。オムニバスで挟まれていた短いドラマだが、主人公が演劇少女で、その父親が、二人も妻を病気で亡くした仏師である、という物語であった。当時私は、なぜか薬師如来像を彫っていたから、やたらと親近感を持った。

 その後、私が「桜散る」を録画したのは、何度目かの再放送だったのだろうが、さらにそのあと、アトランダムに録画し、何度も繰り返し見た。見る魅力があった。

 そして、イレギラーなのであろうが、ネットでも完全ではなかったが、あれこれ動画を見た。大体のストーリーを見たはずなのだが、どうやらこの本を見る限り、まだ見ていないオムニバスなどがあるようだ。

 はっきり言って、この本は、ドラマを超えていない。あの音楽、団時朗のエドワード・ヒースロー、常盤貴子の沢藤三八子。そのほか、ドラマのあちこちの断片を思い出しただけで、胸が高鳴る。ドキドキする。

 もう少しシリーズ化して、もっともっと展開してほしいドラマである。

<2>につづく

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「amazon 世界最先端の戦略がわかる」成毛眞

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「amazon 世界最先端の戦略がわかる」
成毛 眞   (著) 2018/08 ダイヤモンド社 単行本(ソフトカバー): 373ページ
No.4278★★★★★

 著者の名前はどこかで聞いたような親しみがある。元マイクロソフトの社長だというが、キチンとした印象があるわけではない。どこかのロックミュージッシャンの情報とごっちゃになっているかもしれない。1955年生まれ。私と同年配である。

 すでに還暦越えの高齢者が、いつまでこの様なテーマにこだわり続けることができるのか、耐久レースのような一冊と言ってもいいだろう。

 この本は頭に効く。胸にも、肚にも来ない。この本が、ということではなくて、そもそもがアマゾンがそういう企業なのだろう。ひたすら業績を求めて、個人の意識などぶっ飛ばして生きている。

 でも、このような企業に働く人々が、報道されているように、マインドフルネスなどに活路を見出しているとするなら、まさしく図地反転のいい例だろう。

 アマゾンは、いずれ、空中空高く気球を上げてそこをベース倉庫として、ドローンを飛ばして宅配を始めるのではないか、とこの本では紹介されている。実際、すでに特許もとってもいるらしい。

 どこからそういう発想がでてくるのか。少なくとも私はそこまでサービスを要求はしないが、まず不思議な世界へと地球人社会は突入しているものである。

 私は、これからは、もっと肚(はら)に来るような本を読むようになるだろう。この本のような頭に強烈に効くような本は、もう願いさげだ。そういう自分の嗜好性をはっきりさせてくれた一冊である。

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