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2018/10/01

「道元 正法眼蔵」 NHK「100分de名著」ブックス ひろさちや

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「道元 正法眼蔵」わからないことがわかるということが悟り NHK「100分de名著」ブックス
ひろ さちや (著) 2018/08 NHK出版 単行本(ソフトカバー): 148ページ
No.4260★★★★★

 
当ブログ記事「さとりサマディにて」の主人公さとりは、わが母親の名前である。現在96歳で施設にお世話になっているが、90歳近くまで一農婦として人生を全うした人だ。若いころ、彼女に名前の意味を問うと、「作を取る」から作取(さとり)なのだ、の一辺倒だった。

 その彼女は、除草剤のない時代から、夫に先立たれて、広く残された農地の草を取るのが、日々の仕事の大半を占めていた。そんな彼女を、近似の人達は、ちょっとひやかすように、今日もさとりさんが、草取りをしている、と笑った。

 最近、小さな市民農園を借りて、草を取る時がある。また、最近建売住宅に住まいしている孫たちを見守るため、待っている時間の間、敷地の隙間から顔をだす雑草を引き抜いて時間を費やしている時がある。

 あるいは、これも当ブログに毎回登場する樹齢千三百年のカヤの木の下草を、数週間に一度、引き抜きに行く時がある。私はあまり気が進まなかったのだが、奥さんが引っ張ってくれるので、最近は、週末の大事な日課にさえなっている。

 そんな私は割と最近、この草取りが好きになってきた。すっすっと抜けると気持ちいい。清掃したあと、数日過ぎて見にいくときれいになっているから気持ちいい。だが、ちょっと忘れていると、いつの間にか、茫々と雑草の背丈が伸びている。また、抜く。

 この作業が割と気持ちいいのだ。さとり、という言葉では、我が母親は多くを語ってはくれなかったが、作を取ることも、さとりだろうし、また近所の口さがない隣人たちがクサすように、草取りもまんざらさとりとも言えなくもないのではないか、と思う。

 この母親にさとりという名前を付けたのは、当時23才の祖父だった。彼は、近所のお寺に参禅しながら(私が現在参禅しているお寺)、この名前を思いついたという。彼は衝天釣月を法名に付けてもらうほどの禅居士だった。

 この祖父が管理していたカヤの木が、今、母親が代表となって管理している樹齢1300年のカヤの木である。この仙台市で最も古木とされる巨樹の下草を刈るのに、一回数万円を造園屋に払わなければならないという。

 なんでも金の時代であり、職人さんとしては当然のことであろう。されど、草取りが面白いと思うようになったのは、ごく最近であり、これからどのくらい続くかわからないが、私は、無給でこの草取りを続けるのは、結構たのしいのではないか、と思っている。

 私はふときずいてみると、道元ネットワークのただなかに産み落とされたような存在である。あっちもこっちも、道元に縁のある人々だ。ごく自然に道元禅師に敬意を払うようになった。そしてわがマスターOSHOの中に生きた道元を見る。

 禅を、達磨を、道元を教えてくれた祖父に、今はひたすら感謝している。そして、ちょっと手を抜くと、いつの間にか、茫々となっている我が迷いの草を、今日もまた、一本づつ引き抜いては、ああ、これは結構、気持ちいいかも、と思いながら、生きている。

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