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2018/10/22

「新渡戸稲造」―「武士道」と日本人の美しい心 宝島社

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「新渡戸稲造」―「武士道」と日本人の美しい心
シリーズ偉大な日本人 2006/08 宝島社 単行本: 189ページ
No.4272★★★★☆

 宝島の一冊である。習慣上、宝島社の本は、敷居が低く、セキュリティが低くなる。まずは手に取ってみよう、という親しみがある。だけど、宝島社とはいうものの、一時期の宝島社とは、ちょっと違う。もはや、普通の出版社とほとんど同じなのではないか・・・?

 この本での救いは、新渡戸稲造本人の著作である「平民道」(1919)の紹介があるところ。そうであろうと思う。「武士道」だけでは、いかにもアナクロである。平民道は、新渡戸稲造理解のデモクラシーである。

 民主主義という言葉ない時に、平民道、と翻訳した彼。このように武士道を昇華してこそ現代につながる著書と言える。されど、ここにおける道は、主義とほぼ同義として扱われている。道、と言えるものなのかどうか。

 私が現在、武士道なるもののところまで立ち寄っているのは、伊達藩いかんによる。観光ボランティアで瑞鳳殿のガイドに登録したのは、どうも伊達藩からは逃げられないな、という観念による。

 秀麓齋にしても、輪王寺にしても、覚範寺至福寺にしても、さらには瑞巌寺にしても、どうしてここまで伊達藩との縁が深いのか。この地において、禅のルーツをたどるとするならば、伊達とは縁が切れないのか。

 どうせ縁が切れないのなら、いっそ飛び込んでやれ、という逆転の発想の結果やいかに。凶と出るか、吉と出るか。いまは分からない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。なにはともあれ、地元の武にしばらく身を任せてみようではないか。

 それにしても武士道は、やっぱり21世紀にはアナクロである。それを新渡戸稲造自身が平民道で否定してくれているところはホッとする。されど、平民道でも、21世紀は切り開けない。

 武士道、大和魂は、結局、地球人スピリットへと昇華されなければ、世界は救われない。当ブログはそのところを探究している。虎穴にいらずんば虎児を得ず。ミイラ取りがミイラになる。危険な両刃の刃であることは知っている。されど、信じる道を歩むこともまた、武士道であろう。

 しばらくは、この道を進んでみよう。

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