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2018年10月

2018/10/30

「『武士道』を原文で読む」新渡戸稲造

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「『武士道』を原文で読む」
新渡戸 稲造   (著),    別冊宝島編集部 (編集) 2006/03 出版社: 宝島社 新書: 191ページ
No.4277★★★☆☆

 読みやすい一冊。訳文だけを読むなら、お手軽に「武士道」を理解しようとするならこの本はよい。対訳となっているので、その英文を読めば英語のお勉強にもなるかも。でも・・・・。

 ハラキリについて書いていなかったし、大事なところが抜けているようで、これで「武士道」OK!とすると、ちょっと間違ってしまうだろう。

 そもそもが宝島別冊「武士道」のダイジェスト編集版だそうなので、そちらも一度目をとおしてみるのもいいかも。それでもやっぱり、ここまでシンプルになると、奥行きが浅くなってしまうね。

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「新訳 弓と禅」オイゲン・ヘリゲル

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「新訳 弓と禅」付・「武士道的な弓道」講演録
オイゲン・ヘリゲル (著),       魚住 孝至 2015/12  (訳・解説) KADOKAWA/角川学芸出版 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) 文庫 237ページ
No.4276

 見事な一冊である。新訳であることがうれしい。ヘリゲルに弓を指導した阿波研造は石巻のひとであり、東北帝国大の弓道指導の中で、この書の出来事が起きたことに、改めて強いリアリティを持つ。

 阿波研造は松島瑞巌寺にも縁があったようであり、このタイミングでこの書に触れる縁の深さに頭がさがる。

 これこれ千回もこれ、とか、let it goとか表現されるところのこれitは、実は、無心のことであり、日本語以外の欧米語においては主語がないと伝わらないので、便宜的に通訳がitを挟んでいる可能性がある。

 無心、なのである。

 きわめて意味深い一冊である。再読、三読を要す。

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2018/10/26

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<5>

<4>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <5>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 そういえば、2017年版でも、目次まで作ってクルマ選びをしたのだった。あの時も、あれこれ考えたが、結論は、現車を乗り続ける、という結論だった。あの時はぶつけられた。その保証金を頭金に買い替えを考えた。だが、思ったほど出なかった。それで結局は修理して、現状維持になったのだ。

 今回は、補起バッテリーの上がりだ。エンジンオイルとか、タイヤとか、ワイパーのゴムとか、結局、バッテリーも消耗品だから、ケチっていても仕方ない。いつかは交換しなければならないのだ。

 ドアのロックが外れなかったり、エンジンがかからなかったり、時計が狂ったり、ギアが入らなかったり、そしていよいよ、パワーウィンドウが動かなくなった。これには参った。すぐにディラーに駆け込んで、8年目のバッテリーを交換してもらった。最近定期点検したばっかりだったので、割安で交換してくれた。感謝。

 はて、ここで思った。これまで補起バッテリーは8年持った。ということは、今回交換すれば、これからまた8年持つ可能性もあるということだ。目標はあと5年。バッテリーについての杞憂はこれでもう終わりだろう。そうあってほしい。

 さてそれならば、この現車をあと5年、なんとか快適に乗り継いでいくには、この他、どんな問題があるだろう。
①カーナビ更新
②バックソナー追加
③三又ソケット追加
④ボディのキスマークの補正
⑤ポリマー加工(ボディの輝き)
⑥それから、それから・・・

 数えてみれば、どの問題も、実は数千円から数万で解決する問題だ。これからの5年の間に、税金もかかるし保険料もかかる。タイヤも夏冬一回ずつは更新しなければならないだろう。車検もある。しかし、それらは新車にしたところで同じこと。車を所有している限り、避けては通れない問題だ。

 上の①~⑤は、全体の経費から考えれば、小さなものだ。よし、この機会だから、ひとつひとつまた情報をリフレッシュして、もっと快適なカーライフと洒落こもうじゃないか。まずは、カーナビあたりからかな・・?

 <6>につづく

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2018/10/25

「間違いだらけのクルマ選び」2018年版<4>

<3>からつづく

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「間違いだらけのクルマ選び」2018年版 <4>
島下 泰久   (著) 2017/12 草思社 単行本(ソフトカバー) 256ページ
★★★★★

 最近確かに、ヒヤッとすることがあった。エンジンがかからないのである。いやはや、久しぶりの体験だった。まぁ、結論から言えば、補助バッテリーの劣化が原因のようであるが、性能的にはちょうど半分くらいの劣化で、交換するかどうかのぎりぎりのラインであるらしい。

 わが愛するプリウス20に乗って早8年。8万キロを走行した。通常なら補助バッテリーは、メーカーとしては3年ごとに交換してほしいそうだが、わが愛車は8年目にして、ようやく異常らしい兆候が見えてきた、というところか。

 最近は、友人たちからも、おい、そろそろ買い換えたら、と冷やかされるようになってきた。たしかに年代モノになってきたし、多少キスマークもついた。ボディの輝きもなくなってきたし、ライト周りのクスミも気にはなる。

 しかし、オレはこの車が好きなのである。オマエらにアレコレ言われたくないね、と友達の冷やかしをはねのける。まだまだ乗るぞ。あと二回は車検を通す覚悟じゃ。補助バッテリー交換の数万円は惜しくはない(本音としては、ちょっと痛いなぁ)

 もっというならだ。総合的に、この車よりもっと魅力的な車はどこにある・・・? 最短はノートeパワーだが、あれだって、結局は中途半端な技術だし、まとなオプションをつければ、結構な価格になる。それに、以前、日産車に痛い目にあっているから、いまだに傷がいえないんじゃ。

 わが愛車は、20系としては最後のシリーズである。すでに30系はでていた。しかしあのスタイルは嫌いだった。後ろのほうの見切りが悪すぎる。大きすぎる。私は敢えて30系時代に、最後の20系を新車で購入したのだ。だから、街でまだ20系を見かける限り、私の車がもっとも古いなどとは言われたくない。

 知人たちでも、高年式の中古車を転がしている連中はたくさんいる。なにもおしゃれに新車に乗らなくてはならないなんて法律はない。エコが持ち味なら、最低でも10年10万キロは乗り継がなくてはならない。わが愛車はまだ8年8万キロなのだ。人生これからじゃ。

 スタイルではスバルが一番いいような気がするが、燃費が悪すぎる。マツダロードスターにはいつも心動かされるが、でもなぁ、あの車じゃ、孫の送り迎えもできないし、大体において市民農園にいくために肥料も鶏糞も運べやしないじゃないか。PHV系統も、なかなかに高止まり。あんな車、オレには似合わない。

 いまだに、長距離かけても24K/Lは走り、エコにも財布にも優しいこの車が、オレは好きなのだ。こらぁ、悪友たちよ、文句いうな。オレがこの車に乗っているこの矜持を理解せよ。褒めたたえよ。あと、5年乗るぞ。  ・・・って、ちょっと補助バッテリー代は痛いがなぁ。来年の車検時期まで持ってはくれないかなぁ(涙)。

<5>につづく

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2018/10/24

「超訳 武士道」―グローバル時代の教養を英語と日本語で学ぶ 松本 道弘

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「超訳 武士道」―グローバル時代の教養を英語と日本語で学ぶ
松本 道弘   (著) 2016/03 出版社: プレジデント社 単行本(ソフトカバー): 192ページ
No.4275★★★★☆

 「スター・ウォーズ 禅の教え」(枡野俊明 2015/12 KADOKAWA)のような面白さがあるかな、と最初は期待したが、画像が含まれていない分、途中から興味が半減した。

 武士道は、結局、儒教→朱子学→陽明学の影響をつよく受けているという実体があり、一人の現代人としては、最初から違和感が漂ってしまうのは仕方ない。

 こちらは老荘思想を受け継ぐOSHOゾルバ・ザ・ブッダの人間像を掲げているので、どうしても武士道や侍では、そりが合わな過ぎる。

 著者は英語通訳等に長く関わる人(1940生まれ)なので、武士道を短いアフォリズムにして、それを英語人にわかりやすく対訳しているので、実際にその必要に迫られる人には、役にたつだろう。

 禅もそうだが、武士道も、ある意味アナクロなのである。ヘタな伝統に覆いかぶさるべきではない。当ブログでは禅をZENと表現するのを常套とするが、武士道もまた、濾過された形で、そして日本文化理解にとどめるためには、著者のいうネオ武士道を誕生させるのも悪くあるまい。

 この道に奔走している人たちも少なからなずおられるだろうから、多言は無用だが、とにかく、会社人やビジネスマン、さらには英語人とかかわるグローバル人材には、この書が益する場面もあるに違いない。

 されど、ゾルバ・ザ・ブッダを掲げるOSHOサニヤシンには、やはりどうしてもとっつきにくい人間観である。

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2018/10/23

「オン・ザ・ロード1972」<10>目次

<9>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」<10>
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

 目次     全日程  工事中> 

1972
06/18 気仙沼の魚やさん
06/19 百石高校
06/20 トラックの中(札幌→旭川)
06/21 網走(消防士宅)
06/22 稚内駅
06/23 利尻島
06/24 札幌
06/25 札幌(ドッキング at ドッコ)
06/26 解放会館
06/27 青森駅
06/28 お寺(青森)
06/29 天井桟敷テント(青森)
06/30 友川かずき氏(能代の病院)
07/01 サバイバルゼミ於山形
07/02   同上
07/03 富山駅
07/04 やさしさのゆめ(金沢)
07/05    同上
07/06    同上
07/07 京都ドッキング at パンキーフォコ
07/08 頭脳戦線恍惚合宿 於 山岸会
07/09    同上
07/10    同上
07/11 とのさま宅(てんのう寺)
07/12 GYA宅(西宮
07/13 徳島フェリー乗り場
07/14 高知
07/15 三谷氏宅(松山)
07/16 ドッキング at 羽倉旅館(愛媛県波方町)
07/17 大分鹿児島間 車中泊
07/18 桜島(テント)
07/19 鹿児島大学寮
07/20      同上
07/21 鹿児島
07/22 熊本(農家)
07/23 伝習館救援会(柳川)
07/24    同上
07/25    同上(ドッキング)
07/26 虹のブランコ族(熊本)
07/27 鹿児島港
07/28 桜島観光旅行 沖縄汽船中
07/29 伊礼優氏宅(沖縄)
07/30   同上
07/31   同上
08/01   同上
08/02 鹿児島汽船中
08/03 SOON(長崎)
08/04 グラバー邸
08/05 オランダ坂
08/06 福岡
08/07 宮島 福岡駅
08/08 出雲大社 広島島根県境
08/09 サクランボユートピア(鳥取)
08/10   同上
08/11   同上
08/12   同上
08/13 私都(きさいち)村(鳥取)
08/14 マキノスキー場 AWF
08/15 奈良駅
08/16 潮岬 
08/17 飛騨高山駅
08/18 上高地 トラック
08/19 ドッキング at アミ 小諸駅前 
08/20 小諸駅泊
08/21 清水駅(静岡
08/22 下井草公園(東京)
08/23 篠原女史宅(東京)
08/24 舎弟宅(東京)
08/25      同上
08/26 東京あちこち
08/27       同上
08/28    同上
08/29       同上
08/30 ドッキング at れおんずハウス(東京)
08/31       同上 横尾忠則氏アトリエ訪問
09/01 末永蒼生氏宅訪問
09/02       れおんずハウス
09/03 日立駅(茨城)
09/04 仙台着

<11>につづく

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「現代語訳 武士道」新渡戸 稲造

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「現代語訳 武士道」
新渡戸 稲造   (著),    山本 博文 (翻訳) 2010/08 筑摩書房 新書: 221ページ
No.4274★★★★★

 うん、これならわかる。中途半端な解説本は、まったく解説になっていない。むしろ混乱させてしまっているようだ。

 武士道というとすぐにハラキリが登場するが、そもそもの原書では、いきなりハラキリが語られるわけではない。ステップがあって、第三弾あたりになって語られるものであり、さらには、新渡戸稲造本人がそれを勧めているわけでもなければ、自らの信条としているわけではない。

 そこのところが分かれば、ひとつの文化論として、誰が誰になぜ、何を語ろうとしたのかを理解すれば、すんなりと受け入れることができる。

 歌舞伎の伽蘿先代萩(めいぼく せんだいはぎ)や、安倍貞任の句を紹介しているなど、身近に感じられる話題が満載で、好感度がさらにあがった。

 武士道に影響を与えたと言われるのは、仏教、神道、儒教を上げており、その中でも神道の影響は一部に留まるとみている。基本は仏教にあっても、多くは儒教の影響がある、と認めている。

 新渡戸稲造はアメリカに渡り、アメリカ人の女性と結婚し、キリスト教の一派であるクエーカー教徒として人生を送り、カナダで客死している。決して武士道の信奉者でもなければ、復興を唱えたわけではない。

 むしろ「武士道」を表した19年後には、「平民道」なる、彼流のデモクラシーを主張しているなど、アナクロニズムに陥ったものではなかった。

 そもそも武士道という言葉は彼が作ったもので、それまでまとまった成文化された文献などはなかった。そこにひとつの手がかりを与えた業績は評価されるべきだが、いたずらに復古調の風潮が起きてくるとすれば、それは敬遠すべきである。

 ただ我が国における歴史を理解するうえで、このような文化的背景があったのだ、と理解することは大切なことだな、と痛感した。

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2018/10/22

「禅と武士道」―柳生宗矩から山岡鉄舟まで 渡辺誠

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「禅と武士道」―柳生宗矩から山岡鉄舟まで
渡辺 誠   (著) 2004/09 出版社: ベストセラーズ 新書: 243ページ
No.4273★★★☆☆

 面白い本なのであろうが、今の私にはどうもぴったりしない。ひとつには、新しい本と言っても、すでに14年前の本である。どこかで、本の作り方が、現在とは違う。それに、あれこれ知識が満載で、自分の本棚をひっくり返したような内容で、うるさすぎる。

 禅と武士道を語るだけで、これだけの文字の羅列が必要なのか。羅列して、結局、何を言いたいのか。あるいは、私はこの本から何を得ようとしたのだろうか。

 ふと気づいてみれば、現在の私が特にこれは、と、知りたがっているところは、洞山良价(とうざん りょうかい)についての記述くらいのものであろうか。すくなくとも、自分がそれをもっと知りたがっている、ということが分かったのは良かった。

 しかし彼のことを知りたいのであれば、直接にその関連の本を読むべきだろう。禅と武士道。新渡戸稲造の「武士道」と、鈴木大拙「禅学への道」の二冊に発想を得たものであろうが、どうも私にとってはタイミングではない。

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「新渡戸稲造」―「武士道」と日本人の美しい心 宝島社

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「新渡戸稲造」―「武士道」と日本人の美しい心
シリーズ偉大な日本人 2006/08 宝島社 単行本: 189ページ
No.4272★★★★☆

 宝島の一冊である。習慣上、宝島社の本は、敷居が低く、セキュリティが低くなる。まずは手に取ってみよう、という親しみがある。だけど、宝島社とはいうものの、一時期の宝島社とは、ちょっと違う。もはや、普通の出版社とほとんど同じなのではないか・・・?

 この本での救いは、新渡戸稲造本人の著作である「平民道」(1919)の紹介があるところ。そうであろうと思う。「武士道」だけでは、いかにもアナクロである。平民道は、新渡戸稲造理解のデモクラシーである。

 民主主義という言葉ない時に、平民道、と翻訳した彼。このように武士道を昇華してこそ現代につながる著書と言える。されど、ここにおける道は、主義とほぼ同義として扱われている。道、と言えるものなのかどうか。

 私が現在、武士道なるもののところまで立ち寄っているのは、伊達藩いかんによる。観光ボランティアで瑞鳳殿のガイドに登録したのは、どうも伊達藩からは逃げられないな、という観念による。

 秀麓齋にしても、輪王寺にしても、覚範寺至福寺にしても、さらには瑞巌寺にしても、どうしてここまで伊達藩との縁が深いのか。この地において、禅のルーツをたどるとするならば、伊達とは縁が切れないのか。

 どうせ縁が切れないのなら、いっそ飛び込んでやれ、という逆転の発想の結果やいかに。凶と出るか、吉と出るか。いまは分からない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。なにはともあれ、地元の武にしばらく身を任せてみようではないか。

 それにしても武士道は、やっぱり21世紀にはアナクロである。それを新渡戸稲造自身が平民道で否定してくれているところはホッとする。されど、平民道でも、21世紀は切り開けない。

 武士道、大和魂は、結局、地球人スピリットへと昇華されなければ、世界は救われない。当ブログはそのところを探究している。虎穴にいらずんば虎児を得ず。ミイラ取りがミイラになる。危険な両刃の刃であることは知っている。されど、信じる道を歩むこともまた、武士道であろう。

 しばらくは、この道を進んでみよう。

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「武士道」 まんがで読破 バラエティアートワークス

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「武士道」 まんがで読破
新渡戸 稲造   (原作)   バラエティアートワークス 20080/04 出版社: イースト・プレス 文庫: 188ページ
No.4271★★★☆☆

 武士は食わねど高楊枝、文武両道、ならぬ堪忍するが堪忍、なども、武士道の教えであったか。

 思えば、伊達政宗の格言も、武士道の教えに含まれるのか・・・?

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 赤穂浪士の忠臣蔵(1701年)、も武士道のひとつに数えられているのか。思えば忠だものなぁ。

 何を守るためにさぶらうのか。主君なのか。国家なのか。それらは作られた人生の目的なのではないか。

 武士道とは何か。どうにもならない、時の流れというものがある。されど人は、その流れの中で、どう生きるのか。

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「武士道」30分で納得 ニッポン文化集中講座

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武士道」30分で納得 ニッポン文化集中講座
ディスカバージャパン編集部 2016/04 エイ出版社 大型本: 96ページ
No.4270★★★☆☆

 あまりにもお手軽な、と思いつつも、お手軽なのか、このシリーズなのだから、それはそれとして容認しなければならない。まずは30分で納得、の触れ込みに間違いはない。

 されど、そのお手軽さに比して、武士道と言われるものの重さは、あまりにも違いがありすぎる。武士道とは死ぬことと見つけたり、などと、お手軽に死なれては困る。お試し版でも、しっかり注意書きが必要になることであろう。

 はてさて、一個の肉体を持った、一個の人間の感性や理解の範囲というものには、限りがある。地球から月を見て、その裏側を見ることはできない。月の裏側を見るには、月の裏側に回らなければならない。

 月全体を、はてさて、一個の人間が見てしまう必要はあるのか。月は月として、そらにぽっかり浮かんだそのものを、そのまま見上げていて、なんの不都合があるであろうか。

 武士道と言われるものも、微に入り細に渡って、理解する必要などあるのだろうか。新渡戸稲造が、欧米人に向かって日本人を紹介する時に、ガイダンスとして、ダイジェストとして、その特徴を伝えている、その程度の視点さえあれば、あとは説明など必要ではないし、説明し続けることで、屈折が起きてしまうことも懸念される。

 一個の人間の視力には、可視領域の限界があるのであり、耳も、舌も、皮膚も、その感性が届く領域には限界がある。あっていいのであり、宇宙全体など、我が身に感ずることなどできないし、感ずる必要もないのである。

 武士道全体を理解する必要などないし、全体を理解できるはずなどない。それでは重すぎる。哲学的序列を作ってみたところで、一個の人間にどれほど役立つことがあるか。それほどの苦しみも、それほどの悲しみも、一個の人間の感性の領域をはるかに超えていく。

 人偏に寺と書いて侍と読む。なるほど。この辺あたりが、これからのキーワードになりそうだ。

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「ラスト サムライ」監督: エドワード・ズウィック<2>

<1>からつづく

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「ラスト サムライ」<2>
出演: トム・クルーズ, 渡辺謙, 真田広之, 小雪, ティモシー・スポール 監督: エドワード・ズウィック  販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ 2003年のアメリカ映画 形式: DVD 時間: 154 分
★★★

 例によって、焼酎をひっかけソファーに横になって、長編映画をDVDで見始めれば、最後まで見届けることなしに、安眠につくこととなる。最後だけ見逃す場合もあるし、中ほどまで行く時もある。最初のイントロしか覚えていない時もある。

 今回は、一度ならず見ている映画なので、どこをどう見たのか、判然としたないまま、もういちど素面の時に、監督の音声解説を聞きながら、最初から見直した。なるほど、ひとつひとつのシーンは、一観客としては、そのまま素通りしてしまうのだが、監督ともなれば、それぞれ思い入れ深いシーンの連続のようである。

 今回見直して、まずは興味深かったのは、この映画の時代設定が1876(明治9)年であるということである。この時代、明治天皇は東北巡行の際、松島瑞巌寺の上々段の間に一泊されたという。最近、この部屋を見学し、特別に入室させてもらったことは、感激であった。

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 1852年生まれの明治天皇、26歳の時のことである。トム・クルーズ演じるところの役割には実モデルもいたようだが、随所にフィクションが盛り込まれている。新渡戸稲造1862~ 1933)が「BUSHIDO」を書いたのは1900年、38歳の時である。

 遥か昔のようにも思うが、明治天皇でさえ、わずか私と100歳違いであるのか、とあらためて感慨にふける。エンターテイメントであまりに作り込まれたフィクションはお呼びではないが、サムライ文化が栄えていたのは、決して遥か古代なのではなく、ごくごく最近までの日本なのだ、とあらためて認識した。

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2018/10/21

 「刀って美しい」 NHK日曜美術館

「日曜美術館 刀って美しい」 
[Eテレ] 2018年10月21日(日) 午前9:00~午前9:45(45分)放送
No.4269★★★★☆

 そんなことを考えていたら、NHKの日曜美術館ではこんなことをやっていた。

 若い男性キャスターは、「エセ現代人としては、刀は武器だと思っていました」と表現していたが、それはそれでいいんじゃないかな。正常な感性だ。

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 むしろ、アイドル歌手が刀に興味あるなんて表現するのは、なんだか人気取りのような気がしてしまう。
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 もし、光ったり、金属の美しいものが好きならば、他のものであっていい。別段に刀じゃなくてもいいじゃないか。

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 スターウォーズのライトセーバーだって、やっぱり、私には距離がある。闘わなくていいなら、絶対そっちのほうがいい。

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「武士道と日本刀」 特別版 ナショナル ジオグラフィック

「武士道と日本刀」 特別版 
ナショナル ジオグラフィック 動画 40分 原題 Samurai Sword Special Edition
No.4268★★★★★

 日本の禅を理解するには、どうしても武士道についての理解が必要とされる。不可分とまでは言えないが、武士道を理解すれば、インド、中国、日本と渡ってきた禅の歴史を理解するには役に立つ。

 古刹、名刹と言われる歴史ある禅寺にいくと、血の匂いがする。明らかに、サムライたちが、未だにそこに往行しているからである。それ故に、足が遠のき、それ故に、再び足を運びたくなる。

 平安時代の貴族たちのガードマンとして登場してきたサブライが、鎌倉幕府でサムライの時代の到来を告げ、戦国時代を通じて、列島の権力構造を構築した。江戸時代の長き平和の時代に、ひたすら精神を研ぎ澄ませて行った、日本のスピリチュアリティ、武士道。

 その精神性の象徴ともいうべき刀剣、日本刀。外圧によって開国した明治以降、ひたすら美術品として愛されてきたが、第二次世界大戦においては、伏流水のように、その精神性が牙を持った。

 刀がなければ、武士道に魂は籠らないのか? 武士道は、日本を代表する中心的な魂なのか? 

 21世紀の禅は、血なまぐさくあってはならない。踊りと笑いに満ちた、解放された世界でなくてはならない。緊張や集中や、エリート意識に支えられた、武士道と日本刀の魂は、今や、時代錯誤だ。

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2018/10/20

「OSHO、ZENを語る」玉川信明<5>

<4>よりつづく

 

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「和尚、禅を語る」 <5>
玉川信明 2002/02 社会評論社 単行本 263p

 

 不思議なものである。ここにきて、洞山良价(とうざん りょうかい)や雲居道膺(うんごどうよう)の片鱗が見え始めた。

 

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 あらためて玉川信明をググってみると、1985年に竹中労らと「風の会-講座にっぽん百年」を組織したが、1991年に竹中労の死去とともに解散。 との記述がある。竹中労は、1974年ごろ、金沢のあるイベントで一緒させてもらったことがあり、一緒に酒をごちそうになり、イノシシ鍋までごちそうになったことがある。

 

 だが酔った私はいきなり彼にとびかかり、私は髪を引っ張られて、大立ち回りになった。翌日目を覚ましてみると、周囲の計らいで、同じ布団に雑魚寝させられていた、という、まぁ、今となっては私にとっての数少ない武勇伝がある。

 

 竹中と玉川がそれほどの距離にいたとするなら、なんだか急に許せる気になってきた。それに、次の記述もある。富山県旅籠町に生まれる。富山県立富山中部高等学校卒。竹内好に師事。上京して辻潤を知り、多くの在野、無頼の人びとの伝記、中国論を執筆した。晩年はラジニーシに傾倒。

 

 晩年はラジニーシに傾倒・・・・・・かぁ。こういう記述もありだな。

 

<6>につづく

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2018/10/09

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<42>

<41>からつづく

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「アイ,ロボット」 <42>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

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 そろそろこちらのアイ・ロボットの制作もすすめなくちゃ、というタイミングで、テレビで映画アイ・ロボット」の再放送。なんというタイミングか。さっそく焼酎片手に見始めたが、最初の10分ほどで睡眠に入ってしまったようだ。爆笑

 いつものことだが、自分の習癖についつい笑いが止まらない。なに、ビデオに録画しておいたので、あとでまた見ればいいのだが、そもそも、この映画のDVDは個人所有しているので、まぁ、いつでも見る事ができる。

 それにしても、アイ・ロボットの最終形がいまだ決まらない。立像でいいのか。可動性のあるままでいいのか。あるいは座像にするのか。

 そこで戯れに、頭部に後光をつけてみた。これがなんともいい。そして、おそらく背部の後光をつければ、もっといいだろう。当然、そうとなれば座像となる。

 座像となった場合、足はともかく、手はどうするか。おそらく坐禅像がいいのだろうが、膝の上に手を乗せるのか、手を足の上で重ねるのか。そこんとこがまだ決まらない。

 次第次第に、アイ・ロボット自身が姿を決定していくだろう。

<43>につづく

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2018/10/07

「雲居和尚墨跡集」 平野宗浄他<2>

<1>からつづく 

 

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「雲居和尚墨跡集」 <2>
平野 宗浄 (編集) 1985/05 瑞巌寺 古書 大型本 281ページ
★★★★★

 把不住(はふじゅう)というのは、中国唐代の禅僧、雲居道膺(うんごどうよう)が師の洞山良价(とうざん りょうかい)から「此の子、巳後千人万人といえども把不住(とらまえられぬ)ならん」といわれた故事による。

 道膺(どうよう)は雲居和尚の諱(いみな)、希膺(きよう)と一字違いであるから、雲居は道膺(どうよう)の禅風に親しみをもっていたに相違ない。彼の落款に把不住軒主と書かれていることが多いのはその故である。

 表紙の書は、雲居和尚の自筆であり、仙台市大梅寺所蔵の篇額より集字したものである。 表紙「把不住」

 

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 はて、洞山良价(とうざん りょうかい)とは誰だっけ?

 

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 洞山良价(とうざん りょうかい、807年 - 869年)は、中国の唐代の禅僧。俗姓は兪氏。五家七宗の一つ、曹洞宗の開祖。

   高弟に曹山本寂(840年-901年)がおり、宗派の名は洞山とこの曹山から一字ずつとって当初は「洞曹宗」を名乗ったというのが通説の一つだが、諸説異論ある(中国における曹洞宗参照)。Wikipedia参照

 松島の雲居和尚は臨済宗に属していると思われるが、ここでなんと曹洞宗に戻ってきたぞ。そして、この洞山良价(とうざん りょうかい)の弟子の雲居道膺(うんごどうよう)とはどんな人?

 

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Yunju Daoying (Chinese: 雲居道膺; Japanese: Ungo Dōyō; Korean: Ungǒ Toyong; Vietnamese: Vân Cư Đạo Ưng) was a Zen Buddhist monk and teacher during the late Tang Dynasty. According to traditional biographies, he became a monk when he was 25 at Yanshou Temple, although he later left to study at Mount Nan before finally taking on Dongshan Liangjie as his teacher on Mount Dong. After receiving dharma transmission from Dongshan, he went to a place called Three Peak Hermitage, and finally to Mount Yunju, northeast of modern Nanchang in Jiangxi Province. Here he established Jenru Temple, where he taught for 30 years and eventually attracted 1,500 students.[1]
Yunju Daoying the free encyclopedia

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2018/10/06

「雲居和尚墨跡集」 平野宗浄他<1>

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「雲居和尚墨跡集」<1>
平野 宗浄 (編集) 1985/05 瑞巌寺 古書 大型本 281ページ
No.4267★★★★★

 これは大変なことになったぞ。この本を手に取った瞬間、そう思った。やばい。こりゃ、なんとかしなくちゃ。笑

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 書籍としては、「雲居和尚墨跡集」となっているので、いくらかその痕跡があればいいかな、と思っていた程度だったのだが、なんと、表紙にそのまま「把不住」と刻印されているのである。ああ、まいった。ああ、やっぱりなぁ。

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 どうやら、雲居和尚ゆかり(どういうゆかりなんだろう)の蕃山・大梅寺の篇額の墨跡らしい。大梅寺。気になるお寺ではあったが、まだ未参拝だった。近いうちに挨拶しておこう。

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 これだけではよく見えないかな。当ブログにとっては大事な一文なので、大きく拡大しておこう。

Hahuju

 なるほど、そうだったのか。だんだん目標に肉薄し始めてきたぞ。

<2>につづく

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2018/10/05

「新装版 正法眼蔵に学ぶ」 講演:紀野一義<2>

<1>からつづく

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「新装版 正法眼蔵に学ぶ」<2>
講演…紀野一義(真如会主幹・仏教学者・宗教家) 方丈堂出版 発売日: 2012/06(講演1980年) CD10枚組各60分 80頁の解説書付

 当ブログ「迷の巻」、道元「正法眼蔵」から始まった。だいぶ離れた世界観でもあるようでもあるし、まったくそのまま同じようなものでもある、不思議な世界である。

 なんせ1980年、今から40年近く前の講話である。ずいぶん古いんじゃないの。確かにそうだ。だけど、その古い講話がなんと2012年、この3・11震災後に再販されているのである。21世紀の今日、なお広く支持されているのである。

 そして、もっと感動したのは、この講話録の中に、二度までもOSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)を紹介しているのである。1980年。OSHOはまだまだ日本においてはマイナーだった。にも拘わらず、この方のアンテナの感度は高い。

 第三講では、OSHO「草はひとりでに生える」(ふみくら書房)を紹介し、第十講では、OSHOの「Let Go!」という言葉を紹介している。当時58歳の名のある講話者が、あの危険者OSHOに触れることは、大変勇気のあることであっただろう。

 この方の聴衆は、学生だけではなくて、いわゆるビジネスマンたちも混ざっているらしく、経営者とか、人の上に立つには、などの台詞があり、ちょっと気になる部分ではあるが、その怪訝な気持ちも、彼の愉快に真理を語るセンスにうっとりしてしまう。

 この方、当時58歳にして、2歳の子どもの父親であることを告白している。はは~、私は58歳にして2歳の孫を抱いていた。さまざまな境遇があるものである。

 このCDセット、私にとっては最初に大きな期待をしていなかっただけに、大きなプレゼントとなった。感謝。道元遠からず。道元もゾルバ・ザ・ブッダだ。

 長いCDだっただけに、正直、居眠りしてしまい、ちょっと聞き逃したことがあった。最初から繰り返して聞き直すのは、今はやめておくが、いずれ再聴の機会に恵まれることを期待する。

 南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧

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2018/10/04

「新装版 正法眼蔵に学ぶ」 講演:紀野一義<1>

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「新装版 正法眼蔵に学ぶ」<1>
講演…紀野一義(真如会主幹・仏教学者・宗教家) 方丈堂出版 発売日: 2012/06(講演1980年) CD10枚組各60分 80頁の解説書付
No.4266★★★★★

 世に素晴らしい本はたくさんある。このインターネット時代、ひとつのキーワードで検索すれば、万巻の良書が飛び出してくる。図書館ネットワークもまた素晴らしい。10万冊どころか100万冊だって、ひょっとすると1000万冊だって、一気に検索してしまう。

 12月になると、近隣の図書館がまた新装開館する。震災で倒壊した図書館が、仮の建物で運営されていたものが、高層の立派な建物になって、蔵書も増え、楽しみはますます増えるだろう。

 しかし、それに比して、こちらの読書量は決して増えるわけではない。当ブログが2006年3月にスタートして以来、12年半(約4500日)で読んでメモしたのは、約4300冊弱。つまり、一日一冊読めば、もう十分なのだ。

 ましてやこれから目も悪くなり、気力も落ちるだろう。本は増えても読むことが出来なくなる。そろそろ目で読むばかりではなく、耳で聴くのもいいだろう、と検索してみると、こちらも結構豊かに準備されている。

 そこでまずは、一枚よさそうなCDをリクエストしておいた。手元に来てビックリした。なんとこのCD本は、なんと10枚組だった。一枚一時間、締めて10時間をかけて耳で聞く正法眼蔵だった。まぁ、これもよからん。

 ようやく4枚のCDを聞き終わったところだが、なんと3枚目に来て、この紀野一義氏は、OSHO(当時の呼称でバグワン・シュリ・ラジニーシ)のことを語り出した。なんと! つい、手に持っていた解説書を落としそうになった。

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 思えば、紀野氏はOSHO「道元」
その探求と悟りの足跡(1992/11 OEJ books) 巻頭の解説文も引き受けていらっしゃる。当然といえば当然というべきであろう。 「世界からOSHOに贈られた評価」の中にも氏の賛辞が見えるし、他の著書にもOSHOの名前を見つけることは何度もあった。

 「私はOsho師に個人的に会ったことはないが、現在までに出版された彼の本はほとんど読んだ。師は今世紀に現れた、最も希有にして有能な宗教家だ。仏教 についての師の説は、霊感と独自の見解に満ちている。仏教を専門とする者として、師の独自で創造的な解釈や、その比類ない宗教性に驚かされることもたびた びだ。師の解釈には仏教の真理が沁み渡っている。現代日本の著名な僧のうちにさえ、これほどの水準の解釈を保ちうる者はいない」
●紀野一義 (宝仙学園短期大学副学長)
1986年当時

 このCDは1980年に録音されている。1922年生まれの氏、実にまだ58歳の頃だった。ということは、OSHO「道元」が出版された1992年当時はすでに70歳になられていたのだった。今回検索してみて初めて分かったのだが、氏は2013年に亡くなられたという。享年92歳。感謝してご冥福をお祈りいたします。合掌。

 まぁ、それにしても50代の氏の声は若々しい。難しい漢文もスラスラ読まれて(当然だが)、その解説も簡にして潔。なるほど、と思わせられること多し。経典にもない当時進行形のエピソードなどを含めながら、実に洒脱で闊達な講演である。

 それぞれ一時間となっているが、あれ、もう一時間経った?と思わず時計を見てしまう始末。まだ半分聞いていないが、残りも聞き終わったら、もう一度メモしよう。

<2>につづく

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地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<73>「述の巻」について

<72>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<73>把不住述懐「述の巻」について

 新ブログ「把不住述懐」に移行して、実質的な最初のカテゴリ「述の巻」。愛読マンガ「浮浪雲」(ジョージ秋山 1975~2018)のタイトルにあやかって、今度のブログにはしんにゅう「」のついたカテゴリ名をつけることにした。

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 まず始まったのは、「把不住述懐」の中から「述」をとって「述の巻」とした。なんとかかんとか、自らのことを述べてみよう、という試みであるが、はてさてうまくいっただろうか。

 前回の「禅の巻」で、まだ途中だったiRobot=iBhaveshの制作は、あのまま完全にストップしたままで夏を過ごし、制作再開がいつ始まるのか、自分でも待っているところ。廃物アートのロボットと、我が肉体が、どこかで、いつかシンクロするだろう、その時、おそらく制作は再開されることとなる。

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 それに比して、始まってしまったのが、表装・表具の世界。こちらも廃物アートで、余っている壁紙や障子紙、切れ布などを活用してやろう、という試みだが、こちらはスタートしたばかり。情報収集の段階を出ていない。

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 畑は、グラスジェムコーンがまずまずの出来で、来年のためのタネを確保したうえで、すこしづつ、関心のある向きに、タネとして配ったりしている。かやの実の食用化も志向中。

 書かれ期間は2018/07/13~2018/10/04の間。新しく始まったのは「禅寺に捧げるこの一冊」 というシリーズ。 「今日の気分はこの3冊」シリーズは、今晩山小屋に泊まるなら、なんの本を持っていく?というコンセプトだったが、こちらは、お世話になったお寺さんに、もし一冊贈本するなら、というコンセプトである。これがなかなか楽しいが、また難しいテーマでもある。

 再読したいこのカテゴリこの3冊 は次の通り「OSHO、ZENを語る」 OSHO 玉川信明編 2002/02 社会評論社 単行本 263p
「ZEN MASTERS OF JAPAN: The Second Step East」 Richard Bryan McDaniel   (著) 2016/11 出版社: Tuttle Publishing ハードカバー
「表具図面集」
清水 研石 (編集) 1999/06 雄山閣出版 単行本: 308ページ

 「浮浪雲」のように、遊の巻とか、道の巻、達の巻、などと行きたいところだが、当ブログはまだまだその域に達していない。次は「迷の巻」とする。

<74>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「述の巻」編

<前>からつづく  

再読したいこのカテゴリこの3冊 

「述の巻」

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「OSHO、ZENを語る」 
OSHO 玉川信明編 2002/02 社会評論社 単行本 263p

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「ZEN MASTERS OF JAPAN: The Second Step East」
Richard Bryan McDaniel   (著) 2016/11 出版社: Tuttle Publishing ハードカバー

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「表具図面集」
清水 研石 (編集) 1999/06 雄山閣出版 単行本: 308ページ

<後>につづく

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2018/10/03

「把不住述懐」<30>/「さとりサマーディにて」<37>めぐりあわせ

<29>からつづく 

「把不住述懐」 
<30>めぐりあわせ   目次

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<36>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<37>‎めぐりあわせ

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 最近、くさとりメディテーションにハマっている。ちょっとした時間があれば、庭にでて枯れ葉をむしったり、いわゆる雑草を抜いたりする。我が家に限らず、孫たちのマイホームで時間があれば、ちいさな庭の、ちいさな雑草に手をかけたりする。

 きょうは、カヤの木のかやの実をかたずけながら、小さな草たちをむしっていた。ふとそこに、老婆と初老の女性が立ち寄り、カヤの木の傍らにある薬師瑠璃光如来を参拝に尋ねてきていた。

 帰り足に声をかけられたので、腰を伸ばして雑談。このカヤの木のいわれを尋ねられれば、知っていることならと、概略をお話しする。実は、初老の女性の方は、最近さる方から、あなたの守護神は薬師如来ですよ、と教えられ、今日、隣町から参拝に来たのだという。

 あれまぁ、そうですか、などと話しているうちに、あれこの方は、我が小学校時代の同級生に似ているなぁ、と思いついた。しばらく談笑したあとに、そっとその旨を話し、その名前を言ってみると、あらま、やっぱりご本人であった。実に50年ぶりくらいの再会である。

 そして身の回りの話をしているうちに、実は、お互いが親戚であることを知ったのである。ああ、世の中は狭いな。そしてまた、この時間に、ここにお互いがめぐりあっていることに、これまた不思議なご縁を感じたのであった。

 最近、こういう、いわゆる同時性というのだろうか、シンクロニシティというのだろうか、そういうめぐりあわせに遭遇することがたびたびある。神仏のお導きと考えることもできる。

 最近、わが母親の認知度がいちじるしく低下しているように思われる。面会していても、話に対する反応は鈍くなった。どうかすると返事がないこともある。目が見えず、耳が遠くなった、というだけではない、なにか脳が委縮しているのではないか、などと彼女にとっては失礼な推測をしたりする。

 しかし、それに比して、周囲に及ぼす波動は、決して散漫なものではなく、密度のたかい、穏かで、なおかつ、広がりのあるものになっているように感じる。これもまた薬師瑠璃光如来のご利益か、などと感謝しつつ、今日もくさとりメディテーションを楽しんだのだった。

把不住述懐<31>につづく

「さとりサマディにて」<38>につづく

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「禅寺に捧げるこの一冊」<4>/「OSHO、ZENを語る」 玉川信明

<3>よりつづく

「禅寺に捧げるこの一冊」<4>
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<3>よりつづく

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「和尚、禅を語る」 <4>
玉川信明 2002/02 社会評論社 単行本 263p

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 大根引き大根で道を教えけり  一茶

 万巻の中から一冊を抜き出すというのは至難の業である。ほとんど不可能。もはや無意味と言ってもいい。どの本を取っても完全ではない。一冊を取り出せば、さらに数冊が必要とされる。数冊必要となると、もはや一冊には戻れない。

 このシリーズ「禅寺に捧げるこの一冊」、とはいうものの、ではどこの禅寺に捧げるの?となると、さらに問題は複雑になる。

 普門寺、柳生寺、資福寺、覚範寺、輪王寺、慶蔵院、林香院、活牛寺、護勢寺、招楽寺、秀麓齋、瑞巌寺、等々、身近にお世話になったお寺だけでも十指を超える。ひとりひとりの住職の顔が見えてくる。

 はてさてどうしたものか。このお寺にはこの一冊、あの和尚にはこの一冊、この季節ならこの一冊と、迷いはさらに深まる。究極には捧げる一冊など思いつかなくなる。一冊などと言わず、俳句でひとこと言えばいいのではないか。

 そんな時、一茶の俳句を一句、思い出した。

 大根引き大根で道を教えけり  一茶

 大根(だいこ)引きは、大根(だいこ)で道を教えるのである。その道をいくつもりがないなら、さっさと通り過ぎればいい。教えてもらった限りは、その指が土で汚れていようが、マニュキュアでネールアートされていようが、とにかくその道を目指して歩き始めるのが、礼儀であろう。

 いまさら、一冊を捧げると言っても、カウンターカルチャーを挑むわけでもなく、爆弾を仕掛けるわけでもない。ひたすら感謝の気持ちを、一冊に込めるのである。

 玉川信明著「和尚ラジニーシ、禅を語る」(和尚ガイドブック②)については、これまでなんどか当ブログでも触れてきた。決して高い評価を与えてきたわけではない。

 されど、大根引きが教えてくれた道が、大根引きだからと言って、決して間違っているとは限らない。その道しるべが大根のような土付きの汚れたものであったとしても、道そのものを教えてもらった限りは、ありがたく感謝して、その道を歩み始めるべきではないか。

 はてさて、この本を捧げられた禅寺は、この本をどう受け取るであろう。貧者であっても、一木一草でも供養せよ、という教えがあるかぎり、拒否されることはあるまい。その供養は、お寺のためになるかもしれないし、ならないかもしれない。

 大根引きもまた、道を教えたからと言って、大根を一本買っていけ、と言っているわけでもない。功徳など最初から求めていないのである。

 禅寺に捧げるこの一冊。今日の私なら、この「OSHO、ZENを語る」玉川版を選び取る。

玉川信明「OSHO、ZENを語る」<5>につづく

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2018/10/02

OSHO: There Is No Goal

「OSHO: There Is No Goal」  

No.4265

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「OSHO Rebellious Flower」 Hindi movie

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「OSHO RebelliousFlower」
movie 105min 2016 Hindi
The film on the life of guru Osho Rajneesh and his spiritual journey to enlightenment.  Director: Krishan Hooda  Writer: Jagdish Bharti  Stars: Prince Shah, Shashank Singh, Mantra
No.4264 

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「Zen Masters of Japan: The Second Step East」 Richard Bryan McDaniel

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「Zen Masters of Japan: The Second Step East」
Richard Bryan McDaniel   (著) 2016/11 出版社: Tuttle Publishing ハードカバー: 288ページNo.4263

ーー

<1>よりつづく

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「曹洞宗青年聖典」 <2>
曹洞宗教化部 1966/05  新書版 100P 曹洞宗宗務庁
★★★★★

 43年ぶりに、輪王寺坐禅堂にて、参禅してきた。いや、正確には初めてだったかもしれない。というのも、1975年当時、21才の私が参禅していたのは、昔の古い坐禅堂だった。もっと小さく、かと言って格式の高い、極めて厳かな坐禅堂であった。

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 あの頃は、北山五山の一角である資福寺・覚範寺の裏手に若者文化のコミューンを作っていた。1975年、あの時、私の人生は大きく変貌した。

 正式な坐禅の手ほどきを受けたのは輪王寺においてであった。あの時、外人のビギナーたちも結構参禅していた。隣に坐る外人が、ゲーリー・スナイダーのような気分さえしていた。

 インドから帰国して、1979年頃、ふたたび輪王寺に参拝したことがある。その時の私の率直な感想を述べていけば、この境内は血の匂いがする、というものだった。だから、そこから参禅するということはなかった。

 あれから40年。私は再び輪王寺を訪ねた。昨年度からそのチャンスをうかがっていたが、ようやく一年して、参禅させていただけるような心境になった。坐禅堂は、新しく、大きくなっていた。いつ頃改装されたのか、今現在の私には分からない。

 10分間の経行(きんひん)を挟んで、40分、40分の坐禅である。率直な意見をメモしておけば、実にすっきりとした坐禅であった。たいへんありがたかった。今回も、隣に坐ったのは海外からやってきただろう男性青年だった。普勧坐禅儀のお経も、横文字で読み上げていた。

 今回の参禅だけではなく、実は心に決めた目標があるのだが、ここにはまだ記さないでおく。

 ZENの系譜に生かされていることに、感謝いたします。

 

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2018/10/01

「あなたの知らない道元と曹洞宗」 山折哲雄他

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「あなたの知らない道元と曹洞宗」
山折 哲雄 (監修) 2013/06 出版社: 洋泉社 新書: 190ページ
No.4262★★★★☆

 監修・山折哲雄となっている。あちこちから編集子が集めてきた雑学の、ひとつひとつが間違っていないことを、箔付けてくれていることにはありがたいが、はてさて、これだけの雑学を必要とする人はどれだけいるだろう。

 あるいは、雑学は逆に邪魔になることもあるに違いないのだ。もっと真摯に自己と向き合い、時には耳や目に入ってくる二つや三つの情報が、自らの立っている足元を固めてくれることはあるだろうが、余計な情報は、むしろ錯乱する遠因になる可能性もある。

 まあ、人によってだろうが、私にとってはそうだ。だから、知識先行ではいかない。あれ?あれはどうだっけ、という時に、ひとつふたつの調べものをするのはお手軽お調べ帖としては便利だろうが、本当に身に付いた、深い知恵として自らに身につくだろうか。

 この書はこのような成り立ちをしているのだから、それはそれでいいだろう。されど、大疑団としての自己に対しては、あまりにもお手軽な小技過ぎるのではないか。

 山折哲雄という名前で思い出した。彼は、たしか藤井日達上人の伝記をまとめた人ではなかっただろうか。月国の仏法は日の国に渡り、日の国の仏法を月国に返すとおっしゃった、藤井日達上人。かの人の法華経があればこそ、私の世界観が全うなものになることを、いまさらながらに痛感する。

 諸縁に感謝しつつ、待つアートの深遠さに触れる日々である。

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「ZEN 道元の生き方」 「正法眼蔵随聞記」から 角田泰隆

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「ZEN 道元の生き方」 「正法眼蔵随聞記」から
角田 泰隆   (著) 2009/06 日本放送出版協会 単行本: 309ページ
No.4261★★★★★

 ちょうど20才を過ぎたころ、私は叔父の造園会社で短いアルバイトをしていた。

 ある時、叔父に「人生で一番大事なものは何ですか?」と聞いてみた。実直な叔父は、ちょっと考えてから、「誠実さ、だと思う。そう学校では教わってきたな」と答えた。同じ質問を、わが母親にしてみた。「それはお金だろう。金がなければ何もできない」と即答した。

 反対を押し切って、まともな職にも就かないまま、元祖フリーターのような生き方をしている我が息子に、説教するのは、やはり、職を得よ、稼げ、まともな一人前の人間になれ」という意味で、そう答えたのだろう。

 同じ質問を母親の父親である、つまり私の祖父に同じ質問をしてみた。「人生で一番大事なものは何ですか?」

 祖父は即答した。「なんだ、そんなことも分からないのか?」。私はうろたえた。

 「それは、自未得度先度他だ」。

 「自分がまだ渡る先に、まず他の人を渡しなさい、ということだ。これが菩薩の生きる道だ。これが最高にエライ」。

 当時20歳の私は、すぐには理解できなかった。漢字も分からなかった。部屋に帰って調べてみて、その意味がわかった。それから、この言葉は私の胸に深く刻まれた。

  「施無畏」という言葉を教えてくれたのも祖父だった。

 700年前の道元禅師と、わがマスターOSHOの、言葉に違いはある。聞いている弟子たちが、違っているのだから、当然のことだ。字義道理、道元の世界を、この21世紀に生きることは無理だ。道元も言っている。生きたマスターに就きなさい、と。

 菩薩とボーディサットヴァの言葉の意味は、違っている。決して同じではない。道元の菩薩道を生きるのか。OSHOのサニヤシンを生きるのか。ボーディサットヴァを生きるのか。

 法華経によれば、ゴータマブッタの法輪は五五百年の2500年が一サイクルと言うではないか。現代人は現代のブッタをマスターとすべきなのである、と、そう思う。

 そして、自燈明、法燈明、とも言うではないか。我はどこに、我がブッタ、我がマスターを求めるべきなのか。誰か、偉い人の生き方も参考になろうが、自分は自分の生き方を、しっかりと見つめて、生きていくことになるのだ。

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「道元 正法眼蔵」 NHK「100分de名著」ブックス ひろさちや

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「道元 正法眼蔵」わからないことがわかるということが悟り NHK「100分de名著」ブックス
ひろ さちや (著) 2018/08 NHK出版 単行本(ソフトカバー): 148ページ
No.4260★★★★★

 
当ブログ記事「さとりサマディにて」の主人公さとりは、わが母親の名前である。現在96歳で施設にお世話になっているが、90歳近くまで一農婦として人生を全うした人だ。若いころ、彼女に名前の意味を問うと、「作を取る」から作取(さとり)なのだ、の一辺倒だった。

 その彼女は、除草剤のない時代から、夫に先立たれて、広く残された農地の草を取るのが、日々の仕事の大半を占めていた。そんな彼女を、近似の人達は、ちょっとひやかすように、今日もさとりさんが、草取りをしている、と笑った。

 最近、小さな市民農園を借りて、草を取る時がある。また、最近建売住宅に住まいしている孫たちを見守るため、待っている時間の間、敷地の隙間から顔をだす雑草を引き抜いて時間を費やしている時がある。

 あるいは、これも当ブログに毎回登場する樹齢千三百年のカヤの木の下草を、数週間に一度、引き抜きに行く時がある。私はあまり気が進まなかったのだが、奥さんが引っ張ってくれるので、最近は、週末の大事な日課にさえなっている。

 そんな私は割と最近、この草取りが好きになってきた。すっすっと抜けると気持ちいい。清掃したあと、数日過ぎて見にいくときれいになっているから気持ちいい。だが、ちょっと忘れていると、いつの間にか、茫々と雑草の背丈が伸びている。また、抜く。

 この作業が割と気持ちいいのだ。さとり、という言葉では、我が母親は多くを語ってはくれなかったが、作を取ることも、さとりだろうし、また近所の口さがない隣人たちがクサすように、草取りもまんざらさとりとも言えなくもないのではないか、と思う。

 この母親にさとりという名前を付けたのは、当時23才の祖父だった。彼は、近所のお寺に参禅しながら(私が現在参禅しているお寺)、この名前を思いついたという。彼は衝天釣月を法名に付けてもらうほどの禅居士だった。

 この祖父が管理していたカヤの木が、今、母親が代表となって管理している樹齢1300年のカヤの木である。この仙台市で最も古木とされる巨樹の下草を刈るのに、一回数万円を造園屋に払わなければならないという。

 なんでも金の時代であり、職人さんとしては当然のことであろう。されど、草取りが面白いと思うようになったのは、ごく最近であり、これからどのくらい続くかわからないが、私は、無給でこの草取りを続けるのは、結構たのしいのではないか、と思っている。

 私はふときずいてみると、道元ネットワークのただなかに産み落とされたような存在である。あっちもこっちも、道元に縁のある人々だ。ごく自然に道元禅師に敬意を払うようになった。そしてわがマスターOSHOの中に生きた道元を見る。

 禅を、達磨を、道元を教えてくれた祖父に、今はひたすら感謝している。そして、ちょっと手を抜くと、いつの間にか、茫々となっている我が迷いの草を、今日もまた、一本づつ引き抜いては、ああ、これは結構、気持ちいいかも、と思いながら、生きている。

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「道元」 別冊太陽 日本のこころ 角田泰隆他

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「道元」 別冊太陽 日本のこころ
角田 泰隆 (著) 2012/06 出版社: 平凡社 ムック: 159ページ
No.4259★★★★★

 この本も、「禅宗入門」(2016/04 平凡社)と同じ別冊太陽シリーズのムックとして、素晴らしい内容だ。道元がますます身近になる。そして両祖と仰がれる瑩山禅師についても、自然と読んでしまうから不思議だ。そもそもは宗派などないのだが、何百年と受け継がれる中で、中身だけで伝授するには、難しいものがあった。名前もまた必要なのだ。

 この本にも坐禅の仕方がある。いくらこの本を読んでも、坐禅したことにはならない。しかし、法門はどこから入ってもよいとされている。前門からでも、裏門からでも、地下からでも、空中からでもいいはずである。一寸坐れば一寸の仏陀、とか聞いたことがあるようにも思う。

 この本を手に取っただけで、一つの機縁を結んだことになり、このブログのこの記事にアクセスしただけでも、もうひとつ機縁が深まる、ということもあるはずである。良き読者でも、良き道者でもないにせよ、当ブログにこれらの記事を書かせていただけることを、感謝せざにはおれない。合掌。

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「別冊太陽239 禅宗入門」 竹貫元勝

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「別冊太陽239 禅宗入門」 (別冊太陽 日本のこころ 239)
竹貫 元勝 (監修) 2016/04 出版社: 平凡社 ムック: 175ページ
No.4258★★★★★

 発行されてまだ二年半という新しい編集だけに、魅惑的な一冊である。別冊太陽のムックシリーズの一冊だけに、どっしりとした画像と格調高い紹介内容で、この一冊があれば、禅の世界が何でも分かってしまうような錯覚さえしてしまう。

 されども、やはりこの書は入門の一冊であり、概観を一望するには適しているが、我が身をその道に歩ませるには、機縁が熟さなければならない。ゴータマ・ブッタがおり、マハカーシャッパがおり、ボーディダルマがおり、さらには道元が、そして現代の禅マスター達が存在してこその、今日の禅である。

 ZENの系譜は、釈宗演や鈴木大拙などがなければ、ビート禅にも至らなかっただろうし、わがOSHOへの流入も、なかったと思われる。その伝統が、今いちじるしくグローバル社会で問われている。

 エキゾシズムによる日本文化などに胡坐をかいているうちに、マインドフルネスやらメディテーションやらに、換骨奪還されてしまう可能性はゼロではない。脚下照顧。自らの足元から留意してゆっくり牛歩のごとく歩むしかない。

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