「武士道」30分で納得 ニッポン文化集中講座
「武士道」30分で納得 ニッポン文化集中講座
ディスカバージャパン編集部 2016/04 エイ出版社 大型本: 96ページ
No.4270★★★☆☆
あまりにもお手軽な、と思いつつも、お手軽なのか、このシリーズなのだから、それはそれとして容認しなければならない。まずは30分で納得、の触れ込みに間違いはない。
されど、そのお手軽さに比して、武士道と言われるものの重さは、あまりにも違いがありすぎる。武士道とは死ぬことと見つけたり、などと、お手軽に死なれては困る。お試し版でも、しっかり注意書きが必要になることであろう。
はてさて、一個の肉体を持った、一個の人間の感性や理解の範囲というものには、限りがある。地球から月を見て、その裏側を見ることはできない。月の裏側を見るには、月の裏側に回らなければならない。
月全体を、はてさて、一個の人間が見てしまう必要はあるのか。月は月として、そらにぽっかり浮かんだそのものを、そのまま見上げていて、なんの不都合があるであろうか。
武士道と言われるものも、微に入り細に渡って、理解する必要などあるのだろうか。新渡戸稲造が、欧米人に向かって日本人を紹介する時に、ガイダンスとして、ダイジェストとして、その特徴を伝えている、その程度の視点さえあれば、あとは説明など必要ではないし、説明し続けることで、屈折が起きてしまうことも懸念される。
一個の人間の視力には、可視領域の限界があるのであり、耳も、舌も、皮膚も、その感性が届く領域には限界がある。あっていいのであり、宇宙全体など、我が身に感ずることなどできないし、感ずる必要もないのである。
武士道全体を理解する必要などないし、全体を理解できるはずなどない。それでは重すぎる。哲学的序列を作ってみたところで、一個の人間にどれほど役立つことがあるか。それほどの苦しみも、それほどの悲しみも、一個の人間の感性の領域をはるかに超えていく。
人偏に寺と書いて侍と読む。なるほど。この辺あたりが、これからのキーワードになりそうだ。
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