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2018/09/02

「禪修行」 富山治夫

Img_0 「禪修行」 
著者 富山治夫 撮影 2002/08 出版社 曹洞宗宗務庁 グラビア誌大 224p
No.4225★★★★★

 日曜早朝坐禅会に参加し、朝がゆをいただき、庫裡の本棚から借りてきた一冊。そういえば、図書館が建て替えのため、先日より貸出が一時中止となっている。そのために、あるご婦人が、この本を借りていいですか、と住職に聞いたので、私もご相伴させていただいたというわけである。

 突拍子もないタイミングだったので、とにかく目立って大きな本を一冊借りてきたのだが、これは写真集だった。2002年に出た本ではあるが、準備に5年かかったということだから、20世紀末に作られた本というべきだろう。

 出たばかりのデジカメは当時130万画素。私の現在のiPhoneの10分の1の画素数である。そのカメラを駆使して、フラッシュをたかずに暗闇の修行僧たちのありのままの姿を記録している。永平寺の記録はあまたあるだろうが、これはまた、一種独特のリアリティのある一冊である。

 カメラマンは1935年東京神田の生まれの方。現在なら83才。当時なら67才、現在の私たちと同年配であったのだろうと推察する。巻頭言に「道元禅師への旅」として森本哲郎が一文を捧げている。抑えた内容ではあるが、うん、そんなにインドに行ったところで、簡単にブッタに会えないよね、というお話。

 巻末には、「禅 修行へのプロローグ」として、奈良康明(当時・曹洞宗総合研究センター所長)がまとめを書いておられる。何度かNHKの教養講座などでお見掛けした方である。無難なまとめ。これしかない、というキメの文章。

 この資料は、3・11災害で亡くなった閖上東禅寺住職(当時85才)が、生前、教化資料として秀麓齋に贈本された一冊である。このような形で拝読できたことは、大変幸甚なことであった。

 ふと思う。この当時であっても、また2018年の現在であっても、いわゆる禪修行に出る方々は、寺院出身の若い僧職希望の方々であろう。特に男子の方々。おそらく女子の方々には別な修行道場があるにちがいない。そして、年々、修行のために山に登る出家の方々は減っているという。往時の半数とも聞いている。どうして?

宇宙のハタラキに包まれながら、威儀を正していく。
僧院内だけのことではない。現代に生きる禅者も変わるところがない。
しかし、社会の生活に清規はない。
どうしたら私の生が真実に則したものとなるのか。
それは私の応用問題である。
知恵と慈悲。
それを現実にハタラカせる行為、威儀、が仏法の生活だ。
それは二十一世紀における禅の修行である。
p217「そして、現代」奈良康明

 道元は素晴らしい、永平寺もまた素晴らしい、坐禅もまたいわずもがな。だがしかし、そこに陥穽はないのだろうか。単に数字的なものであったにせよ、修行僧たちが不足しているという現実。それに比すところの、外国での道元や禅への関心の高まり。

 太陽と、月と、地球を、一直線に見て、そこに、応用問題を見つけ、自分の生が真実に則するものとなるように、坐る。

 真龍と見し秋風に一坐あり    把不住

 

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