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2018/09/15

「ごまかさない仏教」 仏・法・僧から問い直す佐々木閑, 宮崎哲弥

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「ごまかさない仏教」 仏・法・僧から問い直す
佐々木 閑 (著),    宮崎 哲弥 (著) 2017/11 新潮社 単行本(ソフトカバー): 301ページ
No.4229★★☆☆☆

 最近、「なぜ今、仏教なのか」 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学(ロバート ライト他   2018/07  早川書房)を読んだ時も、強く感じたのだが、いまさら(!)「仏教」をどう持ち上げようと、ちっとも、読み手としてのこちらのハートが高揚してこないのを感じる。

 なぜなのだろう、と、自分の心を見つめてみる。ひとつはっきり言えるのは、前後して、OSHOの「道元」「般若心経」「ボーディダルマ」を読んでいることが影響しているだろう、ということだ。

 個人的に私は仏教は嫌いじゃない。いわゆるそういう話題はちょっとは耳を傾けていたい、と思うほうだ。だからこそ、新刊本コーナーリストからこの本を取り寄せて読んだりしているのだ。関連本に、何か楽しいことが書いてないかな、と好奇心がうずく。だが・・・・。

 別な面から考えれば、私はOSHOサニヤシンなのである。OSHOの学生であり、弟子であり、そしてまた帰依者でもあると、考える。OSHOの言説を無批判的に受け入れているわけではないが、圧倒的にともに過ごしてきた時間が長いので、彼の言説は圧倒的に説得力がある。

 さらに言えば、彼は仏教徒でもなければ、仏教には直接なんの関係も持っていない。仏陀やZENを語ったりはするが、仏「教」や、禅「宗」については、限りなく距離を置いている。彼の言説にはまったく不要な文脈なのである。

 イズムや組織、いたずらな伝統には、無関係なのである。この本で語られている仏教は、そもそも誰かがキチンと把握していたものが、いま語られているのではなく、みんな「想像」で語っているものだ。自らの「確信」として語られていない。

 ああでもない、こうでもない、というのは、学者や評論家タレントがいかにあちこちの知識を散らばめてみようと、無責任な床屋談義に過ぎない。自らが、その「宗教性」を生きている、という表明にはなっていない。たんなる第三者に対する批判や評論に過ぎない。

 それでは、君はどうするのかね、という指摘は、そのまま、指摘しているこちらの存在そのものの見直しにかかわってくる。それに対する、私の方法は、ひたすら自ら瞑想してみるだけである。

 確かにこのような本は、入門書や、なにかのきっかけにはなるかもしれない。だが、本当か? もっともっと、適格な一冊があるのではないか。この程度で止まってしまうような「浅い」探求なら、それはそれまでのことであろう。

 1956年生まれの仏教学者と、1962年生まれのタレント評論家が、コピペや編集を重ねて、一冊ものしているわけであるが、この本で、人生が変わってしまう、という探求者は、どれほどいるものだろう。

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