2018/09/30

「表具屋渡世泣き笑い」
小池 丑蔵 (著) 1985/04 三樹書房 単行本 190ページ
No.4257★★★☆☆
私は読む順番を間違えたかもしれない。最初にこちらを読み、あとから「女表具師 技術泥棒攻防記」(
尾形 璋子2002/01 朱鳥社)を読んだのなら、1985年出版のこちらの著書が真作で、それから17年後に出版されたかの本が贋作だ、と簡単に決めつけることができたであろう。
ところが、一部読書感想にもあった「表彰屋」だけではなく、随所にほぼ同内容の文章が出て来る。性別も年代も違えば、これは同一人物のペンネームによる新作だとは、とても思えない。一般的に言って、あとから出て来た女表具師のほうが「泥棒」した、と考えるのが一般的な読み方だろう。
いずれにせよ、表装の世界を割と生真面目に理解しようとしていた私の心情は、いちぢるしく、不愉快な次元へと叩き落とされた。「泥棒」した方もしたほうだが、はてさて「泥棒」されたほうも、そのまま放置しているのであろうか。少なくとも、出版差し止めや名誉棄損などで、法的な処置はできなかったものか。
私はこの世界に首を突っ込んで長く滞在しようとは思っていないので、二冊並べて、あるいはもっと周辺を調べて真贋論争を張りたいなどとはとても思っていないが、少なくとも、この伝統技術に関わる人々への見方が一変してしまった。
仮に贋作を読まず、こちらの「真作」だけを読んだと仮定しても、おそらく一冊の本としては、「表具屋」だけの話ではなく、それに付随する横にそれていく話が、私にはどうも余計に感じた。もっと素直な技術噺でいいのではないか。ヘタな歴史的なうんちく話は、まぁ、この本で聞かされなくてもいい。余計な部分だ。
読むタイミングによっては面白かろうが、私のセンスではない。ああ、このような本もあるのか、と、ちょっと表装・表具の世界に目を向けた段階で、裏も表もある世界があるんだな、と納得した。
思えば、表装の世界で、一番大事なのは裏打ちのワザだった。
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2018/09/28

「表具図面集」
清水 研石 (編集) 1999/06 雄山閣出版 単行本: 308ページ
No.4256★★★★★
これまた、なんという本であろう。ずっしりとした重い本。硬い表紙に囲まれて、数百の掛軸の寸法だけを書いている本である。なんと退屈な、と手にとった最初は思った。しかし、前後に書いてある、ほんの短い遠慮がちな文章を読みながら、私の感想は逆転した。
表装の世界にも、生まれつきの才能があり、環境に育まれる伝統があり、努力によって磨かれる技術がある。そして、その技術、形、色、そのどれもが必要とされるのである。
この本には一切、色は出てこない。本紙とされるべき文字も出てこない。単なる寸法だけである。されど、この本を見ていて、じつにその形がバランスよく、そこから色のついた画像が飛び出してきそうな気がしてくるから不思議である。
盗まれる技術もあるだろうが、一子相伝で受け継がれてきたものもあるという。この本はその一子相伝の部類に属するものだそうだ。さらには口伝というものがあり、この本にさえ表されていない芸術の世界がありそうだ。
とにかく、この寸法表を見ているだけで、なんとも幽玄な世界に引きずり込まれていくから、不思議である。
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「女表具師 技術泥棒攻防記」
尾形 璋子 (著) 2002/01 出版社: 朱鳥社 単行本: 128ページ
No.4255★★★★☆
内幕暴露的なぶっちゃけ本ではあるが、正統な教則本ではわからないような技術も書いてあり、場合によっては多いに役立つ本。少なくとも私は、この本に書いてあった、ハガキを裏表二枚にはがす技術を学ぶことができた。なるほどなぁ。
この本に集録されている「表彰屋」という文章はなかなかの洒落た文章だが、ネット上の読者の感想文では、盗作ではないか、という疑問が呈されている。泥棒攻防記なるタイトルを持つ一冊とは言え、職人として技術を盗むのと、名前がある人の文章を盗むのでは、おのずと倫理観が問われることになる。真偽のほどは、今のところ、私にはわからない。
私が、ずっと表具について考えていたのは、他ならぬ表具屋さんが、いつも行くスーパーの向いに小さな看板を上げているからである。普通のしもうたや風の一般住宅なのだが、なんか気になっていた。昔は表具屋なんて、あちこちにあったような気もするが、最近見かけているのは、この一軒だけだ。
障子張りやフスマ張りなら、自分でもできるが、表具や表装、掛け軸づくりや修復など、まずはできない。そもそも、どれだけの料金を取られるのか、わかったものではない。ましてや、自分や家族の作品が表装に値するのかどうか。それさえも定かではない。
この本を読む限りは、技術にも様々あって、職人もピンからキリまで居そうだが、まずは技術が売り物の世界でもあり、伝統技術でもあり、また現代的なノウハウや嗜好性にも敏感でないと、務まらない世界のようである。
この世界について書いてある本は初めてだったので、興味深く読んだ。
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<3>からつづく

「表装生活」 ―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう <4>
麻殖生 素子 (監修) 2010/07 単行本: 92ページ
★★★★★
大体イメージが固まってきたぞ。

色、形、大きさ、軸棒、軸先、風帯は、これでいいだろうか。お手製短冊ひとつでは、どうもバランスが悪い。

短冊三本掛けにすると、ちょうどバランスは良いようだ。裏打ちの和紙は、障子を張った時の残り紙でいいだろうか。ノリも障子張りの時のモノが残っている。

三本掛けにするなら、最初から、お手製色紙も掛けられるようなバランスがいいだろう。天と地はやはり同一色のほうがいいだろうか。この場合、一文字はなくていいだろう。

お手製色紙も、縦長だけじゃなく、横長でも掛けられるようにしようか。テングス糸が問題だ。八双、掛緒、巻緒なども、そろそろ準備しなくちゃね。
<5>につづく
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2018/09/27
<1>からつづく

「Tarzan(ターザン) 」[実践的6提言 二度と太らない! ] <2>
2018年9月27日号 No.749 2018/09 マガジンハウス 雑誌
★★★★★
ひとつでいいから今日から始めよう!{実践的6提言}
{筋トレ}
{食事}
{有酸素運動}
{モチベーション}
{予防医学}
{リセット} 表紙
この中から、ひとつだけ、となるとまずは私の場合は{モチベーション}だろうな。とにかくやる気を失ってはダメだ。筋トレは毎日はちょっと無理。{食事}はなんとか行ける。{有酸素運動}も、週二くらいなら、なんとかいけそうだが、長続きはしないだろう。
{予防医学}は、ちょっと苦手。あんまり理屈で考えたくない。{リセット}もなかなか関心ある。{モチベーション」には、5つのステージがあると提言する。
{無関心期}
{関心期}
{準備期}
{実行機}
{維持期} p51
現在はどの期にあたるだろう。まずは{無関心期}ではない。あとは、考えようによっては、どの期にも当てはまりそうだ。関心、準備、実行、まぁ、どれも当たっていると思う。少なくとも、今年の健康診断は終わったので、実行までは来ている。さて、今後の目標に向かって再スタートできるなら、これはまた準備期と言えなくもない。
しかし、ここから来年の健康診断まで休眠するための{無関心期}に逆戻りということもあるのである。いや、このままだと、絶対そうなる。ここは{維持期}に移行しなければならないのだ。
{実行期}カラダとココロに無理がなく自分が楽しめるやり方を。
短期間での大減量に成功した経験あり!
ダイエットに成功するとすぐにドカ食い。
目標が達成できるとやる気がなくなる。 p54
うわぁ、泣きたくなるほど、オレのことだ。やればできるんだよね。だからいつでもできるや、なんて思ってしまう。そしていつの間にか、しっかりリバウンドしている。これではいけない。
ステージを{実行期}から{維持期}へと移すためには、ストレスにならないやり方、楽しめる方法を見つけることが大切。運動することが趣味になってしまえば、きっと続けられるはず。 p54
うん、確かに。
4つのセメのリセット術で太りにくいカラダを作る。
{入浴}
{睡眠}
{ツボ}
{ヨガ} p98
私の場合は、ヨガ、だろうな。毎日クンダリーニ瞑想するのが、一番いい。一番飽きずに続けていけそうだ。{睡眠}もちょっと問題あるな。
{睡眠}寝ないと太る!肥満と睡眠の関係は?
1、寝具の選び方
2、一晩で300Kcal
3、温度と湿度
4、無呼吸症候群
5、パワーナップ p94
パワーナップとは仮眠のこと。夜は布団でキチンと寝て、昼は時間があけば、仮眠を小まめに取る。なるほど、これは意識的にできそうだ。
まぁ、今日のところはこれでいいだろう。とにかく{維持期}へ移行だ。そのためには無理をしない。瞑想をする。キチンと寝る。当面、まずはこれで行こうじゃないか。
つづく
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<35>からつづく
「さとりサマーディにて」
<36>96歳。何がめでたい 目次
ーーーーーーーーーーー

「九十歳。何がめでたい」
佐藤愛子 (著) 2016/08 小学館 単行本: 223ページ
No.4254★★★☆☆
この本が話題になった二年前。あ、また始まったな、と、私は鼻白む思いだった。ああ、いやじゃ、いやじゃ。なんでこんな台詞が吐けるのかなぁ。長寿者が多くなって、税金を無駄遣いして、そんな超高齢者たちは、さっさと死んじまえ、とでも思っているのかな。いやじゃ、いやじゃ。
いやはや、ごめんなさい。<m(__)m> ごくごく最近まで、そんな気分でおりました。しかし、珍しく我が家の奥さんが、「この本、読む?」とパスしてきた一冊がこの本である。う~ん、と、たじろいだが、まぁ、奥さんとたまには話題を共有するのもイイかな、と思って、まずは預かっておいた。
ちょっとした切れ間に、まずは少しは目を通すことにした。え、なかなか面白いじゃない。ふ~ん、あの女性がこんな文章を書くのかな。90歳、何がめでたい、とは超高齢者たちを揶揄しているのではなく、自分をおちょくっているのだった。あれ・・?
私は、はて、この女性はたしかあの財団の会長かなにかで、結構右寄りの発言の多い人だったよな、とググってみた。あ~、ごめんなさい。<m(__)m> 私は多いに勘違いしていた。あの船舶振興会がパッシングされた時点で、二代目会長に就いたのは、曽野綾子サマでありました。<m(__)m>
どうして、佐藤藍子と曽野綾子が、私の頭の中で混同していたのか確かではないが、少なくとも、元気な高齢の女性、という共通項があって、しかもあまり関心がない人たちなので、その違いさえ(って同一化していたから)調べようともしなかったのだ。
ああ、そんな曽野綾子氏もあの財団が日本財団として名称を変更して会長職についておられたのも1995年から2005年までのことで、すでに十数年前に退職されておられたのであった。(汗)
確かになぁ、あちこちの福祉施設にボート競技のテラ銭をばらまいている財団の現役会長が、「九十歳。何がめでたい」、なんて暴言を吐いたら、そりゃ、切腹ものだろう、(って、女性には切腹はないのかな)。イメージとして、そのイメージを勝手に持ってしまった私が悪いのである。<m(__)m>
2015年当時の女性週間誌に連載した佐藤愛子氏のエッセイが一冊になったもので、表題ばかりが目立ってはいるが、つまりは90歳になった佐藤氏の闊達な世間話である。それはそれ、文字は大きいし、テーマも身近。読んでもすぐに終わりそうな内容で、確かに苦にはならない。
されど、ふと思う。この本を私にすすめた奥さんの真意や、いかに。すぐに連想できるのは、施設にお世話になっているわが母親のことである。思えば、瀬戸内寂聴尼と同年配のわが母親は、この佐藤愛子氏や曽野綾子氏らとともに、数年違いの戦中派の生き残りの一派である。その生命力にかけては、団塊の世代以降のわれら戦争を知らない世代とは、雲泥の差がある。
卒寿をすでに遠く過ぎ、白寿に向かって着々と歩まれているご三方に比較すれば、わが母親は、目も見えず、耳も不自由で、食事どころか、排便も一人でできない老境である。ずっとあの世に近い生きざまを生きている。でもそれで助かっている面もある。
いわゆるボケてはいないのだが、CPUも、メモリーも、HDDも、かなり年代モノになっている。いわゆるインターフェースや、外とのネットが張りにくい状態になっている。ヘタすりゃ、このままスタンドアロンになってしまいそうだ。
そこを何とか、友人の整体師に頼んで、週になんどもスキャンし、デフラグをかけ、時にはパッチを更新してもらっている。私たち家族も、折をみて訪問し、互いの整合性を確かめている。
最近、女優の樹木希林さんが亡くなった。享年75歳。若いといえば、あまりにも若い。彼女にこそ、白寿まで老境をレポートしてほしかったものだ。上記のご三方よりも、はるかに老境というべき世界に突入していたのではないだろうか。
そのことがいいのかどうか、当ブログとしては定かではない。すくなくとも、当ブログの老境のひとつの鏡は、ヘルマン・ヘッセの「ガラス玉遊戯」の世界である。あまり多弁な老境はいらないだろう。誰と比較するわけではないが、さとりサマーディに横たわる、わが母親は、これはこれとして、私は、96歳、めでたい、めでたい、と言っておきたい。
「さとりサマーディにて」<37>につづく
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「表装・額装のすすめ」
現代表装工芸研究会 1983/01 出版社: 創元社 単行本: 106ページ
No.4253★★★★★
1983年発行の本である。しかも著者が現代表装工芸研究会となっている。今回、当ブログが市内の公立図書館から狩集した20冊弱の中でも、もっとも初期の本となる。おそらく当時としてはかなり画期的な教則本であったはずである。
もちろん1000年を超える歴史を超えて伝えられてきた表装の技術である。この数十年で大きく変わるはずもなく、むしろその伝統的な技術の基本はきちんと後世に伝えられるべきであろう。その意味において貴重な一冊である。
されど、当ブログの廃物アートの一環としては、すでに今回のテーマに沿った形の数冊に絞り込んでいるので、そろそろ技術に関する資料の狩集は、この本を最後として終わりにしようと思う。
本業の合間の中、そもそものモチベーションを温めつつ、とにかく実際に、自分なりに作品に取り組むべきタイミングとなってきた。この辺で、すこしチャンネルを切り替える時期に来ている。
この本はいずれ再読させていただく機会もあるだろう。
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「おしゃれに彩る和紙表装のすすめ」
鎌田 敏輝 (著) 2000/07 日貿出版社 単行本: 119ページ
No.4252★★★★★
表装・表具関連の書籍は、結局はそれほど多くない。当ブログとしては、これまで20冊弱の書籍を手に取ってきたわけだが、類似の書籍もだいぶあったし、現在の自分の嗜好性にあった数冊を選び取れば、それでまずは第一段階は終わりだ。
もう書籍の狩集はこれでまずまずOKかな、もういいだろう、ということであと一冊・二冊で終わりなのだが、最後の最後にこのような本が出て来るから、まずは最初は広く大きく目をあけて、周囲を見渡し見なければならない。
この本もなかなか魅惑的で素敵な一冊である。今後この本にお世話になることもあるだろう。デザイン集もなかなか心打たれる。されど、残念というべきか、こちら側の事情によるが、この本は和紙に特化しているところが、事情に合わない。
こちらの廃物アートは、とにかく今手元にある残り物のリサイクルが目下の目的である。和紙はそれほどない。あるのは、20年前に自宅を改装した時に業者さんからもらった、壁紙のサンプル集である。これがこれまでなかなか捨てられないできた。
和紙と壁紙では、もちろん風合いがまるで違う。素朴さや、手触り、比較できるものではない。されど、面積で比較すれば、壁紙のサンプルとて、通常の和紙の価値に大きくひけをとるものではない。
今回は、まず壁紙で行く。したがって、この本はとても参考にはなるが、最後の数冊というジャンルからは、残念ながらはずれてしまった。いずれお世話になりそうな一冊ではあるが・・・。
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2018/09/25
<39>からつづく
今日の気分はこの三冊<40>
今日の気分はこの3冊 目次

「my made表装」
赤岩 保元 (著) 2002/09 文化出版局
★★★★★
「表装を楽しむ」 掛軸、屏風をつくる
麻殖生 素子 (著) 2002/12 日本放送出版協会
★★★★★
「かんたん表装入門」
垂水 李 (著) 2006/06 出版社: 可成屋 (アートブックス)
★★★★★
これまで表具・表装のキーワードで目を通してきたのはおおよそ16冊。その中から選び出したのがこの3冊。確率おおよそ18%。5冊に1冊の割合である。この三冊に共通するのは、決して伝統的ではないアート。敢えていうならモダンアートだ。
しかし、そもそも、本紙より目立ってはいけない表装、本紙を際立たせる表装、その表装を施される本紙とは、私にとって、一体何か? ここが不明である。---ーーここまで選んだ三冊は三人の作家による本だが、敢えて複数の著書がある作家は一冊に絞ったが、実際は、別な一冊に絞られている。
「表装生活」 ―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう
麻殖生 素子 (監修) 2010/07 淡交社
★★★★★
<思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう> 実にいいコピーだ。私は思い出の書や写真を、自分で掛け軸にしてみたいのだ。
そうだ。私にとって、思い出の書や写真、とは何か。そして、それを、自分の力で掛け軸にできるのか。ここんところにテーマを絞っていかないと、今回の表装・表具のテーマは進まない。
<41>につづく
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<8>よりつづく
「いつまでもデブと思うなよ」 <9>
岡田斗司夫 2007/08 新潮社 新書 223p
★★★★☆

「Tarzan(ターザン) 」[実践的6提言 二度と太らない! ] <1>
2018年9月27日号 No.749 2018/09 マガジンハウス 雑誌
No.4251★★★★★
岡田斗司夫本に添えて書いてきた我が記録を再読すると、なんだか涙ぐましくなる。もうあれこれ繰り返すまい。
このタイミングで記録機能つきの体脂肪計体重計が壊れた。前回は修理が効いたが、今回は、新品を買うより高い修理代になりそう。これはやめた。
今年の秋の健康診断のため、三週間、ぎっちりダイエットをしてきた。結果はまずまず。正確な結果はあと数週間かかるが、それなりに結果があった。
久しぶりに、プールにも通うようになったし、トレーニング・ルームも登録した。モチベーションも、環境もまずまずそろってきた。
このまま、もうすこし持続しようよ。
先日、ちょっとした時間にまた書店に行った。この短い時間、立ち読みなどしているヒマもない。でも何か一冊掴んで店を出ないと納得できないようなフィーリング。え~何を買おう、と、一冊掴んでいたのが、この「ターザン」。
「いつまでもデブと思うなよ」と、「二度と太らない!」は、ほとんど同じ意味だよね。これまで十年使ってきたこのイメージブックを、今後はこの新しい雑誌に変えようと思う。
実はまだこの本読んでいない。おそらく、読んでも内容はそれほど変わっていないんだよ。ダイエットについては、だいぶお勉強いたしました。ただ、それをやるかやらないか、の問題だ。
初心貫徹、継続は力なり、を実証できるか・・・? さぁ、また始まるぞ。
「ターザン」<2>へつづく
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「my made表装」
赤岩 保元 (著) 2002/09 文化出版局 単行本: 87ページ
No.4250★★★★★
この本はいいですねぇ。ひょっとすると、表具・表装ジャンル、最後の三冊に残る一冊とおなる可能性大。決して伝統的でもなければ正当的でもない。むしろモダンアートの世界でもないが、和と洋、うまく組み合わせている感じがする。
かならずしも床の間に飾る掛軸を最終コーナーとせずに、もっと自由に、もの言う表装の世界を提示している。目立たず、されど引き立てるという脇役であるはずの表装の世界が、ちょっとしゃしゃり出すぎているかな、という感じもする。
はてさて、最後までこの一冊が残るかどうかは、今後の展開によるが、この本が与えてくれるインパクトは相当に強い。一冊の本としては面白い。だが、この世界観が果たして、どのくらい生き延びるのか。生命力が強い作品群となりうるのかどうか、そこんとこが気になる。
それもこれも、結局は、その創作の根源である「本位」がどこにあるか、が問題であろう。いったい、私は、表装の世界で、何をしたいのかな・・・・? そこんとこだよな、問題は。
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2018/09/24

「表具のしおり」 表装の歴史と技法
山本 元 (著) 1993/10 出版社: 芸艸堂 単行本: 293ページ
No.4249★★☆☆☆
このタイトルを見つけた時は、ちょっと期待した。表装の歴史と技法。このサブタイトルが、なにごとか教えてくれそうな気がした。やってきた本は、ハードカバーの大型本、しかも全ページカラーである。ネットでもこの古書は、かなりの高額で取引されている。
されど、その本格的さが、最初から超ビギナーの読書意欲をそそぐ。変なものである、というか、当然であろう、というべきか。この書はしばらくは開けない。この本を読み解くには、あまりに心構えが低すぎるし、予備知識がなさすぎる。
出直します。
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「表装の技法」普及版
湯山 美治 (著) 1999/10(初版1982/09) 日貿出版社 単行本 241ページ
No.4248★★★☆☆
この本は普及版となっている。初版は1982/09。この表装や表具の世界についての本は、実にロングライフの本が多い。本格的な本が長く大切に愛されている、という風情である。
されど超ビギナーでしかない当ブログのような読み手にとっては、敷居が高すぎて、なかなか入り込めない拒絶感を感じてしまうのも事実である。
じっくり読み込むなら、これほど本格的な本は、その道の人々にとっては、意味ある教則本となることだろう。されど、我が道においては、まだまだ接点が遠い一冊である。
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2018/09/23

「わたしを離さないで」
カズオ・イシグロ(原作・2005)マーク・ロマネク (監督) キャリー・マリガン (出演), アンドリュー・ガーフィールド (出演), 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 発売日 2012/06/02 形式: DVD 時間: 104 分
No.4247★★★★☆
当ブログとしては突拍子もないタイミングの映画である。ノーベル文学賞カズオ・イシグロ原作小説の映画化。小説ファンの奥さんのリクエストにより、テレビ番組を録画して再生して観た。
なんと言っても、主演の女優キャリー・マリガンがなんともキュートでかわいい。見ているだけでドキドキする。恋してしまう。
ストーリーそのものは、SF仕立てというべきか、突拍子もない仮想の世界なわけだが、じゃぁ、現実から限りなく剥離した世界か、というと、そうでもない。
世界に対するある見立てを表現するとしたら、このような手法もあるだろう、と思える。結局は、生きるとは何か、人生とは何か、愛とは、人間とは、というテーマを問いかけてくる。
おそらく、個人的には答えはでている。答えがでていると思っていないと、生きてはいけない。そんなこと分かり切っている・・・・、?
簡単な問いかけだが、時間が経過するとともに、深い根っこのところを抑えられていることに気づく。もう少し立ったら、きっとより明確なテーマとしてたちあがってくることだろう。それまで、待つとする。
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<2>からつづく

「表装生活」 ―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう <3>
麻殖生 素子 (監修) 2010/07 単行本: 92ページ
★★★★★
そもそも私は何を作りたいのか。手元にある材料はそれほど多くない。

これらを、それらしく並べてみると、まぁまぁそれらしいのかなぁ・・・。

手元に偶然あった掛軸も、いろいろ調べてみれば、決して本格的なものでもなければ、大きな価値があるものでもない。むしろフェイク掛軸、なんちゃって掛軸の一種である。

我が家の床の間も、実はたいしたものではない。

はてさて、ここからだ。そういえば、これまでの私の人生の中で、それこそ掛軸らしきものを作ったことが一回だけあったことを思い出した。

これは1978年プーナに滞在中、一人暮らしをしていた部屋で、ヒマつぶしに手作りで作った、なんちゃって掛軸である。写真はもっと鮮明に残っていて欲しいが、これはとにかく当時のフィルムのべた焼きだ。そもそも照明もピンとも甘いので、細部はまったくわからない。
それでも、当時の自分の情熱はわかる。あれから40年。ちかぢか、もっと鮮明にこの写真の再生を試みてみよう。まず、私はこの延長で、今回の表装ワークを初めてみようと思う。
<4>につづく
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<1>からつづく

「表装生活」 ―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう <2>
麻殖生 素子 (監修) 2010/07 単行本: 92ページ
★★★★★
このシリーズ、一番最初に取り上げたのはこの本であった。結局、この一冊がイメージリーダーとなって、その著者である麻殖生素子氏は現在マイヒーローである。今後もこのシリーズの関連本をめくってみようかなと思うが、だいぶ部数も増えてきたので、まずは、関連リストを作っておく。
「表具・表装」関連リスト
「掛軸の作り方」 薮田夏秋 1982/02 綜芸舎
「表装・額装のすすめ」 現代表装工芸研究会 1983/01 創元社
「掛軸・額・屏風のつくり方」 井上重四郎 1985/03 金園社
「表具屋渡世泣き笑い」 小池丑蔵 1985/04 三樹書房
「表具のしおり」 表装の歴史と技法 山本元 1993/10 芸艸堂
「掛軸をつくる」詳説 書画の装い 薮田 夏秋 1998/05 日貿出版社
「表具図面集」 清水研石 1999/06 雄山閣出版
「表装の技法」普及版 湯山美治 1999/10(初版1982/09) 日貿出版社
「イラスト 表装・表具入門」増補版 2000/03 表装表具研究会編
「おしゃれに彩る和紙表装のすすめ」 鎌田敏輝 2000/07 日貿出版社
「女表具師 技術泥棒攻防記」 尾形璋子 2002/01 朱鳥社
「my made表装」 赤岩保元 2002/09 文化出版局
「表装を楽しむ」 掛軸、屏風をつくる 麻殖生素子 2002/12 日本放送出版協会
「誰れでもできる裏打のすすめ」 増補版 薮田夏秋 2004/02 日貿出版社
「私にもできる表具の作り方入門」裏打・額装・パネル張り・掛け軸 新装版 荒川 達他 2006/03 オルク
「かんたん表装入門」 垂水李 2006/06 出版社: 可成屋
「NHK 美の壺 表具」 NHK「美の壺」制作班 (編集) 2007/01 NHK出版
「あなただけの巻物・折り本づくり」新装版 藪田夏秋 2007/11 日貿出版社
「簡単にできるおしゃれ表装入門」 新装版 えかた けい 2008/02 日貿出版社
「誰でもできる裏打・掛軸教室」新装版 小池丑蔵 2008/02 日貿出版社
「表装生活」―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう 麻殖生 素子 2010/07 淡交社
「はがき掛け軸」作製実演 表装専門店耕美堂 2013/11/28
<3>につづく
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<1>からつづく

「NHK 美の壺 表具」 <2>
NHK「美の壺」制作班 (編集) 2007/01 NHK出版 単行本(ソフトカバー): 70ページ
★★★★★
今回の表具・表装関連の読書の中の、最後の三冊には残らないだろうが、この本もまた重要な位置にある一冊である。いつもテレビで見ている番組「美の壺」シリーズの一冊であり、その視点の確かさ、親和性、信頼性などから、なるほど、の一冊である。
納得すべき点は様々あるが、そもそもはチベット仏教のタンカにもルーツがあるとするところは、そうなのか、と新しい視点を与えられた気分になる。したがって、日本に仏教が伝わってくる頃に、付随した文化として、表具・表装が渡来したのだ。
そしてそもそもは仏画や高僧の墨蹟を鑑賞し保存する技法であったのだが、日本独自に発展していく茶道などとともに、もう少し幅を広げて、芸術性を深めていった。
ここまで見て来て、まだはっきりとした用語の違いを発見していないのだが、敢えてここで仮定しておけば、作品を鑑賞や保存のために処理する技術のことを表装といい、その技術を施された作品一つ一つを表具という傾向があるようだ。
当ブログに廃物アートの一環としての技法は、そもそもが手元の廃物を材料としているのであり、作品そのものも、身近な家族や友人、廉価なありふれたものを目的としているのだから、そのものを宝のように拝するのでないかぎり、表具とまで尊敬していうほどでもないだろう。
されど、その美の深さを学ぶために学ぶのが表装だとするなら、必ずしも伝統的ではなくても、これまでの人々がどのようにその技法を発展させてきたのかに注視するためにも、表装という言葉に留意していく必要を感じる。
この本においても、現代日本人の暮らしの中から床の間が消えているとの嘆きが聞こえてくるが、本格的なものではないにせよ、わが家には小さな床の間と和室が付随している。せめてこのコーナーを生かす意味でも、表装という技法にもうすこし親しみたいと思う。
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「イラスト 表装・表具入門」 増補版
表装表具研究会編 清水 研石 (編集) 2000/03 単行本: 207ページ
No.4246★★★☆☆
この本も増補版である。しかも表装表具研究会編、とある。イラストと書いてはあるが、かならずしもカラフルな本や鮮やかな本ではなく、技法についての図解が多い、という意味である。
つくづく思うのだが、いざ、この道に進もうとすれば、おそらくたくさんの迷いが生じてくるのである。ひとつひとつの技法の習得は難しく、しかもひとつひとつの材料や作品によって、おのずと鍛錬が必要となってくるのだろう。
このような本にも大きく表装と銘打たれている限り、表装という言葉は必ずしも、現代的なモノばかりを指すワケでもなさそうだ。もうすこし歴史を調べてみる必要を感じる。
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「誰れでもできる裏打のすすめ」 増補版
薮田 夏秋 (著) 2004/02 日貿出版社 単行本: 95ページ
No.4245★★★☆☆
裏打は大事な技法、避けては通れない。だが、なかなかここに絞って学習しよう、という段階ではない。その時になったら、この方の著書が役に立つだろう。薮田夏秋の名のついた本は、当ブログにおいてもすでに3冊か4冊目。しかもこの本も増補版である。この界での実力者という雰囲気だ。
されど、この本においても、堅実な実技編というイメージで、イラストや画像はたくさんついているが、すべてモノクロページである。禅画や禅語の表装につながる技法も多いが、今は、もう少し広いイメージが欲しい。
伝統的なしっかりした技法も大事だが、まだまだ私には、もっと自由で気ままなモダンアート的な雰囲気が欲しい。それに廃物アートなので、今手元にある廃材たちをどう生かすのか、のアイディア探してをしている段階でもある。
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「かんたん表装入門」
垂水 李 (著) 2006/06 出版社: 可成屋 (アートブックス) 単行本 95ページ
No.4244★★★★★
垂水 李と書いて、たるみ もも、と読む。当然、作家ネームだ。本名は別にある女性である。麻殖生素子氏も女性であったが、「表装」となると、女性作家の手になることが多いのかもしれない。 えかた けい 氏も女性であった。
たまたま私が現在選んでいる「表装」の4冊は女性作家の手になるものである。私の生活に、この女性的感性が不足しているからこのような結果になったのか。あるいはそもそも表装とは女性の道なのか、いえいえそうではないだろう。
ふと考える。では、これらの女性的センスあふれる表装の世界に、例えば、達磨図とか、龍虎の絵だとか、禅語の墨蹟などを組み合わせることができるか。私はそれもやりたいのだ。身近でありつつ、モダンで、ZEN的で、すがすがしさの中にも、重みのあるモノトーンの世界もうまくマッチしてほしいのである。
その点、この本は延長していくと、そのラインに近づいてきてくれるイメージがある。
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「簡単にできるおしゃれ表装入門」 新装版
えかた けい (著) 2008/02 日貿出版社 単行本: 151ページ
No.4243★★★★★
なかなかそそられるデザインが多く収容されている一冊だが、おなじ「表装」を描く麻殖生素子著書に比較すれば、やや地味で、シンプルに過ぎる面がある。写真などを収容する形状に工夫があり、なるほど、と思わせる部分も多いが、いまいち線が細い面もある。
それにしても、今回気づいたことだが、このカテゴリの本には「新装版」が多い。確率的には40%くらいあるのではないか? つまり、超人気本が、長期にわたって愛読されている、というイメージがある。長期にわたってうれている本なのだ。
そしてまた思うに、この手の本は初版の発行部数が少ないのかもしれない。だから人気本は、版を重ねて新装版になってしまうのかなぁ。また、作家の数も少なく、愛好者の数も決して多数派ではないのかもしれない。
まだ細かくは見ていないが、道具や基本の形はそれほど違ってはおらず、おそらく、各本、それぞれに内容的にはダブっているのではないか。だけど、大きく違っているのは、センスの問題だ。とにかく、技法とか基本というよりは、感性の問題だ。
それぞれ人の感性は大きく違う。違って当たり前なのだが、その違いをそれこそ表に装いとして出すことが「表装」なのだろう。基本的な伝統美の中に、限りなくひとりひとりの感性の違いが浮き出てきて、なるほど、と思わせられる。
この本もなかなか素敵な本である。最後の三冊の一冊に残るかもしれない。
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<1>からつづく
「表装を楽しむ」 掛軸、屏風をつくる <2>
麻殖生 素子 (著) 2002/12 日本放送出版協会 大型本 95ページ
★★★★★
今回のこのテーマ、なかなかズバリはないのか・・?とやや不満に思っていたが、ひょっとすると、今回のマイヒーローは、この方かもしれない。麻殖生素子と書いて、まいおもとこ、と読む。音感的にはわりとシンプル。
検索してみると、この方についての情報はあることはあるが、割と少ない。この動画もなんとも素敵。特に3・11直後と思われるこの感想がなんともいい。掛軸とか和装というより、もう全くのモダンアートと言っていいのかもしれない。
思えば、「表装生活」 思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう (2010/07 淡交社)もこの方の本だった。というか、主だった著書はこの二冊に限られているようだ。もっと出版されているなら、追っかけをしたいな、と思ったが、むしろ、本の冊数ではなく、そのセンスを追っかける、というほうに力を入れていきたい。
思えば、今回、表具や掛軸というキーワードで本を探してきたが、本当は「表装」という言葉がキモなのかもしれない。装丁とか、表具とかはいままで聞いてきた言葉であったが、表装は今回初めて気づいた言葉だ。昔からあった言葉使いなのか。それとも、最近できた言葉なのか。ひょっとすると誰かがリードしている世界なのか。例えば「断捨離」のように。
とにかくこの人の芸術は、霞んでいない。鮮やかである。品のないワビサビではなく、豪華であるが、シンプルさを忍ばせている、不思議な取り合わせである。その感覚がうまく伝統美にもシンクロしているので、和でも、洋でも、おそらく中でも、インテリアとしてはぴったりである。
いえいえどこかで見た気がするが、この方のアートはインテリアに留まらず、エクステリアにも延長しているようだ。このセンスの源はどこにあるのか。興味津々、というところ。この本もまた、最後の三冊の一冊に残るのは間違いなさそうだ。
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2018/09/22

「誰でもできる裏打・掛軸教室」新装版
小池丑蔵 2008/02 日貿出版社 単行本 ページ数: 135p
No.4242★★☆☆☆
アトランダムに関係のありそうなタイトルの本を10冊ほど集めてきたが、どうもまだズバリ、という本には出合っていない。ただはっきりしてきたことは、これはどうかなと思っている本が現在4冊あり、その4冊とも、タイトルは「表装」というタイトルを持っている。
自分では、表具とか掛軸という言葉がキーワードかな、と思ってきたが、どうも掛軸ではあまりに的を絞りすぎているようだ。また表具というと、やや実用に偏り過ぎているようだ。障子とか襖(ふすま)などと関係しているのだろう。
表装か・・・・・。これまでのあてずっぽうな図書探しも、もうすこしづつターゲットを絞り、方向性も変えてみよう。
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「掛軸の作り方」
薮田 夏秋 (著) 1982/02 出版社: 綜芸舎 単行本: 86ページ
No.4241★★★☆☆
立派な本だが、ちょっと古いかな。この方には、他に類書がいくつかあって、ひとつひとつ連関させながら学ぶのがいいかもしれない。
掛軸は掛軸なんだが、当ブログが狙っているのは、もうちょっと遊びがあって、乱調さも必要なんだよなぁ。拡張高く、伝統的で、破綻がないのは、それはそれで素敵なのだが、ぶっちゃけ、「なんちゃって掛軸」で十分なのだ。
あんまり真面目過ぎると、ちょっと肩苦しくなる。ゆとりとか、あそびとか、自由とか、いい加減さとか、そんなものも感じられるといいんだが・・・・・。無理かなぁ・・・。
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「あなただけの巻物・折り本づくり」新装版
藪田 夏秋 (著) 2007/11 日貿出版社 大型本: 102ページ
No.4240★★★★☆
この本も素敵だ。決して伝統一本ではなく、カラーページもあり、創作意欲を刺激される。されど残念なところは、この本はあくまでも「巻物・折り本」に特化されていて、現在の当ブログの指向性とは、ちょっとずれていること。
この薮田夏秋さんには「掛軸をつくる」詳説 書画の装い (1998/05 日貿出版社)があるので、掛け軸に特化して参考したければ、そちらを見ることが大事。
いずれこちらのテーマまで興味を持続できるかどうか、われながら、今後関心のあるところ。
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「私にもできる表具の作り方入門」裏打・額装・パネル張り・掛け軸
ひょう(衣偏に表)導会 (編集) 荒川 達 (監修), 2006/03 出版社: オルク; 新装版 単行本: 157ページ
No.4239★★☆☆☆
この本、10年ほど前にでた本の増補版として新装されている。かなりの人気本らしく、古書市場ではかなりの値段がでている。本格的な道を目指している人々にとっては貴重な資料となっているのだろう。
されど、この道ドシロートの当ブログなどにとっては、画像はあれど、すべて白黒ページがつづくこの本では、なかなかイメージが湧いてこない。「私にもできる」とか「入門」とか、タイトルに騙されてはいけないw この本を本当に活用できるようになったら、本物だ。
いまはこういう本もあるんだなぁ、と確認するにとどめておこう。
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「雲霧仁左衛門」 1-1
池波正太郎原作 NHKTV
No.4238★★★★★
ふと見てしまったテレビ番組。う~~ん、これはハマりそう。以前、藤沢周平にハマってしまたが、今回は池波正太郎か!?
フィクションはフィクションだが、時代劇は、そもそも作り物だ、ということが分かり切っているので、こちらの脇が甘いのか。そもそも時代劇の時代考証なんかできるわけがない。ああ、そんなものかなぁ、と見てしまう。
それにバックにでてくる額縁や刀、時代背景、役どころなどに、ついつい見入ってしまう。つまり、よく分かっていないのだ。これがきっかけで、いろいろ突っ込んでみたくなるだろう。
動画をネットで見るというのは、おそらく著作権の問題があり、ここに張り付けるだけでも、アンフェアな問題があるかもしれない。なくても、いつまでここから見れるものかわからない。なにはともあれ、おそらくこのシリーズだけでも20作くらいはあるだろうから、もう少しおっかけてみよう。
つづく
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2018/09/20

「表装を楽しむ」 掛軸、屏風をつくる <1>
麻殖生 素子 (著) 2002/12 日本放送出版協会 大型本 95ページ
No.4237★★★★★
うん、この本は美しい。大型本で、ハードカバー。アート紙に全ページカラーである。そもそも表装は小難しく、きっちりした性格の人に向くアートのようだ。そのうえ、伝統やら、法則やら持ち込まれると、こちらはタジタジとなってしまう。
その点、この本は、適当に伝統を無視して、現代的にアレンジしている面があるし、ちょっと無手勝流も許してくれそうな雰囲気がある。今はとにかく、なんかやれそうかなぁ、という雰囲気を後押ししてくれたらいいのである。
そもそも、材料は手元にある残り物=廃物で、材料や道具、そして作品に吟味しているわけではない。とにかく手元にあるものを利用する、廃物アート、リサイクルアートだ。あんまり無残にみっともないものでなければ、それでいい。
やってみようかなぁ、やれそうだなぁ、という気分を助長してくれたらいいのである。そんな姿勢なら、この本はうってつけだ。ひとつひとつは、やはりキチンとした本格的な本ではあるが、とにかく敷居が低そうに見せていることには成功している。
こちらも、あまり熱が冷めないうちに、なんとか、小さなものでも、シンプルなものでもいいから、何かひとつ「作品」をひととおり仕上げてみたい。
<2>につづく
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2018/09/19

「掛軸・額・屏風のつくり方」 写真・図解
井上 重四郎 (著) 1985/03 出版社: 金園社 単行本: 234ページ
No.4236★★★☆☆
すでに30年前以上の本である。図書館のリストになかったら、古書店ででも見つけなければならないような古書に属する一冊。こちらも、懇切丁寧に画像がついており、モノクロとは言え、実に役に立つ一冊と言える。
屏風はともかくとして、掛け軸とともに、額にも興味があって、ひそかにその材料も集めてきたんだよね。実際どう作ればいいのか。足がかりのないまま、今日まできてしまったが、繰り返し確認しておくけれども、決して格調高いものを作りたいと思っているわけではない。
少なくとも、身近にあるものが、ゴミとなってしまわないように、再活用するにはどうしたらいいのか、その点に80%のウエイトがある。だが、あまりにも粗末で滑稽であってはならない。基本は基本として学ぶ必要がある。そのうえでの活用を考える。
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「掛軸をつくる」詳説 書画の装い
薮田 夏秋 1998/05 日貿出版社 単行本: 169ページ
No.4235★★★☆☆
すでに20年前の本である。全体がモノクロ画像で埋められているので、やや今日的編集ではない。地味な一冊ではあるが、本当に掛け軸を作りたい、という人なら、この本は大変役に立つはずである。
当ブログにおいて、この本が活用される時期はずっとあとになるだろうが、この本が必要になるほど、当ブログにおける関心がそれず、モチベーションが下がらずに続いてほしいものだ。
当ブログにおいては、とにかく、あまり高踏な世界をめざさず、お気軽に楽しめる、廃物アートで突っ走っていこうと思う。
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「NHK 美の壺 表具」 <1>
NHK「美の壺」制作班 (編集) 2007/01 NHK出版 単行本(ソフトカバー): 70ページ
No.4234★★★★★
テレビ番組「美の壺」は、ヒマな時に録画していた分を見る事がある。特に期待している内容があるわけではないが、草刈正雄のキャラクターが、なんとも愉快で軽快な雰囲気を醸し出していて、好きな番組である。
この番組ですでに10年前にこの「表具」の特集をしていたのだろう。その時から草刈正雄が出演していたのかどうかは知らないが、いつもよりは、ぐっと本格的で、やや重苦しいほどである。
この小冊子で、掛け軸の作り方まで飛翔するのはちょっと無理だが、また、私としてはここまで本格的である必要はない。そもそも身近にある材料で、身近な作品を飾る程度のものを作れればそれでいいのだ。
そう思いつつ、物事にはこういう深みがあるのだ、ということを手身近に、しかもカラーページを交えてレクチャーを受けるのは楽しい。
<2>につづく
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2018/09/18
「はがき掛け軸」作製実演」
表装専門店耕美堂 2013/11/28 に公開
No.4232★★★★★
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<10>からつづく
「捨てるに捨てられないもの」<11>壁紙
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「表装生活」 ―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう
麻殖生 素子 (監修) 2010/07 単行本: 92ページ
No.4231★★★★★
我が家には本格的な巻物が少ない。少ないのは別に巻物だけではなく、焼き物、仏像、絵画、彫刻、宝石、それらあらゆるものについて本格的ではない。いいな、とは思うが、別に「本格的」なものでなくてはならない、と思っていないからでもある。
でもこだわりとしては、欲しいものは自分で作ってみたいな、という創造力が刺激されるのである。なんか作れないかな、作りたいな。材料は基本的に手元にあるもの。別段大事にしているものではないが、ゴミにはしたくない、そうそう、いわゆる「廃物」である。
これで「アート」をするので、自分では「廃物アート」と名づけてはいるが、本心は「ZEN Art」のつもりでいそしんでいるのである。だから、最近は、自分で掛け軸を作れないものかなぁ、という思いが逡巡する。

例えば、もうとっくに成長して独立していった我が子たちが、小中学生の時に我が家に残していった書道。二つとも、学校関係のなにかの賞をもらったので、ずっと残ってきたのだが、これらをなんとか表装できないものか、とずっと思ってきた。
その仕組みや作り方など、まったくわからないので、誰かどこかの表具屋さんに頼もうかなと思ってきたが、どうもそれほど大金をかけるほどものものではない。だが、たまには、この子供たちからのプレゼントをしみじみと眺めてみたいな、と思うこともあるのである。

最近、ふと気づいた。そういえば、わが家を改装した時、壁紙のサンプルとして何枚かの壁紙をもらっていたのである。サンプルや修繕用なので、大した量はないが、ただ、なかなか丈夫なので、何かに使えないかな、とずっと保存してきたのだ。いわゆる「捨てるに捨てられないモノ」である。
大震災にはあったり、経年劣化はしているものの、別段にこれらを切り張りして修繕することもなく、ただただ場所だけをとってきた壁紙たちである。ひょっとすると、この機会に有効利用できるかもしれない。うん、これはグッドアイディアである。

しかしまぁ、はたさて、どこまでできるものか。表装や巻物、掛け軸などの知識はまったくない。あんまりいじって、損じてしまうばかりでは、最初からいじらないほうがいいのだが、やはり一度はやってみないことには納得しない性分ゆえ、まぁ、とにかく始めてみるか。
本当は、禅語とか、達磨図とか、龍虎の画像とか、いろいろ作ってみたいものはたくさんあるんだよね。これだけの「廃材」があれば、結構いけるかもよ。楽しんでみよう。
「表装生活」<2>につづく
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2018/09/15

「YouTube革命」 メディアを変える挑戦者たち
ロバート キンセル (著), 2018/03 文藝春秋 単行本: 349ページ
No.4230★★★★★
当ブログが始まったころ、動画も流行しだして、もちろんYoutubeも話題になった。興味を持った私は、夏休み一つを費やして、「Youtubeで視る聴くビートルズ全15枚」 2008/.07/.21 なる企画に夢中になったことがある。ビートルズのアルバムに収録されている曲すべてをYoutubeの動画で探し、キチンとしたアルバムを作る、という作業である。
Googleでも曲ひとつひとつについての記事をさがし、ライナーノーツとした。これがなんと全曲が検索できたのだからすごい。あらためてインターネットとYoutubeのすごさを感じた時だった。
今や、ネットにおいて動画なければ、まったくつまらない片肺飛行のよれよれのインターネットにしかならないであろう。子供たちは、プラレールの動画をSiriにお願いして呼び出し、小学生はゲームを検索し、大人はレシピや映画を検索する。
私は私で、ネットライフ上において、OSHOを検索するばかりか、映画やニュース、歌謡曲や、懐メロ、GS時代の迷曲に涙したりしている。動画万歳である。もちろん、著作権にも触れる投稿もあるらしく、張ったはいいが、すぐに削除されてしまうものも多い。あのビートルズの動画も、実はこの10年の間にほとんどが削除されてしまい残っているのはごくわずかである。
今回、検索していて、The Beatles - When I’m Sixty-Four (Official Lyrics) なる名曲を思い出した。「僕が64才になったら」というタイトルだが、あらま、いま私はちょうど64才だった。このアルバム、実は10代の時に、初恋の人にプレゼントした一枚だった(今でも奥さんには秘密)。僕が64才になった時、君は僕のそばにいてくれるかな、って、もうとっくに僕の元を去ってるじゃない(涙)そして爆笑。
https://www.youtube.com/watch?v=8AglUMCKyns

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「Google流 疲れない働き方」
ピョートル・フェリークス・グジバチ (著) 2018/03 SBクリエイティブ 単行本: 240ページ
No.4230★★★★☆
タイトルからすぐに察することができるように、内容的にはスカスカの一冊である。決してGoogleを代表しているわけでもなく、象徴しているわけでもない。ただ、一時期Googleに属したことがあるという若者が、いわゆるマインドフルネスなどの言葉を絡ませながら、一冊ものしている、という一冊である。
この軽さがいいから、また私も手に取ってパラパラしてみようかな、と思うわけで、その軽さを許容できるなら、ヒマつぶしにはいい一冊かもしれない。
それほど忙しい職場に属したことはないが、曲がりなりにも業界リーディング・カンパニーに属してはや30年。別段大きな仕事を成し遂げたわけでもないし、疲れ切ったこともなかったなぁ。その秘訣は、やっぱり私には私流の瞑想法があったから、と言えるだろう。
マインドフルネス=ZEN=禅、というごくごくシンプルなショートカットを許されるなら、ほとんどこの本から改めて学ぶことなどないだろう。マーケットプレイスではこのような本が若干消費されている、という事実を把握できれそれで充分だ。
私のマインドフルネス=ZEN=禅は、言わずと知れたOSHOである。出会ってからすでに43年。私はこれで十分である。十分学んだかと言えば、あまり大きなことは言えないが、少なくともOSHO潮流がなかったら、私の人生はまったく違ったものになっただろう。よくもわるくも。
今となっては、それがなかったら、なんて考えることはできないが、私は私なりに、その与えられた環境で、一生懸命探求してきたと言える。OSHOは私の人生にはなくてはならないものだった。OSHOとの出会いがあればこその人生だった。そのことに関心がある人があれば、私は大いに分かち合いたいと思う。関心のある人は来たれ! 一緒に有意義な人生を送ろう。
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「ごまかさない仏教」 仏・法・僧から問い直す
佐々木 閑 (著), 宮崎 哲弥 (著) 2017/11 新潮社 単行本(ソフトカバー): 301ページ
No.4229★★☆☆☆
最近、「なぜ今、仏教なのか」 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学(ロバート ライト他 2018/07 早川書房)を読んだ時も、強く感じたのだが、いまさら(!)「仏教」をどう持ち上げようと、ちっとも、読み手としてのこちらのハートが高揚してこないのを感じる。
なぜなのだろう、と、自分の心を見つめてみる。ひとつはっきり言えるのは、前後して、OSHOの「道元」や「般若心経」、「ボーディダルマ」を読んでいることが影響しているだろう、ということだ。
個人的に私は仏教は嫌いじゃない。いわゆるそういう話題はちょっとは耳を傾けていたい、と思うほうだ。だからこそ、新刊本コーナーリストからこの本を取り寄せて読んだりしているのだ。関連本に、何か楽しいことが書いてないかな、と好奇心がうずく。だが・・・・。
別な面から考えれば、私はOSHOサニヤシンなのである。OSHOの学生であり、弟子であり、そしてまた帰依者でもあると、考える。OSHOの言説を無批判的に受け入れているわけではないが、圧倒的にともに過ごしてきた時間が長いので、彼の言説は圧倒的に説得力がある。
さらに言えば、彼は仏教徒でもなければ、仏教には直接なんの関係も持っていない。仏陀やZENを語ったりはするが、仏「教」や、禅「宗」については、限りなく距離を置いている。彼の言説にはまったく不要な文脈なのである。
イズムや組織、いたずらな伝統には、無関係なのである。この本で語られている仏教は、そもそも誰かがキチンと把握していたものが、いま語られているのではなく、みんな「想像」で語っているものだ。自らの「確信」として語られていない。
ああでもない、こうでもない、というのは、学者や評論家タレントがいかにあちこちの知識を散らばめてみようと、無責任な床屋談義に過ぎない。自らが、その「宗教性」を生きている、という表明にはなっていない。たんなる第三者に対する批判や評論に過ぎない。
それでは、君はどうするのかね、という指摘は、そのまま、指摘しているこちらの存在そのものの見直しにかかわってくる。それに対する、私の方法は、ひたすら自ら瞑想してみるだけである。
確かにこのような本は、入門書や、なにかのきっかけにはなるかもしれない。だが、本当か? もっともっと、適格な一冊があるのではないか。この程度で止まってしまうような「浅い」探求なら、それはそれまでのことであろう。
1956年生まれの仏教学者と、1962年生まれのタレント評論家が、コピペや編集を重ねて、一冊ものしているわけであるが、この本で、人生が変わってしまう、という探求者は、どれほどいるものだろう。
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<2>よりつづく
「禅寺に捧げるこの一冊」<3>
-----------------------------
<6>よりつづく
「ボーディダルマ」 <7>BODHIDHARMA The Greatest Zen Master
OSHO(著), スワミ・アナンド ソパン (翻訳) 1994/07 めるくまーる 単行本 700p
★★★★★
「道元」、「般若心経」につづく三冊目はこれだ。達磨は禅宗の開祖とも目されているが、実は、そのルーツの奥には摩訶迦葉がいるし、ゴータマ・仏陀がいる。されど、そのZENの系譜の中で、達磨は大いに人気を博している存在である。なにせその人相がただものではない。
道元系のお寺においては、かならずしも達磨さんは大きく登場はしてこない。道元系はやはり道元で決まりなのだ。臨在系のほうが達磨さんが登場する機会が多いのかと思う。
達磨については、その中国大陸への登場の仕方とか、二祖慧可との出会いのエピソードが繰り返し語られるが、その教義については、あまり教えられることはない。
この講話においてOSHOは徹底して達磨の数少ない教文を洗いざらしにする。そして、OSHO-OSともいうべきフォーマットに書き換えてしまう。そこのところが、OSHOサニヤシンたる我が身にとっては痛快でもあるが、また、これまでの達磨信奉者たちにとっては、苦痛であるかもしれない。
もし、その攻防を楽しめる僧侶なら、何を信奉しようとも、本物であろうし、信頼できる友人たりえる。はてさて、この本を一冊、これから行く禅寺にプレゼントしてみるのはいかがなものだろうか。
もちろん、私の手元の薄汚れた一冊ではなくて、いずれ購入してキチンと包装したものにはなるだろうが、結局中身は同じことである。
この分厚い講話録を読みながら、これからいく禅寺ばかりではなく、だいぶ前に一緒に瞑想をしていた別な禅僧を思い出した。彼もまた道元系の禅僧ではあるが、地方寺院の住職であり、一家族の長でもある。彼に今、再会するとして、手土産にこの一冊はいかがであろうか、と思う。喜んでくれるかどうか。あるいは、もうすでに読んでいるかもな。
そして、私は私の祖父や父や一族が眠っている墓地を管理する寺院を思い出した。ここもまた道元系ではあるが、今や宗派を離脱して、単立寺院となっている。その本寺もさらにその本寺も、もちろん現存しているし、道元の血脈をなみなみとつないでいる。されど、単立寺院となった経緯も、なかなか興味深いものがある。
今回、いつもいく禅寺から一冊の本を借りてきたことによるきっかけで、この「禅寺に捧げるこの一冊」シリーズが始まったわけだが、自分が自分のために読む一冊ということではなく、他者の目、とくにほかの禅者から見た場合の視点というものを獲得したことは、大変意義のあることであった。
実際に、一冊プレゼントするまでは時間がかかるだろうし、その選択にもかなりの「迷い」が生じることであろう。そしてまたその「迷い」を楽しんでいけそうだな、という実感は、むしろ私の内面において、なにものが深まり、明確になっていくプロセスのような気がして面白い。
なんにせよ、後半はやや早読みになってしまったが、今回またこの本を再読できたのは、大きな収穫だった。個人的な感想は、すでに書いてしまってはいるのだが、何度読み直しても、なんだか初めて読んでいるような感じになって面白い。また読みたい。そして、同列の読み方を、ほかの数冊にもしてみようと思う。
<4>につづく
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2018/09/12
2018/09/11

「なぜ今、仏教なのか」 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学
ロバート ライト (著), 福岡 伸一 (解説), 2018/07 早川書房 単行本(ソフトカバー): 368ページ
No.4228★★☆☆☆
図書館の新着リストの中から、タイトルだけで選んで取り寄せているだけなので、手に取るまでは、どんな本なのか、虚心坦懐に楽しみに待ってはいるのである。どんなことが書いてあるかな。どんな展開かな。ひょっとすると、大ヒットかも。手に取るまではわくわくしている。
実際に手に取れば、少しはその質感はわかる。数ページ読めば、大体の印象は決まってしまう。熟読するか、飛ばし読みするか。追っかけをするか、メモさえ残さずに次に行くか。
その本の本質が決してそうなのだ、と断定することはできない。読者としてのこちらの体調にもよる。出会いなのだ。そのタイミングによって、その本が、読み手であるこちらに与える影響は、一口では言えないものがある。
最近のハズキルーペとやらのテレビコマーシャルが盛んに流されている。世の中、文字が細かすぎる、と怒る男性。されど、実際は、印刷文字が小さくなったのではなく、読み手の目が、細かい文字に対応しきれなくなって、大きい文字を期待しているだけなのかもしれない。いや、きっとそうなのだ。
この本に啓かれる読者もきっといるに違いない。初めてこの本によって、この世界に導かれる人も、きっといるに違いないのだ。だから、本そのものを、絶対評価することなどできない。読まれるべき人に、読まれるべきタイミングで読まれればいいのだ。しかし・・・・。
かなりな個人的な私的感情のまま書かせてもらえば、この本を手にとった私の落胆は大きい。疲労感が漂う。映画「マトリックス」を最初から最後まで、伏線にしているが、そもそも、その映画「マトリックス」は、わがハートを打たなかった。
縁なき一読者は、四の五の言わずに、静かに立ち去るのがいいだろう。より多くの縁のある人々に読まれますように・・・・・。アーメン、じゃぁなかった、合掌。
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2018/09/08
<1>からつづく
「禅寺に捧げるこの一冊」<2>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<2>からつづく

「般若心経」 OSHO、色即是空を語る <3>
1980/1 OSHO(著), スワミ・プレム・プラブッダ(翻訳) 1980/01めるくま-る社 単行本 590ページ
★★★★★
「禅寺に捧げるこの一冊」シリーズ、第二弾。OSHO「道元」(1992/11 OEJ) につづくは、このハートスートラだ。道元禅寺だけに道元つながりで、OSHO道元は、まぁ許容範囲であろう。されど、つづく般若心経はどうだ。それこそ、ホトケに説法になったりはしないか。
この本においては、マルチチュード的な<革命>は完全に否定される。推奨されるのはサニヤシン的<反逆>だ。
この本が出たのは1980年。翻訳したのは、当時まだ若干27歳のプラブッダ。あっぱれである。この超難解な世界を飽きずにコツコツと翻訳し続ける精神力には、圧倒される。デザインや編集にも、あちこち自分なりの遊び心を加えている。
おそらくこの本もすでに改定になって、もっとすっきりとしたものになっているかもしれない。私の手元にあるのは初版第一刷。すでにボロボロである。
はて、この本をわが愛する禅寺に寄贈したとして、まずは書棚に入れてはくれるだろうが、あの和尚さんたちは、読んでくれるだろうか。単純に、この本を寄贈した、私の身元に関心を持つだろう。あるいは、それを超えていくか。
この本と私は、どういう関係なのか。なぜにこの本を寄贈するのか。お礼として、私も一冊という気分は理解してくれるだろう。されど、この本は、単に紹介の本ではない。読む者を、般若心経の世界へと導く本である。主体性が問われる。
受け取っていただけるか、あるいは拒絶されてしまうか。見どころである。そして、その時の私の振る舞いは・・・・・? 逃げ出すか。啖呵を切るか。一発で光明を得るか(笑)。いや笑いどころではない。真剣勝負である。
やっぱりいきなりこの一冊を突き出すのは危険すぎるかもな。
坐禅会で読むのは道元「普勧坐禅儀」と「般若心経」である。「道元」の次にこの一冊をプレゼントすることは、決して誤ってはいない。だが、高踏な出会いとなる。こちらの準備が整わないうちに、いきなり突き出すのは、失礼でもあろうし、また、こちらにとっても命を落とす危機となる(爆)。
「般若心経」<4>につづく
「禅寺に捧げるこの一冊」<3>につづく
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2018/09/07
<1>よりつづく

「スペクテイター」31号 ZEN(禅)とサブカルチャー<2>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/09 出版社: 幻冬舎 単行本(雑誌形態): 196ページ
★★★★★
他の記事には何度も登場させておきながら、一年前に読んだこの本の、単体記事は、実はなんにも書いていなかった。関連ありそうな、なさそうな俳句を一句、並べておいただけである。当時、私はどんどん言葉を少なくしていきたかった。感動したら感動したまま、そのまま無言で立ち去ろうとしていた。
今回もそうなる可能性がある。そうならないとは言えない。しかし、それではこの雑誌に申し訳ない。何事か、ひとことふたこと、みこと、コメントを加えておくべきだろう。そう思い直した。
非常に感度の高い、いい雑誌である。雑誌はこうあるべし、といういいとこづくめの一冊である。と、ほめちぎってはみるが、雑誌という限界も、これまたある。雑誌としてはこれでいいのだが、テーマは雑誌で取り上げるような内容にとどまってはならない。もう一歩踏み込まなければならないのだ。
そうなると、そこには雑誌というメディアではなく、別な表現形態が必要となる。必要となるが、それはそれに任せておいて、こちらはこちらで雑誌なのだ。雑誌として、これ以上、何が必要であるというのか。
そこに齟齬がある。雑誌は雑誌ですばらしい。雑誌をめくって受ける感動。知り得る世界、効用、美意識。だが、私は、雑誌の一読者の位置を逸脱し始めているのである。自らの立ち位置を、雑誌の一読者、と言う風には、もう放置できないところまで来ている。
いちど、ZEN特集比較なるものを展開しておいた。


あの地点から、当ブログは、もう一歩先に踏み込んでしまっているのである。あの特集は有意義であった。試行錯誤のプロセスではあったとしても、あれはあれでよかったのだ。そして、今は、今としてある。そこんとこ、もういちど、この雑誌をめくりながら、ゆっくり確認していくのも、いいかもしれない。
つづく
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前からつづく

「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2013/12 幻冬舎 単行本: 191ページ
「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ
「さよなら未来」―エディターズ・クロニクル 2010-2017(若林恵 2018/04 岩波書店)に触れたものだから、ついついこちらの「スペクテイター」も思い出してしまった。「WIRED」日本版と、この「スペクテイター」は、私の目の前に登場した時期がやや似ていたので、つい比較して考えることが多かった。
この赤鬼+青鬼(と、私は編集者たちをやや愛を込めて通称している)たちが作っている雑誌は、どこかカウンターカルチャーの色が深く、読んでみたくなる記事が多かった。とくにケヴィン・ケリーなどを取材した号などは、何度も何度も読み返したくなる。

それに比するところの「WIRED」日本語版だが、本当の意味で開花することなく、日本語版はまたまた散ってしまった、というイメージが強い。自力でもって、自らのライフスタイルの中でじっくり編集作業をしようという「スペクテイター」と、アメリカ資本のアメリカ編集の日本語訳という、ある意味真逆の立場での編集の差がはっきりと出た、という感じがする。
「スペクテイター」31号 ZEN(禅)とサブカルチャー
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/09 出版社: 幻冬舎 単行本(雑誌形態): 196ページ
★★★★★
なんて、なんともよかったな。イイ感じ。こんな雑誌を編集する編集者になりたかった、と思った。その後、どうなったのか、まったく追っかけをしていなくて、切れ切れだが、なんかうれしい雑誌である。
とにかく行きつ戻りつする当ブログではあるが、もうひとつ前に進んでいこうとしているので、これらの雑誌にいつまでも拘泥しているわけにはいかない。なにはともあれ、よかったなぁ~、という懐かしモードで振り返ってみたのだった。また戻ってくるかも。
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<1>からつづく
「さよなら未来」―エディターズ・クロニクル 2010-2017 <2>
若林 恵 (著) 2018/04 岩波書店 単行本: 544ページ
★★★★★
こうやって文章を書いているときいったい誰に向けて書いているのかというのは、答えるのがとても難しい質問だ。
手紙ではないのである特定の個人に向けて書いているわけではないのは当然だが、といって不特定多数に向けて書いているのかというとそういうわけではない。p254「ことばは社会そのもの」
雑多な記述の多い本書であり、興味の範囲も逸脱していると、敢えて一読者としてアクセスできそうなのは、唯一このあたりとなりそうだ。
この問いがどうもしっくり来ないのには理由があって、それはこの質問の背後にある前提のせいではないかと思う。一方に「言いたいこと(のようなもの)」のある「書く主体」がいて、もう一方に「読む主体」がいる。
で、ものを書くという行為は、「書く主体」が、その「言いたいこと(のようなもの)」を「読む主体」に向けて通達することである、というのが、どうやらここにある前提のようなのだけれども、これがどうもしっくり来ない。p254「ことばは社会そのもの」
おそらく「太陽」という雑誌の読者像と、「WIRED」日本語版の読者像では、まったく違っているだろう。年齢層、時代性、趣味性、時事性、テーマ性・・・・。しかし、ある意味、すでに雑誌という形態をとっている限り、想定読者像を持ち得ているだけにやろうと思えば、やれるだろう。
こんなぼんやりとした話題は日々暮らしていくうえでは、どうでもいいもののように思われるかもしれないけれど、ことばというものを主力メディアのひとつとして扱う「メディア」の制作に携わる身としては、「誰に向けて書いているんですか?」が、そのまま「誰に向けてメディアをつくっているんですか?」になる以上、こうしたことは日々の暮らしに直結して、あまり知らん顔してるわけにもいかない由々しき問題であったりする。
誰のためにやっているんですかね、いったい、メディアって? さあ。よくわかりません。苦笑。p255「ことはは社会そのもの」
これは書き手としては、大雑誌のライターだろうが、いちブロガーだろうが、根本的に問われる大問題である。こういうテーマを(っていうか、中学生や高校生だってぶつかるテーマを)、なんか大上段にぶっちゃけてしまうところが、このライター(エディター)を私が好きな理由の一つでもある。
というわけで、「メディアってなんだ」「編集ってなんだ」「情報ってなんだ」といったことを、日頃からもやもやした問いとして抱えているわけなのだけれども、その問いは、おそらく「ことば」というものをめぐる問題に帰着するのだろうアタリをつけて、ぼつぼつとことばに関する本を読んできたなかに哲学者の鶴見俊輔さんの「文章心得帖」(ちくま学芸文庫)という本があって、これが抱えていたもやもやを見事に整理してくれたのだった。(後略)p255「ことばは社会そのもの」
ちょっと長文すぎて、どこで区切っていいかわからないような、マス埋め文章だが、まぁ、読みにくいわけではない。
(前略)自分の文章は、自分の思いつきを可能にする。それは自分の文章でなくても、人の書いた文章でも、それを読んでいると思いつき、はずみがついてくるというのはいい文章でしょう。自分の思いつきのものとになる、それが文章の役割だと思います。(鶴見俊輔) p257「ことばは社会そのもの」
鶴見俊輔という人を追っかけたことはないけれど、かつて私が高校生時代にべ平連のムーブメントの一部に連なった時に、盛んに聞いた名前だった。そしてあのころから始まった私のミニコミ活動も、実は多かれ少なかれ、鶴見氏の影響をもろにかぶっているはずである。
なるほどと思うのは、ことばというものを通して、社会がわれわれのなかに入りこんできて、それが内面化された対話を生み出すというところだ。つまり、ぼくらはことばという道具を使って、あらかじめ設定された「社会」という「外側」(=読む主体)とやりとりをしているのではなく、ことばを使うという行為によって、自分のなかに「社会」を呼び込むことをしている。
言うなれば、ことばのなかに「社会」というものが含まれていて、ことばと向き合うことは、そのまま社会と向き合うことでもある、というわけだ(少なくともぼくはそういうふうに理解した)。p257「ことばは社会そのもの」
この文脈は、書き手側(若林)から見れば、一脈通じるところがあるが、読み手側(Bhavesh)からすると、当ブログにおいては、かなり異質な流れとなる。実際に、当ブログは、この辺の逡巡はもうずいぶん前に離れてしまっているのだ。社会ではなく、意識を主テーマとしている。言葉と言葉の対話=社会、という論議に対して、意識と意識=超意識、というあたりで文脈を運びたい、と思っているところなのだ。
このクロニクル、なかなか読み進めるのは大変だ。
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<2>よりつづく

「命を守る防災サバイバルBOOK」 <3>
Be-pal編集部 2011/05 小学館 単行本 96p
★★★★★
この度の台風21号ならびに北海道胆振東部地震で被災された皆様にこころよりお見舞い申し上げます。またご不幸にも亡くなられた方々の冥福をお祈りいたします。行方不明となっている方々も、一日も早く救出されることをお祈り申し上げます。<m(__)m>
個人的には、ようやく3・11から7年が経過し、心の傷を抱えながらも、なるべくトラウマに触れないようにして生活し、平常な日々へ移行しようとしている矢先でした。異常気象から相次ぐ天災の連続に、ふたたび心を引き締め、注意深く毎日を生きていく必要を感じています。
3・11後に一番注意したのは、まずは情報源の確保のためのインフラ整備だった。ラジオ、スマホ、家族間の連絡網など、日々確認すべきことではあったのだが、あらためてその確認の必要性を痛感したのだった。
次には、電力の確保。まずは手回し発電機や、乾電池、懐中電灯類の確保。そして、遅ればせながら、屋根には太陽光発電システムを上げた。今のところはその発動の機会はないが、安心の度合いは高い。ただ、今回のように家全体が壊れてしまえば、これもアテにはならないことになる。
車にも、充電システムを充実させたし、また100V電力の取り出し可能にしてある。そして遅れがちではあるが、ガソリンも空にならないように留意している。灯油ストーブも3・11当時活躍した中古機が壊れたので、新しい機種を買い買えたが、まだ活躍するチャンスはない。
飲料水も、定期的に交換・補填している。食料はまずまず保管してあり、即席麺等も最小限準備している。防災バックもいつでも持ち出せるよう玄関近くに保管してある。医薬品類も最小限のものは常に確保できるようにしている。
ただ、そうは言っても、いつの間にか心が緩んでいたのは確かだ。この機会にもういちど心を引き締め、ふんどしを締め直さなければならない。まずは、思いつくまま、自分のto do リストを作っておく。
〇いつの間にか壊れてしまったままのビバーク用テントを、またキチンと準備しておこう。
〇車用ガソリンタンクも買おう買おうと思っていて、まだだった。これも必要だ。
〇手回し発電機などもAU対応型だった。今はiPhone。これもキチンと更新しておく必要がある。
〇常用薬もリストだけではなく、数日分は常に携帯する必要がある。
〇乾電池類も十分か? 油断は禁物。
〇体調は大丈夫か? 3・11直前はダイエットのためウォーキングを日々励行していたので、帰宅時の数時間の徒歩は何でもなかった。普段から自信をつけておこう。
〇普段はあまり現金を持ち歩く習慣はない。必要な小銭程度は常に補填しておく必要がある。
〇充電用電源コードと、秘話用イヤフォンは必要だ。常に点検するようにしよう。イヤフォンはもっと増やしておこうかな。
〇緊急用のスコップやナタ類は大丈夫か? だいぶ古くなっているぞ。
〇ガムテーム類、養生テープ、ビニールテープ、緊急用トイレグッズ。ブルーシート。大丈夫か?
〇眼鏡類、ペン類、これもまた要注意。カッター、ナイフ類もないと困るよ。
〇それと、手前味噌ながら、保険類の再点検も必要だ。家屋の火災保険、地震保険。ケガのための傷害保険、生命保険。自動車の地震噴火津波特約。カッパの川流れでは困る。
〇そして、自分だけではなく、周囲の人々へのヘルプの意味を含めて、心の準備と余裕が必要だな。
その他、食料、医療、通信、普段からブラッシュアップしておくことが必要だ。被災地で戦っている皆さん。がんばってください。心からお見舞い申し上げます。
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2018/09/06
<5>からつづく

「未来のアトム」<6>
田近 伸和 (著) 2001/06 出版社: アスキー 単行本: 636ページ
★★★★★
もうだいぶ古い本だが、10年前に熟読した時はそうとうに面白い本だった。今読み直しても十分面白いだろう。面白テーマ満載の良本である。ネットで調べてみると、思わぬ安価で出品されていたので、衝動買いしてしまった。

この本全体が、当ブログの主テーマであったとさえ暴言を吐いたとしても、決して間違いではない。知的探求心を大いに刺激してくれる一冊である。技術や科学の進歩は激しいから、おそらくこの本を凌駕する本はもうたくさんでているに違いない。されど、この本がこの地点でこのような形でフォーマットを形成していることは驚きに値する。
個人的には、iRobotならぬiBhaveshを制作中で、私のロボット熱はせいぜいこの程度で鎮静していきそうである。子供たちには、このロボット動くの?と聞かれると、ちょっと悲しい気分で口ごもってしまう。まったく動かないんだよね。動かすなんてことはまったく考えていない。単なる姿だけである。
でもな、と思う。お寺や神社には、山門がありそこには動かぬ仁王像なり、仏様たちの立像があるではないか。動かなくても十分役に立っている。わがロボットは、わが瞑想センターの仁王様(あるいは仏様立像)なのだ、と豪語して、切り抜けることだって、できるはずである。少なくとも、今の私はそうだ。
今や、アトムは制作できる時代になっている。もちろん、完璧なものではない。だがこの本で語られていた時代よりかは、もっともっと「未来」へと進化した「アトム」である。おいらもホントは作りたかったなぁ。だけど、20万は高い。
わが廃材アート(ZENアート)としてのiBhaveshは、なんと制作費ゼロである。粗大ゴミに出される廃物たちから、リサイクルされている。そこんところが楽しいのだ。20万だせば、だれでも買えるアトムではなく、智慧を最大限使いながらの廃物アートだ。その気がない人には絶対作れない傑作である(と勝手に自負している)。
なんにせよ、この本すでにわが書架に納まったので、気になる時には簡単にまためくることができるようになった。納得の一冊。
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<13>からつづく

「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <14>
枡野 俊明 (著) 2015/12出版社: KADOKAWA 単行本: 191ページ
★★★★★
そろそろ「禅語事典」(平田精耕1988/12 PHP)が欲しいと思った。ずっと前から欲しかったんだよね。だけど絶版だし、中古であっても高価過ぎた。ま、いいか、と思ってきたのだが、そろそろかな、という予感。
で、その前に、そういえばこの前この本を入手したことを思い出した。そうだこれでも十分ではないか。そもそも、禅語とは何か。禅語事典とはなにか?
この本、禪とスターウォーズをつなげたところが面白かった。企画賞ものである。この本で、あらためて映画6作を鑑賞した。いままで以上に、なるほど、とこの映画のことが理解できるようになった。
そもそもGoogleの社員が、映画館を借り切って全社員で見に行くというこのシリーズ、本当はルーカス監督の黒沢明へのオマージュだと知って、またまたなるほど、と思った。そもそも私は映画ファンでもなければ、スターウォーズ・マニアでもない。Googleマインドを調べるためにスターウォーズに潜入した、というべきか。
そして、ひととおり一巡してみれば、別段にエンターテイメントとしてのスターウォーズは我が人生に必須条件ではなく、ましてやあちこちから集められた禅語であっても、必ずしも全部が全部、我が人生に益するものでもない、とわかった。取捨選択が必要である。
自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは、さとりなり。迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず、しかあれども諸仏なり、仏は証しもてゆく。p54「正法眼蔵現成公案 抄」
一次はかなり熱中した良本ではあるが、ここはふたたび閉じて、しばらくは瞑目することとする。
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「禅寺に捧げるこの一冊」 <1>
<6>よりつづく

「道元」その探求と悟りの足跡<7>
OSHO スワミ・アンタール・ガータサンサ翻訳 1992/11 出版社: 和尚エンタープライズジャパン (OEJ books) 単行本 472ページ
★★★★★
よく行く禅寺の和尚さんから、一冊の本を借りてきた。まったく随意に本棚にあった中の一冊をさっと借りて来たのだ。その名は「禪修行」。20年前の写真集であり、実に美しい一冊である。また、その本がこの禅寺にやってきた経緯も意味がある。感動の一冊である。
いずれ返しにいくことになる。その時私はありがとうございました、と返却するのだろうか。あるいは、お礼にこの本もどうぞ、と私から一冊贈本することがあるのだろうか。もし一冊お礼するとするならば、道元のお寺だけに、OSHOの「道元」が良かろう、と単純に考える。
だが、さて、もし道元禅寺の和尚から見た場合、OSHOの「道元」はどう見えることだろう。序文の紀野一義氏は、著名な仏教関係者であるから、いい窓口にはなってくれるだろうが、初めてOSHOと出会う人は、まして道元の弟子であることを自任している人々にとっては、一体OSHOはどう見えることであろう。
そんな思いで、OSHOのジョークの部分も、毎回のレットゴーの瞑想の部分も省いて、道元やブッダや、俳句の部分だけを抜き出して、目を通してみる。そこにどんな効用があるだろうか。OSHOはOSHOであり、道元は道元である。されど、OSHOが指さしているものが、道元がさした同じ月だったとするならば、月から見た場合、OSHOと道元は同じ位置にいることになる。
そして、よくよく瞑想してみれば、OSHOも道元もなく、ましてや月さえ例え噺だ。そう喝破してしまえば、そこには、証修されるべき自己が残るだけである。インドもなく禅寺もない。自らひとりに立ち返ってみれば、借りた本もなく、お返しすべきお礼もない。
皮枯れて実七色のもろこしに 把不住
Dogen/OSHO<8>につづく
「禅寺に捧げるこの一冊」 <2>につづく
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「禅の教え」 宗派と開祖
東由士 (著) 2018/08 英和出版社 ムック 96ページ
No.4227★★★★☆
駅ビルのブックショップで、時間合わせのためにぶらついていると、ついこの手の書籍が目に飛び込んでくる。生来の習癖から考えると仕方ないことなのかもしれない。禅の大きな一文字に弱いのだ。
さっそく手にとってちらちらめくってみる。正直言って、この手の本は、もう何冊も手に取っているので、目新しいところはない。いつもの内容の焼き直しである。むしろ、こちらの目が肥えて来ているだけに、ややバラツキに目が行ったりしてしまう。
結局、誰が手にとるかだろうが、駅に立ち寄った人が、ふと手にとって、そこからいざなわれて、深い禅の世界に入っていくきっかけとなるかもしれない。それなら、画像も多いし付録CDもついていることだから、素晴らしい出会いとなるであろう。
個人的には、私はもうこの地点に留まっているようでは、さっぱり修行が進んでいない、ということになってしまいそうだ。総論ではなく、各論、細部にわたって、みずからの瞑想力を巡らせる季節でなければならない。
マインドフルネスとZEN、禅を、ほとんど同レベルで扱っていて、もうそれはそれでいいのだと思う。仔細にこだわる時代ではない。教外別伝、不立文字。以心伝心。ただ、一次のブームや流行としてとらえてしまわないで、人生の一大事としてとらえることが大切だろう。
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2018/09/03
「さよなら未来」―エディターズ・クロニクル 2010-2017 <1>
若林 恵 (著) 2018/04 岩波書店 単行本: 544ページ
No.4226★★★★★+
図書館で受け取って、あ、ちょっと失敗したな、と思った。こんなに厚い本なのだ。しかも文字は小さく、ところどころは二段組。う~ん、こんな大冊を今は読んでいる時間も気力もない。もうちょっとコンパクトにならなかったのかな、と愚痴りたくなった。
1971年生まれ、元平凡社「太陽」の編集者にして、最近まで「WIRED」日本語版の編集長を務めていた。編集畑のひとである。私は最近までこの雑誌の追っかけをして、全冊目標に集めていたところだが、3号あたりから登場したこの編集長の巻頭のエディターノートが好きだった。
ようやくいわゆる愛読書というべきものを見つけたぞ、というタイミングで、この雑誌は廃刊となり、彼は編集長を解雇された。拍子抜けしたのはこっちのほうだが、本人もまた拍子抜けしたようだ。
私にはカメラマンマインドもないし、漫画志向や、デザインタレントもないが、編集魂は、少しはあるらしい。そういうスピリットを持っている人がいると、微妙にアンテナが反応する。この著者には、明らかに同種の香がある。類は友を呼ぶのだ。
だからこそ彼の文章を面白いとも思うし、うざいな、とも思う。そもそも、どこかの編集術の御大みたいに、編集編集と言いながら、実にうだうだと長文を書きなぐっている人たちを見ると、ああ、私は編集などという仕事を、人生の仕事にしなくてよかった、などと、ひとりごちることも度々なのだ。
編集者なら、この500ページを超える大冊を、せいぜい50ページくらいにまとめるべきだ。さらに言うなら、もし本当に編集の才能が自らにあるのなら、俳句ひとつにせよ、と把住したくなる。(あ、把住とは、なにか強く言うことらしいことが今日分かった)
著者のうだうだしい長文に対抗するには、読者としては、積読や斜め読み、速読で対抗するしかない。私はこんな長文(雑多な盛り合わせ)を今更、ゆっくり読んで付き合うほど、ヒマではない。いやヒマなのだが、そのヒマを別なことに使いたい。
まぁ、それにしても突っ込みどころ満載の一冊である。付き合うなら一晩や一週間くらい、付き合えないことはない。いずれそんなチャンスがくるかもしれないが、今付き合うとするなら、本家アメリカ版「WIRED」元編集長の、ケヴィン・ケリーの「インターネットの次にくるもの」のほうだ。
雑誌の編集マインドという意味では、「スぺクテイター」の編集者=赤鬼・青鬼たちの方が、一段優れているように思う。ケヴィン・ケリーやスチュアート・ブランドに対する取材姿勢も優れている。都会にいてあれこれ批判しているのではなく、郊外へ、地方へ退却し、そのゆとりの中で編集するライフスタイルに見習わなくてはならない。そして、そもそも、取材テーマではなく、取材する自らが問われていることを忘れてはいけない。

自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは、さとりなり。迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず、しかあれども諸仏なり、仏は証しもてゆく。道元「正法眼蔵現成公案」
未来を問うのではなく、自らが問われているのだ。
エディターズ・クロニクル 2010-2017と銘打ってある。当ブログの後半と被る期間ではあるが、当然、それ以前のことどもも書いてあるので、当然、当ブログとのテーマもかなりかぶっている。音楽などについては、当ブログはまったく不足しているが、同じ時代を生きている若き編集者の、ぶっちゃけ噺は、正直面白い。
レインボー評価にするか、★5にするか悩んだが、とにかく★5+としておく。

「WIRED (ワイアード) VOL.1 」特集OUR FUTURE テクノロジーはぼくらを幸せにしているか? なんて、相当面白かったしな。興味津々の内容だった。今後に期待。少なくとも「さよなら未来」なんていうのは、百年早い。カッコつけ方がヘタである。
<2>につづく
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2018/09/02
「禪修行」
著者 富山治夫 撮影 2002/08 出版社 曹洞宗宗務庁 グラビア誌大 224p
No.4225★★★★★
日曜早朝坐禅会に参加し、朝がゆをいただき、庫裡の本棚から借りてきた一冊。そういえば、図書館が建て替えのため、先日より貸出が一時中止となっている。そのために、あるご婦人が、この本を借りていいですか、と住職に聞いたので、私もご相伴させていただいたというわけである。
突拍子もないタイミングだったので、とにかく目立って大きな本を一冊借りてきたのだが、これは写真集だった。2002年に出た本ではあるが、準備に5年かかったということだから、20世紀末に作られた本というべきだろう。
出たばかりのデジカメは当時130万画素。私の現在のiPhoneの10分の1の画素数である。そのカメラを駆使して、フラッシュをたかずに暗闇の修行僧たちのありのままの姿を記録している。永平寺の記録はあまたあるだろうが、これはまた、一種独特のリアリティのある一冊である。
カメラマンは1935年東京神田の生まれの方。現在なら83才。当時なら67才、現在の私たちと同年配であったのだろうと推察する。巻頭言に「道元禅師への旅」として森本哲郎が一文を捧げている。抑えた内容ではあるが、うん、そんなにインドに行ったところで、簡単にブッタに会えないよね、というお話。
巻末には、「禅 修行へのプロローグ」として、奈良康明(当時・曹洞宗総合研究センター所長)がまとめを書いておられる。何度かNHKの教養講座などでお見掛けした方である。無難なまとめ。これしかない、というキメの文章。
この資料は、3・11災害で亡くなった閖上東禅寺住職(当時85才)が、生前、教化資料として秀麓齋に贈本された一冊である。このような形で拝読できたことは、大変幸甚なことであった。
ふと思う。この当時であっても、また2018年の現在であっても、いわゆる禪修行に出る方々は、寺院出身の若い僧職希望の方々であろう。特に男子の方々。おそらく女子の方々には別な修行道場があるにちがいない。そして、年々、修行のために山に登る出家の方々は減っているという。往時の半数とも聞いている。どうして?
宇宙のハタラキに包まれながら、威儀を正していく。
僧院内だけのことではない。現代に生きる禅者も変わるところがない。
しかし、社会の生活に清規はない。
どうしたら私の生が真実に則したものとなるのか。
それは私の応用問題である。
知恵と慈悲。
それを現実にハタラカせる行為、威儀、が仏法の生活だ。
それは二十一世紀における禅の修行である。p217「そして、現代」奈良康明
道元は素晴らしい、永平寺もまた素晴らしい、坐禅もまたいわずもがな。だがしかし、そこに陥穽はないのだろうか。単に数字的なものであったにせよ、修行僧たちが不足しているという現実。それに比すところの、外国での道元や禅への関心の高まり。
太陽と、月と、地球を、一直線に見て、そこに、応用問題を見つけ、自分の生が真実に則するものとなるように、坐る。
真龍と見し秋風に一坐あり 把不住
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