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2018/09/15

「ボーディダルマ」 BODHIDHARMA The Greatest Zen Master OSHO<7> 「禅寺に捧げるこの一冊」<3>

<2>よりつづく

 

「禅寺に捧げるこの一冊」<3>

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<6>よりつづく

Darma2
「ボーディダルマ」 <7>BODHIDHARMA The Greatest Zen Master
OSHO(著), スワミ・アナンド ソパン (翻訳) 1994/07 めるくまーる 単行本 700p

 「道元」「般若心経」につづく三冊目はこれだ。達磨は禅宗の開祖とも目されているが、実は、そのルーツの奥には摩訶迦葉がいるし、ゴータマ・仏陀がいる。されど、そのZENの系譜の中で、達磨は大いに人気を博している存在である。なにせその人相がただものではない。

 道元系のお寺においては、かならずしも達磨さんは大きく登場はしてこない。道元系はやはり道元で決まりなのだ。臨在系のほうが達磨さんが登場する機会が多いのかと思う。

 達磨については、その中国大陸への登場の仕方とか、二祖慧可との出会いのエピソードが繰り返し語られるが、その教義については、あまり教えられることはない。

 この講話においてOSHOは徹底して達磨の数少ない教文を洗いざらしにする。そして、OSHO-OSともいうべきフォーマットに書き換えてしまう。そこのところが、OSHOサニヤシンたる我が身にとっては痛快でもあるが、また、これまでの達磨信奉者たちにとっては、苦痛であるかもしれない。

 もし、その攻防を楽しめる僧侶なら、何を信奉しようとも、本物であろうし、信頼できる友人たりえる。はてさて、この本を一冊、これから行く禅寺にプレゼントしてみるのはいかがなものだろうか。

 もちろん、私の手元の薄汚れた一冊ではなくて、いずれ購入してキチンと包装したものにはなるだろうが、結局中身は同じことである。

 この分厚い講話録を読みながら、これからいく禅寺ばかりではなく、だいぶ前に一緒に瞑想をしていた別な禅僧を思い出した。彼もまた道元系の禅僧ではあるが、地方寺院の住職であり、一家族の長でもある。彼に今、再会するとして、手土産にこの一冊はいかがであろうか、と思う。喜んでくれるかどうか。あるいは、もうすでに読んでいるかもな。

 そして、私は私の祖父や父や一族が眠っている墓地を管理する寺院を思い出した。ここもまた道元系ではあるが、今や宗派を離脱して、単立寺院となっている。その本寺もさらにその本寺も、もちろん現存しているし、道元の血脈をなみなみとつないでいる。されど、単立寺院となった経緯も、なかなか興味深いものがある。

 今回、いつもいく禅寺から一冊の本を借りてきたことによるきっかけで、この「禅寺に捧げるこの一冊」シリーズが始まったわけだが、自分が自分のために読む一冊ということではなく、他者の目、とくにほかの禅者から見た場合の視点というものを獲得したことは、大変意義のあることであった。

 実際に、一冊プレゼントするまでは時間がかかるだろうし、その選択にもかなりの「迷い」が生じることであろう。そしてまたその「迷い」を楽しんでいけそうだな、という実感は、むしろ私の内面において、なにものが深まり、明確になっていくプロセスのような気がして面白い。

 なんにせよ、後半はやや早読みになってしまったが、今回またこの本を再読できたのは、大きな収穫だった。個人的な感想は、すでに書いてしまってはいるのだが、何度読み直しても、なんだか初めて読んでいるような感じになって面白い。また読みたい。そして、同列の読み方を、ほかの数冊にもしてみようと思う。

<4>につづく

 

 

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