「表装生活」―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう 麻殖生 素子 「捨てるに捨てられないモノ」<11>壁紙
「捨てるに捨てられないもの」<11>壁紙
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「表装生活」 ―思い出の書や写真を、自分で掛軸にしてみよう
麻殖生 素子 (監修) 2010/07 単行本: 92ページ
No.4231★★★★★
我が家には本格的な巻物が少ない。少ないのは別に巻物だけではなく、焼き物、仏像、絵画、彫刻、宝石、それらあらゆるものについて本格的ではない。いいな、とは思うが、別に「本格的」なものでなくてはならない、と思っていないからでもある。
でもこだわりとしては、欲しいものは自分で作ってみたいな、という創造力が刺激されるのである。なんか作れないかな、作りたいな。材料は基本的に手元にあるもの。別段大事にしているものではないが、ゴミにはしたくない、そうそう、いわゆる「廃物」である。
これで「アート」をするので、自分では「廃物アート」と名づけてはいるが、本心は「ZEN Art」のつもりでいそしんでいるのである。だから、最近は、自分で掛け軸を作れないものかなぁ、という思いが逡巡する。
例えば、もうとっくに成長して独立していった我が子たちが、小中学生の時に我が家に残していった書道。二つとも、学校関係のなにかの賞をもらったので、ずっと残ってきたのだが、これらをなんとか表装できないものか、とずっと思ってきた。
その仕組みや作り方など、まったくわからないので、誰かどこかの表具屋さんに頼もうかなと思ってきたが、どうもそれほど大金をかけるほどものものではない。だが、たまには、この子供たちからのプレゼントをしみじみと眺めてみたいな、と思うこともあるのである。
最近、ふと気づいた。そういえば、わが家を改装した時、壁紙のサンプルとして何枚かの壁紙をもらっていたのである。サンプルや修繕用なので、大した量はないが、ただ、なかなか丈夫なので、何かに使えないかな、とずっと保存してきたのだ。いわゆる「捨てるに捨てられないモノ」である。
大震災にはあったり、経年劣化はしているものの、別段にこれらを切り張りして修繕することもなく、ただただ場所だけをとってきた壁紙たちである。ひょっとすると、この機会に有効利用できるかもしれない。うん、これはグッドアイディアである。
しかしまぁ、はたさて、どこまでできるものか。表装や巻物、掛け軸などの知識はまったくない。あんまりいじって、損じてしまうばかりでは、最初からいじらないほうがいいのだが、やはり一度はやってみないことには納得しない性分ゆえ、まぁ、とにかく始めてみるか。
本当は、禅語とか、達磨図とか、龍虎の画像とか、いろいろ作ってみたいものはたくさんあるんだよね。これだけの「廃材」があれば、結構いけるかもよ。楽しんでみよう。
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