「般若心経」OSHO、色即是空を語る <3>「禅寺に捧げるこの一冊」 <2>
「禅寺に捧げるこの一冊」<2>
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<2>からつづく
「般若心経」 OSHO、色即是空を語る <3>
1980/1 OSHO(著), スワミ・プレム・プラブッダ(翻訳) 1980/01めるくま-る社 単行本 590ページ
★★★★★
「禅寺に捧げるこの一冊」シリーズ、第二弾。OSHO「道元」(1992/11 OEJ) につづくは、このハートスートラだ。道元禅寺だけに道元つながりで、OSHO道元は、まぁ許容範囲であろう。されど、つづく般若心経はどうだ。それこそ、ホトケに説法になったりはしないか。
この本においては、マルチチュード的な<革命>は完全に否定される。推奨されるのはサニヤシン的<反逆>だ。
この本が出たのは1980年。翻訳したのは、当時まだ若干27歳のプラブッダ。あっぱれである。この超難解な世界を飽きずにコツコツと翻訳し続ける精神力には、圧倒される。デザインや編集にも、あちこち自分なりの遊び心を加えている。
おそらくこの本もすでに改定になって、もっとすっきりとしたものになっているかもしれない。私の手元にあるのは初版第一刷。すでにボロボロである。
はて、この本をわが愛する禅寺に寄贈したとして、まずは書棚に入れてはくれるだろうが、あの和尚さんたちは、読んでくれるだろうか。単純に、この本を寄贈した、私の身元に関心を持つだろう。あるいは、それを超えていくか。
この本と私は、どういう関係なのか。なぜにこの本を寄贈するのか。お礼として、私も一冊という気分は理解してくれるだろう。されど、この本は、単に紹介の本ではない。読む者を、般若心経の世界へと導く本である。主体性が問われる。
受け取っていただけるか、あるいは拒絶されてしまうか。見どころである。そして、その時の私の振る舞いは・・・・・? 逃げ出すか。啖呵を切るか。一発で光明を得るか(笑)。いや笑いどころではない。真剣勝負である。
やっぱりいきなりこの一冊を突き出すのは危険すぎるかもな。
坐禅会で読むのは道元「普勧坐禅儀」と「般若心経」である。「道元」の次にこの一冊をプレゼントすることは、決して誤ってはいない。だが、高踏な出会いとなる。こちらの準備が整わないうちに、いきなり突き出すのは、失礼でもあろうし、また、こちらにとっても命を落とす危機となる(爆)。
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