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2018/09/07

「さよなら未来」―エディターズ・クロニクル 2010-2017 <2>

<1>からつづく

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「さよなら未来」―エディターズ・クロニクル 2010-2017 <2>
若林 恵 (著) 2018/04 岩波書店 単行本: 544ページ
★★★★★

 こうやって文章を書いているときいったい誰に向けて書いているのかというのは、答えるのがとても難しい質問だ。
 手紙ではないのである特定の個人に向けて書いているわけではないのは当然だが、といって不特定多数に向けて書いているのかというとそういうわけではない。
p254「ことばは社会そのもの」

 雑多な記述の多い本書であり、興味の範囲も逸脱していると、敢えて一読者としてアクセスできそうなのは、唯一このあたりとなりそうだ。

 この問いがどうもしっくり来ないのには理由があって、それはこの質問の背後にある前提のせいではないかと思う。一方に「言いたいこと(のようなもの)」のある「書く主体」がいて、もう一方に「読む主体」がいる。
 で、ものを書くという行為は、「書く主体」が、その「言いたいこと(のようなもの)」を「読む主体」に向けて通達することである、というのが、どうやらここにある前提のようなのだけれども、これがどうもしっくり来ない。
p254「ことばは社会そのもの」

 おそらく「太陽」という雑誌の読者像と、「WIRED」日本語版の読者像では、まったく違っているだろう。年齢層、時代性、趣味性、時事性、テーマ性・・・・。しかし、ある意味、すでに雑誌という形態をとっている限り、想定読者像を持ち得ているだけにやろうと思えば、やれるだろう。

 こんなぼんやりとした話題は日々暮らしていくうえでは、どうでもいいもののように思われるかもしれないけれど、ことばというものを主力メディアのひとつとして扱う「メディア」の制作に携わる身としては、「誰に向けて書いているんですか?」が、そのまま「誰に向けてメディアをつくっているんですか?」になる以上、こうしたことは日々の暮らしに直結して、あまり知らん顔してるわけにもいかない由々しき問題であったりする。
 誰のためにやっているんですかね、いったい、メディアって? さあ。よくわかりません。苦笑。
p255「ことはは社会そのもの」

 これは書き手としては、大雑誌のライターだろうが、いちブロガーだろうが、根本的に問われる大問題である。こういうテーマを(っていうか、中学生や高校生だってぶつかるテーマを)、なんか大上段にぶっちゃけてしまうところが、このライター(エディター)を私が好きな理由の一つでもある。

 というわけで、「メディアってなんだ」「編集ってなんだ」「情報ってなんだ」といったことを、日頃からもやもやした問いとして抱えているわけなのだけれども、その問いは、おそらく「ことば」というものをめぐる問題に帰着するのだろうアタリをつけて、ぼつぼつとことばに関する本を読んできたなかに哲学者の鶴見俊輔さんの「文章心得帖」(ちくま学芸文庫)という本があって、これが抱えていたもやもやを見事に整理してくれたのだった。(後略)p255「ことばは社会そのもの」

 ちょっと長文すぎて、どこで区切っていいかわからないような、マス埋め文章だが、まぁ、読みにくいわけではない。

 (前略)自分の文章は、自分の思いつきを可能にする。それは自分の文章でなくても、人の書いた文章でも、それを読んでいると思いつき、はずみがついてくるというのはいい文章でしょう。自分の思いつきのものとになる、それが文章の役割だと思います。(鶴見俊輔) p257「ことばは社会そのもの」

 鶴見俊輔という人を追っかけたことはないけれど、かつて私が高校生時代にべ平連のムーブメントの一部に連なった時に、盛んに聞いた名前だった。そしてあのころから始まった私のミニコミ活動も、実は多かれ少なかれ、鶴見氏の影響をもろにかぶっているはずである。

 なるほどと思うのは、ことばというものを通して、社会がわれわれのなかに入りこんできて、それが内面化された対話を生み出すというところだ。つまり、ぼくらはことばという道具を使って、あらかじめ設定された「社会」という「外側」(=読む主体)とやりとりをしているのではなく、ことばを使うという行為によって、自分のなかに「社会」を呼び込むことをしている。
 言うなれば、ことばのなかに「社会」というものが含まれていて、ことばと向き合うことは、そのまま社会と向き合うことでもある、というわけだ(少なくともぼくはそういうふうに理解した)。
p257「ことばは社会そのもの」

 この文脈は、書き手側(若林)から見れば、一脈通じるところがあるが、読み手側(Bhavesh)からすると、当ブログにおいては、かなり異質な流れとなる。実際に、当ブログは、この辺の逡巡はもうずいぶん前に離れてしまっているのだ。社会ではなく、意識を主テーマとしている。言葉と言葉の対話=社会、という論議に対して、意識と意識=超意識、というあたりで文脈を運びたい、と思っているところなのだ。

 このクロニクル、なかなか読み進めるのは大変だ。

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