「オウム真理教事件とは何だったのか?」 麻原彰晃の正体と封印された闇社会 一橋文哉
「オウム真理教事件とは何だったのか?」 麻原彰晃の正体と封印された闇社会
一橋 文哉 (著) 2018/08 出版社: PHP研究所 新書: 360ページ
No.4224
当ブログとは何の縁もゆかりもない世界の話についての本だが、この著者の名前が目に入ったので、図書館の新刊コーナーから借りることになった。さっさと目を通して、返却すれば、それだけのことなのだが、はて、それでいいのか、自問する自分もいる。まずは読んだ、という記録だけは、残すべきなのか?
当ブログがスタート後、数年してから、図書館の開架棚に散見される一連の書物を無視できなくなって、おおよそ数か月、思い切って関連の書物を、数十冊読み散らしたことがある。「麻原集団事件」関連リスト、と独自の名前をつけて、タイトルだけでは検索されにくくしておいた。
あの一連の書物群の中では、「慟哭」 小説・林郁夫裁判(佐木隆三 2004/2 講談社)を持って終局とし、チベット密教側からの視点としては、「チベット密教」(ツルティム・ケサン /正木晃 2000/01 筑摩書房)が俄然光っていたので、精読した。
かつての友人が戦後初(そしておそらく唯一)の東大卒死刑囚とされる豊田亨を語った「さよなら、サイレント・ネイビー」 地下鉄に乗った同級生 (伊東乾 2006/11 集英社)にも、心打たれるところがあった。
そして、独自の取材を基にした独自のリアリティを展開したのが、「オウム帝国の正体」 (一橋文哉 2000/7 新潮社)だった。麻原を一段掘り下げて取材したノンフィクションは、かなり強烈な一冊であった。今回、この新刊に手が伸びたのは、この著者の名前が見えたからである。
かつての一冊の焼き直しであろうか、と思ったが、独自の取材がさらに加えられていて、目を惹かれるところがかなりあった。村井、早川、上祐と言った取り巻きが登場する前に、実は、80年代初半から中盤にかけて、これまで知られることのなかった「神爺」、「長老」、「坊さん」と言った、悪のトアイアングルの取り巻きがいたことを明らかにしている。
さらに、そんなものより、さらに深い闇の中に読者をいざなおうとする一冊ではあるが、何の縁もゆかりもない私としては、またまたあの一連の事件を再体験させられそうになるので、ご遠慮申し上げた。
いつかは精読することがあるかもしれないが、現在はあまり気が進まない。ノンフィクションという技法が、はてさてこのような暗部を掘り下げることばかりに注力されていいのだろうか、とさえ思う。
もちろん、関連づけて考えれば、山ほど重大なテーマを抱えた事件であり、一冊の本ではあるが、はてさて次回はどのような系譜でこの道と遭遇することになるであろうか。闇にも目を閉じない、という気概は必要だが、敢えて迷い込んでいく必要もまた感じない現在である。
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