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2018年8月

2018/08/31

秋を読む

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2018/08/30

今日の気分はこの三冊<39>

<38>からつづく

今日の気分はこの三冊<39>

今日の気分はこの3冊 目次

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「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則
ケヴィン・ケリー (著),    服部 桂 (翻訳) 2016/07 NHK出版 単行本: 416ページ 目次

「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書
金子 啓明(著), 岩佐 光晴(著), 藤井 智之(著), 能城 修一(著), 安部 久(著) 2015/12 東京美術 単行本: 159ページ

「Mindfulness in the Modern World」 
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life?
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)
 目次
 

 最近の私の読書傾向は明らかに変化している。読書傾向というべきだろうか。そもそも私はあまり読書家というほど本を読んではいないのだと思う。言ってみれば、本との接し方が変わった、というべきか。

 今日の三冊のうち二冊は、本日ネットで購入して本日手元に届いた本である。OSHOの一冊はタブレットに一冊入ってはいるが、実は先日まで紙印刷本も持っていた。二冊(!)あるのだから、と、親しい友人にあげてしまったのだが、やっぱり手元に一冊欲しいな、ということで、近日中にまた紙本を一冊手に入れる予定だ。

 つまり、これまでの、本は図書館から借りて読む、というスタイルが、明らかに、好きな本は手元に置く、という傾向に代わってきているのだ。考えてみれば、このシリーズ前回の<38>においても、二冊が最近やはりネットで購入して手元に来たタイミングでメモしたのだった。

 そして前々回の<37>もそうだった。一冊と一枚のDVDは、どうしても欲しくなって、最近手に入れたものである。過去に何度も見ていたとしても、それは図書館やショップからのかりものだった。それでも十分だったのだが、やはり存在として身近に置きたくなる。そのような傾向がでてきたようだ。

 「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」 道元 正法眼蔵現成公案

 自他の隔たりのあるうちは、本当の読書とは成り得ないのではないか。自らを評論家の立場において、ただ知識だけが増えていく。これは迷いである。やってきた知識たちを自らのものとなし、自らの日々の中に生かすことこそ、読書の読書たるべき姿勢であろう。

 読む、という行為は明らかに減っている。ひとつひとつの力ある言葉たちを、生きるに変えていくことこそ、今自分が体験しつつあることであろう。

 天高く大地実りて秋を読む 把不住

 <40>につづく

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「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<77>世間にて

<76>からつづく

 

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<77>世間にて  目次 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

<5>からつづく 

 

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「究極の旅」
: OSHO 禅の十牛図を語る <6>
OSHO (著), スワミ・プレム・プラブッダ (翻訳)  2013/10/11 出版社: いまここ塾 河出書房新社 単行本(ソフトカバー): 484ページ ()


<7>につづく

 

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あれこれと迷うも愉し蓮の池 把不住

 

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<78>につづく 

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2018/08/28

「オウム真理教事件とは何だったのか?」 麻原彰晃の正体と封印された闇社会 一橋文哉

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「オウム真理教事件とは何だったのか?」 麻原彰晃の正体と封印された闇社会
一橋 文哉 (著) 2018/08 出版社: PHP研究所 新書: 360ページ
No.4224

 当ブログとは何の縁もゆかりもない世界の話についての本だが、この著者の名前が目に入ったので、図書館の新刊コーナーから借りることになった。さっさと目を通して、返却すれば、それだけのことなのだが、はて、それでいいのか、自問する自分もいる。まずは読んだ、という記録だけは、残すべきなのか?

 当ブログがスタート後、数年してから、図書館の開架棚に散見される一連の書物を無視できなくなって、おおよそ数か月、思い切って関連の書物を、数十冊読み散らしたことがある。「麻原集団事件」関連リスト、と独自の名前をつけて、タイトルだけでは検索されにくくしておいた。

 あの一連の書物群の中では、「慟哭」 小説・林郁夫裁判(佐木隆三 2004/2 講談社)を持って終局とし、チベット密教側からの視点としては、「チベット密教」(ツルティム・ケサン /正木晃 2000/01 筑摩書房)が俄然光っていたので、精読した。

 かつての友人が戦後初(そしておそらく唯一)の東大卒死刑囚とされる豊田亨を語った「さよなら、サイレント・ネイビー」 地下鉄に乗った同級生 (伊東乾 2006/11 集英社)にも、心打たれるところがあった。

 そして、独自の取材を基にした独自のリアリティを展開したのが、「オウム帝国の正体」 (一橋文哉 2000/7 新潮社)だった。麻原を一段掘り下げて取材したノンフィクションは、かなり強烈な一冊であった。今回、この新刊に手が伸びたのは、この著者の名前が見えたからである。

 かつての一冊の焼き直しであろうか、と思ったが、独自の取材がさらに加えられていて、目を惹かれるところがかなりあった。村井、早川、上祐と言った取り巻きが登場する前に、実は、80年代初半から中盤にかけて、これまで知られることのなかった「神爺」、「長老」、「坊さん」と言った、悪のトアイアングルの取り巻きがいたことを明らかにしている。

 さらに、そんなものより、さらに深い闇の中に読者をいざなおうとする一冊ではあるが、何の縁もゆかりもない私としては、またまたあの一連の事件を再体験させられそうになるので、ご遠慮申し上げた。

 いつかは精読することがあるかもしれないが、現在はあまり気が進まない。ノンフィクションという技法が、はてさてこのような暗部を掘り下げることばかりに注力されていいのだろうか、とさえ思う。

 もちろん、関連づけて考えれば、山ほど重大なテーマを抱えた事件であり、一冊の本ではあるが、はてさて次回はどのような系譜でこの道と遭遇することになるであろうか。闇にも目を閉じない、という気概は必要だが、敢えて迷い込んでいく必要もまた感じない現在である。

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2018/08/26

「ゼロからはじめる LINE ライン」 スマートガイド

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「ゼロからはじめる LINE ライン」 スマートガイド 改訂版 第2版 
2018/04 出版社: 技術評論社単行本(ソフトカバー)   192ページ
No.4223★★☆☆☆

 ジョン・レノンが殺害された1980年12月。当時私は県立がんセンターの死のベットの上にいた。諦観の日々を打ち破ったのはアルビン・トフラーの「第三の波」だった。情報社会が到来し、やがてもっと自由な、人間的な社会が誕生する。その夢に、26歳の私は酔った。

2006年3月、梅田望夫「ウェブ進化論」を読んで、私はブログを始めた。 そして、2016年10月に、ケヴィン・ケリーの「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則、で、なにはともあれ、もう少し先に行ってみよう、と思っているところである。

 3・11震災後に、LINEというものの存在を知った。その経緯についてはすでに既述しているとおりだが、そのアプリはかなり初期的にインストールはしていまでも登録のままだが、使用はしていない。この件についてはすっかりラガードであり、そのことに悔いはない。

 だが、ときに、待てよ、と思わないわけでもない。当時よりかはだいぶすっきりしただろうし、話題参入の意味で、もう一度使い始めてはどうか。逡巡しないわけではない。必要性、嗜好性という意味では、まったく論外なのだが、生来の好奇心が身をもたげる。

 ネット社会といわれる情報化時代には、通信手段は不可欠である。私の生活にも欠かせないライフラインである。通信手段がなければ、仕事もできない。大げさに言えば、生活をしていくことさえできない。だが、すでに、それらに対して給されている手段は十分足りている。

 通信手段は、自分なりに体験したうえで、精選して使いこなしていくことになるだろう。最近は、アニメキャラをうたったナントカGO!なるアプリもあるそうだ。身近なところでも、いい大人も夢中になっているとのことだが、私はまったく食指が動かない。私はここでもラガードで十分だ。

 こんなことで焦ってもしかたない。ちっとも自分の命が喜ばない。しかたないね。もっと楽しそうなことを探そう。自分には自分の嗜好性があるのだ。そう思って、目をそらすのだが、世の中にそのようなアプリや手段があることを無視してばかりもいられない。なるほどね、そういうものがあるのね、という程度には、情報を仕入れておく必要を感じる。

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2018/08/23

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<76>貯金箱

<75>からつづく

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<5>からつづく

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「コンフォルト」 2018年2月号 特集:祈りの場所をつくる<6>
出版社: 建築資料研究社 2018/01  雑誌 梱包サイズ:  30 x 23.5 x 1 cm 隔月刊版
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 おじいちゃんの瞑想ルーム(最近は禅堂と言いたくなってきた)と、孫たちの遊び部屋は、同一である。狭いながらの楽しきわが家とは言え、ほとんどの部屋はモノで埋まっている。できるだけ空間を生かして、多目的に使えるようにしているのは、わが家においては、ビルトインの駐車スペースを改造した、瞑想ルーム(兼プレイルーム)だけである。

 県外から帰省した孫たちは、長期滞在のうちに、宿題のいくつかを終わらせた。絵日記や、読み書き、そして工作など。孫本人は早いうちに終わらせたいために、簡単な方法を選ぶ。

 工作のテーマは、貯金箱である。段ボールをハサミで切って、テープで張り合わせ、小銭の投入口を作って、はい、終わり、としたい。ところが、それでは母親のOKがでない。宿題提出後の点数が気になるらしい。

 ここはもう少し丁寧にカッコよく、ということで、材料集めに百均ストアにアッシー君を頼まれる。ベニヤ板と、板製の箱、それにいくつかの塗料類を買い集めてご帰宅。さっそく、じいさんの瞑想ルームは、孫たちの工作ルームと変化する。

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 よくよく見ていると、なんだ、買ってきたのは、わが家の廃材ボックスに残っている半端材で十分ではないか。そう言うと、孫たちの母親は、早く言ってくれればよかったのに、と言う。でもやっぱり買ってきた材料のほうが好みらしく、だんだんと孫たちとの共同作業を進めている。

 さて、ふと考えた。そういえば、わが瞑想ルームにも、いわゆるドネーション用の箱(賽銭箱)があってもいいのではないか。これまで、何回か、そんなことを考えたことがある。こうして孫たちが、ここで貯金箱を作り始めたことは、これも何かの縁かもな。

 なんの目的もなく集めていた小さな廃物たちが、すこしづつ動きだすかもしれない。いや、動かそう。これらを活用して、いわゆる賽銭箱を作るのだ。ネットを検索すると、なんとこれが多種多様なものが使われているらしいことが分かった。そもそも基本というものはあるのだろうか。

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 愛すべき寺小屋の薬師如来の前に浄財と書いてあった賽銭箱がある。私もそれに見習おうか。どこに置くの? どこのくらいの大きさなの? そんなこと、これまでまったく考えたことなかったな。すこし研究してみよう。

<77>につづく

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2018/08/22

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<11>

<10>からつづく 

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<11>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

 廉価なサブ機を入手して、まもなく一か月になろうとしている。まずは一か月目の心証をメモしておこう。良かった面から。

1)同じブランドで我がオフィスを統一できたことはよかった。
2)ローエンド機種なので、財布にやさしい。
3)わが家の奥さんの渋い顔が明るくなった。
4)なにはともあれ、オフィス・ソフトが最新になった。
5)サブ機があるという安心感は大きい。
6)セッティングが非常に容易だった。
7)これで、まずは10年頑張ってみよう。

 とまぁ、無理しても良かった面から入ったが、メイン機を通常使っている身から考えると、ちょっとなぁ、と思う面は、正直言って多々ある。

1)とにかく遅い。HDDとSSDの違いがこれだけあるか。
2)画面は大きいが、色彩は論評に耐えるようなものではない。
3)キーボードがやたらと大きく、10キーなどは不要。
4)重い。2.5キロある。据え置き機以外に考えられない。
5)全体的にもっさりしていて、新しいPCを入手した感動が薄い。
6)知人に語ってみるが、替わり映えしないな、と言われる。
7)後悔はしないが、次は上位機種を買えるように頑張ろう。

 てなところである。理想を言えばキリがない。ちょっとした選択肢を重ねていくと、最初の予算の倍くらいになる。どこをどう盛り上げて、どこをどう切り下げるのか、この見極めが肝心だ。

 現在のメイン機については、正直言って80%以上満足している。SSDはいい。ブランドにこだわった甲斐があった。重さ1キロは、想像以上に活動的である。薄い。早い。綺麗。

 数年後、メイン機種を買い買えることがあるとすれば、この延長線上の機種を入手することになろう。メモリはもっと増量し、記憶容量も増やしたい。そろそろオフィス・ソフトも更新だろう。本当は開閉度がもっと大きくて、ヨガスタイルだといいのにと思う。だけど、予算がなぁ。

 なにはともあれ、一か月後の感想である。

<12>につづく

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「さよなら、インターネット」――GDPRはネットとデータをどう変えるのか 武邑光裕

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「さよなら、インターネット」――GDPRはネットとデータをどう変えるのか   
武邑 光裕   (著),    若林 恵 (その他) 2018/06 ダイヤモンド社 単行本(ソフトカバー)
No.4222★★★★☆

 武邑光裕、昔から聞いているような名前でありながら、結局この人何している人なのか、良くわからないできた。当ブログにおいては、1982/11に平河出版社から翻訳した「グルジェフ・ワーク」生涯と思想、で登場したキリである。

 どんな人なのだろう。以前から、この人の名前のカッコよさだけが目立ったので、今回ググってみたら、こんな感じの方だった。
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 同年生まれの私としては、うん、なるほど、周囲にも、いそうな風貌の方であるな、と、とりあえず、安心。肩書のメディア美学者とは、なんとも背負った名称ではあるが、まぁ、武邑光裕という名前にはふさわしいプロフィールかと。

 同じタイトルで家入一真の「さよならインターネット」 まもなく消えるその「輪郭」について(2016/08 中央公論新社)があるが、家入がどちらかというと個人的で情緒的にさよならしているのに対し、武邑は、ドイツに居を移し、今年5月にEUで発効されたGDPRについてのレポートと考察を中心として、さよならをいうべきかどうか躊躇している、という風情である。

 EU(欧州連合)が立法化したGDPR(一般データ保護規)は、個人のプライバシーに基づく「データ保護」を世界に先駆けて厳格化した規則である。
 欧州議会が以前に制定したEU加盟各国で法制化が涼んだEUデータ保護指令を置き換える統合的な規則で、従前と比べて激しい罰則、対応する国内法を採決必要がなく、EU/EEA域外へのビジネス上の影響も大きいなど、EUのデジタル単一市場戦略の要となる法規制である。 
p012「データと情報」 

 巻末の解説「その後」の世界へ、は「WIRED」日本版元編集長の若林恵が担当している。この人もどんな方なのかなぁ、とググってみると、割とイメージに近い。武邑よりは17才も若いので、このくらいカッコつけてもらったほうがいいだろう。

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 「WIRED」日本版においては、若林のエディターズ・ノートが大好きだった。ハイカラな雑誌のハイカラな編集長であるべき存在でありながら、時には突拍子もない素朴な感想を述べるあたりに、我が意を得たりと思わせる共感性を呼び起こす存在であった。

 彼には近著に「さよなら未来」エディターズ・クロニクル 2010-2017 (岩波書店 2018/04)あるようだ。近日中に読んでみることにする。

 はてさて、お二方とも、さよなら、インターネットとか、さよなら未来、などと、煽情的なタイトルがお好きなようではあるが、そこから一気に世捨て人になるということではあるまい。

 GDPRとやらは、まだ日本では話題沸騰というふうにはなっていないようでもあるし、そもそも、私もよく分かっていない。彼らの危機感には寄り添う必要があるが、それでは一体個人には何ができるというのだろう。

 インターネットの代名詞となったワールド・ワイド・ウェブの発明者であるティム・バーナーズ=リーは、近年の「インターネット・システムは破綻している」と述べた。
 VR(バーチャル・リアリティ)というコンセプトとヘッドマウント・ディスプレイの発明者であるジャロン・ラニアーは、「ソーシャルネットワークのアカウントをいますぐ削除すべき」と断言する。
p003「はじめに」

 そもそもこの十数年、SNSによってネット再参入した私としては、むしろブログのほうがより手元に情報を置きやすいということで、当ブログを続けてきたわけだが、SNSや一種特殊なアプリには、とりあえず一定の距離をおいて付き合ってきた。

 人によってその付き合い方は程度の差があるだろうから、一概には言えないが、この本のような反語的な警鐘を、簡単に見落としてはなるまい、と思う。

 

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「把不住述懐」<29>万法

<28>からつづく

把不住述懐<29>

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「曹洞宗青年聖典」

曹洞宗教化部 1966/05  新書版 100P 曹洞宗宗務庁
No.4221★★★★★

 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは、さとりなり。迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず、しかあれども諸仏なり、仏は証しもてゆく。p54「正法眼蔵現成公案 抄」

 この新書版の聖典は、1975年8月、仙台の輪王寺に参禅していた時期に和尚さんよりいただいたものである。ちょうどこの時期、私は、OSHO「存在の詩」のニューズレターを受け取った。

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 上記の一説は当然、もっと有名な一説に対応している。

 仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法証されるるというは、自己の心身、および佗己の心身をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。p54「正法眼蔵現成公案 抄」

 私はこのところ、地球人スピリット・ジャーナルという、自己をはこびて万法を修証する、という迷いの道をさまよってきたのではないだろうか。あたらしいブログにおいて、万法すすみて自己を修証する、という道に就けるだろうか。

 輪王寺の座禅会は、この地において、私のようなごく一般人が受けることができる、もっとも厳格な禅の指導である。二回の40分間の座禅の間に10分間の経行がある。禅堂もまた格式のあるものである。庭もすばらしい。縁ありてよき導きに出会えることに感謝する。

「曹洞宗青年聖典」<2>につづく

「把不住述懐」」<30>につづく

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2018/08/14

「霊場と松島と」 松島町産業観光課 <1>

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「霊場と松島と」 <1>
霊場松島プロジェクト 2014/03 松島町産業観光課 小冊子 93P
No.4220

 近年近くにできたうみの杜水族館。このところ、孫たちと夏休みに遊びに行くのが恒例となっている。イルカやアシカのショーも毎年趣向が変わって楽しいし、子供たちの目の輝きがまた素晴らしい。

 今年は、三陸の小学生が見つけたという白いウニも展示されていて、こんな小さな生物を預かって飼育するのも大変だろうな、とスタッフのご苦労を察する。大きなコイへの餌やりも楽しかった。

 でも、今年、爺さんとしては一番の収穫は、展示物の中にあった観光パンフレット。さりげなくあって、なんでここにあるのかな、と思うようなシンプルさ。そこんとこがよかったのかな。内容がまたすばらしかった。ぞっこんという感じ。

 「霊場と松島と」。どういう経緯で出来た小冊子なのか、すぐにはわからなかったが、最近自分が松島について知りたいな、と思っていたことが、たくさん詰まっていた。特に、松島の、雄島の、把不住軒のことなど。

 内容が、ぎゅっと詰まっていて、知りたいことがコンパクトに、シンプルに、美しく、深く、まとまっていた。いいな、こういう編集の仕方。時間が、空間が、跳んでいる。もう少し、ゆっくりめくって、また気づいたことがあったら、ひとつひとつメモしたいと思う。

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「徒歩旅行松島」
松島リブランディング事業 2016/07  松島町 小冊子 p15
No.4221★★★★☆

 もう一冊あったのが、こちらのフリーペーパー「徒歩旅行松島」。こちらもなかなかの出来です。松島は、巨視的に見れば地元一番の観光スポットだが、車で一時間ほどの距離がある。何度も何度も訪問してはいるが、本当によくわかっているだろうか。

 小さな時に子供会の旅行で訪れて以来、しっかり私の心に刷り込まれている風景がある。原情景でもあるし、未来の風景でもある。そして、今世で、行こうと思えば、いつでも遊びにいける近場のスポットである。

 この二つのパンフレットを眺めていて、いろいろなことが絡まっていることを知った。ひとつひとつほどいていくのも楽しいだろうが、絡まったまま、そのままにしておくことも大事で必要なことかな、とふと思う。

 解釈はもういいだろう。ありのままの風景を、ありのままのサイズで、そっとしておくことも大事だ。とくに私の中での風景としては。なにかが、原寸大のまま、投げ出されている。月が。海が。波が。島が。

 「霊場と松島と」<2>につづく

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2018/08/11

バトルと炎上はネットの華?<4>古参

<3>からつづく
「バトルと炎上はネットの華?」
<4>古参

最古参のサニヤシンでありながら・・・

 私がプーナ1のアシュラムに着いたのは1977年11月である。ツアーリーダーのプラブッダとともに10数人で到着した。当時プーナには1万人位の人々がアシュラムに通っていたが、そのほとんどはインド人と西洋人で、極東人はごく少数派。韓国系や中国系に交じって、日本人(らしき)サニヤシンは20人ほどいた。

 サニヤシンとしての日本人は、別段にここにばかり滞在しているわけじゃないので、ほかにも十数人いたと言われていたから、おそらく私は、そういう数え方があるとすれば、日本人としては30番代であっただろう。

 しかし、それがどうした、というのだろう。

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<5>よりつづく 

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「道元」その探求と悟りの足跡<6>
OSHO スワミ・アンタール・ガータサンサ翻訳 1992/11 出版社: 和尚エンタープライズジャパン  (OEJ books)  単行本  472ページ

 真理に興味を持つようになる探求者には二種類ある。ある人は経典を探し始める。その人は大した知識人になり、偉人になるかもしれないが、内側は暗闇のままだ。彼の光はすべて借り物あ。借り物の光は、人生の本当の危機の役には立たない。OSHO p24

 二番目のタイプの探求者は、聖典に向かわないで、師(マスター)を探し始める。これらは二つの異なった次元だ。一方は知識を求め、他方はまだ生きている源泉を探し求めている。一方は死んだ経典を探し求め、他方は、そのハートがいまも脈打ち、踊り、その目の中にまだ深さを見ることができ、その臨在のもとで、人が自分自身の潜在的可能性を見いだすことができるような、生きた経典を探し求める。OSHO 026

 道元はこう書いています。

   仏道を学ぶということは、自己を学ぶということである。

さあ、これは途方もなく価値ある言葉だ。彼はこう言っている、「道について尋ねるな、道など無い」と。OSHO p36

 道のことなど構わないでいなさい。ただ自分自身を学ぶがいい。

   自己を学ぶということは、自己を忘れることである。

誰が自己を学ぼうとしているのか? 自己を学ぼうとする者は、すでに自己を落としている。自己を学んでいる者は、観賞者(ウイットネス)、あなたの真の自己なのだ。OSHO p38

 OSHOのところに惹き付けられてきた人々にはたくさんのタイプがあることだろうが、1970年代における旅人たちの、ほとんどの人々は、彼を翻訳してやろう、なんて最初の最初からやってきた人々は少ないだろう。ほとんどは、自分を学ぼうとして、プーナまで旅をしてきたのだ。

 彼が何を言っているとか、どんな本を出しているとか、ほとんど無関係であったに違いない。あったとしても、限りなくすくなかった。ほとんどは、自分の直観で、惹き付けられるまま、やってきたのだ。理解したから旅をしてきた、理解したからサニヤシンになった、もしそういう人がいたとするなら、それはそれでいいだろう。だが、何を理解したのだろう。

 六祖慧能は、薪売りをしていて、街で「金剛経」の読経を一回聞いただけで、覚ったという。

 君たち、しずかに聞いてくれ。おら(慧能)がおやじは、洛陽が本籍であった。左遷で嶺南に流されて、新州の百姓になりもうした。おらが幼いときに、父はもう死んでいた。老いた母とみなしごは、南海に移って来た。つらい貧乏で、町に出て薪を売った。あるとき、一人の客が薪を買ってくれて、おらに旅籠までとどけさせた。客は薪をもってゆき、おらは銭をもらった。門の前に引きかえすと、ばったり一人の客が「金剛経」をよんでいるのに会う。おらは、それを聞いただけで気持ちが晴れて、すぐに悟った。そこで、客にきいた、「どこから、そのお経を受持して来られたか」 「禅語録」p98「六祖壇経」

 最古参、という意味では、日本人ではそういう立場の人はいないだろう。すでにOSHOの周りにはたくさんの人々がいた。もし、どうしても日本人レベルの最古参というものを知りたければナルタンの「インナーラビリンス 自分という名の迷宮」(2016/3 めるくまーる)でも読めば、何事かのヒントがあるかもしれない。

 おそらくそこにも、そのふさわしい存在を見つけることはできないだろうし、残念ながらというべきか、当然というべきか、私はその形容には値しない。そもそも、OSHOの世界には最古参とか高弟とか幹部とか、そういうものは存在しないと、私は理解している。

「道元」<7>につづく

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2018/08/10

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<75>夏休み

<74>からつづく

 
 早いものである。3・11前後から誕生したわが孫たちも、あっという間に赤ちゃんレベルを通り過ぎ、全員、幼稚園、小学校に通う日々となった。赤ちゃんと違うのは、全員、夏休みがあるということである。
 
 夏休みといえば、おそらく楽しいことがいっぱい詰まっているはずで、家族単位での移動や、新しい体験が待っている。ということは、爺さんにとっても新しい体験となる。
 
 ことし小学校一年となった孫たちも、さっそく旅行へと旅立った。仕事が残っている爺さんの元に残されたのは、朝顔の育成セットである。それでなくても、ぼうぼうとなってしまう夏の我が家の狭き庭だが、そこに、新鮮なニューフェースが加わったのだ。
 
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 夏休み前に、学校からこのセットを持ち帰ってくるのも大変だっただろうが、旅行中にこの朝顔に水をやることができない。その役目は、ごく当たり前のようにに爺さんにスライドしてくるのである。いや、別に嫌いじゃないからいいのだが、下手して枯らしてしまったりしたら、大ごとだ。物事は慎重にやるに限る。
 
 正直言って、我が家に来たときは、すこし枯れ葉がついていて、花付きもいまいちだったぞ。そこで、まずは日差しが強すぎないことに注意し、水もたっぷりやった。ツルは伸ばしすぎず、伸びたらまた支柱に戻して固まり感を強めた。
 
 そして、婆さんは化成肥料をひとふりしたそうである。そうして数日。天候も晴れたり、嵐が来たりの変化があったものの、今朝、庭の片隅で、しっかりと朝顔の花が、7つ、8つついていた。よかった、よかった。
 
 できれば、子供たちが帰ってくるまで、この調子で成長してほしい。そして、きちんと手渡して、ほっとしたい。なんだか、どきどきしたよ。
 
 預かりし 朝顔孫の 顔に見え 把不住
 

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2018/08/08

「日本人のこころの言葉 鈴木大拙」 竹村 牧男

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「日本人のこころの言葉 鈴木大拙」 
竹村 牧男 (著) 2018/06 創元社 単行本: 206ページ
No.4219★★★☆☆

 日本の哲学者で世界にもっとも知られている人は、文句なしに鈴木大拙です。最近、西田幾多郎や道元もよく知られてきていますが、なんと言っても大拙自身が著したあまたの英文の本が欧米では広く読まれ、かつ深い感銘を与えてきました。p1「はじめに」

 まさにこの「日本の哲学者」というところで、鈴木大拙を規定してしまっている。OSHOは大拙に対して、喝破する。

 鈴木大拙は、<存在>に対する新しい見方をひっさげて西洋に現れた。彼が人々を惹きつけたのは、その偉大な学識、深い学識のためだった。そして彼は西洋のマインドに、まったく新しい宗教の概念をもたらした。ただ、それは概念にとどまり、知的な議論のままだった。けっしてそれ以上深くはいかなかった。OSHO「禅宣言」p30

 哲学として、学者として、道を探究することは、むしろ当たり前のことであるが、それを極めるころには、哲学は落ち、学者はいなくなり、道は消える。老境に到った哲学者なら、有り余る教養が、雪崩のように漏れてきてしまうのはしかたないことだろう。

 しかし、それは禅そのものとは無関係である。直指人心、見性成仏、不立文字、以心伝心、只管打坐の世界においては、学者も哲学も遠回りの迷いに過ぎなくなってしまう。

 当ブログとしては、新刊コーナーにこの手の本があれば、すぐに何の疑問もなしに手が伸びるのであるが、当ブログの苦境を超えるには、この手の救いではもはや目も当てられない。むしろ、今や、この手の本が視野に入ってきたとしても、なんの心の動きもなく、さりげなく、立ち去る力量が求められる。

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「禅とジブリ」 鈴木敏夫

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「禅とジブリ」
鈴木敏夫 (著) 2018/07 出版社: 淡交社 単行本(ソフトカバー): 224ページ
No.4218★★★★☆

 この本の評価を★五つにするか、レインボー評価にするか悩んだ。この本を★五つにしておくことは、ちょっと中途半端な気がした。レインボー評価は、ちょっとてらいすぎなような気がした。結局★四つにした。

 そこに出来た差異はなにか。本の出来ではない。この本と、読者としての私との関係の距離感から、いちばんふさわしい評価に思えたのが、★四つである。てらいもなく、中途半端でもない。ちょうどいい塩梅だ。

 正直、すでにこの本が手元に来て10日が過ぎた。読む気になるのだが、読めない。日常茶飯事のさまざまな要因が邪魔する。されど、一冊、本を読む時間など、作る気になれば、毎日だって作れる。だけど、読めない。

 禅は、まずいいだろう。ジブリに関しては、実は私はあまり深い思い入れがない。この本に登場する三人の僧侶も、割と私の感覚に似ているのではないか。この対談の企画が持ち上がってから、アニメを見た(見直した)、と三人が口をそろえている。もう対談が終われば、あとはジブリは必要ない、と言い切ってしまう横田南陵老師などは、まさにさばさばしたものだ。

 最初に登場する細川晋輔和尚(1979年生まれ)は、あの松原泰道和尚の孫にあたるという。なるほど、私からすれば、私の子ども世代だ。若い自分、20前後の頃、松原泰道氏の、「~~入門」シリーズをよく読んだ。覚えていないが、おそらく5~6冊シリーズででていたはずだ。大変お世話になった。あの頃、他に類書が少なかった。

 二人目の横田南嶺和尚は1964年生まれ、私のひと周り下の世代だ。三人目の玄侑宗久和尚は、まさに私の世代である(と言っても、彼のほうが二歳若い)。彼の本もそれなりに面白いし、そもそも、「把不住」で検索すると、玄侑宗久氏に直接つながっていくところが、また面白い。

 さて、その上のジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫氏となると、1948年生まれ、私の上の兄貴世代であり、団塊の世代である。さらに、宮崎駿や高畑勲となると、さらにその上の世代である。形としては、老境の人々が、若い僧侶に道を尋ねている、という形になる。

 この辺あたりに、私はどうも違和感を感じるのであろう。つまり対談設定に無理を感じるのと、中心に位置する鈴木敏夫氏に感情移入ができないのだ。地味な本と、花のある本があるとするならば、この本は花のある本である。それを好む人には、この本は面白いに違いない。

 されど、私はこの手の本を読むときは、地味目の、うるさくない本が好きである。もっとシンプルで、簡単で、地味な奴が好みなのだ。端々にエピソードが満載で、その手の支線が好きな人には、大変興味深いだろう。

 好みから言えば、この鈴木流エピソードの支線が、どうも邪魔と感じる私には、この本は★3つか4つが妥当だと思わせる。今回は、締め切りが間近になり、返却せねばならず、急ぎ読みになってしまったが、いずれ再読するかもしれない。それでもやっぱり、評価はおおむね変わらないだろうな、と思う。

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2018/08/02

「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」<20>

<19>よりつづく

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「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 <20>
リズ・ダベンポ-ト/平石律子  2002/09 草思社 単行本 222p
★★★★★

 わがビジネスの座右の書は三冊ある。ひとつはパソコン会計の本で、年一度の決算には欠かせない、そしてすぐに忘れてしまうノウハウ本である。この本がないと、決算が終わらない。

 次の一冊は、仕事上の進化論の話である。すでに内容は古い。ためになるところはほとんどない。されど、この本がでた当時の熱意が忘れられない。そうだよなぁ、オレだって、やる気満々だった、と胸がキュンとなる。

 そして、三冊目がこの本である。いや、この本こそトップにでてしかるべきビジネス上の座右の書であろう。内容など、もうわかり切っていて、読む必要などない。言われてみれば当たり前の内容なのである。だけど、私は、何か月かに一度、何年かに一度、こうやさしく背後から呼びかけられる。

 「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」

 これは当時の(2002年)草思社の編集部の勝利である。原題は「ORDER FROM CHAOS」である。この原題から、邦題を導き出す能力とユーモアとゆとりが、当時の草思社にはあった。

 私は、このフレーズに呼び止められる。今回は一年半ぶりである。

 「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」

 そうなんです。気づいています。もう何回も気づいています。だけど、この数週間、この数か月、どうにもならないんです。片付かないんです。ギブアップ気味です。どうしてかなぁ。時々は片づけて、これでもだいぶ良くなったんです。だけど、あと、一歩、二歩のところで、時間切れになって、放置してしまうので、結局その上に、またたまってしまうんです。涙

 ええい、もう、今回もまた、この本のもつエネルギーを活用し、援助してもらって、私は片づけるのである。あ、いや、片づけようかなぁ、と決意しかかるのである。ただ、実行が伴わない。挫折するのである。

 理由はなんだろう。やることが多過ぎる。飽きてしまう。最終形態のイメージがない。もうどうでもいい段階になってる。決断力がない。未練がある。捨てられない。もともと雑然としているのが好きである。

 断捨離とかいう言葉がある。おなじ方向性の解決策だとは思うが、私はこのリズ・ダベンポート女史に一票を投じる。断捨離なんて、禅語のような「喝」の入れ方をされるより、アメリカ女史の、あくまでやさしく、いいのよ、だめだったら、また私を読めばいいのよ、という、ヌメヌメとした、やさしさが、私は好きなのである。

 ああ、たしなめられたい。叱ってもらいたい。そして、ダメな自分を憐れむ私自身が好きなのである。

<21>つづく

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「把不住述懐」<28>ダイジェスト

<27>からつづく

把不住述懐<28>ダイジェスト

 率直に書いておこう。現在、例の「ダイジェスト」を編集中だ。私にとっては大事な一文である。なんせ足掛け13年の総集編である。なんとかしたい。その期待感に比して、冷静になってみれば、かなり凸凹で、まるでいい加減な文章なのではないか、と、反省したり、後悔したり、羞恥心に駆られてみたり。

 なにはともあれ、その時その時にメモしたダイジェストを一文として、ワードに貼り付けてみる。かなりの凸凹はあれど、一元化してみれば、それなりの分量になる。おそらく新書本にしたら、一冊になるほどである。

 さて、人は、どんな時に新書本を手にして読むのだろう。なにか知りたいテーマがあって、手っ取り早く知りたい。お手軽に知りたい。客観的な事実の概略をしりたい、そんなところではなかろうか。

 さて、わがダイジェストは、どんな塩梅か。必ずしもテーマははっきりしていない。概略的でもなければ、専門的でもない。先進的でもなければ、オーソドックスな基礎の確認でもない。ただただ事実の記録に過ぎない。これでは、自分の満足を得ないところか、よそ様の目を汚すことなど、できないのではないか。

 私はこの十数年、全精力を傾けて、いったい何をしてきたというのだろうか。すべては無駄だったのか。核心的なことなど、何も得ることのないまま、時間だけを浪費してきたのか。地球人も、スピリットも、ジャーナルも、なにものも極めることなく、ただただ死への道を歩いてきただけなのか。

 その出来の悪さについては、かなり絶望的だ。そもそもない才能を、磨きもせずに、ただいたずらに放埓にさせているだけではないのか。汚れたチリ紙をくしゃくしゃにしてしまったような気分だ。ええい、このままごみ箱直行か。

 待て待て。そう落ち込むな。そんなはずはない。自分は自分なりに精一杯生きてきたはずなのだ。よそ様と比較するようなことではないが、自分自身では、じゃぁ、ほかにどんな道があったというのか。これはこれで、妥当性があって、必然性があって、正当性があった道ではないか。

 もう少し時間をかけよう。編集が必要だ。煮詰めが必要だ。そのプロセスがはっきり見えるようにしよう。残されている道はそれほど多くない。結局、この道をいくしかないのだ。ここをさらに極めていくしかないのだ。

 時間をかけよう。過去を振り返るためのダイジェストではなく、未来への指針としてのダイジェストをまとめよう。今ここにいるための、中心を見つけるためのダイジェストにしよう。

<29>につづく

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2018/08/01

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<10 >

<9>からつづく  

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<10>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

 おかげ様でだいぶ設定が前に進んだ。以前DVDに落としておいた膨大な画像データを復元し、仕事用ヘルプのサポートを受けながら、お仕事モード環境を作り、プリンターやメモリースティックを確認し、バッテリの確認、プリンターのインストール、オフィスソフトの確認など、まずまずここまでくればいいかな、というところまではきた。

 通信回線の複線化やアンチウィルスソフトの確認、画面の明るさの調節、アイコンの大きさなど、気になることは山ほどあるが、実際に使っている中で、ひとつひとつ調整していけばいいあろう。

 むしろ気になるのは、新しいPCに移行するとして、これまで使ってきた旧PC達の無残な有様である。これまでお世話になってきたのだから、無碍に冷たくすることもできないが、かと言って、有効な延命策も、これと言ってない。

 自称廃物アートの私くしとしては、このPCの残骸たちが、無性に愛らしく思えてしまうのである。筐体が割れたり、画面にシミができていたりとかは、まぁ、なんとかなるが、OSがまったく立ち上がらなくなってしまったPCはちょと困る。なんとかできないものか。

 これら一台一台にとっかかっていれば、せっかく新しいPCを導入しても、余計な時間を取られるだけではないか。なるほど、そうなのではあるが、やっぱりなぁ、なんとかしたい。

 というわけで、いずれまた混迷の日々に再突入するのだろう。まぁ、それもよし。

<11>につづく

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