「さよなら、インターネット」――GDPRはネットとデータをどう変えるのか 武邑光裕
「さよなら、インターネット」――GDPRはネットとデータをどう変えるのか
武邑 光裕 (著), 若林 恵 (その他) 2018/06 ダイヤモンド社 単行本(ソフトカバー)
No.4222★★★★☆
武邑光裕、昔から聞いているような名前でありながら、結局この人何している人なのか、良くわからないできた。当ブログにおいては、1982/11に平河出版社から翻訳した「グルジェフ・ワーク」生涯と思想、で登場したキリである。
どんな人なのだろう。以前から、この人の名前のカッコよさだけが目立ったので、今回ググってみたら、こんな感じの方だった。
同年生まれの私としては、うん、なるほど、周囲にも、いそうな風貌の方であるな、と、とりあえず、安心。肩書のメディア美学者とは、なんとも背負った名称ではあるが、まぁ、武邑光裕という名前にはふさわしいプロフィールかと。
同じタイトルで家入一真の「さよならインターネット」 まもなく消えるその「輪郭」について(2016/08 中央公論新社)があるが、家入がどちらかというと個人的で情緒的にさよならしているのに対し、武邑は、ドイツに居を移し、今年5月にEUで発効されたGDPRについてのレポートと考察を中心として、さよならをいうべきかどうか躊躇している、という風情である。
EU(欧州連合)が立法化したGDPR(一般データ保護規)は、個人のプライバシーに基づく「データ保護」を世界に先駆けて厳格化した規則である。
欧州議会が以前に制定したEU加盟各国で法制化が涼んだEUデータ保護指令を置き換える統合的な規則で、従前と比べて激しい罰則、対応する国内法を採決必要がなく、EU/EEA域外へのビジネス上の影響も大きいなど、EUのデジタル単一市場戦略の要となる法規制である。 p012「データと情報」
巻末の解説「その後」の世界へ、は「WIRED」日本版元編集長の若林恵が担当している。この人もどんな方なのかなぁ、とググってみると、割とイメージに近い。武邑よりは17才も若いので、このくらいカッコつけてもらったほうがいいだろう。
「WIRED」日本版においては、若林のエディターズ・ノートが大好きだった。ハイカラな雑誌のハイカラな編集長であるべき存在でありながら、時には突拍子もない素朴な感想を述べるあたりに、我が意を得たりと思わせる共感性を呼び起こす存在であった。
彼には近著に「さよなら未来」エディターズ・クロニクル 2010-2017 (岩波書店 2018/04)あるようだ。近日中に読んでみることにする。
はてさて、お二方とも、さよなら、インターネットとか、さよなら未来、などと、煽情的なタイトルがお好きなようではあるが、そこから一気に世捨て人になるということではあるまい。
GDPRとやらは、まだ日本では話題沸騰というふうにはなっていないようでもあるし、そもそも、私もよく分かっていない。彼らの危機感には寄り添う必要があるが、それでは一体個人には何ができるというのだろう。
インターネットの代名詞となったワールド・ワイド・ウェブの発明者であるティム・バーナーズ=リーは、近年の「インターネット・システムは破綻している」と述べた。
VR(バーチャル・リアリティ)というコンセプトとヘッドマウント・ディスプレイの発明者であるジャロン・ラニアーは、「ソーシャルネットワークのアカウントをいますぐ削除すべき」と断言する。p003「はじめに」
そもそもこの十数年、SNSによってネット再参入した私としては、むしろブログのほうがより手元に情報を置きやすいということで、当ブログを続けてきたわけだが、SNSや一種特殊なアプリには、とりあえず一定の距離をおいて付き合ってきた。
人によってその付き合い方は程度の差があるだろうから、一概には言えないが、この本のような反語的な警鐘を、簡単に見落としてはなるまい、と思う。
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