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2018/08/22

「把不住述懐」<29>万法

<28>からつづく

把不住述懐<29>

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「曹洞宗青年聖典」

曹洞宗教化部 1966/05  新書版 100P 曹洞宗宗務庁
No.4221★★★★★

 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは、さとりなり。迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず、しかあれども諸仏なり、仏は証しもてゆく。p54「正法眼蔵現成公案 抄」

 この新書版の聖典は、1975年8月、仙台の輪王寺に参禅していた時期に和尚さんよりいただいたものである。ちょうどこの時期、私は、OSHO「存在の詩」のニューズレターを受け取った。

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 上記の一説は当然、もっと有名な一説に対応している。

 仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法証されるるというは、自己の心身、および佗己の心身をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。p54「正法眼蔵現成公案 抄」

 私はこのところ、地球人スピリット・ジャーナルという、自己をはこびて万法を修証する、という迷いの道をさまよってきたのではないだろうか。あたらしいブログにおいて、万法すすみて自己を修証する、という道に就けるだろうか。

 輪王寺の座禅会は、この地において、私のようなごく一般人が受けることができる、もっとも厳格な禅の指導である。二回の40分間の座禅の間に10分間の経行がある。禅堂もまた格式のあるものである。庭もすばらしい。縁ありてよき導きに出会えることに感謝する。

「曹洞宗青年聖典」<2>につづく

「把不住述懐」」<30>につづく

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