「把不住述懐」<28>ダイジェスト
把不住述懐<28>ダイジェスト
率直に書いておこう。現在、例の「ダイジェスト」を編集中だ。私にとっては大事な一文である。なんせ足掛け13年の総集編である。なんとかしたい。その期待感に比して、冷静になってみれば、かなり凸凹で、まるでいい加減な文章なのではないか、と、反省したり、後悔したり、羞恥心に駆られてみたり。
なにはともあれ、その時その時にメモしたダイジェストを一文として、ワードに貼り付けてみる。かなりの凸凹はあれど、一元化してみれば、それなりの分量になる。おそらく新書本にしたら、一冊になるほどである。
さて、人は、どんな時に新書本を手にして読むのだろう。なにか知りたいテーマがあって、手っ取り早く知りたい。お手軽に知りたい。客観的な事実の概略をしりたい、そんなところではなかろうか。
さて、わがダイジェストは、どんな塩梅か。必ずしもテーマははっきりしていない。概略的でもなければ、専門的でもない。先進的でもなければ、オーソドックスな基礎の確認でもない。ただただ事実の記録に過ぎない。これでは、自分の満足を得ないところか、よそ様の目を汚すことなど、できないのではないか。
私はこの十数年、全精力を傾けて、いったい何をしてきたというのだろうか。すべては無駄だったのか。核心的なことなど、何も得ることのないまま、時間だけを浪費してきたのか。地球人も、スピリットも、ジャーナルも、なにものも極めることなく、ただただ死への道を歩いてきただけなのか。
その出来の悪さについては、かなり絶望的だ。そもそもない才能を、磨きもせずに、ただいたずらに放埓にさせているだけではないのか。汚れたチリ紙をくしゃくしゃにしてしまったような気分だ。ええい、このままごみ箱直行か。
待て待て。そう落ち込むな。そんなはずはない。自分は自分なりに精一杯生きてきたはずなのだ。よそ様と比較するようなことではないが、自分自身では、じゃぁ、ほかにどんな道があったというのか。これはこれで、妥当性があって、必然性があって、正当性があった道ではないか。
もう少し時間をかけよう。編集が必要だ。煮詰めが必要だ。そのプロセスがはっきり見えるようにしよう。残されている道はそれほど多くない。結局、この道をいくしかないのだ。ここをさらに極めていくしかないのだ。
時間をかけよう。過去を振り返るためのダイジェストではなく、未来への指針としてのダイジェストをまとめよう。今ここにいるための、中心を見つけるためのダイジェストにしよう。
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