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2018/07/18

「スター・ウォーズ学」清水 節 他

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「スター・ウォーズ学」
清水 節 (著), 柴尾 英令(著) 2015/12 新潮社 新書: 192ページ
No.4212★★★★★

 なんでもかんでも「学」をつければいい、というものではないだろう。何を今さら・・と、最初は思った。しかし、読み進めるうちに、なるほどとうなづいた。本のタイトルはまぁいいだろう。これがアカデミズムかどうかなんてはどうでもいい。

 しかし、この小さな新書は私の無知をいろいろとほぐしてくれた。この映画シリーズは決してハリウッドの中枢から正統派として生まれてきたわけではなかったこと。ある意味、反ハリウッド的な登場の仕方をしたこと。そして、いつの間にか、新たなるハリウッド流のはしりになったこと。

 そして、ルーカスを初めとする、ハリウッドの映画監督たちの中には、黒沢明映画を信奉している者たちが多いこと。黒沢映画を体系的に見たことがない私としては、かなり衝撃的な内容だった。

 そこからしてみると、宇宙大の戦闘シーンや、レーザー銃での戦いに比して、あの(例の)ライト・セーバーでの交戦は、ある意味、単なる戦いではない、ということも、少しは分かってきた。あるいは別なものを何か表したがっているのだが、あのような形でしか表現できていないのだ。

 フォースと言われているものを、何か別なものに急いで置き換えようという作業はやめておこう。このシリーズで語られているのはフォースなのであって、他の何かと混同する危険は避けよう。少なくとも、最初はこの映画は「ウォー」と付いてはいるが、決して好戦的な戦争映画ではないのだ、ということを、遅まきながら、ようやく気付いた。

 この本を読まなかったらわからないことが多かった。まして驚きだったのは、1962年生まれの二人が著者だったことと、この本が2015年にでていることだ。最近の最近まで、このシリーズは決して色あせていないのだ。そして、決して少年やSF青年たちだけのものではなく、中年、老年をも巻き込んだ、現代の神話になりつつある、ということにうすうす私もきずかざるを得なくなった。

 時代背景、映像技術の進歩、興行的側面。映画にはさまざまな要素が絡み合っており、ましてやシリーズ化してもはや10本近くの映画が40年に渡って制作されてきたとなると、なにがなにやらわからなくなって当たり前だ。ましてや、この頃目覚めた私のような一通りがかりの人間に、そう簡単に理解できるものではないことも、よ~くわかった。

 もう少し、このシリーズ追っかけはつづきそうだ。

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