把不住述懐<26>迷と道
把不住述懐<26>迷と道
今朝の書き込みにはタイトルがない。読後感想文でもないし、何かのエピソードでもない。雑感ではあるが、編集日記に書いておくのともちょっと違う。いわゆる述懐だ。
このブログ全体が述懐なのだから、敢えてそのタイトルは必要ないかな、と思ってきたが、どうもそうでもない。2・0から続いてきたこのタイトルだが、なんとなく続きものとして復活しそうだ。
述の巻が始まったばっかりなのに、次の巻名はなんとしよう、などと考えている。還の巻もいいな。道の巻はちょっとありふれているな。達の巻はちょっと早いだろう。遊の巻もまだまだ身に余る。
還の巻は、還相(げんそう)からきているのだから、還(げん)の巻と読むべきだろうか。そもそも往相(おうそう)と還相なんて、ちょっとヒネすぎているのではないか。
今朝、浮かんできたのは、迷の巻。まだまだ迷っているよ。始まったばっかりだ。迷いの真っただ中ではないか。なるほど、そうかもしれないな。今朝の第一候補だな。
迷いその①。市民農園に行ったら、古臭いバイクが転がっていた。カワサキLTD250。バイクにはまったく無知な私ではあるが、かつてホンダモンキーをリストアしたことはある。あの時の楽しさを思い出してしまったのだ。
iRobotも50%まできて、そろそろ次の「何か」をさがし始めているのだ。金属系もいいな。原寸大がいいな。飾っておくだけではなく、動かないと面白くないだろう。そういう迷いの中に、このカワサキLTDは、うまく隙間を作って入り込んでくる。
農園のオーナーに聞いたら知人が廃車してくれと預けたもので、近日中(今日にも)に収集車が来て、持っていってしまうという。「欲しいの? あげるよ、タダで」。もちろんタダでしょうが、それでも、もらってどうする・・・? やるか? 悩む。
迷いその⓶。いつもお世話になっている図書館は、3・11で倒壊し、その後にカナダからの義援でできた木造で仮営業してきた。しかしあれから7年。この秋にも、駅前に鉄筋コンクリートとして再建されることが決まっている。
その跡地には、市の民俗資料館ができるという。そしてそのガイドボランティア研修の募集が今日までだ、というニュースが夕べ飛び込んできた。興味そそられる。
しかし、待てよ。市民会館のレセプショニストのボランティアもやっているし、二つの市の観光ガイドボランティアガイドにも属しているではないか。ましてやそのひとつは、伊達藩ゆかりの市随一の観光スポットである。勉強もまだまだ始めたばっかりではないか。
興味はそそられるものの、それは迷いである。雑念である。浮気である、と断定して、その迷いを絶つことにする。(で、いいのだろうか。う~ん迷う)
迷いその③。業界の話である。業界再編にあたって、M&Aの話が飛び交っている。最近というわけではなく、ずっとこの10年以上、その状態ではあったわけで、一貫して私はその話を蹴り続けてきた。
しかし、ごく最近。心動かされることがあって、あわや調印寸前というところまで行って、ドタキャンした。どっちの道もあり、の中で、結局私は引き返してきた。これが悪いということではない。これもありなのだ。だが、あっちもありだったかな、と今も思う。
そんな私の迷いの隙間に指を突っ込むかのように、これまでの交渉相手が、交渉再スタートのラブコールを送ってくる。それをはっきりと私は拒めない。彼の言い分ももっともだ。まぁ、また聞いてあげてもいいかな。余裕を見せているようで、実はそれは、迷いなのだ。
こうして数え上げていったら、キリがない。私は迷いの中の真っただ中で漂流している、と言っても過言ではない。何も決められない、というわけではない。ひとつひとつ決め事で、キチンと決めては来ている。されど、未練は残るぞ。
それらを一括して、瞑想する。すべてのプランニングから降りて、またゼロに戻して、瞑目する。私はこの宇宙とエクスタシーを感じて存在すればいいのだ。何も決めることなんかあるもんか。
感じていれば、おのずと道は開けるであろう。なるほど、そうか。そういうことで、迷いと道は、まるで一対であるかのように思えてきたりする。
次は迷の巻を含めた形で、敢えて、道の巻、とするのもいいかな・・・
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