「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」 ジェダイ、帰還せり イアン・ドースチャー
「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」 ジェダイ、帰還せり
河合 祥一郎 (翻訳), イアン・ドースチャー (著), ウィリアム・シェイクスピア (原著), 2016/04 講談社 単行本: 176ページ
No.4214★★★★☆
かつて、わが畏友・石川裕人は、「芝居の台本ほどうれないものはない」と嘆いた。単行本としては「時の葦舟」一冊しか残さなかった彼だが、なるほど一観客でしかない私なぞにとっては、戯曲の台本など読んでも、正直面白くない。イメージが今一つ湧かないのである。
ところが、彼の遺作となった「方丈の海」を、彼が逝去したあと、台本を読み、おおよその内容を把握して、残された劇団員の再演を見ていると、まるで、台本とは違った世界が作られていた。
まったく違う作品だな、とさえ思った。しかし、劇団員たちは、ほとんどすっかり台本通りやっていたのだ。そもそも違えようなんて思ってさえいなかった。忠実に台本通りにやろうとしていたのだ。
これには正直びっくりした。台本は台本。それに世界観を、リアリティを与えるのは、ステージの上の役者たちだったのだ。彼らの、それこそ演技力が、まったく100倍も1000倍ものリアリティを作り上げていたのだ。
私はこの時から、台本というものが持っている原作者の力と、それを現実する役者たちの力、構成する演出者の力というものについて、あらためて、びっくりさせられることになったのだった。
この本は、映画があり、それを自分なりに台本化した一冊である。一観客としての私は、すでに映画を見ているので、あちこちにイメージが刷り込まれている。だから、なるほど、と一冊を読み通すことができる。
されど、まったく素の状態でこの台本を渡されたら、そのイメージを構築することができるだろうか。おそらく無理だ。たしかに、シェークスピアを語っているだけあって、セリフそのものはなかなか面白い。だが、映画ほどの活劇を展開することはできないだろう。
ましてや、シェークスピアに精通している人ならば、この台本のなかに、あれこれ楽しいエピソードを見つけることができるに違いないのだ。ある意味、そういう人はうらやましい。
さらにこ驚いたのは、実は、この「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」 は、すでにシリーズ化されていて、この2016年までの段階で、三冊目になっていたのだった。
最初は英語で書かれた一冊ではあるが、それを日本語に翻訳するにあたって、翻訳者は翻訳者なりにアクロスティックなどの面白みを加えている。なるほどなぁ。小判さめ商法といえば、それまでだが、このようにいろいろバージョンを変えて楽しむのもいいね。
楽しむほうの力も問われるが、そもそもの原作もまた、これだけの再演性を持っているということはとても素晴らしい。
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