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2018年7月

2018/07/31

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<9>

<8>からつづく 

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<9>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

 一応ご本人にお見せしてから開封する。なに、開封したからと言って、何ができるわけではない。設定はすべてこちらがやってあげなければならない。こちらはこちらで、設定そのものは、それなりに楽しみではあるのだが。

 初期設定なんて、結局パソコンの台数しかしていないので、前回2年前のことなんか、もうすっかり忘れている。あれ~、あれより難しくなってんじゃない。めんどくせー。特に気に食わないのは、いちいちMSにご許可を願い出て、使わしていただきます、というへりくだったような姿勢を請求されること。

 できるだけ、MS社にはお近づきにならない程度に設定を進める。おおむねうまくいったが、オフィスソフトのダウンロードとインストールの時間がかかるのには参った。「お待ちください」で二時間止まったまま、というのはおかしいだろう。

 スマホで検索、調べてみる。すると、分かった。この現象はもうありふれた現象だったのだ。みんな困っている。二時間、三時間は当たり前。一晩放置したの、翌日アンインストールするのにえらい苦労したの、とにぎやかなこと。みんな困っている。

 だけど、よーく見ると、キチンと解決策は書いてあった。一度立ち上げたソフト、それ以外のソフトを別途立ち上げて、セットすると、あらら、簡単に前に進めるのだった。なんだ、だったら、最初からここを読めばよかった。途中で有線のほうがいいのかな、とLANコードをぶち込んでみたり、見なくてもいいテレビを見て時間をつぶしていたりしていた自分のふるまいがなんだか、哀れになった。w

 WiFiをセットし、マウスをセットし、ブラウザをセットし、ホームページをセットして、あとはご本人仕様にメールやら、色やら、アイコンやらをそろえると、大体形にはなってきた。もちろん自分も使うことがたびたびあるはずなので、自分のお気に入りなどもしっかりと忍び込ませる。

 あとは、データを移行し、仕事モードを設定し、バッテリーや、プリンターや、FDDなどの周辺機器との整合性を確認する必要がある。

 ここにきて、ちょっと気になることがある。たびたびIEが落ちるのだ。どうやらキーボードをミスタッチしたタイミングで落ちるようだが、どうも気分が悪い。キーボードが大きいので慣れていないのか、タッチの強さがあいまいなのか。ミスキーなのか。それにしても気分が悪い。

 まずまず、今夜のところはここまでだ。すこしづつ、慌てずにやろう。楽しまないとね。一応、この回の記事は新しく買って来たPCで書き込んだ。

<10>につづく

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「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<8>

<7>からつづく 

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<8>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

 ここはまなじり決して、パソコン店に突入するしかない。もう心は決まっている。あとは疑問点が二点。一体全体、最近のオフィスソフトはどうなっているのか? 毎年課金されるのか? 複数台数にインストールできるのか? それが一点。

 そうして二点目は支払について。悲しいかな、私はこのようなエントリーマシンでも、現金一括では買えない。何回かに分けて、しかも金利が安く済むようにするのにはどうするか。そこんとこはっきりしないと、決行できない。心は複雑である。

 その危機感に圧倒されたのか、いつもはウルサイ店員たちも、遠巻きに通り過ぎていくだけで、近寄ってこない。来なけりゃ来ないでいいや、いじり倒してやれ。あちこちいじる。再入力する。ひっくり返す。隣の機種と比べてみる。もう機種にも機能にももはや疑問はない。ハイエンドモデルではない。基本性能以外は、そこそこであることはもう承知の上だ。

 その頃になると、おいお前面倒みてやれ、とばかり、店内で一番若くて気の弱そうな男性店員が近づいてくる。いきなり質問攻めにする。いろいろ分かった。つまり、オフィスは毎年課金されることはないが、(当然であろうが)複数機種に入れることはできない。幸いなことに、この機種には近々グレードアップされるであろう次期オフィスのアップグレード権がついているとか。一年間有効。

 さらには、支払は、カードコーナーでも確認したが、どうやら、新しいカードを作れば、6回払いまでなら、実質手数料は無料になるとか。ああ、カードはもう増やしたくないんだよね。いらねぇ。だけど、金利にまける。

 カードコーナーに行って、ほとんどタッチパネルで新規仮カードを作ってしまう。なるほどなぁ、わが業界だけではなく、IT化が進み、なにテックやら、かにテックなど、機械化が進むだけ進んでいる。今更カードを作るのに与信もないが、まぁ、ここの金利をカットするならしかたないか。目をつぶる。

 在庫は一台あるというし、こちらもお持ち帰りの気持ちで車で行ったし、トントンと手続きは進み、帰宅した。本当はすぐにでも開封して、セッティングにかかりたいのだが、そこはグッと抑える。ご本人様がご帰宅されるまで、待とう。とりあえずプレゼントだからな。

 どうせセッティングに最低でも数日かかる。あれこれやり慣れない作業が待っているのである。調子がでるまではイラつくこともあるかもしれない。だが、それはまったくイヤなイラつきではない。いくらエントリー機とは言え、新品である。そして新機能もついている。楽しんでいこうじゃないか。

<9>につづく

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今日の気分はこの三冊<38>

<37>からつづく

今日の気分はこの三冊<38>

今日の気分はこの3冊 目次

13

「未来のアトム」田近 伸和  (著) 2001/06  アスキー 単行本

「ガラス玉遊戯」ヘルマン・ヘッセ (著),    井手賁夫 (著) 初版1955/01 角川文庫

「禅宣言」OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本

 「未来のアトム」も「ガラス玉遊戯」も過去に何度も当ブログに登場し、熟読した本たちである。されど、いままでは図書館の本であった。今回は思い当たって、入手して、我が本棚にそっと忍ばせておくことにした。

 読むか読まないかは、わからない。少なくともあちこち散読はするだろう。楽しいところが満載だ。だが、通読することは、かなりエネルギーがいるし、必然性が来ないとそうはならない。

 今回、その必然性とやらが、来るか来ないかわからないが、もし三冊目として加えるとするなら、ここはやはりOSHOしかないのである。数あるOSHOの中で、やはり当ブログ現在マイブームの「禅宣言」を忍ばせておくことも、いいバランスではなかろうか。

 「禅宣言」だって、いまさら通読はしないだろう。チラ見も、ひょっとするとしないのかもしれない。それでも、科学のアトム、芸術のガラス玉に比すべきは、やはり意識としてのOSHO禅であろう。

 アトムも努力はする。されど、結局は、意識とは何か、人間とは何か、という疑問の前に立ち往生する。ガラス玉も、虚構の中で、さもそれが解決されたかに歌われる。されど、それは芸術というフィクションだ。絵に描いた餅だ。

 当ブログとしては、そしていちサニヤシンとしては、OSHOの禅に賭ける。賭けるしかない。その覚悟やいかに。もっともっと絞り込まれる必要がある。収束方向が見えてくると、すぐ拡大方向に逃げてしまいたくなるのが、これまた力学ではある。

 当ブログの科学やロボット分野に惹かれる魅力は、結局、意識を科学が解明できるかどうか、というところにある。外側のにぎやかな抽象具象に包まれながら、結局は、意識とは何か、というところに行きつく。そして、意識があるということもなく、意識がないということもない、という地平にたどりつくのだろう。

 思えば、ある意味において、当ブログに書き連ねてきたことは、「ガラス玉遊戯」のようなものである。知らず知らずに、あのようなものが書けたらいいな、という夢が、結果として、このような形を生んできたのだと思う。当ブログが、もうひとつの「ガラス玉遊戯」になれますように。

 まどろっこしい営みは、結局は、ひとつに終局する。当ブログでは現在、それを禅と言い慣わしている。ブッダに学び、道元に学び、OSHOに学ぶ。その姿勢に揺らぎはあれど、決めた以上は、その道を歩き続ける。

 暴れる狂牛を捕まえて、その背に乗って、見事家路につくことができるであろうか。楽しみである。

<39>につづく

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2018/07/30

「ガラス玉遊戯」ヘルマン・ヘッセ<9>

<8>からつづく

 

71hyvxnxtl「ガラス玉遊戯」
ヘルマン・ヘッセ (著),    井手賁夫 (著) 1993/08 出版社: KADOKAWA 角川文庫
No.4217★★★★★

 久しぶりに大型古書店を覗いてみた。所用で近くまで行き、時間があまったので、一時間近くぶらぶらした。結果、結局欲しい本はなかった。横尾忠則の画集や、出口王仁三郎の全集、数冊のOSHO本、尾崎豊のポスター本、などなど、目にはついたが、別段に欲しくはなかった。

 哲学本コーナーなどをぶらついていると、なんだかニワカ哲学者になったみたいで、自分がさも賢くなったような感じさえするが、ほとんど手にとってめくってみることはなかった。

 最近は視力が落ちて、文字を追いかけることが億劫になってきていることもあるし、これまでブログとして4000冊追いかけてきたので、あえてこれをという本が少なくなっているのだ。大型古書店だけに、おそらく世界の本はこの程度だろう、と思わせるほどだが、もちろん、世界の本はこれだけではない。

 これまで図書館から借りだして読書を続け、メモをブログに残すという作業を続けてきて、ある程度の飽和状態になっているのだ。

 これからどうしよう。本などもう読まないと決断しようか。あるいはお気に入りの数冊を深読みしようか。いろいろな手はある。されど、本とは、別段に読むだけが価値なのではないのではないか。読まなくても、側に置くだけで、価値あるものと、なりうるのではないか。

 そんな想いで、一組の文庫本を手に入れた。ヘッセのこの小説の翻訳は数種あって、これまで読んできたのは別バージョンだが、絶版でもあるし、ちょっと高値どまりしていて、購入する気にはなれなかった。それなのに、この文庫上下巻一組は、若干の傷があったもののほぼ美品として、安価で入手することができた。

 私は、この本を再び読むだろうか。それとも、飾っておくだけで満足するだろうか。そこのところをチェックするためにも、まずはこの本をしばらく傍らに置き続けてみてみる。

 

<10>につづく

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2018/07/28

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<41>

<40>からつづく

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「アイ,ロボット」 <41>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 さぁ、新しい気力を集めて、この頭部を作っていこうかな。原型の基本はあるけれども、最終形態までは程遠い。結構、きついぞ。

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<42>つづく

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「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<40>

<39>からつづく

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「アイ,ロボット」 <40>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

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<41>につづく 

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2018/07/26

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ<7>

<6>からつづく 

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「パソコン最強購入ガイド 2018」<7>
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
★★★★☆

   いろいろな支払があるものだ。無料でもらえたり、現金一括で買えたりすればそれが一番いいのだが、なかなかそうもいかない。あれこれ支払を終わらせて、ようやく次の買い物を考えるタイミングに来た。

 欲しいものリストには、あれこれ次のウェイティング・グッヅ達が待っている。すぐにでも必要なものは、なんとしてでも入手せざるを得ないのだが、PCの場合は必ずしもそうでもない。待てば待てるのであるが、やはりメイン機種がクラッシュした時には怖い想いをする。

 やはりここは、早めに手を打っておくべきだろう、と、今日は、量販店の店頭で1時間ほど物色した。そもそも私のほしいメーカーはすでに直販専門になっているので、なかなか量販店モデルはないはずなのだが、実はある。

 メインで使っているのは、個人としてはかなり新し目なので、あと10年は使いたいところだが、ショップ店員は、まぁPC買い替えの平均タイミングは6年でしょう、とのたまわる。6年としても、まだまだ使えるはず。

 だとするなら、二台目はどう考えればいいのか。メインと同等、あるいはそれを超える機種を考えると、ちょっと予算オーバーだ。できれば、安価なサブ機種を狙いたいのが、それでも決して安すぎはしない。結構な値段である。ここまで出すなら、もっと高スペックを、となる。

 そうとなると、結局、あれもこれもとなって、元の木阿弥である。ここは腹を決めて、15インチのHDD機で我慢しよう、という気になる。モバイル性は無視だ。2.5キロはちょっと重すぎるが、自宅オフィスで常時設置で使うなら、むしろ画面が大きくて安定していいのではないか。

 音が気になるが、それはショップ店頭では確かめようがない。静音がいいのは分かっているが、それも割り切ろう。新しいオフィスがついて、ドライブがついて、1TBの容量があるなら、CPUの新しさなどにこだわる必要もあるまい。

 そこまで割り切れれば、あとはネットで最安ショップを探す。ほとんど似たような値付けで、結局どこで買っても差額は100円にもならない。おい、カルテルでもしてんじゃないか、というくらいの固定価格。だが、やはり、さらに格安の購入方法は見つかる。

 差はさほど大きくない。あとは、ゆっくり品定めして、さっさと入手してしまおう。設定やら、競合やら、いろいろある。それはそれで楽しんで、やはりクラッシュ時のリスクマネジメントとして、キチンと常備しようではないか。

<8>につづく

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「把不住述懐」<27>セラピスト

<26>からつづく

 

把不住述懐<27>

 友人がセラピストなどについての長い文章を書いていた。暑くて目が覚めた私は、次に眠りにつくまで、いろいろ考えていた。

  セラピー・マーケットからは身を引いている私だが、一度はプネ3なり4なりをこの目で確かめて来たいとは思う。

 ひとつの潮流を最後まで見てやろうと思っていて、その潮流に巻き込こまれているかどうかは、ともかくとして、ひとつの潮流を見続けることが、他の潮流を理解するのにも役立つのかなと思う。

 それは結局、自分自身を見つめ続けることによって、他者を理解することにも役立つことになるのかもしれない、と。

 若い時の私はどの潮流にも属したくなかった。政治的にも、文化的にも、思想的にも。だけど、そうは行かなかった。思想的にも、仕事的にも、家族的にも、結局は自らの立ち位置を、仮設定であったとしても、ひとつの肉体を持った個として、この生を漂わせる以外になかった。

 それ以外の方法もあったはずなのだが、自分の場合は、そうしかならなかった。聖者にもならなかったし、路頭に迷うようなライフスタイルにもならなかった。

 それは結果論で、それ以外の道もあったはず。だから、私は、私とまったく別な道にいる人にも関心がある。あの人にはあの人の必然があったに違いないと。

 OSHOについては一概に言えないが、私の硬い殻を一番たやすく割って入りきた存在で、驚きに値する。私が近づいたとか、彼がやって来たというより、そうなるようになっていた、という感覚に近い。

 だから、まぁ他に関心のある潮流がないわけじゃ ないが、比較しようがない。良いとか悪いとか、よくわからない。ただ事実を出来るだけ見逃さないよう。

 セラピー稼業で渡世する人々にも、それなりの必然があったに違いない。ひょっとすると、それは私のライフスタイルであったかもしれない。一時期はそう望んだような気がする。だけど、そうはならなかった。天の配剤である。その代わり、私には私の道ができた。

 決して 前もって期待した道ではなかったのだが、それはそうだった。細々とした道ではあったが、私はその道を、時に応じて、歩いて来た。今も道に迷う、そしてまた、出口を見つけ歩き出す。その連続だ。こうしてあと何年か生きながらえるのだろう。

 OSHOとともにある、というメタファーを使うなら、そして、その過去生というメタファーを使うなら、私の過去生を見てみる必要がある。そのメタファーの中で、彼と私の長い長い過去がどのようなつながりを持っているのか、今の私にはわかる。

 自分で作った自分の神話に、特に大きな矛盾はない。これはこれで楽しもう。

 私は、センターの看板を背負いながら、指導者にはなれないでいる。 名どころか、迷にもなれない。私はただひたすら自らの 迷いの道を吹っ切るために、ひとり座る。

 時には人の力を借りる。よその人の道かもしれないが、それが好ましいと思う時もある。でもやっぱり、最後は私自身が私を助ける。看板に迷いはあるが、看板を背負うとしていることは確かだし、背負いたい。

 世すぎ身すぎをセラピストとして過ごせる人々に、一抹の期待や不安を持ちつつも、距離を縮めようとはしていない。自分に必要のないものは必要ない。その人々の邪魔をしようとは思わないし、もちろん私の道も邪魔されたくはない。

 時には、それぞれの道が交差する。それはそれでいい。ただ、柔らかく、硬く、時々の感触を忘れないようにして、時にはあばよ、という。時にはひとときの旅をともにする。

 友人の長い文章で暑い夜を遊んでいた。感謝。

 

 <28>につづく

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「未来のアトム」田近 伸和<5>

<4>からつづく

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「未来のアトム」<5>
田近 伸和   (著) 2001/06 出版社: アスキー 単行本: 636ページ

 わがiRobotとともに過ごしていて、ふと思い出すのは、「未来のアトム」だ。当ブログがスタートした2006年当時、かなり熟読した思い出がある。なつかしくなって、手にとってみた。

 たしかに、かなりの文量で、いまから再読するには、ちょっと重すぎる内容である。あちこちのページをちらちら眺めて終わるに違いない。

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 今回、この本にリンクを張るために検索してみたら、なんとこの分厚い本が、実に安価に流通している。すでに絶版になっているようで、中古本しかないが、それでも、この内容で、この文量で、この値段かよ、と涙がでた。一冊購入してしまった。

 そもそも自宅の蔵書はもう増やさない、というポリシーで始めた図書館+読書+ブログのシステムだったが、どうも、この頃は、目が悪くなって読書がままならなくなったと同時に、本への愛着も一段と深まっているようで、本は読むというより、眺める、愛する、という方に傾いてきているようだ。

 だから、傍らに好きな本が転がっていてほしい、という気持ちが強くなってきた。新刊本なら高価でなかなかそうはいかないが、なんと実質送料のみで入手できる愛すべき本は、やっぱり購入すべきなのではないか、と鉄壁のポリシーを最近は、曲げることが多くなった。

 このアトムも最近では、ちゃんとした電子工作として、動くロボットとなって流通しているようで、我がポケットにはあまりにも高価すぎるが、一般には面白いのではないだろうか。最近は、ソニーの愛玩犬ロボットの修理工房が繁盛しているそうだ。世界は一巡したのだ。

 ITや人工知能についての報道がかまびすしい最近ではあるが、一時この本がでた当時は日本の独壇場だったロボット市場も、いまや覇権は他の国に移ってしまっている。いまや日本はガラパゴス化した、後進国でもあるかのような状況である。

 この本におけるテーマは実に素晴らしい。ロボットをかたり、ITを語りつつ、意識を問い、人間を問い、真理を問う。実に明快なスタンスを取っている。2001年出版の本だが、わがブログなど、この本の上を逡巡して20年を過ごしてしまったのではないか、とさえ反省するほどだ。

 今回、気が向いたら、もういちど古典を読むつもりで再読モードに入るが、とにかく啓発的な内容な一冊として、ここにメモしておかざるを得なかった。良書である。

<6>につづく

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2018/07/24

「殿、利息でござる!」中村義洋監督:

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「殿、利息でござる!」
監督 中村義洋 出演 阿部サダヲ    瑛太     妻夫木聡, 竹内結子, 寺脇康文 2016年作品 松竹 DVD 時間: 129 分
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 伊達藩の話である。しかも実話が元になっているという。これは見逃せない。本格的なストーリーである。映画の作りも半端じゃない。

 かといって、映画だから、すべてが事実とは言えない。デフォルメも、フィクションも、イマジネーションもある。当然だろう。それでいい。

 ストーリーも、どこかまどろっこしいところがないわけじゃない。そんなにうまく行くわけないだろう、という声も聞こえてきそうだ。

 10代の頃、コカ・コーラのボトリングの車の助手のアルバイトをしたことがある。あの時、たしかに吉岡の酒屋の自販機に瓶を運んだ。う~~ん、あの酒屋だったかもな。

 FPでありながら、銭勘定には疎い。いやいや疎いからこそ、FPの勉強もしたのだ。この映画の利息噺程度の仕組みなら理解できないわけじゃない。

 スケートの羽生弓弦が七代伊達藩主として登場する。どこかコミカルな映画の中にも、なかなか見せる、泣かせるところが満載である。

 いいんじゃないか。面白い。

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「オン・ザ・ロード1972」<9>逡巡

<8>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

<9>逡巡                 目次 

  こちらの続きものも、なかなか順調にはスタートしてくれない。ストップして、すでに1年3ヶ月が経過してしまった。これではいけない。当初の初心を思い出して、想いを振り切って再スタートすることとする。

 最初は、旅行行程に従って80日間の旅行記にしようと思っていたのだが、どうも集中しない。あちこちの土地でのエピソードはいっぱいあるので、断片的に書き述べてみよう。そして、モザイクを繋げて行って、濃淡を整えて、いずれ一枚の地図になればいいだろう。

 時あたかも新ブログ把不住述懐のスタート地点である。述懐である。自ら語り出すには、テーマとしてはちょうどいい。

 いま自分で書いておきたいこと。仙台を出て、最初に泊まった石巻の魚屋のおじさんの家。青函連絡船のヒッチハイク。サッポロラーメン。根釧台地の長距離トラックのジャンキー運ちゃん。網走刑務所。利尻礼文の嵐の中のキャンプ。札幌の活動地点でのマクロビオティック。

 青森県民会館の天井桟敷の芝居に潜り込んだこと。寺山やシーザーら団員と雑魚寝。秋田友川かずきさんお見舞い。山形ニューヴァーブの菅原秀さん。金沢の優しさの夢。京都のヒッチハイクのやりずらさ、大阪の暑さ。広島の平和公園。島根の共同体。鳥取のさくらんぼユートピア、私都村。四国のUFO研究家。船宿。

 宮島での恋。鳴門海峡での渦潮。倉敷のスクエアガーデン。反戦喫茶。福岡のロックコンサート。宮崎の鬼の洗濯岩。鹿児島のスイカ。熊本の虹のブランコ族。長崎のグラバー邸、オランダ坂。沖縄への船旅。三味線。島唄。コザ。伊礼優さん宅の一週間。基地。米兵の車へのヒッチハイク。

 柳下村塾。ロック喫茶。紀伊半島での不思議体験。名古屋城。東京世田谷横尾忠則アトリエ訪問。末永蒼生氏。三沢基地の酒場。札幌駅のオカマ。サバイバル合宿。さっぱり効かないドラッグ。ジェファーソン。名前のない新聞。ミニコミ。大阪・月光仮面。などなど。

 こうしてあげていけば、とりとめのない、18才の80日間日本一周ヒッチハイクの旅だった。あの時、おそらく全国の都道府県を制覇したはずなのだが、どうも佐賀県だけは 、ヒッチハイクの車に乗って街道を走っただけで、ちょっとかすっただけだった。ここが心残りだね。

<10>につづく

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2018/07/23

「ガラス玉演戯」ヘルマン・ヘッセ<8>

<7>からつづく

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「ガラス玉演戯」<8>
ヘルマン・ヘッセ (著)、高橋 健二 (翻訳)  2003/12 復刊ドットコム 単行本: 501ページ

 二年前の自分のコメントを読んで、自分で驚いた。現在の私のこの本に対する心境は、二年前のコメントとすっかり同じなのだ。読みたいけど、読めない。読めないけど、心惹かれる。気になってしかたない一冊。

 私がこの小説を最初に読んだのは、23才の時に、インドを旅していて、途中の安宿に泊まった時だった。私は日本語に飢えていた。安宿にはバックパッカーの先輩たちが読み終わった文庫本が、何冊かあった。

 私は誰も友達もいないようなインド大陸の真ん中で、むさぼるようにこの本を読んだ。不思議な小説だった。ヘルマン・ヘッセは気になる作家ではあったが、それほど深く読んだことはない。インドに来る前に「シッタルダ」を読んだけれど、ちょっとストーリーが違うかな、と思ったが、やっぱり面白かった。

 最近、この小説を読もうとしていつも挫折するのは、おそらく、視力が下がっていることもあろう。目が疲れ、文章をまともに読めないこともある。これではなかなか、酔えない。しっかり、この世界に浸りたいのだが。

 もう、この小説は読み通すというより、その存在を楽しんでいていいのかもしれない。心の中のカスターリエンでたゆたう。理想の人間像。

 そして、この小説を本当に必要とするのは、これからなのだと思う。うまく同調できればいいのだけれど。今回、また、試行錯誤してみよう。

<9>につづく

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「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線<20>

<19>よりつづく


「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS  013)<20>
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 単行本・ムック 140p

 iRobotを作っていて、妙に気になったボルト&ナット類の余り方だったが、ここにきて、なにやら形を持ち始めたようだ。

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 ひとつひとつが微妙に違った形を持っており、全体としても、曼荼羅模様を呈してくる。

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 これをこのまま飾っておいても、盛り付けによっては、おいしく見える。

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 このナット類を、ポップコーンの食べ終わったあとの針金で、繋いでみる。

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 すると、なにやら、恐竜の模型を思い出すではないか。

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 あんなに乱雑に集まっているように見えたパーツ類だが、いざ形をとろうとすると、あっと言う間にパーツ不足に陥る。

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 しかし、わが工房(というか物置だが)には、あちこちに不要になったパーツ類が転がっているはずだ。

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 いずれ時期がくれば、おのずと形を持ちはじめるに違いない。
つづく

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2018/07/22

「AIを信じるか、神(アッラー)を信じるか」島田 裕巳

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「AIを信じるか、神(アッラー)を信じるか」
島田 裕巳 (著) 2018/06 祥伝社 新書: 248ページ
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 この方のお名前を拝見すると、どうしてもヒロミちゃ~ん、と呼びたくなるのは、例の20数年前の事件にこの方が、巻き込まれてしまって、なんともお気の毒な状況に陥ってしまったからで、確かに同情もしたくなるし、揶揄したくなってしまうからでもある。

 いかん、いかん。新しい本には新しい視点で接しなくてはならない。と、体制を整え直すのだが、そもそもこのタイトルは、合っているようでいて、どっかズレているようなチグハグさを感じる。ちょっと変えれば、「AIを信じる人、神を信じる人」なんていう、かつての草思社流のタイトルづけを思い出す。

 ところで、ヒロミちゃん、あったはどっちや。そう聞きたくなる。

 前半は、AIを扱っているだけあって、当ブログの読書歴と割とダブっている。AIやら人工知能やら、シンギュラリティ、ケビン・ケリーの「インターネットの次に来るもの」 などが登場するに至っては、ああ、そうなんだよねぇ、と言いつつ、なんだかまどろっこしいぞ、と思ってしまう。歯がゆいぞ。

 第二章のイスラム(アッラー)に到る頃になると、その状況は一変する。たしかこの方の妹さんは、イスラム関係のひとと結婚したのだ。義弟がトルコ人なので、イスラムに無関心ではいられないのは、理解できる。

 それに反し、一読書子としてのこちらは、イスラムは差し迫った話題ではない。タジマハール宮殿がインドにありながら(あるからこそ)イスラム文化なのだろうなぁ、ぐらいでとんとリアリティがない。

 かつて当ブログにおいては、10年前ほどであるが私がなりたい、もう一人の私」なんてものを発表したことがある。その段階では、私は能天気に「イスラム社会に生まれたい」と書いてある。

 それは、いかに私自身がイスラムに無関係か、そしてそのイスラムについてはいかに無知であってはいけないか、の自戒が込められていた。決して無関心ではないが、とっかかりがない。もう、次は生まれ変わっていくしかないか、ぐらいの遠い世界であった。

 本書における著者のイスラムに対する展開は、なるほど、と思わせるところが多い。前半部の歯がゆさは、ぎゅぎゅと引き締まり、これを言いたかったのか、という、独自の論旨が展開される。独自と言っても、各所に引用文献が表示されているところから類推するに、知らないのは私だけであり、思想界においては、キチンとそういう理解が流通しているのかもしれない。

 後半部に到っては中国のデジタル毛沢東主義などの視点が展開され、ふむふむ、ずいぶんと世界観を広げたものだな、と思う。結局、新書一冊でまとめられるような内容なのかぁ、とちょっといちゃもんもつけたくなる。

 最終まで読んでみて、結局は、ヒロミちゃん自身は、どっちを「信じ」、どっちを信じる「人」なのか、わからない。千秋楽までもつれ込んだ相撲優勝者レースの、どっちが勝つか、大関か、やっぱり横綱か、なんて書き立てておいて、予想は、やっぱり勝負はついてみないとわからないよね、と逃げられた感じがする。

 逃げるはずである。著者は、AIでも神(アッラー)でもないものを持っている、ガラパゴス化したとする「日本」に、第三の選択肢を与えているのだ。もちろんこの書が日本語で書かれた日本人に向けた小さな書であることに理由はあるだろう。

 つまりは、一読者、一日本人としては、AIでもなく、神(アッラー)でもないよね、という、いわゆるあの曖昧な日本人的味付けをして、終わっているのである。そして、おそらくご自身も、そのガラパゴスに逃げてくることによってホッとしているのであろう。

 一読者としての結論は、この設問自体、ズレているという判断である。そもそも「信じる」とは何か。そういう意味では私は何も「信じ」ない。AIは道具として事実として進化するだろうし、まずは神(アッラー)が世界統一する日は来ない、と思うし、私の人生に、それを信じる余裕はまるでない。もちろん無視はできないし、無関心でもない。

 されど、この書で言われるところの、アッラーは、まったく固定していて可変性がない、というところは受け入れにくいが、偶像化しないところなど、万民だれも平等であることなどの理念の中に、私は密かにZENと同質のものを垣間見る。敢えてそれに名前さえ付けることも、本来は憚れる。

 問題を大きく構えてしまって、解決不能なテーマを追いかけて、自分の人生を中途半端に終わりたいとは思わない。だが、これまで積み上げられてきた重層な文化という地平に立って、新しい技術の芽を育むことはやぶさかではない。

 ケビン・ケリーがいうように、結局は未来はわからないのだ。わかるためには、今日与えられているこのチャンスを精一杯生きて、その結果、未来が来るのだ。だから、まずは、今日を前向きに生きようではないか、という結論になるだろう。

 ヒロミちゃん、と呼んだらいいのか、島田教授とお呼びしたほうがふさわしいのか、どっちがいいか悩む。アカデミズムの頂点を極めることのできる力量を持ちながら、どこかかわいらしい側面をもお持ちになるお方である。

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2018/07/21

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<39>

<38>からつづく

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「アイ,ロボット」 <39>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

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<40>つづく

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2018/07/20

「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」 ジェダイ、帰還せり イアン・ドースチャー

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「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」 ジェダイ、帰還せり
河合 祥一郎 (翻訳),    イアン・ドースチャー (著),    ウィリアム・シェイクスピア (原著), 2016/04 講談社 単行本: 176ページ
No.4214★★★★☆

 かつて、わが畏友・石川裕人は、「芝居の台本ほどうれないものはない」と嘆いた。単行本としては「時の葦舟」一冊しか残さなかった彼だが、なるほど一観客でしかない私なぞにとっては、戯曲の台本など読んでも、正直面白くない。イメージが今一つ湧かないのである。

 ところが、彼の遺作となった「方丈の海」を、彼が逝去したあと、台本を読み、おおよその内容を把握して、残された劇団員の再演を見ていると、まるで、台本とは違った世界が作られていた。

 まったく違う作品だな、とさえ思った。しかし、劇団員たちは、ほとんどすっかり台本通りやっていたのだ。そもそも違えようなんて思ってさえいなかった。忠実に台本通りにやろうとしていたのだ。

 これには正直びっくりした。台本は台本。それに世界観を、リアリティを与えるのは、ステージの上の役者たちだったのだ。彼らの、それこそ演技力が、まったく100倍も1000倍ものリアリティを作り上げていたのだ。

 私はこの時から、台本というものが持っている原作者の力と、それを現実する役者たちの力、構成する演出者の力というものについて、あらためて、びっくりさせられることになったのだった。

 この本は、映画があり、それを自分なりに台本化した一冊である。一観客としての私は、すでに映画を見ているので、あちこちにイメージが刷り込まれている。だから、なるほど、と一冊を読み通すことができる。

 されど、まったく素の状態でこの台本を渡されたら、そのイメージを構築することができるだろうか。おそらく無理だ。たしかに、シェークスピアを語っているだけあって、セリフそのものはなかなか面白い。だが、映画ほどの活劇を展開することはできないだろう。

 ましてや、シェークスピアに精通している人ならば、この台本のなかに、あれこれ楽しいエピソードを見つけることができるに違いないのだ。ある意味、そういう人はうらやましい。

 さらにこ驚いたのは、実は、この「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」 は、すでにシリーズ化されていて、この2016年までの段階で、三冊目になっていたのだった。

 最初は英語で書かれた一冊ではあるが、それを日本語に翻訳するにあたって、翻訳者は翻訳者なりにアクロスティックなどの面白みを加えている。なるほどなぁ。小判さめ商法といえば、それまでだが、このようにいろいろバージョンを変えて楽しむのもいいね。

 楽しむほうの力も問われるが、そもそもの原作もまた、これだけの再演性を持っているということはとても素晴らしい。

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2018/07/19

「ぼくたちは、フォースの使えないダース・ベイダーである」ダース・ベイダ―を通じて生活を向上させる評議会

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「ぼくたちは、フォースの使えないダース・ベイダーである」

ダース・ベイダ―を通じて生活を向上させる評議会 (編集) 2015/10 講談社 単行本(ソフトカバー): 160ページ
No.4213
★★★☆☆

 当ブログが今回スターウォーズに再チャレンジするにあたって、まずはダース・ベイダーから始めようとしたのには、それなりの訳がある。

 梅田望夫の「ウェブ人間論」において、やたらと「ダークサイドに堕ちるなよ」ということばが残っていたこと。最近、坐禅会にお世話になっている禅寺が、伊達藩ゆかりの寺であったこと。そして、ダースベーダーの衣装が、伊達政宗の武将の姿を模していることが分かったからだった。

 東北に住まう私としては、縄文文化を共和国と見立て、中央権力を帝国と見立てた場合、縄文の末裔であるホツマツタエやまつろわぬ人々、安倍貞任、宗任などを反乱軍として見立ててみるのも悪くない。そして、当然、私は反乱軍の末裔であることになる。リベルである。

 されど、周囲を見回してみると、この地方文化は400年程、伊達藩が作った基礎の上に反映していることに気づかざるを得ない。食わず嫌いで通すわけにも行かない。ここは虎穴に入らずんば虎児を得ずである。

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 結局私は現在、政宗ゆかりの施設の観光ガイドを始めている。始めているとは言っても、研修を終えたばかりの初心者マークのよちよち歩きだが、多少は自立する方向にいる。

 ある意味においては、伊達政宗も大志を抱いたまるろわぬ人=リベルであった。時の帝国に対峙する共和国末裔の反乱軍であったはずなのである。

 政宗一代記をなぞってみるだけでも、スターウォーズの昔話に匹敵するようなエピソードは山とある。ダースベーダーの基礎は政宗であると、極限してしまってはいけないだろうが、しかしまるで虚言とも言い難い。

 政宗が豊臣秀吉についたことは、ある意味、ダークサイドに堕ちた、ということもできるし、次元はまったく違うにせよ、私が政宗ゆかりの施設のガイド研修を受けた、ということもダークサイドに堕ちた、ということもできないわけじゃない。

 はてさて、ここからが問題だ。

 我々はフォースとともにいないのか。このまま暗黒面に叩き落とされてしまうのか。フォースを本当に、使えないのか。

 そこんとこ見極めるために、瞑想が必要となる。

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2018/07/18

「スター・ウォーズ学」清水 節 他

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「スター・ウォーズ学」
清水 節 (著), 柴尾 英令(著) 2015/12 新潮社 新書: 192ページ
No.4212★★★★★

 なんでもかんでも「学」をつければいい、というものではないだろう。何を今さら・・と、最初は思った。しかし、読み進めるうちに、なるほどとうなづいた。本のタイトルはまぁいいだろう。これがアカデミズムかどうかなんてはどうでもいい。

 しかし、この小さな新書は私の無知をいろいろとほぐしてくれた。この映画シリーズは決してハリウッドの中枢から正統派として生まれてきたわけではなかったこと。ある意味、反ハリウッド的な登場の仕方をしたこと。そして、いつの間にか、新たなるハリウッド流のはしりになったこと。

 そして、ルーカスを初めとする、ハリウッドの映画監督たちの中には、黒沢明映画を信奉している者たちが多いこと。黒沢映画を体系的に見たことがない私としては、かなり衝撃的な内容だった。

 そこからしてみると、宇宙大の戦闘シーンや、レーザー銃での戦いに比して、あの(例の)ライト・セーバーでの交戦は、ある意味、単なる戦いではない、ということも、少しは分かってきた。あるいは別なものを何か表したがっているのだが、あのような形でしか表現できていないのだ。

 フォースと言われているものを、何か別なものに急いで置き換えようという作業はやめておこう。このシリーズで語られているのはフォースなのであって、他の何かと混同する危険は避けよう。少なくとも、最初はこの映画は「ウォー」と付いてはいるが、決して好戦的な戦争映画ではないのだ、ということを、遅まきながら、ようやく気付いた。

 この本を読まなかったらわからないことが多かった。まして驚きだったのは、1962年生まれの二人が著者だったことと、この本が2015年にでていることだ。最近の最近まで、このシリーズは決して色あせていないのだ。そして、決して少年やSF青年たちだけのものではなく、中年、老年をも巻き込んだ、現代の神話になりつつある、ということにうすうす私もきずかざるを得なくなった。

 時代背景、映像技術の進歩、興行的側面。映画にはさまざまな要素が絡み合っており、ましてやシリーズ化してもはや10本近くの映画が40年に渡って制作されてきたとなると、なにがなにやらわからなくなって当たり前だ。ましてや、この頃目覚めた私のような一通りがかりの人間に、そう簡単に理解できるものではないことも、よ~くわかった。

 もう少し、このシリーズ追っかけはつづきそうだ。

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バトルと炎上はネットの華?<2>例のBhavesh

<1>からつづく

「バトルと炎上はネットの華?」<2>例のBhavesh

 あ~、このシリーズ、スタートしようとするのだが、どうも気が進まない。いつかはやろうと思ってきたが、う~ん、今かなぁ。

例のBhavesh

 例のBhavesh、とはどういうことだろう。例のという限り、この方のブログには、最初の登場ではなさそうだ。ごめんなさい、この方のブログをあちこち見たことはございません。だから、この方への返信とか反論とかいうふうにはなりません。

 とにかく、なんらかのフレーズをお借りして、わがブログの「述懐」に役立てばいい、というレベルで行きます。

 おそらく日本人では、本名、ニックネームを含め、Bhaveshと自称他称している人は、私以外にはいないだろう。単純にBhaveshで検索すれば、これはもうたくさん登場する。インド系の人々がほとんどだが、かなり有名な人もいるようだし、ごくありふれた名前でもあるようだ。

 しかしまぁ、私のブログのブログ名を明記してまで「例のBhavesh」と言っている限り、それは私に起因するなにかを言おうとしているのだろう。

 最近の私は、Bhaveshと書いて、その和風表記を把不住、と書いたりはしているが、Bhaveshであることには変わりはない。その私を、この方は、以前にも話題にしたり、何事かのコメントを加えているのだろうか。

 この方の文章を読む限り、仲間でワイワイ話題にしている風ではなく、おそらくこの方のブログに以前登場したのだろう。しかしそれにしても「例の」とまで、言い切られてしまうほどの存在の私なのだろうか。最初から、なんだか難癖をつけられているようで、コワい。w

 私のブログでも、本の著者や作家などについては、かなり勝手なコメントをつけてはいるが、個人の一般者については、あまり露骨な表現をしたことはない(はず)。作家たちは、イッチャモンつけられてナンボのものであろうし、学者など、引用もされず、反論がひとつも出てこない論文など書いて無視されたりしたら、それこそかわいそうだ。

 しかし、私は基本的には一般人だ。ブログを10年間書いてきたとは言え、まったく無名な存在である。もちろん仲間うちでは、私の名前を知っている人はいる。しかし、売名してなにかのショウバイにつながるようなものは、何もない。 

 そんな私を、最初の最初から、喧嘩腰で「例の」と言い切られてしまうと、やっぱり身構えるなぁ。この方は、私との距離を縮めようとしているのか、あるいは離れようとしているのか。少なくとも、この方は、私の「実体」を知らないだろう。

 おそらく二次のつながりではあろうが、一次のつながりではない。ブログにレスをもらったことはあるが、面識はないし、もちろん文通もしたことはない。SNSでもつながっていない(と、私は認識しているのだが)。

 その私に向かって、いきなり「例の」かよ。

 それって、私を話題にしつつ、私をお茶菓子にして、ワイワイガヤガヤ、楽しんでいるのかな、というイメージだ。最初の最初から。楽しまれるのはそれはそれで構わないが、一般人の私をネットでつるし上げるつもりなんだろうか。

 こんな感じの文章を、これから延々と書いていこうと、私はしているのだろうか。もっと有効なことに時間を使ったほうがいいかな。

 あるいは、ここから何か、有効な結果が生まれてくるかな?

 <3>につづく

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「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<38>

<37>からつづく

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「アイ,ロボット」 <38>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 自分の作業に夢中になって、他が見えない状態が続いてきたが、ふと以前にストックしておいたNS-5の画像を見てうっとりしてしまった。この位のクオリティにならなくてはいけないんだな

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 う~ん、うっとり~~。きれいだな。ここをめざそう。裏側も大切じゃん。

<39>につづく

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把不住述懐<26>迷と道

<25>からつづく

 

把不住述懐<26>迷と道

 今朝の書き込みにはタイトルがない。読後感想文でもないし、何かのエピソードでもない。雑感ではあるが、編集日記に書いておくのともちょっと違う。いわゆる述懐だ。

 このブログ全体が述懐なのだから、敢えてそのタイトルは必要ないかな、と思ってきたが、どうもそうでもない。2・0から続いてきたこのタイトルだが、なんとなく続きものとして復活しそうだ。

 述の巻が始まったばっかりなのに、次の巻名はなんとしよう、などと考えている。還の巻もいいな。道の巻はちょっとありふれているな。達の巻はちょっと早いだろう。遊の巻もまだまだ身に余る。

 還の巻は、還相(げんそう)からきているのだから、還(げん)の巻と読むべきだろうか。そもそも往相(おうそう)と還相なんて、ちょっとヒネすぎているのではないか。

 今朝、浮かんできたのは、迷の巻。まだまだ迷っているよ。始まったばっかりだ。迷いの真っただ中ではないか。なるほど、そうかもしれないな。今朝の第一候補だな。

 迷いその①。市民農園に行ったら、古臭いバイクが転がっていた。カワサキLTD250。バイクにはまったく無知な私ではあるが、かつてホンダモンキーをリストアしたことはある。あの時の楽しさを思い出してしまったのだ。

 

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 iRobotも50%まできて、そろそろ次の「何か」をさがし始めているのだ。金属系もいいな。原寸大がいいな。飾っておくだけではなく、動かないと面白くないだろう。そういう迷いの中に、このカワサキLTDは、うまく隙間を作って入り込んでくる。

 農園のオーナーに聞いたら知人が廃車してくれと預けたもので、近日中(今日にも)に収集車が来て、持っていってしまうという。「欲しいの? あげるよ、タダで」。もちろんタダでしょうが、それでも、もらってどうする・・・? やるか? 悩む。

 迷いその⓶。いつもお世話になっている図書館は、3・11で倒壊し、その後にカナダからの義援でできた木造で仮営業してきた。しかしあれから7年。この秋にも、駅前に鉄筋コンクリートとして再建されることが決まっている。

 その跡地には、市の民俗資料館ができるという。そしてそのガイドボランティア研修の募集が今日までだ、というニュースが夕べ飛び込んできた。興味そそられる。

 

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 しかし、待てよ。市民会館のレセプショニストのボランティアもやっているし、二つの市の観光ガイドボランティアガイドにも属しているではないか。ましてやそのひとつは、伊達藩ゆかりの市随一の観光スポットである。勉強もまだまだ始めたばっかりではないか。

 興味はそそられるものの、それは迷いである。雑念である。浮気である、と断定して、その迷いを絶つことにする。(で、いいのだろうか。う~ん迷う)

 迷いその③。業界の話である。業界再編にあたって、M&Aの話が飛び交っている。最近というわけではなく、ずっとこの10年以上、その状態ではあったわけで、一貫して私はその話を蹴り続けてきた。

 しかし、ごく最近。心動かされることがあって、あわや調印寸前というところまで行って、ドタキャンした。どっちの道もあり、の中で、結局私は引き返してきた。これが悪いということではない。これもありなのだ。だが、あっちもありだったかな、と今も思う。

 

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 そんな私の迷いの隙間に指を突っ込むかのように、これまでの交渉相手が、交渉再スタートのラブコールを送ってくる。それをはっきりと私は拒めない。彼の言い分ももっともだ。まぁ、また聞いてあげてもいいかな。余裕を見せているようで、実はそれは、迷いなのだ。

 こうして数え上げていったら、キリがない。私は迷いの中の真っただ中で漂流している、と言っても過言ではない。何も決められない、というわけではない。ひとつひとつ決め事で、キチンと決めては来ている。されど、未練は残るぞ。

 それらを一括して、瞑想する。すべてのプランニングから降りて、またゼロに戻して、瞑目する。私はこの宇宙とエクスタシーを感じて存在すればいいのだ。何も決めることなんかあるもんか。

 感じていれば、おのずと道は開けるであろう。なるほど、そうか。そういうことで、迷いと道は、まるで一対であるかのように思えてきたりする。

 次は迷の巻を含めた形で、敢えて、道の巻、とするのもいいかな・・・

 

<27>につづく

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2018/07/17

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<37>

<36>からつづく

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「アイ,ロボット」 <37>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

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<38>につづく

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2018/07/16

「解離性障害のことがよくわかる本」 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)

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「解離性障害のことがよくわかる本」 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)
柴山 雅俊 (監修) 2012/05 単行本(ソフトカバー) 講談社 単行本(ソフトカバー)102ページ
No.4211★★☆☆☆

 贈本である。いただいた限りは、ひととおり目を通しておきたい。されど、はてさて、どのような形でこの本と渡りをつければいいのか。

 ここで障害と言われている数々の側面を見る限り、その症例にまったく思い当たらない、という人のほうが少ないだろう。いくつかの例は、思い当たるに違いない。逆に、この本に紹介されている側面のすべてが起こる、という人もそれほどいないのではないだろうか。

 私もカウンセラーという資格を持っている限り、この本で有効な手段であるとされているカウンセリングが役立てばいいな、とは思う。だが、薬物治療を必要とするような領域には、クライエントの身はもちろん、自分の身を守る意味においても、不用意に近寄ることは憚れる。

 この本に書いてあるように、この様な症例に近いと思う人は、むしろあまりこれらの関連の書籍を深読みすべきではない。そして家族もまた、あまり読み過ぎるな、と書いてある。その通りだろう。

 それはおそらくまったく逆のことなのだ。影を追い過ぎている。いくら影を追いかけても、実体を捕まえないかぎり、影は捕まえることはできない。

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 壺なのか、人の横顔なのか? 少女なのか、老婆なのか? 見方を変えれば、まったく別の次元が開ける。あるいは、まったく普通のことなのだが、逆に非日常の風景が見えてしまうこともあるだろう。

 病理について深い知識がない私ではあるが、ゲシュタルトを転換することをお勧めする。症状をひとつひとつ追いかけて研究するのではなく、できるだけ薬物治療(現代医学はすすんでいるので有効な場合も多いと信ずる)を可能なら早めに終えて、信頼できるカウンセラーと出会うことだ(もちろん同時の場合もあるでしょうね)。

 そして、もし可能なら、軽い坐禅のような瞑想の手ほどきを受けるべきだろう。もちろん、禅堂のように、本格的な坐禅を学ぶのもいいだろう。症例を追いかけ続けることは、少なくとも私にはできないし、そうしなかった。

 自分の人生体験において、まったく思い当たらない、などとは言わない。ひとつひとつについてなら、理解できないわけじゃない。それらを理解し、受け入れるキャパはあるべきだと思うし、おそらくすべての人に備わっている。

 坐禅や瞑想は、また一部のマインドフルネスは、ゲシュタルトを転換してくれるだろう。影ではなくて、実体が垣間見える瞬間があるはずである。その症例が発症する真の原因が分かる可能性は高い。

 この本はおそらく、影の部分を強調し過ぎているのではないだろうか。直視すべき具体的な実体を認識しないで、あれこれ影のデパート展示をしていても、周囲はもちろん、ご本人も、苦しくなるんではなかろうか。

 病理学にうとい、一読者が、一冊本を贈ってもらって、まずは率直に思ったことをメモしておきます。あとから修正するかもしれません。

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「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<36>

<35>からつづく

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「アイ,ロボット」 <36>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 三連休もここまでだな。やりたいところはいっぱいあるのだが、まぁいだろう。これで50%くらいかな。

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 やりたいことはいろいろあるんだよね。
1)顔や頭部の作り込み。
2)胸部スーツの調整。
3)針金類からネジ類へ。
4)靴、なんとかしようよ。
5)ここから座像へ、行ける?
6)展示用支柱の新設。
7)各部の固定化。

 まぁ、いいじゃないか、少しづつやろう。

<37>につづく

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2018/07/15

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<35>

<34>からつづく

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「アイ,ロボット」 <35>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 この真夏日の今日、夢中になって、残りの作業を続けた。金属をベースとした廃物アートだが、大腿部は荷造り用のロープを使って表現することとしていた。これがなかなか進まなかった。

 全体はメタル系だが、衣装はテーブルカバーを使ったスケルトンである。全部廃物だが、なぜか、これがここで生きるか、とうれしくなったり、楽しくなったり。

 ロープは余るほどある。なんせ大量にもらってきてしまったのだ。使い道に困っている時に、ふとここに使おうと、アイディアが湧いた。

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 このやり方で、二の腕もつくる。ただ、ちょっとデザインが違うので、また、ふと考えてしまう。どうすればいいのか。どうねじればいいのか。太さはどのくらいか。

 付け根のメタルの部分は、今日カットしておいた。明日ロープで二の腕を作ると、気分的にはだいぶ前に進んだことになる。

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 こうして見ると、だいぶ出来上がってきたよね。全体像がかなりイメージしやすくなってきた。これからは、細部のひとつひとつに美がもたらせるように、丁寧な作業が必要となる。

 熱中症にならないように、小まめに水分を摂りながら、冷房を効かした作業場で、ファンも回して、とにかく、ひとつひとつ、作業を勧めよう。

<36>につづく

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2018/07/14

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<34>

<33>からつづく

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「アイ,ロボット」 <34>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 Bhaveshから派生した字名のひとつが把不住なら、身体的アバターとしてのiRobotが、旧ブログからこちらの新ブログへと随身してきた。iBhavesh(アイ・バヴェシュ)と名づけている。

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 すでに似たような写真を何枚もアップしているが、実は、毎回違う。少しづつ手を加えている。なかなか進まないように見えるが、自己採点としては30~40%くらいまで進んできているのだ。

 これからは、夏休みで県外に住んでいる孫たちが来るまでに、ほぼ完成としたい。完成と言っても、今後も、少しづつ手を加える余裕を楽しみたいので、まずは70~80%で一時完成としたい。

 それまでになされるべき作業は次のとおり。

1)ロープで大腿筋を両足つくりあげる。
2)足首の強靭化、靴の完成。
3)ロープで二の腕を作る。金属パイプの加工が必要。
4)顔、頭、腕、靴、胸の修正、微調整。
5)股関節、胸部スーツの仕上げ。
6)全体のバランス。特に座像への可変性の確認。
7)固定用支柱の新設。

 書き出してみればそれほど多くはないが、ひとつひとつが大作業だ。孫たちがやってくる夏休みまで残されたのはあと三回の週末。どこまで進めることができるだろうか。

<35>につづく

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2018/07/13

「シルバー川柳6」 断捨離でうっかり夫捨てそうに 公益社団法人全国有料老人ホーム協会

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「シルバー川柳6」 断捨離でうっかり夫捨てそうに
公益社団法人全国有料老人ホーム協会 (監修) 2016/09 ポプラ社 単行本: 124ページ
No.4210★★★★★

 さぁ、新しいブログ「把不住述懐」が始まる。しかも正式なスタートとして、「述の巻」が始まるのだ。何か、いいネタ、ないかな。さりげなく書店をうろうろ巡回するが、これと言って目ぼしいものにはぶつからない。

 と、書棚のコーナーを曲がったところで、縦置きで平積みしてあった歌丸師匠と目があってしまった。ああ、そうそう、お疲れ様でした。最近80いくつでついに亡くなってしまった。笑点でも、追悼の大喜利が放送されたばかりだ。

 なんの本だろう? 中を開けて、なるほど、これは川柳の本だと気がついた。しかもシルバー川柳だ。なんと監修は全国有料老人ホーム協会とある。あ~~ん、そういう本か。

 読み進めてみると、面白い。一ページに一句づつしか掲載されていない。しかもコンテストを勝ち抜いた優秀作品だから、ついつい引き込まれてしまう。あっと言う間に一冊を読み終えてしまった。

 気がつけば、これは第六集なのである。並んで隣にはバックナンバーがひしめきあっている。次の集に手が伸びたが、やめた。いやいや、自分がこれから始めようとしているのは、川柳ではない。ましてやシルバー川柳などでは・・・。

 きびすを返して書店の出口に向かいながら、ふと思う。シルバー川柳か。言い得て妙かもな。

 把不住(はふじゅう)とは、読み方さえはっきりしない、なにやら当て字でもあるかのような、意味不明な語句だが、言われはいろいろあれ、私の名前、Bhavesh(バベッシュ)の漢字表現なのである。

 俳句ほどの格調には達していないが、何はともあれ五七五の一句を作って、荷造り用ボール紙などを切り裂いて作った短冊に、自立した子供たちが残していった習字の筆と墨汁で、いきなり書きなぐったりしている。その時、横書きではちょっとマズイのである。縦書きで、詠み人を「把不住」と書き足すのだ。

 述懐、というのも、なんだか重々しいが、心に浮かんできたのがこの語句だったからしかたない。検索してみると、自分の過去のブログ記事でも、結構この語句を多用している。述懐、好きなんだな。これでいいじゃん、として、新しいブログの名前ができた。

 まったく言葉が出てこない時期がある。そういう時間も必要だし、やたらと長い。マインドが働いて、次から次と言葉のラッシュの時もある。調子に乗っている時の私の文章は、不必要に長すぎる。長く書けばいい、というものではない。短く短く、時には一字に戻る必要だってあるんだよ。「無」とか「禅」とか、「心」とか。

 でもそれではあんまり枯れ過ぎだな。同じ五七五でも、短歌のように三十一文字だと、結局説明過多となる。私の場合は、それほど説明必要なら、もう短文を書いたほうがいい。ここは、もっとギュッと凝縮して五七五、十七文字で行こうよ。

 そして始まった、俳句やらHaikuではあるが、まぁ、誰に見せるわけでもない。自分のメモ書きみたいなものである。自分で意味が分かればそれでいい。それに、季語やきれ字や、句またがりなど、いろいろルールはあるが、まぁ、とにかくベースのハートが大切でしょう。

 川柳も悪くない。むしろキャラとしては、私は川柳の側の人間だ。ネタは山とある。だけど、それではチャレンジにならない。笑いを取ればそれでいいわけではない。笑いも必要だが、それ以外の感情も欲しいんだよね。大きい声では言えないが、実は私の五七五は、辞世の句である。

 一期一会。今日が最後の日となるなら、今日詠んだ句が辞世の句となる。それでいいじゃん。それでいこうよ。そうして始まった、新ブログ、はてさて、どこまで行くのやら。肩肘はらずに、まずはシルバー川柳優秀作の方々に教わりながら、ひとつゆっくり、また新しい旅が始まるのである。おそらく、冥土まで続いてくれるだろう・・・。

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2018/07/12

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<72>「禅」カテゴリ+(「禅」の巻)について

<71>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<72>「禅」カテゴリ+(「禅」の巻)について

 7まで引っ張ってきた「Mindfulness in the modernworld」も、さすがに8までは続かなかった。8でスタートしたものの、それは無理だろうと、結局「禅」カテゴリになった。まどろっこしいことはもういい。ぶっちゃけていこうや。

 そう思っていた矢先、今度は、利用しているブログサービスの提供されている容量が満杯になり、それ以上書き込めなくなった。61記事のタイミングだった。それまで1・0と2・0を通じて読んだ本は4200。

 ある意味、優柔不断で、決断不足な私を、状況が後押しをした。もう次に行くしかないのである。

 そもそも、3月11日の段階で、もう3・11も7年が経過したのだ、次のステップに行こうと決断していて、新ブログ「把不住述懐」は、設定が完了していた。新しい企画もいろいろと思いついた。だけど、なかなか動けなかった。

 6月はじめになって、結局新ブログに移らざるを得なくなった。そして、それから47の記事を書いて、二つのブログをまたがって、108記事になり、それを「禅」カテゴリとした。新ブログにおいては、それは「禅」の巻と呼ばれることになるだろう。

 書かれた期間 2018/05/13~2018/07/12

 ジャーナルは禅で終わった。そして述懐は禅で始まる。いいね。

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 続けていたのは、廃物アート・シリーズ「iRobot」。出来上がるまであと数週間はかかるだろう。見ていたのは「スターウォーズ」シリーズ。読んでいた本は、もちろんOSHO「禅宣言」。

 再読したいこのカテゴリこの三冊は 

「スター・ウォーズ 禅の教え」エピソード4・5・6 
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ
 

「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」  :フォースの導きで運命を全うせよジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ 

「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」
ジェフ・スミス (著), 2017/09   講談社 単行本: 96ページ

 楽しく、かつ意義ある、思い出深い、カテゴリ、巻となった。新時代が始まる。

<73>につづく

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2018/07/11

再読したいこのカテゴリこの3冊「禅」編

前からつづく  

再読したいこのカテゴリこの3冊 

「禅」カテゴリ「禅の巻」

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「スター・ウォーズ 禅の教え」エピソード4・5・6 
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ

「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」  :フォースの導きで運命を全うせよジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ

「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」
ジェフ・スミス (著), 2017/09   講談社 単行本: 96ページ

<後>につづく

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「禅宣言」 OSHO<18>

<17>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<18>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 当ブログ1・0におけるVol.1の最後の一冊は、この「禅宣言」だった。当ブログ2・0の最終カテゴリは「禅」一文字となり、ブログが提供される容量を使い切ったことでサドンデスが起こり、こちらの述懐に移ってきた。

 そして、いまこの禅カテゴリも108の記事を得て、二つのブログをまたいで、終了しようとしている。その今、新たなる最後の一冊にこの本が来ることには妥当性がある。

 私が思うに、現代人は瞑想だけに20年、30年と捧げることはできないからだ。もし禅がそのように厳しいままだったら、きっと地上から消え去ってしまうだろう。

 それはすでに中国から消え去ってしまったし、日本からも消え去ろうとしている。そしてインドからは、ずっと前に消えてしまった。それがインドに存在したのは、ゴータマ・ブッダの死後500年間だけだった。

 6世紀になって中国に伝わり、何世紀間かそこに存在し、そして日本に移った。そして今、中国と日本の両方でほとんど消滅しかかっている。OSHO P492

 必要なのは、現代人を魅きつけるように禅を変えていくことだ。楽で、くつろいだもの----激しくすることはない。そのような古い伝統的な形はもはや可能ではないし、その必要もない。いったん探求されたら、いったんひとりの人間が悟りを開いたら、その道は容易になる。

 たとえば、電気は何度も何度も発見する必要はない。いったん発見されたら、あとはそれを使えばいい1----別に偉大な科学者である必要はない。OSHO p494 

 ブッダの目覚めはとてもやさしく、またくつろいだ現象だ。これほど多くの人々が目覚めてきたのだから、道ははっきりしている---もはや厳しく骨折りなものではない。遊びながら中に入り、楽しみながら意識の目覚めを体験することができる。

 それはもはやゴータマ・ブッダのときのような、はるかに遠いものではない。OSHO p495

 禅は、私がやろうとしているくらいにやさしいものになって初めて、現代人の関心を引くことができる。そうでなければ現代人には、やることがたくさんある---するべきことがたくさんあり、探るべき道がたくさんあり、気をそらすものがたくさんある

 禅を遊びに満ちた小さなものにすることだ。そうすれば眠りに入ろうとするとき、その前に、5分のうちに自分自身の中に入り、一番じゅう自分の存在の中心にとどまることができる。

 するとよる全体が、安らかで静かな気づきとなる。眠りは身体の中にあるが、その下には宵から朝までの光の流れがある。

 ひとたび、眠っているときにも一定の気づきがあると知ったら、一日じゅう、どんなことをしていても、覚醒し、意識を保つことができる。要は仏性を、あくまで普通で、平凡で、単純で、人間的な事柄とすることだ。OSHO p497

 結局は、予定調和的にここにたどり着くのは当ブログの必然であるが、この一冊がここに選ばれているのは、「禅宣言」というタイトルにも所以があるだろう。そして、OSHO自身がこのタイトルにたどり着いたのも予定調和的であったし、必然でもあった。

 このタイトルを持って、当ブログ1・0と2・0の読書ジャーナルは終焉する。

 されど、読書は人生の大きな楽しみである。読書は今後もつづくだろう。これからは、もっと内側からでてくる言葉に留意をしながら述懐という新しいブログを歩いていこうと思う。そしてまた、長年続いてきたブログは、先立つところの我が人生のミニコミづくりにも通じるところがあり、ブログそのものは、姿を変えつつ、続いていくだろう。

 ここまで生きてきて、その姿に必然性があったとするならば、急に変化することはない。外面的には。だけど、内面においては、180度の転換である。ゲシュタルトが逆転する。いずれ、別な姿が浮き上がってくるだろう。

<19>につづく

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「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」ジェフ・スミス

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「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」
ジェフ・スミス (著), 2017/09   講談社 単行本: 96ページ
No.4209★★★★☆


 なにか秘密の書いてある虎の巻や、難解な哲学書のような一冊を期待すると、完全に裏切られる。紐解いてみれば、手のひらにさえ書いてしまえるような数行のポエムが書いてあるだけである。あとは、各ページに、映画の名場面のイラストが描いてある。

 原題は、Everything I Need to Know I Learned From (a) Star Wars である。決して、日本語版のような親父ギャグは含まれていない。

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 されど、原文が、あまりにストレートにスターウィーズからの教訓を書き出してしまったために、遊びがない。表紙のマスター・ヨーダが救いとは言え、ちょっと窮屈感を与えるのも事実。成功したかどうかはともかく、この程度のユーモアも必ヨーダろう。

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 なんとなく、この映画から派生した教訓本が三冊揃ってしまったが、それぞれに確かに個性がある。類書を探していけば、山とありそうだ。当ブログとしてはどこまで追いかけるか疑問だが、一言でスターウォーズを説明せよ、と言われれば、この「人生にフォースは必ヨーダ」で決まりだろう。

 フォースのライトサイドを信奉する思想集団ジェダイ・オーダーの最長老が、マスター・ヨーダであってみれば、表紙に彼が来ることに必然性はある。

 されど、フォースのダークサイドを信奉する思想集団シス・オーダーのパルパティーン皇帝(ダース・シディアス)を、悪の根源として切り捨ててしまうことに、一抹の疑問は残る。

 親鸞聖人は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と仰せられ、さらに「一般には『悪人ですら往生できるなら善人はなおさら往生できる』と言われている日本。その影響力は計り知れない。

 勧善懲悪のスターウォーズだけでは、最終的には決着はつかないのである。少なくとも、当ブログにおいては。

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「さとりサマーディにて」<35>右、左、右、左‎  ‎

<34>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<35>右、左、右、左‎      目次 

 部屋に入ってみると、一段と母の反応は鈍くなっている。声だけでは、訪問者が誰なのか、わからない。名前を告げると、それはわが息子であることはわかるらしい。今日は何日なの、と聞く力はあるが、それが、夏なのか、春なのか、その辺のところが、ちょっとあやふやになっている。

 ベットの脇には新しい張り紙があった。施設の介護スタッフが体の向きを注意してくれているのだろう。すでに自力で歩くことも、起き上がることもできない。体のあちこちが硬直していて、自力では寝ている自分の姿を変えることができなくなっているのだ。

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 幸いにして、褥瘡(じゅくそう)というか、床ずれはまだできていない。「床ずれは大変だよ、床ずれは治らないから。床ずれが大きな病気への最後の引き金になることが多い。気をつけないと」と、わが友、マッサージのO師も、注意をうながす。

 2時間おきに、入所者ひとりのために体の向きを変えてくれるなんて、大変な作業だなと思う。椅子の上には、その日誌記録も新しくできていた。右、左、右、左。本人は、もう何もできないが、何をしてもらっているかはわかる。「どうもありがとうございます」と、最近とみにか細くなった声で、感謝の言葉を述べるだけだ。 

<36>につづく

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「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<74>イモ掘り

<73>からつづく

 
 今年のジャガイモはうまく行った。まずまずの出来だ。長雨で掘りだすタイミングを見計らっていたが、孫たちが時間を取れそうな夕方に畑へと連れ出す。なに大した時間がかかるほどの量ではない。小さな市民農園のさらに、その一角だ。
 
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 だけど、やっぱり小さな子供たちにとっては、そのイモ掘りという体験がワクワクさせる。集中している時間はそれほどでもない。茎を引っ張ったり、となりのキュウリもぎに浮気したり、一輪車を動かすほうが面白かったりする。
 
 おしっこがつまれば、トイレを探し、遠いところまで間に合わなくなると、畑におしっこをする。「あ~~、おしっこ味のジャガイモになってしまうよう~~」と別な子どもが絶叫する。いえいえそういうことはありません。そこはもう掘り出したあとだよ。それに、畑にとってはコヤシになってもいいかもな。
 
 今年の成功の秘訣は、キチンと計画したこと。親戚のおばさんからもらったジャガイモ専用の肥料の効果。そして、無農薬の畑ゆえ、毎年大量発生するニジュウヤテントウムシを小まめに手で取り続けたこと。
 
 今夜、遊びにきた友人にもおすそわけ。スーパーに行ったら、いくら新ジャガとは言え、大した金額ではない。買うのは簡単だ。いや買ったほうがずっと安く、きれいで、ひょっとすると、美味いかもしれない。だけど、やっぱり、いくらリクレーションとは言え、自ら作ったジャガイモには、誇らしいものを感じる。
 
 その辺あたりを、畑で飛び回っている孫たちにも、感じてもらえばな、と思う。
 

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2018/07/10

「スター・ウォーズ 制作現場日誌」エピソード1~6ー CREATING THE WORLDS OF STAR WARS 365 DAYS

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「スター・ウォーズ 制作現場日誌」エピソード1~6ー CREATING THE WORLDS OF STAR WARS 365 DAYS
ジョン・ノール(ILM VFXスーパーバイザー) (著),    神武団四郎 (監修),    富原まさ江 (翻訳) 2016/12 出版社: 玄光社 単行本: 743ページ
No.4208★★★★☆

 いやはや、ド分厚い一冊である。なんせ、全ページアート紙にカラーで印刷されている。そしてひとつひとつにコメントがついているが、とても全部読み切るには相当な時間がかかる。百科事典か広辞苑でも預けられているようなもの。とても読み切れない。

 だけど、制作現場日誌、の表記にウソはなく、実に原寸大の撮影現場が延々と提示されている。なるほど、こうやっているのか。だろうな、そうだろうな。あれだけの大活劇の、奇想天外な大アクション源の連続。それを支えている現場は、実に原寸大の人間たちが動いている。

 撮影チーム、大道具係、アート技術者たち、細かい作業、大きな視点。あの大活劇をささえる現場はこうして作られているのだ。ましてやこの本、エピソード1~6、と歌っているだけあって、旧三部作、新三部作の6本の映画の現場が、赤裸々につづられている。

 均質な画像が、この映画がひとつのストーリーで一貫されているのだ、ということを思い出させる。あれこれのシーンの舞台裏は実はこうだったのだ、と、ある意味ホッとする。あの光輝くライトセーバーだが、実際は、やはり原寸大のさもない棒を振り回しているのだ。あとから、特殊メークしている。

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 さてさて、わが廃物アートのiRobot、思いついてからすでに三か月。廃材を集め全体像の整合性を考え始めてから、二か月が経過した。できたのはここまで。なかなか大変だ。これで自分としては、完成度まだ2~30%というところ。どこで我慢し、どこで妥協するか。最後まで、納得まで遊びきれることができるか。

 夏休みの孫たちが遊びに来てくれるまで、失望させることのない程度のクオリティまで押し上げていくことが可能であろうか。あれもやりたい、ここはこうしたい、いじりたいところは山となっているが、自分の技術、手元の道具、そして材料となる廃物の量、質。あと一か月で、どこまでいけるだろうか。

 そんなことを考えていると、あの映画一本、あるいは6本シリーズに関わった人々のクリエイティビティは、どれほどのものだったのか、と、自分の体験を一目盛りとして換算してみると、とてつもない活動と、年月が、思いやられる。

 いいよね、やってみないとわからないよね。廃物アートはできあがりが問題ではない。それを実際に作ってみることによって、そのリアリティを自らの体験、経験として、実感として、掴めればそれでいい。

 さぁ、もうすこし続けるぞ。

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2018/07/09

『ウェブ人間論』 梅田望夫/平野啓一郎 <4>

<3>からつづく

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「ウェブ人間論」 <4>
梅田望夫/平野啓一郎/対談 2006/12  新潮社  新書  203p
★★★★☆

 「ウェブ進化論」梅田望夫 2006/02 筑摩書房)が、当ブログの出発点になったことは、これまで繰り返し述べてきたところだが、あれから12年の営みを総括して、1・0から2・0、そして述懐へと移行していくにあたって、全体を概観してみると、実際は「進化論」よりも「人間論」のほうが問題だったのではないか、と最近になって思うようになった。

 そして、それは一点、グーグルと「スター・ウォーズ」との絡みのところに集中していたかに思う。私はこの部分を読んでからこの映画を見るようになったのだが、実際は、焼酎を片手にソファーに寝そべって見ていたので、ほとんど無理解のまま、見た気分になっていたのではないだろうか。いや、そうである。

 ところで、最近になって、「スター・ウォーズ 禅の教え」(枡野俊明 2015/12 KADOKAWA)に出会い、 「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」 :フォースの導きで運命を全うせよ ジャン=クー・ヤーガ 2017/10 学研プラス)に触れ、 「JOY ON DEMAND」たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス チャディー・メン・タン  2016/11 NHK出版)に目を通してみて、ちょっと待てよ、という気分になった。

 最近になって、「グーグルのマインドフルネス革命」―グーグル社員5万人の「10人に1人」が実践する最先端のプラクティス(サンガ編集部 2015/05)や、「サーチ!」 (富と幸福を高める自己探索メソッド チャディー・メン・タン 2012/07 宝島社)の存在を知るに至り、なるほど、あれから十数年経過して、ITネイティブ世代もいよいよ人間として成長のプロセスに向かっているのか、と思うようになった。

 そこで、今回、あらためて、私も全6作品のDVDを発表順に見て見たところだが、7,8はすでに封切劇場で見たし、少し、概略と、ことの成り行きが分かってきた。これから私は別段にスターウォーズ・ファンになる気もないし、ことさらグーグル信者になって、SIYとやらのセミナーを受けたり、ましてやその講師になってやろう、なって気持ちはサラサラないが、まずは、これらの風景を視野を入れておく必要は感じている。

 まずは、その「ウェブ人間論」の気になったページを張り付けておく。すでに12年前の本でもあるし、長文でもあるので、画像で(不鮮明で申し訳ない)残しておくことにする。ここに登場するスターウォーズとグーグルの関わり、そして、対談者たちの受け取り方がなかなか興味深いと、今でも思う。

 ただし、当ブログは、ここを確認したからこそ、さらに独自路線の述懐に進んでいけるな、という確認の意味もある。

 グーグル以来、フェイスブック、LINEや、インスタグラム、ビットコインなどのブロックチェーンなどの、ウェブ上の成果物には留意しながらも、当ブログは当ブログの独自性を急ぐものである。

 (なお、黄色のマーカーの痕跡は、12年前に私が初読した時の残骸である。現在としては特に意味はなし。)

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2018/07/08

「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」 :フォースの導きで運命を全うせよ ジャン=クー・ヤーガ <2>

<1>からつづく

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「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」  :フォースの導きで運命を全うせよジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ

 この本を読むなら、エピソードⅣ、Ⅴ、Ⅵに続いて、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲも見ておきたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

前からつづく

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「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」 <第4作>  監督・脚本:ジョージ・ルーカス 製作:リック・マッカラム 撮影:デヴィッド・タッターサル 音楽:ジョン・ウィリアムズ 出演:リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド
制作年度 / 1999 / 米 収録時間 137分

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前からつづく


「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」
  <第5作>
出演: ユアン・マクレガー, ナタリー・ポートマン, ヘイデン・クリステンセン, リック・マッカラム, ペルニラ・アウグスト 監督: ジョージ・ルーカス 2002


ーーーーーーーーーーーーーー

<前>よりつづく


「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」  <第6作>
ヘイデン・クリステンセン主演 監督ジョージ・ルーカス 2005年 20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン ディスク枚数: 2枚 140分

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 「スター・ウォーズ 禅の教え」エピソード4・5・6 なら旧三部作だけでいいけれど、さすがにこちらは、まずは新三部作を見なくてはならない。さっそく見直しましたよ。なるほどね、これで私もだいぶスターウォーズ通になりました。

 それにこの人脈図もキチンと見ておかないといけない。続三部作のうち二部までは映画館で見ているが、やはりここまでのことが分からないと、消化不良を起こす。

 それにいろいろな外伝などがあるので、またすこしづつ補強だな。

つづく

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2018/07/07

「スターウォーズ エピソード5」 私がお前の父親だ。

 この部分を見ていて、思い出したことがあったから、メモしておく。今までも機会があったら書こうとは思っていたが(ひょっとするとどこかに書いたかな)、なかなかそのチャンスがなかった。

 私は父親と8才の時に死別したが、それまでの6年間、父は病気で遠隔地の隔離病棟にいたから、私の記憶では、父親の記憶はほんの数えるほどしかない。

 小学校に入学する直前あたりだろうか、いちど家族とともに電車に乗って面接に行ったことがある。その時、一生懸命勉強したら、なにか欲しいものを買ってあげるよ、と言ってくれた。私は「乾電池で動く電車がほしい」と言った。今でいうプラレールのようなものだっただろうか。

 結局、父はその約束を果たさず亡くなった。戦争で体をこわして生還したとは言え、年金も補償もない時代、健康保険も十分ではなかった。ましてや永年職から離れていた男は、幼い子供に電車のひとつも買い与えることができなかった。

 我が家は大きな農家だったので、家族は多く、父親の存在がなくても、寂しい想いをしたことはなかった。父が亡くなった直後、早朝など目が覚めて、ひとり布団に横たわっていると、天井近くで、魂となった父親が帰ってきていて、子供の私を見つめているようなエネルギーを感じたことがある。

 父親がいないことに不足を感じたことはなかったが、それは幸せなことに他の周囲の人々の愛情に包まれていたからだろう。ただ、そのことに起因して、激しい怒りを感じたことが一度ある。

 中学校三年の卒業式の直後に、片親の卒業生だけを集めて、市が主催して、壮行会をやってくれるという。このことについてだけは納得できなかった。それはどういうことか。実は片親の卒業生は、私の周囲に結構いた。だが、私にはその自覚がなかった。私は納得できず、その式を無断で欠席した。

 このことは、おそらく私が一番最初に、教師に反抗した最初の出来事だったかもしれない。

 父親のことなどほとんど考えたことはなかった。だが、23才になってインドに渡り、さらにはスリランカに渡って、日本山妙法寺の藤井日達上人のもとで修業していた頃、24才になり、さらには父親の17回忌に当たっていた。そこで私は父親の法名を伝え、追善法要をしていただいたことがある。

 その直後、ふたたびインドに渡ってプーナに戻り、大きなドミトリーの一角に泊まり込んでいた夜、私は父親の夢を見た。おそらく、生涯に渡って、私が父親という存在の夢を見たのはこれまで、この時一回切りであった。

 暗闇の中、彼は、お供をひとり連れて、杖をついて静かに歩いてきた。その瞬間、私はそれが父親だと、すぐに分かった。「お父さん!」私は叫んだ。

 しかし、父はこう言った。「確かに私はお前の父親だ。しかし、父親ではない。私は私の旅を続けている。お前はお前の旅を歩いていきなさい」。そして静かに歩いて、闇に消えていった。

 私は、ある意味、この夢で父親から自立した。

 それから、さらに時間が経過し、私は結婚し、子供が生まれ、さらに息子は高校生になった。私は息子の高校のPTA会長となった。その高校の野球部が、どうしたことか、県内で優勝し、甲子園出場することになった。私の息子はテニス部だったので、隣のグランドにいた。

 経緯があって、結局、この高校に集まった寄付金で甲子園出場記念の雨天練習場を建設することになった。私はそのことに忙殺されもしたが、多くの人々に感謝もされ、表彰も受けた。

 ある時、ふと気づいたのだが、この高校の谷を挟んだ向こうの丘には、約40年前に父親が亡くなった国立病院があるのだった。あの病室から私の父親は、ずっと私の活躍を支えてくれていたのではないだろうか、と感じた。

 私は、父親からのプレゼントというものは、おそらく一度しか記憶していない。それは、入院中に同室の人が制作してくれたという小物入れである。

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 ビニール針金で器用に編まれたボックスで、中には何も入っていなかった。姉弟三人にそれぞれ、名前のついた布がついていた。上手な字だった。私が見た父親が書いた唯一の私の名前である。

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 私はこの小さなボックスにそれほどの深い意味を感じてはいなかったが、ある時、ふと、これは、ゴータマ・ブッダがラーフラに渡したという、乞食のひと碗に思えたりすることがある。

 この高校が県内で優勝した時、実は県立高校が優勝したのは、実に40年ぶりだったという。その時まで県立高校が優勝したことがなかったので、県の教育委員会には甲子園に送り出すノウハウがなかった。その時、すでに県の高校課長になっていたのが、当高校の前校長のST先生だった。先生からは、この出場にあたって、裏から表から、励ましていただいた。 

 ST先生は、40年前に優勝した当時のその県立高校の生徒だった。先生は、港町に住んでいた。父親が遠洋漁業の出かけて遭難し、還ってこなかったという。貧窮した家計を助けるため、高校を卒業した彼は、そのまま母校に用務員として就職した。

 そして通信教育で大学を卒業し、高校の教員となった。県内各地の学校に勤務しながら、結局彼は、校長として、出身母校に還っていったのである。そして二校目の校長として、当の高校に赴任してきたのだった。

 私がPTA会長として、校長室を初めて訪問した時、ST先生は、お茶を飲みながら、和やかに話をしてくれた。おもむろに、部屋隅においてあった、さりげない小さなロッカーの中から、さらにさりげない一本のモップを持ち出してきた。

 「会長、私は、学校の用務員として社会人をスタートしました。
 最初の仕事はモップで掃除することだったんです。だから、その初心を忘れないように、ずっと、このモップを持ち続けているんです。
 トイレなんか汚れている時、私はすぐにこのモップを持ち出して掃除してくるんです。
 そうすると、不思議ですね、他の先生たちも、校長にそんなことをさせてはいけない、と思うのか、すぐに掃除を始めるんですよ、
 わっはっは。」

 私には、その一本のモップが、ST先生にとっての、ジェダイ騎士のライトセーバーにさえ感じられた。

 先生はその後、県の高校課長となり、そして最後は、県内随一の進学高校の校長として勤務されたあと退職された。そして地元の大学に乞われて大学教授となり、高齢となられた現在も、教壇に立ち、学生たちの指導にあたられている。

 私は自分の父親からプレゼントされた小さなボックスに、旅で勝ち得た最も大事なものを入れて、大事にして保管してある。

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2018/07/06

3・11ツイッター 2011年3月~5月

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 もう数年前になるが、3・11直後私のツイッターを読んでくれていた友人が、あの当時のツイッター記録をキチンと整理しておいたほうがいいよ、と言ってくれた。

 なんだかそのチャンスがなくて、今まで手をつけることがないまま過ぎてしまったが、今夜の大雨特別警報のニュースを見ていて、思い出した。

 コピペはできないが、検索機能を使うと、当時の自分のツイッターを読むことができる。今夜はそのリンクを張り付けるだけにしておくが、当時の臨場感が湧き上がってくる。

 とりあえず自分の3・11の3月から5月までのツイッターのリンクを張り付けておく。可能であれば、3月1日から逆に読んでもらうと、より時間系列で分かりやすい。

https://twitter.com/search?f=tweets&q=from%3ABhaveshprem%20since%3A2011-03-01%20until%3A2011-06-01&src=typd

<2>につづく

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「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<33>

<32>からつづく

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「アイ,ロボット」 <33>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 一人前のジェダイ・ナイトとなるためには、自力で必要な廃物を集め、フォースの導きに従って、心に浮かんだ設計図のみで、自分専用のライトセーバーを一から組み上げることが課題となる。「スター・ウォーズ」エピソード6/ジェダイの帰還


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<34>につづく

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2018/07/05

「スター・ウォーズ 禅の教え」 枡野 俊明 <13>

<12>からつづく

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「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <13>
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ

 この書を読みこなそうとする限り、エピソードⅣ、Ⅴ、Ⅵは見直さなければならない。

ーーーーーーーーーー

<前回>よりつづく


「スター・ウォーズ エピソードIV 新たなる希望」 <第一作> 監督:ジョージ・ルーカス ■出演者:マーク・ハミル ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー アレック・ギネス 1977 20世紀FOX 125分

ーーーーーーーーー

<前回>よりつづく 
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「 スター・ウォーズ 」エピソードV:帝国の逆襲   <第二作>
出演: マーク・ハミル, ハリソン・フォード 監督: アービン・カーシュナー 1980

ーーーーーーーーーーーーーーー
<前回>よりつづく


「スター・ウォーズ エピソードVI  ジェダイの帰還」 <第三作>
出演: マーク・ハミル, ハリソン・フォード, キャリー・フィッシャー, アレック・ギネス 監督: リチャード・マーカンド 1986

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なるほど、そうであったか。共和国、帝国、反乱軍(同盟軍)、ジェダイ、フォース、ダークサイド、ナイト、ライトセーバー・・・・・・。

 基礎として、この辺をキチンと把握していなければ、この映画を楽しむことはできないし、共通の話題として、その談話に参加することも憚れるのだ。

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<前回>よりつづく

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「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」  :フォースの導きで運命を全うせよジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ

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 さらにはこちらを読み込もうとすれば、エピソードⅠ、Ⅱ、Ⅲもキチンと見直さなければいけないのだな。

「スターウォーズ禅の教え」<14>につづく

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「サーチ!」 富と幸福を高める自己探索メソッド チャディー・メン・タン

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「サーチ!」 富と幸福を高める自己探索メソッド
チャディー・メン・タン (著),    柴田 裕之 (翻訳)  2012/07 宝島社 単行本: 389ページ
No.4207★★★☆☆

 「JOY ON DEMAND」(2016/11 NHK出版)チャディー・メン・タンを検索したら、出て来た一冊。「ザ・サーチ!」(ジョン・バッテル,2005/11日経BP)と言えば、まさしくサーチエンジンのグーグルであろうが、こちらはサーチ・インサイド・ユアセルフ」 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法、とやらのグーグルの試みである。

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 「自分探しグーグル版」ともいうべき一冊だが、やはり、同種の本の中においても、だからこそグーグル、と跳び抜けた本ではない。この辺は、科学だとかITだとか言っても、やはり東洋の伝統と思索に、素直に道を明けたほうがよいだろうな。

 なにはともあれ、こういう試み、こういう模索があるのだ、ということは認識した。

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「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」 :フォースの導きで運命を全うせよ ジャン=クー・ヤーガ <1>

71dfted9cel「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」 :フォースの導きで運命を全うせよ<1>
ジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ
No.4206

「今、この瞬間に集中するには具体的にどうしたらいいのか」?
 ジェダイであれば、瞑想する。激しい感情や未来への恐れが生じてきたときは、いつでもその場に座り、目を閉じ、深い呼吸を通して心の平安を取り戻すのだ。
 

「ジェダイでも激しい感情や恐れが生じることがあるのか」?
 もちろんだ。生きている以上、ジェダイだっ
てさまざまな感情が湧きおこり、心が揺れ動くものだ。だが、そのような感情には執着しないだけだ。執着はダークサイドへと通じる。だから、感じたら手放す。なるべく速やかに解毒することだ。

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 そのためには瞑想をし、おのれのリビング・フォースとつながるのだ。自分の普遍的な根源に触れることで、中心点が定まり、深い安心感を得られることで恐れはなくなる。過去の感情、未来の心配事とは無関係の、ありのままの今の自分を受け入れられるようになるのだ。

 では、ジェダイの瞑想方法を簡単に紹介するとしよう。まずはリラックスできるよう座る。正座をしても、あぐらをかいてもいい。目を閉じて、体の感覚を感じるのだ。手が触れている空気の感覚、地面に接している脚の感覚を研ぎ澄ませよ。

 次に呼吸を見つめるのだ。深呼吸する必要はない。息を整える必要もない。ただ呼吸を観察するのだ。鼻を通る空気、上下する胸の動きを感じろ。吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 呼吸は速くないか? 浅くないか? 速さや浅さを感じると苦しいかもしれないが、辛抱するのだ。呼吸が自然だと感じられるまで気長に待つがいい。雑念が生じてもいい。そのときは、また呼吸に意識を戻せばいいだけだ。

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 やがて、きみは体の感覚を忘れてからっぽの容器になるだろう。そこが中心点だ。そこには意識しかない。きみは光だ。きみは存在だ。きみはリビング・フォースだ。
p244「瞑想は真の自己とつながる道だ」

<2>につづく

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2018/07/01

「JOY ON DEMAND」 チャディー・メン・タン

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「JOY ON DEMAND」たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス
チャディー・メン・タン   (著),  2016/11 NHK出版 単行本(ソフトカバー): 320ページ
No.4205★★★★☆

 今さら、グーグルだろうが、マインドフルネスだろうが、ちょっとしたプロフィールだけだったら、もう手が伸びない一冊である。まぁ、内容は似たり寄ったりだ。だが、どうやらこの本についているらしき「GoogleX禅」のコピーに負けた。

 いいですね、このコピー、大文字で書いておこう。

    Google X 禅

 著者はグーグルの社員で、その中でSIYプロジェクトを開発した人であるとか。前著がその内容である。だから、だいたい内容はわかり切ったものだ。なかなか禅がでてこないぞ、と、最初は不満ではあったが、結局、最後はようやく出てきました。

 技法についてはもういいや。百人あれば百の技法あってしかるべし。最終的に禅にたどりつくなら、それでよし。禅の中で生まれて、禅に出会い、禅者に出会って、禅を生きる。これって、これでいいな。

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「HINOKIO ヒノキオ」 秋山貴彦 監督

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「HINOKIO ヒノキオ」 あの頃映画 松竹DVDコレクション
秋山貴彦 (監督) 中村雅俊 (出演),  本郷奏多 (出演),   2005年作品 販売元: 松竹  形式: DVD  時間: 111 分
No.4204

 ピノキオって、どういう童話だっけな、そんな単純な興味で図書館から借りだしていた一枚のDVD。ヒノキオなんて、変なタイトルだな、とは思ってはいたが、なんともすごい感動的な映画だった。

 これが2005年作品だなんて、すごいなぁ。「アイ、ロボット」も2004年作品だった。iRoboよりヒノキオのほうが欲しいかな。映画の出来だって、きっとこっちのほうが凄い。

 廃材アートの余りの材料で、次はヒノキオを作ろうかな、そう思わされてしまった。小学生の自分に還ってしまった。ドキドキした。そして、この映画の結論は素晴らしいなと思った。CGなのか、合成なのか、とにかくリアリティが素晴らしい。

 

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「浮浪雲」 ジョージ秋山

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「浮浪雲」〈1〉遊の巻
ジョージ秋山 (著) 1975/06 小学館 コミックス 232ページ
No.4203★★★★★

編集中 (参考 小学館 浮浪雲サイト 他)

1  「遊の巻」   1975/06
2  「迷の巻」   1975/07 
3   「道の巻」   1975/08
4  「進の巻」   1976/01
5  「達の巻」   1976/02
6  「遠の巻」   1976/07
7  「巡の巻」   1976/12
8  「遇の巻」   1977/05
9  「逍の巻」   1978/01
10 「遭の巻」   1978/06
11 「連の巻」   1978/12
12 「透の巻」   1979/06
13 「通の巻」   1979/07
14 「迅の巻」   1980/03
15 「適の巻」   1980/04
16 「遥の巻」   1980/10
17 「速の巻」   1981/03
18 「還の巻」   1981/04
19 「逢の巻」   1982/01
20 「運の巻」   1982/02
21 「途の巻」   1982/09
22 「送の巻」   1982/10
23 「追の巻」   1983/09
24 「迎の巻」   1983/10
25 「造の巻」   1983/11
26 「逃の巻」   1984/08
27 「辺の巻」   1984/09
28 「遼の巻」   1985/02
29 「迂の巻」   1985/06
30 「迫の巻」   1986/01
31 「逸の巻」   1986/06
32 「述の巻」   1986/09
33 「逅の巻」   1986/11
34 「遍の巻」   1987/03
35 「遵の巻」   1987/04
36 「遁の巻」   1987/07
37 「遷の巻」   1987/12
38 「逾の巻」   1988/06
39 「辿の巻」   1989/02
40 「迪の巻」   1989/06
41 「迴の巻」   1989/09
42 「遺の巻」   1990/01
43 「過の巻」   1990/05
44 「邂の巻」   1990/09
45 「邁の巻」   1990/12
46 「逞の巻」   1991/06
47 「逑の巻」   1992/02
48 「逓の巻」   1992/08
49 「遂の巻」   1993/02
50 「タイ」の巻  1993/07
51 「り」のまき  1994/01
52 「ウンの巻」  1994/06(「ウン」はしんにゅうに云 補助漢字6529)
53 「邀☆(ゆう)☆の巻 1995/03
54 「遡☆(そ)☆の巻」 1995/10
55 「近の巻」   1996/05
56 「週の巻」   1996/10
57 「辻の巻」   1997/05
58 「選の巻」   1997/08
59 「込の巻」   1997/11
60 「迦の巻」   1998/04
61 「迸☆(ほう)☆の巻 1998/09
62 「せい」(世にしんにゅう=補助6534)の巻1999/02
63 「迢☆(ちょう)☆の巻」1999/04
64 「辷☆(すべる)☆の巻」1999/10
65 「遖の巻」   2000/04
66 「遨☆(あそぶ)☆の巻」2000/8
67 「遑の巻」   2000/12
68 「逶☆(ななめ)☆の巻2001/01
69 「逐(ちく)の巻」2001/05
70 「邏の巻」   2001/10
71 「「そく」の巻☆ 外字:「そく」;区点6567☆2002/02
72 「「れつ」の巻 2002/06  
73 「?の巻」   2003/01
74 「?の巻」   2003/03
75 「?の巻」   2003/10
76 「?の巻」   2004/03
77 「?の巻」   2004/08
78 「の巻」   2004/12
79 「逮の巻」   2005/05
80   ・
81   ・
82   ・
83   ・
     ・
     ・
112    ・       2018/01 
(完)

 新ブログ「把不住」のスタートに当たって、カテゴリ名を「~の巻」にするインスピレーションを与えてくれた「浮浪雲」シリーズ。全112巻のうち、約80巻までは「しんにゅう」のついた一字漢字の巻名がついている。

 ネットで調べる限り、しんにゅうのついた一字漢字は110字ほどある。されど、まともに読めるのは30~50字程度。他の漢字は、通常ならまったく使わない漢字。

 浮浪雲の巻名も10巻あたりまではまともだが、それ以降はかなり無理がで始まっている。約30巻あたりからは、もう無茶苦茶というしかないような雰囲気がでてくる。さすがに80巻以降は、巻名はついていないようだ。当然だろうと思う反面、ちょっと寂しい。

 さて、当ブログ再スタートにあたって、まずは第一巻は、どうしようか。道の巻、達の巻、進の巻、遊の巻、迷の巻、どれもこれもぴったりとはいいがたい。浮浪雲だから「遊の巻」からのスタートもいいが、当ブログではなぁ・・・。

 「達の巻」もまずいだろう。最後の仕上げならそれもいいかもな。当ブログでも仕上げなら「遊の巻」も悪くはなさそうだ。だけど、第一巻となると・・・・・・。

 と思って、リストを作ってみると、第32巻に「述の巻」があった。そうか、当ブログの新名「把不住述懐」に合わせて「述の巻」がいいのではないか。内心ではほぼ決定。内定である。

 それ以降の巻名については、しんにゅうでいくのか、一字漢字でいくのか、その時その時で決めていくことにする。とにかく第一巻は「述の巻」だ。

 こうして見てみると、私が一読者として毎号待ちわびるように買い続けていたのは40号(1989/06)代あたりまで、50号(1993/07)以降はおつきあい程度だった。60号(1998/04)以降はもう、お付き合いもやめてしまった。

 112号まで続いたこのシリーズ、私は、ようやく半分程度を読んだに過ぎない。その後は、雑誌で何回か読んだが、もう追っかけすることはなくなった。

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