「ガラス玉遊戯」ヘルマン・ヘッセ<9>
「ガラス玉遊戯」
ヘルマン・ヘッセ (著), 井手賁夫 (著) 1993/08 出版社: KADOKAWA 角川文庫
No.4217★★★★★
久しぶりに大型古書店を覗いてみた。所用で近くまで行き、時間があまったので、一時間近くぶらぶらした。結果、結局欲しい本はなかった。横尾忠則の画集や、出口王仁三郎の全集、数冊のOSHO本、尾崎豊のポスター本、などなど、目にはついたが、別段に欲しくはなかった。
哲学本コーナーなどをぶらついていると、なんだかニワカ哲学者になったみたいで、自分がさも賢くなったような感じさえするが、ほとんど手にとってめくってみることはなかった。
最近は視力が落ちて、文字を追いかけることが億劫になってきていることもあるし、これまでブログとして4000冊追いかけてきたので、あえてこれをという本が少なくなっているのだ。大型古書店だけに、おそらく世界の本はこの程度だろう、と思わせるほどだが、もちろん、世界の本はこれだけではない。
これまで図書館から借りだして読書を続け、メモをブログに残すという作業を続けてきて、ある程度の飽和状態になっているのだ。
これからどうしよう。本などもう読まないと決断しようか。あるいはお気に入りの数冊を深読みしようか。いろいろな手はある。されど、本とは、別段に読むだけが価値なのではないのではないか。読まなくても、側に置くだけで、価値あるものと、なりうるのではないか。
そんな想いで、一組の文庫本を手に入れた。ヘッセのこの小説の翻訳は数種あって、これまで読んできたのは別バージョンだが、絶版でもあるし、ちょっと高値どまりしていて、購入する気にはなれなかった。それなのに、この文庫上下巻一組は、若干の傷があったもののほぼ美品として、安価で入手することができた。
私は、この本を再び読むだろうか。それとも、飾っておくだけで満足するだろうか。そこのところをチェックするためにも、まずはこの本をしばらく傍らに置き続けてみてみる。
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