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2018/07/31

今日の気分はこの三冊<38>

<37>からつづく

今日の気分はこの三冊<38>

今日の気分はこの3冊 目次

13

「未来のアトム」田近 伸和  (著) 2001/06  アスキー 単行本

「ガラス玉遊戯」ヘルマン・ヘッセ (著),    井手賁夫 (著) 初版1955/01 角川文庫

「禅宣言」OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本

 「未来のアトム」も「ガラス玉遊戯」も過去に何度も当ブログに登場し、熟読した本たちである。されど、いままでは図書館の本であった。今回は思い当たって、入手して、我が本棚にそっと忍ばせておくことにした。

 読むか読まないかは、わからない。少なくともあちこち散読はするだろう。楽しいところが満載だ。だが、通読することは、かなりエネルギーがいるし、必然性が来ないとそうはならない。

 今回、その必然性とやらが、来るか来ないかわからないが、もし三冊目として加えるとするなら、ここはやはりOSHOしかないのである。数あるOSHOの中で、やはり当ブログ現在マイブームの「禅宣言」を忍ばせておくことも、いいバランスではなかろうか。

 「禅宣言」だって、いまさら通読はしないだろう。チラ見も、ひょっとするとしないのかもしれない。それでも、科学のアトム、芸術のガラス玉に比すべきは、やはり意識としてのOSHO禅であろう。

 アトムも努力はする。されど、結局は、意識とは何か、人間とは何か、という疑問の前に立ち往生する。ガラス玉も、虚構の中で、さもそれが解決されたかに歌われる。されど、それは芸術というフィクションだ。絵に描いた餅だ。

 当ブログとしては、そしていちサニヤシンとしては、OSHOの禅に賭ける。賭けるしかない。その覚悟やいかに。もっともっと絞り込まれる必要がある。収束方向が見えてくると、すぐ拡大方向に逃げてしまいたくなるのが、これまた力学ではある。

 当ブログの科学やロボット分野に惹かれる魅力は、結局、意識を科学が解明できるかどうか、というところにある。外側のにぎやかな抽象具象に包まれながら、結局は、意識とは何か、というところに行きつく。そして、意識があるということもなく、意識がないということもない、という地平にたどりつくのだろう。

 思えば、ある意味において、当ブログに書き連ねてきたことは、「ガラス玉遊戯」のようなものである。知らず知らずに、あのようなものが書けたらいいな、という夢が、結果として、このような形を生んできたのだと思う。当ブログが、もうひとつの「ガラス玉遊戯」になれますように。

 まどろっこしい営みは、結局は、ひとつに終局する。当ブログでは現在、それを禅と言い慣わしている。ブッダに学び、道元に学び、OSHOに学ぶ。その姿勢に揺らぎはあれど、決めた以上は、その道を歩き続ける。

 暴れる狂牛を捕まえて、その背に乗って、見事家路につくことができるであろうか。楽しみである。

<39>につづく

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