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2018年6月

2018/06/30

「スター・ウォーズ 禅の教え」 枡野 俊明 <12>

<11>からつづく

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「スター・ウォーズ 禅の教え」 エピソード4・5・6 <12>
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ

 あはは、ついにこの本、一冊自分のものにしちゃいました。何度も図書館から借りだすのも億劫になってきたし、今後も手元においてチラっと眺めるにはいいかもな、と思ったからだ。

  それに、一冊、程度のよさそうな中古が一冊出ていて、しかも数百円のポイントがたまっていたから、半値以下で入手出来ちゃった。

  一冊こうして入手してから始めて気が付いたのだが、実際にはこのような腰巻がついていたんだな。なるほどな、こういう売りだ。

 実は、このサッカー・ワールドカップ・ラッシュの間隙を縫って、このスターウォーズの第一作目が今夜テレビで放送されたんだよね。ビデオに録画していたからいいものの、実は、今夜もこのテレビが始まってすぐに、すぐにソファーで寝てしまった。失敗失敗。

 別にこの映画に限ったことではないが、どうも映画を見ようとする私の態度に問題があるらしい。眠くなりそうなタイミングになって、どうれ、映画でも見ようかな、という気分になる。だから、すっかり映画そっちのけで熟睡ということになってしまう。

 いずれまた映画版スターウォーズも繰り返してみてみよう。とくにこの第一作は重要だろうな。ここが分からないと、シリーズ全体が分からなくなる。

 実は、近作三作は、映画館で見ている。封切の日に見た時だってある。されど、今いちのめり込めていない自分に毎回気づく。どこかきっかけを失っているんだな。

 別にこの映画にこだわる必要もないと思っていたのだが、どうもNHKの7時のニュースでこの映画の封切の話題がでるに至っては、ああ、これはなんとか話題についていかなくては、と思った。

 そしてこの映画に対して疑問的だったり批判的だったりしたことを書いていたら、意外とブーイングを受けた。この映画のファンは多いのだ。批判するならキチンと見てからじゃないと、いけないよ。ミイラ取りがミイラになるかもしれないが。

 当ブログ、2・0まででちょうど4200冊の本に触れてきた。こちらの「把不住述懐」にきて、その中の継続として、この本を何本かの中のひとつの柱に再スタートするのも悪くあるまい。

 スターウォーズと禅、という組み合わせがおいしいだろう。うまいと思う。古臭い禅だけが禅ではない。新しいハリウッドが軽薄だけだ、というわけじゃない。とにかくこの組み合わせはいいと思う。

 一冊自分のものにしたからね。これからは、じっくりと付き合ってみようかな。

 <13>につづく

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2018/06/29

「ピノキオの冒険」原作イタリア/コッロティ

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「ピノキオの冒険」
原作イタリア/コッロティ 販売元: TDKコア VHS 発売日: 1988/12/15 時間: 44 分
No.4202★★★★☆

 ディズニー作品に比べれば、はるかに原作に忠実なのはこちらのほうだろう。検索してみれば、世界の名作なので、さまざまな作品があり、様々に脚色されているようだ。

 気づくのは、子供のないおじいさんがゼペットというところ。日本の昔話でも、おじいさんとおばあさんには子供がおらず、桃太郎やかぐや姫に恵まれるというストーリーが多い。これが一つの原型となっているのだろう。

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2018/06/28

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<73>ピノキオ

<72>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<73>ピノキオ  目次 

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「ピノキオ」
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 発売日 2017/06 DVD/Blu-ray  時間: 88 分
No.4201★★★★☆

1)廃物でロボットを作ることと、ゼペット爺さんがピノキオをつくるのとでは、どう違うのだろう。同じように命を吹き込もうとしていることは確かだが、わがロボットには命は入るだろうか。

2)図書館から借りだしたビデオを見ているうちに、わが家の孫は、ピノキオの名前は聞いたことはないようだが、すっかりビデオの世界に入り込んでいる。

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3)私には生きた孫たちがそばにいるのだから、別段にピノキオを作らなくてはいいのではないか。すでに命がある。

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4)と、ふと、前回、デッサン人形で阿修羅像を造った時の残材があることを思い出してしまった。使い道のなくなった、これこそ廃物だ。これらを使って、またそのうち、ピノキオのマリオネットでも作ってみようかな(笑)

5)またまた深みにはまりそう・・・・・・・

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<74>につづく  

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2018/06/25

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<32>

<31>からつづく

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「アイ,ロボット」 <32>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 夏バテのせいか、あるいは熱中症のせいか、はたまたワールドカップTV観戦で寝不足がたたっているのか、なかなか体力が回復しない。廃物という金属と長時間付き合っていると、その無機質なバイブレーションが体に伝わってくるのか、とにかく疲れている。

 わがiRobotは、制作途上の姿で禅定に入り、私の代わりに瞑想ルームで座り続けてくれている。いつ見ても、キチンと座っているから不思議なものだ。いつ崩れるかな、と覗いてみるが、崩れない。ありがたいと言えばありがたい。




 この頃、ピノキオのことを考える。しゃべる棍棒を見つけて、人形を作ったゼペットじいさんと、私は、どう違うだろう。彼は子供のいない老人だった。どうも妻や家族もいないらしい。それにもともと大工だけに、彼は相当の技術者でもあるようだ。

 それに比して、私は、家族はいるし、孫も近くに住んでいる。敢えて人形をつくったりする必要もない。同じ老人だけにヒマを持て余しているのは似たようなものだが、孤独感はまるで違うだろう。

 ゼペットじいさんが見つけたのは、しゃべる棍棒だった。それがまずはこの物語の始まりだ。私が見つけたのは、いずれ廃物として捨てられる金属片たち。ここに命を吹き込みたいと思った。被造物に命を吹き込みたいと思うのは、人形であれ、ロボットであれ、仏像であれ、同じことなのではないか。

 わがiRobotを作る材料としての廃物たちを見ていると、まだひとつやふたつロボットくらいはつくれそうである。しかし同じロボットでは面白くないのではないか。今度はピノキオを作ってみようか。布や綿や古着を活用して、操り人形なども楽しいのではないか。

 でもそれって、どうも何かが外れている。しゃべる棍棒なら、おそら今や電子工作で作れるのだ。あるいは操りだって、ヘタすりゃリモコンで十分じゃないか。いまやるべきことは、廃物アートではなく、プログラミング・アートなのかもしれない。

 そんな葛藤が、ソファの昼寝から目覚めた頭の中をよぎっていった。

<33>につづく

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2018/06/24

「さとりサマーディにて」<34>爪‎

<33>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<34>爪‎      目次 

 週に二回、母のマッサージを頼んでいる鍼灸マッサージ師O師より連絡がくる。どうも足爪が伸びているようで、靴下の上げ下げも不自由になってますよ。そう、そう、そうなのだよね。それは自宅にいた時から分かっていた。だけど、なかなか家族では手が付けられない。

 外科医をしている孫の一人が見舞いに来てくれた時に、ヤスリを持ってきて処理してくれていたが、施設に入ってからは、スタッフにお願いするのみだ。入浴後の柔らかくなってあとに切ってくれているようである。

 されど、97歳ともなれば、足爪の状態も尋常ではない。あるいは曲がり、あるいは消滅し、あるいは水虫っぽくなり、硬くなり、一本一本、実に様々なコンディションである。家族にも、スタッフにも対処できる方法は限界がある。

 そこでO師のアドバイスで、近所の巻き爪クリニックの往診を頼むこととした。この数年、わが家近くの大通りにその支店ができていた。爪だけの処理だと、医療行為にはならなず、保険は対応しないそうだ。

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 初診料、出張料も含めて、小一万かかる。まぁ、しかしそれでも評判のよいクリニックらしく、最近チェーン店化している。安心して頼んでもいいのではないか。家族の意見もまとまり、往診を依頼することに。

 往診してくれたのは、介護福祉士の資格を持つ中年の女性。なかなか老人に対する態度も素晴らしい。どうやら、そもそも福祉施設のスタッフとして10数年にわたって勤務していたらしい。

 靴下を脱がしてチェックし、一通り付き添いの家族に説明したあと、電動のヤスリで削るべきところは削り、ニッパーのような大き目な爪切りで、切るべきところは切り、磨くところは磨く。本人の感想も聞きながら、慎重に作業が進む。

 およそ小一時間。処理は終わった。幸い巻き爪化している指はなく、水虫化している爪も最小限らしい。緊急の追加処理は必要ないという。これで家族も一安心。本人も気持ちいい、と言っている。

 後日O師にも確認してもらい、今回は、まずは一件落着かな。それでもやっぱり、爪はまた伸びてくるからなぁ。常時要チェックだな。

<35>につづく

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がんばれ、イーグルス!

 サッカーワールドカップでかまびすしい世界情勢ではあるが、ローカルなスポーツ球団も最下位を漂い、監督が辞任する中、必死にサバイバルゲームを続けている。


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 去年は良かったなあ。Aクラスだったし、うまく行けばクライマックスシリーズでリーグ優勝、さらには、夢の日本一再現、という可能性があったのだ。

 今年はなんだぁ、球団設立当時以来の、最下位ひとり爆走中ときた。冷酷な通りすがりの無責任な、自称強い時のみのファンでしかない私くしには、できれば目をそらしていたい球場、いや窮状である。

 そんなおり、突然、デイゲームのチケット2枚をプレゼントされることになった。うん、これはこれでうれしい。さっそく、奥さんと早めに出かけることに。

 なんせ、今日はガールズデーということで、女性は半そでのピンクの女性用ユニフォームをもらうことができる。さらにだね、今日の先発は岸投手である。

 岸は今やイーグルのエースである。彼はわが町内会の星だ。近所の子どもが成長して、カッコいいスポーツマンになった。いいなぁ。

 かくいう私はまったく野球ファンではない。かつてはロッテが宮城球場をホームにしていた40数年前に金田監督の試合を見たことはある。あの時も、住宅メーカーのプレゼントのチケットだった。

 20年前、PTA役員をやっていた当時、子供の通っていた高校の野球部がなんと県内で優勝し、甲子園に出場した。あの時の、球場の興奮も忘れはしない。

 もっというなら、小学5年生当時、まだ客席なんか、一枚板の並んだこの球場に遠足にきたのはもう55年前のことだね。

 久しぶりに訪れた楽天生命宮城パークとやら、今はもう、観覧車はあるし、大きな電光掲示板が周囲を囲んで、大音響システムがとどろくレジャーランドになっておった。

 大雨も予想された空模様は、晴れ間がこぼれる薄曇りの野球観覧日和。ガールズデーということで、ピンクのユニフォームを着た女性陣にかこまれて、久しぶりのスポーツファンとしては、かなりにぎやかな一日となった。

 夕方からは、こちらも久しぶりの小学校当時の同級会幹事会の集まりがあるので、途中で球場を後にしなければいけなかったが、なんせ、岸が完投して、カッコよかったし、試合だって、しっかり3対2で、シーソーゲームを制した。よかった、よかった。

 チャンスがあったら、また行くぞ。イーグルスがんばれ。まだまだ可能性は残っているぞ。

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2018/06/21

2018年上半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2017年下半期よりつづく 

2018年上半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10
 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品のメモに飛びます)

第1位
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「教養としてのテクノロジー」 
AI、仮想通貨、ブロックチェーン
伊藤 穰一   (著),    アンドレー・ウール (著) 2018/03 NHK出版

第2位
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「謎床: 思考が発酵する編集術」
松岡 正剛 (著),‎  ドミニク・チェン (著), 2017/07 晶文社 

第3位
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「コンフォルト」
祈りの場所をつくる
2018年2月号 建築資料研究社 2018/01  雑誌

第4位 
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「良寛 軽やかな生き方」わたしは、ただ、遊んでいるだけ
境野 勝悟 (著) 2018/02 三笠書房 (知的生きかた文庫)

第5位
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「鈴木大拙コロンビア大学セミナー講義」上下巻
鈴木大拙 (著),‎    重松宗育 (その他),‎    常盤義伸 (その他) 2017/11 出版社: オクターブ  単行本

第6位
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「禅の庭Ⅲ」枡野俊明作品集 2010~2017
枡野 俊明   (著) 2017/11 毎日新聞出版 単行本 

第7位

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「うつが逃げだす禅の知恵」
千葉 公慈 (著) 2018/02 河出書房新社 単行本(ソフトカバー)

第8位
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「六〇歳から『生まれ変わる』禅の作法」

枡野 俊明 (著) 2018/04 毎日新聞出版 単行本

第9位
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「ブッタたちの仏教」
並川 孝儀 (著) 2017/12 筑摩書房 (ちくま新書)

第10位
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「仏像 みる・みられる」
多川 俊映   (著) 2018/03 KADOKAWA 単行本

次点
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「心理カウンセラーが教える 本当の自分に目覚める体癖論」
小高 千枝 (著)  2017/12 主婦と生活社 単行本(ソフトカバー)

<2018年下半期>につづく

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2018/06/20

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<31>

<30>からつづく

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「アイ,ロボット」 <31>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

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<32>につづく

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「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅<5>「禅宣言」 OSHO<17>

<4>からつづく
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「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅<5>
美術手帖編集部 (編集) 2016/10 美術出版社 雑誌 p211
★★★★★

 (前略)仏教文化としての禅から宗教色を脱色して欧米でカジュアルに受け入れられているZENを通して、逆照射するようなかたちで現在の禅を見通してはどうかと考えた。(中略)

 鈴木大拙や久松真一らによって日本の禅とおその美術の特質が、戦後のアメリカに紹介されて人気を博していく際に起こった「誤読」について指摘がなされている。 

 それによって、日本の文化を特徴づける禅の美意識として、「わび」「さび」「非対称」が打ち出されて、「ZEN」趣味として浸透していく一方、それに該当しない絢爛な障壁画は、禅の美術からは外されていくことになった。(後略) p7Editor's note」 編集長 岩淵貞哉

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<16>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<17>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 (前略)鈴木大拙が禅を西洋に紹介して以来、何百ものすばらしい本が西洋で出版された。彼は先駆的な仕事をしたが、禅師ではなかったし、禅者ですらなかった。彼は言代な学者であり、その影響は世界じゅうのインテリの間に広がった。(中略)

 鈴木大拙は、<存在>に対する新しい見方をひっさげて西洋に現れた。彼が人々を惹きつけたのは、その偉大な学識、深い学識のためだった。そして彼は西洋のマインドに、まったく新しい宗教の概念をもたらした。ただ、それは概念にとどまり、知的な論議のままだった。けっしてそれ以上深くはいかなかった。(中略)

 要は道をみつけることだ。それを見つける簡単な方法はただひとつ、すでにそれを旅した人を探すことだ。その人は知っている---その無は空虚なものではない。(後略) p26 OSHO [この消失が無我だ」

「禅宣言」<18>につづく

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1)すべては誤解から始まる。誤読、誤解、理解不足、それを恐れてはならない。されど、その対象をどこまでも外側に求めているならば、ついぞ、正解が現れることはない。

2)「仏道をならふというふは、自己をならふなり。」(正法眼蔵 現成公案)

3)当ブログにおいては、すでに禅やZENを外側に求める時代は終わった。芸術であろうとアートであろうと、自らを見つめる鏡として使えるなら、それは多いに活用すべきである。禅師もマスターも同じことだ。

「美術手帖」<6>につづく

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2018/06/15

「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<30>

<29>からつづく

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「アイ,ロボット」 <30>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

 ようやくここまで来た。傍目には、大した進展もないように見えるかもしれないが、これでもだいぶ進化した。全体の20%くらいまでは来ただろう。

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 ゼロからのスタートである。ある程度の大枠を決め、具体的にすこしづつ形を与え、試行錯誤の繰り返し。手元にある廃材を解体し、適材適所へと、プランニング。

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 思わぬ出会い、思わぬ組み合わせが、新しいフォルムを生み出す。パーツパーツが、化学反応を起こす。おお、そこにそれが来るか。

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 一度決まった組み合わせが、解体され、再構築される。完成図というものはない。ひたすら自分の中にあるイメージを外に出そうとする。いつか内と外の均衡が訪れるだろう。

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 仮止めからネジ止めへ。素材のままから、穴あけ、カット、曲げ、つぶし、変形。右と左のバランス。前と後ろの見栄え。
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 なかなかうまく行かないところは、どまでうまく行かない。だけど、ひょんなことで、ひょんな組み合わせを発見する。あ、これで、いいじゃん。
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 ここからさらに手の平をつくり、指をつくり、筋肉を張る。そして、スケルトンの衣装をつける。そして自立。坐禅。
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 ここまでくれば、あとは、時間が解決する。次第次第に姿は明確になり、メッシュも上がってくるだろう。全体として、一体性を持ち始めるだろう。

<31>につづく

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2018/06/14

「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅<4>

<3>からつづく 
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「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅<4>
美術手帖編集部 (編集) 2016/10 美術出版社 雑誌 p211
★★★★★

1) 2017/09/06にこの雑誌が当ブログに登場して以来、部分的なコメントは数回続いたものの、当ブログが失語に向かう途中での出会いだったので、まともなコメントがなかった。この辺で、多少は切り込んだメモを残しておこう。

2)「更新を続ける21世紀の禅」。いい切り口である。コピーとしては、とてもシビれるような表現だ。これでいい。しかもこの特集がこの「美術手帖」で展開されるというのが、もっといい。ぞっこんである。

3)いわゆる伝統的な禅に対する触れ具合は、まずまずの平均的な内容だが、雑誌のコンセプトに合わせて、中心をアート(芸術)に持っていっているところ、ましてや、そのフィールドを欧米(とくにアメリカ)に設定しているところも、これはこれでいいんじゃなかろうか。

4)禅、ZENといいつつ、今はやりのマインドフルネスというフレーズも登場させるあたり、決して独善に陥っていないのもいい。ただ、それをテーマとした鼎談の深みの程度は満足できるものではないが、要因はそのテーマそのものにあるので、仕方ないだろう。

5)アメリカ・カウンターカルチャーの中でのZENの位置づけもこれでいいだろうし、現在のZENセンターの紹介の仕方もこれでいいだろう。なにはともあれ、この雑誌がこのように特集していた、というそのスタンスが素晴らしい。

6)このセンスの延長として、当ブログとしては禅をZENと言い換えることは、何の抵抗もない。むしろ、歓迎すべき現象である。「更新を続ける」というあたりも、これはこれでいいんじゃないか。伝統に縛られるべきではないし、実際、本当の意味でも伝統は消えつつあるのだ。

7)今やニューバージョンのOSとしてのZENが待たれている。決して日本の寺院仏教に縛られている必要はない。

8)この号に魅力を感じるさらなる理由は、ZENアートというコンセプトを紹介しているところ。当ブログとしては、やや遠慮がちに廃物アートと銘打ったシリーズを展開しているのだが、実際は、それをリサイクルアートどころか、ZENアートとして再デビューさせようとしているところである。

9)科学、芸術、意識の三分野の統合として、現在iRobotなる当ブログ独自のZENアートを展開中である。始めてまだひと月ほどだが、思い付きはすでに一年以上も前のものである。ようやく熟成してきたといえる。

10)今や、方向性はかなり見えてきていて、20%くらいの進捗といっていいだろう。これからわがZENアートはどういう展開を示すのか。我ながら、楽しみである。

11)そういった意味においても、この雑誌の立ち位置は極めて重要であると言える。今後も恐れず、何回か、触れていくこととする。

<5>につづく

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2018/06/13

バトルと炎上はネットの華?<1>

「バトルと炎上はネットの華?」<1>

当ブログ2・0を整理していて、アクセス元リンクに興味深い記録があった。というか、以前にも気がついていたのだが、深入りしないで来た。「火事と喧嘩は江戸の華」とかいうフレーズに引っ掛けて、私が作ったのは「バトルと炎上はネットの華」。

 すでに旬を外してしまったことわざだが、割とネット社会の本質を表していると思う。みんな自由に発言するので、あえて調和的に話を合わせない人も多い。傍からみていて面白い時もあるが、まったくつまらない時も多い。

 他者はどうあれ、私はネット上においては、その渦中の中心にはいたくない。だから、どうもきな臭いなぁ、と思う時は、さっさと、三十六計逃げるにしかず、で、トンズラしてしまう。それがいいのか悪いのか、もうどうでもよくなる。自分は自分で自分の世界を展開していけばそれでいいや、と納得してしまう。

 でも、それでいいのかな?

 次にコピペしたのは、私のブログに対するコメントである。最初はこの方の訳書の印象を私がメモしていたブログに対するコメントだ。会ったことはない人だが、おそらく二次か三次のつながりで、割と近くにいる方である。

 この方の書き込みは、まったく意味がない、などというつもりはないが、ネット上で、いちいち反応するほどの情熱は、実はこれまで湧いてこなかった。今でもそうだ。

 でも、それでいいのかな?

 ネット上では、これだけあからさまに反応してくれている書き込みも少ないし、他者のブログの記事ゆえいつ消えてしまうかわからない。何はともあれ、まずは、ここにコピペだけさせていただきます。

 そして、そのうち気が向いたら、すこしづつ部分的でも、私の想いも記していくことにします。

 コピペ元。http://mahorobanomori.web.fc2.com/Osho-Diary-2015-11.html

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「アティーシャの知恵の書」の書評を久々にネットで探してみたら、例のBhaveshの「地球人スピリット・ジャーナル」の中に、気になるコメントがあった。
 
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/the-book-of-wis.html

 特に下記の文を引用する・・・・


 ・・・「今は「アティーシャの知恵の書」をゆっくり読みなおしている。これにはそれなりにいろいろ訳がある。
 Osho本という奴は、「読書」には適していない。「存在の詩」以来、私はOsho本を最初から最後まで一気に通読したことは、たったの一度もない。必ず引っ掛かるのである。第一章、あるいは、最初の一頁、いやいや、最初の一行、時には、表紙をみただけで、「ストップ」してしまう。
 だから、手持ちでありながら読破していないOsho本は山とある。私はそれを積ん読本とは思わない。
Oshoの本は、読書ではなく、私にとっては瞑想だ。なにか、今日、瞑想するネタがそこにあれば、それはそれで、十分なのだ。」・・・


 ・・・・・独特の読書観と言っていいのかどうか・・・・?
読み進めることが途中で止まってしまうということ自体、この人に何か問題がある、ということだ。
 「瞑想するネタがそこにあれば・・・」、瞑想するネタ ???  意味がわからない。
瞑想するのなら、むしろ、そこで止まってしまう自分自身について瞑想するべきだろう。なぜ自分はそこに引っ掛かってしまうのか、ということについて・・・。

この人はかなり古いOshoの弟子だが、ようするに、Oshoの本をまともに読んだことはない、と自分で告白しているのである。

 それにまあ、Oshoの本が読書に適していないと言うのなら、一生懸命翻訳している者にとっては、その翻訳作業は無駄だと言うことになるのだろうか?
 一度も翻訳をしたことのない人だからこそ言える好き勝手な言葉だろう。

 以前、この人が「神智学大要」の書評の中で、この本をほとんどブラヴァッキーの「シークレット・ドクトリン」からの引用である、と評してしたのを読んで、私が、「それは間違いである。この『神智学大要』全5巻の中で、『シークレット・ドクトリン』からの引用は第1巻の一部に過ぎず、残りのほとんどは、リード・ビーターとアニー・ベサントの著書から引用である。」と指摘したら、
 この人は、「私はこの本をまともに読んだことがない。なぜならこのような神秘学の本を読むことで、刷り込まれるのを恐れているからだ。」と返答してきた。
 刷り込まれる・・・ようするに、そこに書かれてある知識を信じ込ませられる、ということを恐れているのだろう。
 それはその人の意志の問題であり、恐れているのなら、それはその人の弱さを現わしていることになるが・・・
 ようするにこの人は、まともに本を読まずに、その本を論評しているのだ。

 続けて・・・


 ・・・「サニヤスとはなにか、サニヤシンとはなにか、については他書に譲るが、いずれにせよ、この場においては、Oshoが言いだしたものであり、Osho独特のサニヤスがネオ・サニヤスと名づけられている。
 1979年当時のOshoネオ・サニヤスの意味しているところは、外見的には、Oshoにつけてもらった新しい名前を使い、身につける衣類はすべてオレンジ色にし、その上から常時、Oshoの写真のついた数珠を首にかける、というものだった。
 逆に考えると、今あらためて当時のサニヤスを考えるというアナクロ読書は、自分にとってはそれほど益のないことのように思い、Q&Aの部分を飛ばして、アティーシャの経文についての講話の部分だけ読んで行ったほうがいいのではないか、と思ったりする。そういう読み方も確かにあるに違いない。」・・・


 もう自分にはサニヤスのことはわかっている、とでも思い込んでいるようだが、そういう人にこそ、この本のQ&Aを読んでほしいのだが・・・。
 昔の古いサニヤシンほど、自分はOshoについて何でも知っていると思っているのかもしれないな。

 この後、なんだか難しい考察論調が続いていく・・・・、そして、


 ・・・「 オレンジ色の衣服も、Oshoの写真のついた数珠を身につけることも、システムとしてはすでに廃止された。明確な形で廃止されてからもすでに30年近く経過している。だから、35年前に行なわれたこの本の講話には、現在の読者にはふさわしくない表現が多くある。誤解が誤解を生みだす可能性はある。
 しかし、他書と併読しつつ、あるいは瞑想をしつつ、サニヤシンという意味を深く探っていくなら、Oshoが差し出したネオ・サニヤスという概念が、いかに革命的であるかが、次第に理解できるだろう。ここでいうところの革命は、ネグリ的センスでの革命ではない。Oshoが多く採用するのは、反逆、である。・・・・・・・・・・・・
 翻って、この「アティーシャの知恵の書」に戻る時、読者が他の誰であろうと、私が私のためにする読書であるとするならば、あらゆる修正を繰り返しながらも、そもそも持っている本質を突き止めてみれば、私はサニヤシンである、という更なる自覚を強烈に促してくる、パンチ力ある一冊である。
 まだ28日分ある講話のうちの7日分にさしかかったところだ。完読するのは、いつのことになるやら。そも、Oshoの本においては、実は、完読すること、それ自体に、本来の意味はない。私が、サニヤシンである、という自覚。そして、サニヤシンというのは、最後の無意識の象徴であった、という更なる自覚が起これば、その時点で読書の全てが成就するはずである。」・・・


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 とにかく、難しく考える人だ。
 というか、ただマインドの中でもっともらしく正当化しているだけに思えるが・・・・。

 まあ、どう読もうと、その人の勝手だが、この最後の文章から見えるのは、この人は自分の都合のいいようにOshoの本を扱い、解釈している、ということだ。 主点は、自分の都合、解釈である。

 私の解釈からみれば、この人は本当にOshoを理解しているのか?と訝ってしまう。最古参のサニヤシンでありながら・・・。
 これが、前の日記に書いた、Oshoの翻訳をすればするほど、Oshoと日本のサニヤシンの言動が真逆であったのを感じる・・・・、という印象に関連してくる。

ーーーーーーーーーーーー

<2>につづく

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新刊ベスト本について

 まもなく今年も夏至がやってくる。当ブログでは、年二回、夏至と冬至の半期ごとに、その期間に読んだ新刊本のベスト10シリーズを展開してきた。すでに10数年にわたっているわけで、当然今半期も準備は完了している。

 この半期に読んだ新刊本は40冊あまり。玉石混交だが、このシリーズを意識して積極的に新刊本に手を出してきた部分もあるので、特段にタイムリーに読めた本ばかりではない。

 そもそもこのシリーズは、意識して読まないと、旧本ばかりになって新しい情報が入らなくなるよ、という自戒を込めたものだった。されど、ちょうど当ブログも新シリーズが始まることとなり、その名もエッセンス版である。必ずしも不要な新しい情報を混在させる必要もないのではないか。

 その意味において、このシリーズは、前回で終了とし、今後は敢えて読書ブログの看板を外し、新刊本も必要以上に意識することを避けていこうと思う。

 そして更になお、どうしても気になる本はある。数冊ではあるが、いずれ再読することとなるだろう数冊、これらについては、あえてシリーズ完結編として、あと一週間後の夏至の日にメモを残すこととする。

 当ブログ、新シリーズの模索は続いている。

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2018/06/10

今日の気分はこの三冊<37>

<36>からつづく

今日の気分はこの三冊<37>

今日の気分はこの3冊 目次

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「禅宣言」
 OSHO 1998/03  市民出版社

「アイ,ロボット」 アイザック・アシモフ 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅 美術手帖編集部

 腹を禅と決めたら、OSHO禅宣言で決まりでしょう。現在制作中の廃物アートはiRobot。アイザック・アシモフ原作の短編集を映画にした作品。禅とアートを繋ぐものとしては、美術手帳のZEN特集が気になるところ。このトリニティをもう少し深堀しよう。

<38>につづく

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2018/06/09

「禅宣言」 OSHO<16>

<15>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<16>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

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<17>につづく

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「アイ,ロボット」 原作アイザック・アシモフ<29>

<28>からつづく

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「アイ,ロボット」 <29>
原作:アイザック・アシモフ 監督: アレックス・プロヤス  出演: ウィル・スミス, 他 2004年作品 DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 時間: 115 分

★★★★★

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<30>につづく 

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2018/06/08

サドンデス

 3月11日以降、こちらに本格的に移行するのをためらっているうちに、結局「地球人スピリット・ジャーナル2・0」は、ブログサービス会社の提供するディスク量を完全に使い切ったようで新たな記事をアップロードできない事態となった。

 私としては、これ幸いと、軸足を本格的にこちらに移動してくる予定だ。物語、スートラ、ジャーナル、と来て、次なるステージは述懐である。これはこれですっきりしている。

 カテゴリ名は禅、読んでいた本は禅宣言、廃物アートの制作中なるものはiRobotである。ここでサドンデスに遭うのも悪くない。

 こちらの画面構成はまだすっきりとはしていないが、今までのスタイルがお気に入りだったので、そちらをまずは踏襲することとしよう。そのうち、新しいスタイルが生まれてくるに違いない。

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