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2018/06/20

「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅<5>「禅宣言」 OSHO<17>

<4>からつづく
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「美術手帖」更新を続ける21世紀の禅<5>
美術手帖編集部 (編集) 2016/10 美術出版社 雑誌 p211
★★★★★

 (前略)仏教文化としての禅から宗教色を脱色して欧米でカジュアルに受け入れられているZENを通して、逆照射するようなかたちで現在の禅を見通してはどうかと考えた。(中略)

 鈴木大拙や久松真一らによって日本の禅とおその美術の特質が、戦後のアメリカに紹介されて人気を博していく際に起こった「誤読」について指摘がなされている。 

 それによって、日本の文化を特徴づける禅の美意識として、「わび」「さび」「非対称」が打ち出されて、「ZEN」趣味として浸透していく一方、それに該当しない絢爛な障壁画は、禅の美術からは外されていくことになった。(後略) p7Editor's note」 編集長 岩淵貞哉

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<16>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<17>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 (前略)鈴木大拙が禅を西洋に紹介して以来、何百ものすばらしい本が西洋で出版された。彼は先駆的な仕事をしたが、禅師ではなかったし、禅者ですらなかった。彼は言代な学者であり、その影響は世界じゅうのインテリの間に広がった。(中略)

 鈴木大拙は、<存在>に対する新しい見方をひっさげて西洋に現れた。彼が人々を惹きつけたのは、その偉大な学識、深い学識のためだった。そして彼は西洋のマインドに、まったく新しい宗教の概念をもたらした。ただ、それは概念にとどまり、知的な論議のままだった。けっしてそれ以上深くはいかなかった。(中略)

 要は道をみつけることだ。それを見つける簡単な方法はただひとつ、すでにそれを旅した人を探すことだ。その人は知っている---その無は空虚なものではない。(後略) p26 OSHO [この消失が無我だ」

「禅宣言」<18>につづく

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1)すべては誤解から始まる。誤読、誤解、理解不足、それを恐れてはならない。されど、その対象をどこまでも外側に求めているならば、ついぞ、正解が現れることはない。

2)「仏道をならふというふは、自己をならふなり。」(正法眼蔵 現成公案)

3)当ブログにおいては、すでに禅やZENを外側に求める時代は終わった。芸術であろうとアートであろうと、自らを見つめる鏡として使えるなら、それは多いに活用すべきである。禅師もマスターも同じことだ。

「美術手帖」<6>につづく

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