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2018/04/09

瞑想センター

1)こちらのブログはまだほとんど誰も訪問していない。よくも悪くもアクセス数がゼロに近い。だからこそ、こちらに書いておけることもある。

2)別段見られてしまって不都合なことははないが、別段宣伝するほどの内容でもない。だけど、ここに書いて文字化しておくことによってこそ、動き出すこともある、という期待がある。

3)最近よく考えることは瞑想センターについて。瞑想についての重要性は繰り返すまでもない。最近はマインドフルネスとやらのブームもある。行こうと思えば、無料で親切な日曜坐禅会などを主催している禅寺も多くある。

4)何が不満なのだろう。何がまだ未達なのだろう。

5)禅寺の坐禅会は、自分の生活にリズムをつけてくれる重要なファクターとなっている。とても有用である。だが、そこをずばりOSHO瞑想会、と呼ぶことはできない。なぜにOSHO瞑想センターが必要なのか。

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6)個人的な思いで同好会的な瞑想会も存在する。それでいいのではないか。問題点は、OSHOとのつながりがはっきり見えないこと。OSHOの弟子を自称する人々が独自の展開をしていて、必ずしも公平な展開をしているとは限らないこと。

7)スバガットは1978年にOSHOから直接に名前を受け取った。80年代には共同生活スペースで毎日のようにセンター活動を展開した。

8)90年代は、OSHOが肉体を離れたあと、それぞれの仕事を持ちながら、ネットワークを活用して、公共スペースで定期的な瞑想会が展開された。

9)00年代は、一部の犯罪的グループの風評にさらされながら、インフォーメーション・センターとして、インターネット活用を中心に情報の共有が行われてきた。

10)3・11後の10年代は、存在の足元を揺るがされながら、共同活動というよりは、個人的活動の復活を目指していた。それは共同というより個的な強さが育成されたようだ。

11)10年代も終わりにに近づき、今や、20年代に向けて、本質的なOSHO瞑想センター活動が必要になってきている。

12)それを展開するにあたっての障害はなにか? 瞑想センターという実像の明確化が必要だ。毎日瞑想できるスペース。的確な情報提供。公平な指導者像。

13)決して広くはないが、十分な瞑想スペースは準備されている。エネルギーをキープすることが可能だ。

14)トレーニング・コースを受けた指導者がいる。よりリアルタイムでアップデイトできるかどうか。

15)参加者はどれだけいるのか。特に、未知の人々。若い人々。本当にOSHOが届けられるべき人々へのメッセージ。

16)いくつかの角度から、ひとつづつ障害を取り除いていく必要がある。

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