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2018年4月

2018/04/18

1978年

 1978年とは、どういう時代であっただろう。

 1970年から8年。1980年まで2年。割と中途半端な時代であった。私は一年間のインド滞在を終えて帰国した。瞑想センターの名前を抱いて、どこからどう始めるか、冬の木枯らしの中を歩いていた。

 この時代に、ひとつの仕事を始めたひとがいた。おそらく私より一回り上の人だから、30代なかば。そこかスタートしたということは、そこまでの人生が、ひとつ二つあったはずである。

 あの時代、あの仕事を始めて、決して注目が集まる仕事でもなければ、簡単な仕事でもなかったであろう。地味な、決して楽しくない仕事であったに違いない。

 だけど、あれから40年。一つの仕事をやり続けて、彼もすでに76歳。その仕事はすたれていない。むしろ、上向きで、拡大傾向にある。されど、それを他人に譲るとなると、一筋縄ではいかない。

 彼にハッピーリタイアはあるのか。どのようなものが、彼にとってのそれになるのか。何か他の楽しみはないのか。趣味は何なんだ? 何を目的に生きているんだ?

 おそらく、彼は仕事をしながら死んでいくことが理想と思っているのではないだろうか。それはある意味うらやましいことである。それでいいのだろう、彼にとっては。

 だが、残された側にとってはかなり迷惑なことになる。その修復はかなり大変な作業となろう。もちろんどんな仕事でも、そのような状況はありうる。誰だって、その危険性はある。彼だけを責めることはできない。

 されど、廻りで彼にハッピーリタイアメントをプレゼントしてあげることはできないだろうか。そのことを考えている。私になにかできるだろうか? どうすればいいだろうか?

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2018/04/12

坐禅会

30分座り、普勧坐禅儀、般若心経、そして朝粥をいただく。

一年経ってみれば、毎度毎度の似たようなスケジュールの繰り返し。

もうちょっと違ったお経を読んでみたい、もっと長く座ってみたい、別な和尚さんのお話しも聞いてみたい。そう思わないでもない。

されど、一年365日の、なんと日々の生活の移り変わり。雑多なことがありすぎる。

ありがたいことである。

そんな時、一週間に一回、一か月に数回と言えど、そして1~2時間の短い時間と言えど、その坐禅とお経とお粥をいただくことが、定期的にめぐってくることで、人生の基調音が静かに流れているように思う。

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2018/04/09

瞑想センター

1)こちらのブログはまだほとんど誰も訪問していない。よくも悪くもアクセス数がゼロに近い。だからこそ、こちらに書いておけることもある。

2)別段見られてしまって不都合なことははないが、別段宣伝するほどの内容でもない。だけど、ここに書いて文字化しておくことによってこそ、動き出すこともある、という期待がある。

3)最近よく考えることは瞑想センターについて。瞑想についての重要性は繰り返すまでもない。最近はマインドフルネスとやらのブームもある。行こうと思えば、無料で親切な日曜坐禅会などを主催している禅寺も多くある。

4)何が不満なのだろう。何がまだ未達なのだろう。

5)禅寺の坐禅会は、自分の生活にリズムをつけてくれる重要なファクターとなっている。とても有用である。だが、そこをずばりOSHO瞑想会、と呼ぶことはできない。なぜにOSHO瞑想センターが必要なのか。

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6)個人的な思いで同好会的な瞑想会も存在する。それでいいのではないか。問題点は、OSHOとのつながりがはっきり見えないこと。OSHOの弟子を自称する人々が独自の展開をしていて、必ずしも公平な展開をしているとは限らないこと。

7)スバガットは1978年にOSHOから直接に名前を受け取った。80年代には共同生活スペースで毎日のようにセンター活動を展開した。

8)90年代は、OSHOが肉体を離れたあと、それぞれの仕事を持ちながら、ネットワークを活用して、公共スペースで定期的な瞑想会が展開された。

9)00年代は、一部の犯罪的グループの風評にさらされながら、インフォーメーション・センターとして、インターネット活用を中心に情報の共有が行われてきた。

10)3・11後の10年代は、存在の足元を揺るがされながら、共同活動というよりは、個人的活動の復活を目指していた。それは共同というより個的な強さが育成されたようだ。

11)10年代も終わりにに近づき、今や、20年代に向けて、本質的なOSHO瞑想センター活動が必要になってきている。

12)それを展開するにあたっての障害はなにか? 瞑想センターという実像の明確化が必要だ。毎日瞑想できるスペース。的確な情報提供。公平な指導者像。

13)決して広くはないが、十分な瞑想スペースは準備されている。エネルギーをキープすることが可能だ。

14)トレーニング・コースを受けた指導者がいる。よりリアルタイムでアップデイトできるかどうか。

15)参加者はどれだけいるのか。特に、未知の人々。若い人々。本当にOSHOが届けられるべき人々へのメッセージ。

16)いくつかの角度から、ひとつづつ障害を取り除いていく必要がある。

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2018/04/08

幸せ

 幸せですか? 自分に問うてみる。

 幸い、体はまぁまぁ健康。目も歯も血圧もそれなりに問題なしとはしないが、年齢相応で、決して極端な壊れ方はしていない。かつて若い時分に余命半年と宣言されたわりには、元気そのものと言える。幸せだろう。

 経済的には、こちらもまぁ問題なしとはしないが、日々を暮らしていくほどの基盤はある。補償も厚くはないが、壊れてもいない。まずまず足りていると言えるだろう。不足したなら不足したなりに我慢し、やっぱり足りなかったら、もうすこし働けば手が届く。幸せと言えるだろう。

 精神的にはどうですか? こちらもさらに問題含みではあるが、よそから見ると、私ほど自由気ままに生きている人もいないように見える場合もあるらしいので、大きい声では不幸せだとは、とても言えない。

 もちろん自分でも不幸せだと思ってはいないが、人生日々でこぼこ道である。間違ったり、失敗したり、反省したり、困ったり、いろいろある。だが、そこから脱出できないほどの大きな落とし穴にはまっているとは言えない。すべてにおいて修復可能だ。

 そう思えるだけ、私は幸せなのだと思う。

 福禄寿、という。まずは家族なかよく、隣人たちと楽しく、みんなに囲まれて生きていけるなら、それは福、というべきだろう。生活も暮らしていけるほどには基盤ができているなら、それは禄と言っていいだろう。すでに還暦をすぎて、豊齢と言われる年代に入ったが、目だって大きな欠陥もなければ、それは寿として、感謝しなければならない。

 このバランス。いつ崩れるかわからない。いや、家内などに言わせれば、家計や日常生活態度など、大きく崩れているじゃないですか、とクレームが飛んできそうだ。だが、わたし的には、どんなに傾いても、修復の可能性があるうちは、大丈夫だと、タカをくくっている。

 それでもなお、いつかは大きくこのバランスが崩れることはありうるだろう。そして、そのバランスという意味が失われることもあるだろう。その時、私は自分で、幸せです、と言えるだろうか。

 精神のバランスをおおきく崩した青春時代、私には、ある確信がある。あれほどの精神的な苦境にありながら、私は自殺を考えなかった。生きることのほうが楽しそうだった。だから、あの時ほどの苦境に陥ることはなかったにせよ、あの時あれで絶えたのだから、もうあそこまではいかないだろう、という読みがある。

 肉体的には、重篤な病気で余命半年と宣言されたばかりでなく、他にもなんどか危うい境遇に出会った。それでもまだ生きている。誰かが、あなたは守られているのよ、と言ってくれた。そうだろう。守られているのだと思う。ありがたい。

 怠慢や不注意により、社会的生活基盤を失いかけたこともあった。いや、一度ならず、他にも何度か失った。糸の切れたタコのような状態が何か月も、何年も続いた。されど、そこに救いがなかったか、と言えば、そうではない。希望はあったし、援助もあった。多くの縁に救われて、私は今日、ここに生きている。

 行政から、動物園や野草園が無料になり、博物館や美術館が半分の料金で入館できる豊齢カードをもらってみて、ああ、人生はここまできたか、と思う。あと何年つづくものかわからないが、私は私の人生を、幸せに生きていると、ここに記しておくことができる。

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