選択
1970年当時、大阪万博のシンボルの塔だった太陽の塔。岡本太郎を一気にポピュラーにした作品だった。万博制作に参加したことを誇らしく語る者もあれば、反万博のイベントを繰り返したカウンターカルチャーの旗手たち。太陽の塔の前をストリーキングしたダダカンこと糸井寛二。
あの年、私は16歳。修学旅行の年だった。私は東北の高校生で、修学旅行は二つの中から選ぶことができた。一つは大阪万博を含めた関西旅行。もう一つは、北海道の大自然の中。私は、万博反対派だったので、北海道旅行を選んだ。摩周湖とか、アイヌの人々の文化を見学した。
あれから何度も何度も、たくさんの選択の場面に出会ってきた。仕事、結婚、家づくり、イベント、災害、
あの時の、私の選択は正しかったと思う。一度か二度、北海道旅行なら後からもいけたのだから、一回きりのチャンスの大阪万博もよかったのかな、と思ったことがあることはあった。だが、敢えて、あの年、北海道に行くことによって、万博に行かなかった、という履歴を残したことに納得する自分がいる。
でも、思えば、こうして太陽の塔の内部に岡本太郎が仕掛けた生命の樹を見ると、なるほど、太郎もまた縄文の血の爆発を思っていたのだ、と合点するところがある。機械的未来と、縄文的大自然。だが、どちらに行ったところで、結局は同じだったかもしれない、と今となっては思う。
今度、大阪に行くチャンスがあったら、太陽の塔に登ってみよう。
それから7年後の1977年、私は初めての海外旅行をするチャンスを与えられた。最初からインドにいくだけが目的ではなかった。アメリカの西海岸にいくか、インドに行くか、悩んだのだ。結局、私はインドに行った。機械的未来VS情念的大自然、という意味では、同じテーマであったように思う。
でもあとからアメリカのオレゴンにいくことになるのだから、結局は同じことだったのかもしれない。あの時、最初にアメリカに行ったところで、あとからインドに行っただろうし、あまり選択なんかしないで、直観的に行動するのがいいのだと、気が付いた。
今もまた、あるひとつの選択の場に立たされている。もう、ここは悩むまい。直観的でいいのだ。結果は同じだ。選択なんてものは、ない。必然だけだ。
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