カテゴリー「26)迷の巻」の108件の記事

2019/01/11

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<74>「迷の巻」について

<73>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<74>把不住述懐「迷の巻について

  「新装版 正法眼蔵に学ぶ」(講演:紀野一義)から始まった当ブログ「迷の巻」、結局、「京都人の密かな愉しみ」(源孝志 他)までたどり着いた。

 「再読したいこのカテゴリこの3冊」は次のとおり。

「新訳 弓と禅」 付・「武士道的な弓道」講演録
オイゲン・ヘリゲル (著), 魚住 孝至 (訳・解説)  2015/12  KADOKAWA/角川学芸出版 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)
「弓聖 阿波研造」
池沢 幹彦 (著) 2013/08 東北大学出版会
「阿波研造―大いなる射の道の教」

桜井 保之助 (著) 1981/03 出版社: 阿波研造先生生誕百年祭実行委員会 古書   限定非売品

 迷の巻、迷いに迷ったカテゴリであった、と言えないわけではない。しかし、迷いとシングルポイントネスは、相互的なもので、補完的なものでもある。シングルポイントネスが進めば進むほど、漠然と視野に入る迷いは多くなり、広くなる。

 迷いに迷っているわけではない。ある意味、迷いを楽しんでいる。あるいは、迷いを、否定的で、マイナスなものと、決めつけているわけでない。迷いと表現するには、逆に、シングルポイントネスが進んでいるともいえる。

 次のカテゴリは「退の巻」となる。こちらも、退の中にマイナス要素ばかりを見ているわけではない。逆説的に、進めば進むほど、元に戻る、ということもありうるのだ。

 ブログにおいては、いつものようにフラフラとした道筋ではあったが、実生活の上では、かなり大きな進展があった。大きいというのは規模の問題ではなく、意味的に大きいということだ。

 把不住述懐。着実に進んでいる。

<75>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「迷の巻」編

<前>からつづく  

再読したいこのカテゴリこの3冊 

「迷の巻」

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「新訳 弓と禅」 付・「武士道的な弓道」講演録
オイゲン・ヘリゲル (著), 魚住 孝至 (訳・解説)  2015/12  KADOKAWA/角川学芸出版 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

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「弓聖 阿波研造」
池沢 幹彦 (著) 2013/08 東北大学出版会 

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「阿波研造―大いなる射の道の教」

桜井 保之助 (著) 1981/03 出版社: 阿波研造先生生誕百年祭実行委員会 古書   限定非売品

<後>につづく

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「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <2>

<1>からつづく

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「京都人の密かな愉しみ」 <2>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ
★ 

 あの番組、なんであんなに面白いのかなぁ。京都? うーん、それはあるだろう。知らないこともいっぱいあるが、知ったからどうなる、という部分も多い。文化? うーん、まぁ、それはそうだ。そこに生きた人間がいる。

 フィクションとノンフィクションのオムニバスがうまいこと機能しているのだろう。生活がある。作られ過ぎないストーリーがある。出演者たちが、とても魅力的で、ついつい目を奪われてしまう。いいなぁ、と思う。

 ストーリーの絡み具合も、なかなかいいなぁ。そして私が一番惹かれるのは、登場人物たちが、それぞれに「密かな」事情を抱えているということだ。キーワードでいうと、悲恋、かな。

 悲しいストーリーが多い。悲しく美しい。苦しいけれど、救いもある。ストーリーに結論めいた終点はないけれど、こちらの想像力が、刺激される。

 この番組、この本を読んだ限り、まだ見ていない部分がありそうだ。おそらく短いオムニバス分の小さなパートなのだが、やはり、見切ったという感じはしない。この本、まだ、もう一度くらい読みそうだな。

 こんなにのめり込んだら、そのうち、きっと、激しく嫌いになって、飽きるかもしれない。飽きたら、飽きただな。それはそれでいいだろう。

 うーん、うまく言えないな。敢えていうなら、私はこの番組に、きっと、恋しているんだろうな。

 <3>につづく

 

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Global

Beloved Friends and Center leaders,

OSHO Global Connections hosted yesterday in the Meditation Resort, with chai and cookies, an OSHO center leader meeting.

About 50 center leaders and center representatives from many different countries/cities took part, who are visiting the Meditation Resort these days.

It was for everybody amazing to see and hear where people share the Osho meditations, his vision and works.

We invited Pramod from the OSHO International Publishing office to share about the publications/books around the world and it was a great surprise to hear

that Osho books are available in more than 60 languages. He also asked to please remember to put the copyright/TM notice in centers FB and webpages and we

shared some other highlights about the OSHO International language FB pages etc. etc.

Neerjo from the OSHO Talks office shared that more than 600 friends around the world subtitle so many video’s available on

https://www.youtube.com/user/OSHOInternational/playlists

OSHO centers are welcome to share and to embed video’s in FB or websites – and he makes it clear in the attachment how to go about that.

If you have any questions please don’t hesitate to get back to us.

With lots of Love

Vatayana

OSHO Global Connections, Pune, India

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2019/01/09

「『サピエンス全史』をどう読むか」 ユヴァル・ノア・ハラリ他

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「『サピエンス全史』をどう読むか」
河出書房新社編集部   (編集) 2017/11 河出書房新社 単行本: 144ページ
No.4248★★★★☆

 巻頭のハラリVS池上彰の対談が30ページほど続き、続いて7人ほどの論客が評論している。巻末には関連のブックガイドがついているが、読むべきは巻頭の対談だけだろう。そして、留意すべきは、わずか数行のセンテンスだけだ。

 重要なのは、人間の心と意識を理解するためにもっと努力をすることです。私たちは体と脳の理解のために大きな努力をしていますが、私たちの問題の根源は脳ではなく心です。

 人間の不幸と幸運の根源は心のパターン、私たちの心のパターンなのです。残念なことに現在、科学の世界でも心の理解は重視されず、体と脳の理解に集中されすぎています。

 技術の進歩によって私たちの身体と脳を巧みに操作し対処する大きな能力を獲得することができるかもしれませんが、このままではそれをどう活用してよいのかわかりません。

 自分自身にとって、そして人生にとって何が重要か、そして幸福と不幸の根源が何かを本当に理解するには、体や脳を理解するだけではなく心を理解する必要があります。p36ハラリ 

 心ではなく、「無」心こそ究極だ。科学、芸術、意識(無心)、三つの要素のバランスを取りながら、結局、科学は意識によってコントロールされる必要がある。このセンテンスにおいては、ハラリはようやく意識について到達しただけで、そこから延々と再スタートしなければならない。

 だがしかし、すでに、意識については、すでに別な角度から充分に研究されつくされている。ハラリが「科学的」スタンスを崩すことなく世界観を作りあげているとしても、それを「意識」とつなぐ「アート」に遭遇しなければ、サピエンス「全」史とはならない。

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「さよなら、仏教」――タテマエの僧衣(ころも)を脱ぎ去って 高橋卓志

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「さよなら、仏教」――タテマエの僧衣(ころも)を脱ぎ去って
高橋 卓志 (著) 2018/12 亜紀書房 単行本: 280ページ
No.4247★★★★☆

 本を閉じて、しばし考えた。時が時なら、素晴らしい本としてレインボー評価をすべき一冊である。1948年生まれの70才のお坊さんのお話しである。最初から一貫して自称を「ぼく」で通しているため、文体が非常に若い。まるで30代の若者が書いているような印象さえある。

 最近は、「さよならインターネット」「さよなら、インターネット」「さよなら未来」などとタイトルのつく本を続けて何冊か読んだ。あるいは、「アップデートする仏教」「〈仏教3.0〉を哲学する」、「ごまかさない仏教」などなど、ざっくりと「仏教」と括ってしまう本がいくつか目についた。

 「さようなら」、と大見栄を切ってしまうことがカッコイイ時代なのかもしれない。あるいは、「仏教」、と一口にまとめてしまうことが、流行っているのかもしれない。そもそもは出版社の売らんがためのタイトルづくりであるかもしれない。

 されど、この「さよなら。仏教」は、真摯な臨済宗のお坊さんが、結局自分の人生を生き切って、お寺を去る、お話しである。思えば、いわゆる仏教史は、改革運動の連続であったわけで、今初めて内部告発が始まったわけではないが、様々な批判や葛藤があって当たり前で、この本は、その一つの表出である、と理解すれば、それほど大騒ぎするほどのことではない。

 戦後生まれの「現代っ子」お坊さんが感じた「仏教界」の内部話は、その立場でなければ分からないことが沢山あり、それも真摯に生きていたからこそ言い放ちうる内容ではある。

 されど、当ブログの評価としては低い。なぜか。

 この方の「仏教」は、この世的すぎる。実際的なお寺レベルの「仏教」に拘泥し過ぎている。そもそもなんの疑問もなく「仏教」と言ってしまってはならない。もっと神秘に向かっての扉をひらく工夫をしなくてはならない。

 そして、未来に向けた、世界的な宗教性としての意識を探究する糸口を見つけなければならない。どこか出発点が違っている。

 よくできた方であり、愛されたお坊さんであろう。個人的には立派なお人柄だ。だけど、どうも素直じゃない私などは、この方の「仏教」では救われない。寺がいやなら、さっさと以前に出るべきであったのだろう。「出家」もできない「坊さん」のお話しが、延々と展開されている気がする。

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2019/01/07

「禅的生活」玄侑 宗久<2>

<1>からつづく

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「禅的生活」<2>
玄侑 宗久   (著) 2003/12 筑摩書房 新書: 237ページ
★★★★★

 新図書館(から借りだした本)シリーズ10/10冊目。これで全部である。図書館の借り出し枠を最大限使い、新図書館の竣工にともなう新春のセレブレーションのつもりで借りてきた本たちだったが、その結果は、かなり痛いものだった。

「スティーブ・ジョブズ グラフィック伝記」 ケヴィン・リンチ ★★★★☆

「俳句、やめられません」  岸本 葉子 ★★★★☆

「俳句と歩く」 宇多喜代子 ★★★★★

「夏井いつきの季語道場」NHK俳句 夏井いつき ★★★★★

「一彫入魂 面打ち・仏像彫刻に挑戦! 」 塩飽 晴海 ★★★★☆

「能面入門」 金春信高他 

「世阿弥 風姿花伝」NHK「100分de名著」ブックス 土屋惠一郎 ★★★★★

「うちのお寺は臨済宗」  藤井 正雄 

「『臨済録』を読む」 有馬頼底 ★★★☆☆

「禅的生活」 玄侑 宗久 ★★★★★

 10冊の中にレインボー評価が二冊あり、仮に★3が一冊あったとしても、充分な収獲だったじゃないか、と言えないこともない。しかし、その評価の動機がどうも不純なような気がしてくる。つまり、本そのものの出来というより、読み手としてのこちらの姿勢になにか、ふさわしくないものが生じている感じがする。

 そもそも当ブログは、読書ブログといいながらも、決して本を評価したり書評するために始まったわけではない。あらすじも書いていないし、★数も無手勝流の、勝手気ままな殴り書きである。むしろ、目の前のその本と対峙した時、自分の中に現れる心象をメモしつづけている、個的なモノローグというニュアンスが強い。

 そして、今回は新春の、新装なった新図書館のセレブレーションとは言え、10冊も借りてきてしまったことをおおいに反省する。本に対峙する時の、こちらの姿勢がすこし杜撰過ぎるのではなかろうか。いくら無料でたくさん借りられるとは言っても、もうすこし丁寧に真摯に、一冊一冊向かうべきである。

   いや、いままでもそうやってきたはずだ。そんなにいい加減ではない。そうたしかにそうだ。でも今回感じたのは、これまで以上に、今後は、もっと精選した一冊に、全面的に、トータルに向かう必要がある、ということであった。

 この「禅的生活」も良い本である。以前に読んだ本であるが、もう一度読んでもいいかな、と借りてきた本であった。2003年に出た本であり、すでに2006年に読み終えた本であった。もうすでに12年以上以前のことである。この間には3・11体験が挟まっている。震災からすでに8年が経過しようとしている。おのずと読書も生活も、人生そのものも、変化を遂げ続けている。

 なにかこの10冊を読んで感じた違和感を、なんとか今年一年のこのブログの在り様に、よい意味での反映をさせたいものだと思った。

新春の警策一喝ありがたし      把不住

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「『臨済録』を読む」 有馬頼底

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「『臨済録』を読む」
有馬 頼底   (著) 2015/10 講談社 新書: 256ページ
No.4246★★★☆☆

 新図書館(から借りだした)シリーズ9/10冊目。この本はどうだかなぁ。借りてきた新書本はすでに腰巻は外してあったが、この大き目の著者ご自身の写真がついていたら、私は図書館から借りだしてこなかったかもなぁ。

 先日、この方の別の本を一冊手にした。「決定版・よくわかる茶席の禅語」(2003/03 主婦の友社)。同年配のわがいとこの蔵書の中の一冊だった。ちょっと理解できかねるわがいとこを少しでも理解しようと、彼お気に入りの一冊として、私も借り出してみたのだった。

 でも・・・・。著者はあまりにも立派な方(と私はやや眉唾で揶揄してしまったが)で、その肩書とかご風貌が、どうも私好み(w)とはいいがたい。前著は、なかなかよくまとまっている風で、興味がないわけでもないし、面白そうでもある。だが・・・・。

 ある時、修行をしたい、と問いかけてきた若者に対して、当時の今東光は、「それはいいことだが、有名な観光寺などに行ってはいけない。山里の名もない小さな貧乏寺にでも行って、まずは庭でも箒いてみな」というような内容を答えていた。

 そのデンでいうと、この方の肩書はてんこ盛りで、内容もてんこ盛り。それは盛りすぎだろう、というくらいの指向性。ちょっと「修行者」向きとはいいがたい。なんちゃって派のお飾りに成っちゃうんじゃなかろうか、などと、ちょっと敬遠気味。

 この本はどうかなぁ、とたじろいでいる。同じような内容の同じような本なら、別な方の、別な文脈で読んだ方がいいんじゃなかろうか、などと、戦意喪失。

 パラパラと目次を見ていると、最後の第八章は「”自由”とは------「臨済録」を捨てよ!」p217ときた。う~~ん。くさいなぁ。ぷんぷんする。あるひとつのパターンにすっかりはまっている。これなら10人のうち8人は「護摩かせるだろう」とでもいうかのような、「正統的」で「ありふれた」手口。これで臨済の臨済を語り得るのかどうか。

 今はまだ、敬遠して遠巻きにしておくことにする。あとで、すみませんでした、浅はかで、若輩者の、邪推でした、と謝ることになるかもしれんが、まずは、今日は今日の素直なところをブログしておくしかない。 いずれ再見することになるかもなぁ。(おそらくない)w

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「うちのお寺は臨済宗」 (わが家の宗教を知るシリーズ) 藤井 正雄

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「うちのお寺は臨済宗」 (わが家の宗教を知るシリーズ)
藤井 正雄 1997/07 双葉社 単行本: 237ページ
No.4245

 新図書館(から借りだした)シリーズ8/10。「うちのお寺は曹洞宗」(1997/12)と同じシリーズの中の一冊だけに、まぁ、それなりだろうと、斜め読みの予定だった。それにうちのお寺は(元)曹洞宗だし、周囲を見ても臨済宗のお寺は少ない。同じ禅宗でも、ちょっとは距離があるだろう、という予感だった。

 ところが、開いてみると、同じ禅宗だけに、「曹洞宗」とだいぶダブっている部分もあるが、全体としてはなかなかに面白い。むしろ、重厚な学術的なんかより、この一見初心者用のようなオムニバス本のほうが、今私が知りたかったことが載っていたりする。ははは、私自身が初心者だ、という証明か(笑)。

 臨済宗には本山が14派あるという。はぁ。曹洞宗なら永平寺と総持寺の二寺ということになるが、それは父と母みたいな意味付けで仲良くやっているようだが、なんと臨済宗は14派であるという。なぜそうなったかなどの経緯などが書いてある。

 禅が初めて日本に伝えられたのは、653年に入唐して帰国、飛鳥の元興寺に禅院を立てて終日坐禅をしていたと「続日本記」にある、とのことである。p16 郡山遺跡にあった多重塔にはどんな仏教が伝わっていたのだろう、という疑問はずっと続いているが、すくなくとも同時代には禅が日本に伝わっていたことが分かった。p13

 馬祖系の法脈が臨済宗と言われるようになり、石頭系の法脈が曹洞宗と言われるようになったことも、この本において次第に明瞭になってきた。必ずしも明確ではないし、明確にする必要もないのだが、めりはりよく理解するには、便宜上これでいいのだろう。p25

 これまで当ブログでは雲居希膺のことは、うん「ご」きよう、と読んできたが、この本においては、うん「きょ」きよう、と読んでいる。p34 居は「ご」なのか「きょ」なのか、いずれが正解なのか、いまここでは結論を出さないでおこう。すくなくとも、立場によっては、誤読や、二論併記がありうるのだ、ということに気がついた。

 しかも、その雲居希膺は、改革運動派(正法復興運動)に加担していたことも、この本によって初めて知った。p34

 その他あれこれ、雑多な記事のなかに、おお、と納得するような一行があったりする。これはゲットだな。検索したら、けっこう安値で中古本がでている。我が書棚にも一冊常備することにした。

 そこで考えた。最近私が好きなテレビ番組は、大河ドラマのようなストーリーものよりも、「植物男子ベランダー」とか「京都人の密かな愉しみ」のようなオムニバス番組が好きなのだが、どうやらこれからの本選びも、そのような企画ものがいいかもしれない。しかも、画像がたっぷり、下世話な「誤読」もたっぷり含まれているような、お茶目な本(笑)。

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2019/01/05

「世阿弥 風姿花伝」NHK「100分de名著」ブックス 土屋惠一郎<1>

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「世阿弥 風姿花伝」
NHK「100分de名著」ブックス <1>
土屋 惠一郎 (著) 2015/02 NHK出版 単行本(ソフトカバー): 152ページ
No.4244★★★★★

 

 新図書館シリーズ7/10冊目。NHKテレビ「100分de名著」シリーズはなかなかシンプルで分かりやすい、良いシリーズだ。ほとんど毎回見逃してしまうが、今は、動画であとでその片鱗を見る事ができる場合が多い。

 あとで、ゆっくり見よう。

 

 

<2>につづく

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