2020/07/04

「法隆寺五重塔 」不滅の建築 鈴木嘉吉他 <2>

<1>からつづく
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「法隆寺五重塔 」不滅の建築 <2>
鈴木 嘉吉(編集), 工藤 圭章(編集), 小川 光三 1988/6 毎日新聞社 大型本 52P


 4年前にこの本を手に取ったことなど忘れてしまっていた。あらためてこの本に出会い、実に貴重な情報が満載であることに改めて気が付いた。

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つづく

 

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<26>

<25>からつづく
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「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<26>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆ 

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 40分の1から20分の1へ、ということは、面積で4倍、体積で8倍のものを作ればいい、ということではなかった。視線が4倍にも8倍にも行き届いてしまう、ということであった。当然、ミスや不手際も8倍見えてくる。

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 前回は、最初の工作だったので、当然すぎるほど不手際があったのだが、その最大の失敗は、一階部分の格子天井の位置を間違ってしまったということだった。

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 資料が少ないから、仕方なかったとは言え、二回目の今回は、そんなことばっかりも言っていられない。複数の資料に当たりながら、より自信を持って制作を進めていく必要がある。

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 それでもやっぱり失敗の連続で、作り進んでみたものの、それを外してやり直し、行きつ戻りつして、なかなか思ったように進行表通りには進まない。

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 そして、集まってきた材料次第で、無駄にしないように活用方法を考え直していく必要がある。あれがこう、これがああ、本体はともかく、わが作品は我が作品、自らの独自性を、無理をしない程度に発揮していく必要がある。

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  法隆寺・五重塔・模型で検索すると、4年前に比べると、より多くの情報がアップされているようだ。とくに制作している人たちが増えているようで、その制作過程の画像の増加が半端じゃない。しかも、みんな、なかなかの腕前だ。これじゃぁ、わがブログの登場など恥ずかしくて、と気おくれしてしまいそうだ。  

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 自分の作品を、割りばしアート、と割り切る人もあれば、廃材アートと名づけている人もいる。廃材というと、そもそもが材料で、それが余った半端材料というニュアンスがある。ところで我がアートは、廃物アート、と名づけている。つまり、廃材ですらない、そもそも無価値なもの、処分するのに費用がかかりさえするもの、という意味合いがある。
 
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 いい加減、いやになって、もうやめようかな、と思うこともないではないが、数日休んでいると、ここで投げ出してしまうのも、なんだかシャクだから、もう少し続けてみよう、という気になる。

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つづく


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2020/07/02

「人気の三種が彫れる 仏像彫刻」 上達のポイント ~大日如来座像・阿弥陀如来像・不動明王像~ (コツがわかる本) 関侊雲他 <2>

<1>からつづく
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「人気の三種が彫れる 仏像彫刻」 上達のポイント ~大日如来座像・阿弥陀如来像・不動明王像~ (コツがわかる本) <2>
関侊雲 (監修), 紺野侊慶 (監修) 2015/12 メイツ出版 単行本: 128ページ
★★★★☆

 現在20分の1法隆寺五重塔の模型の制作中である。前回の40分の1模型よりも、確かに迫力はあり、部材も多く必要とされるのであるが、それよりも何よりも、注意力、覚醒力が5倍も10倍も必要とされることが分かってきた。そんな簡単にいかないのである。また、簡単にいかないからこそ、敢えて大きなモデルに挑戦しているのである。

 五重塔は、制作プロセスに入ったので、いつかはできるだろう。一つ一つが面白く、一つ一つが難しい。今日ものこぎりで左の小指を切ってしまった。アウエアネスが必要なのである。ゆっくり、楽しみながら、進んでいこうと思う。

 さて、実際には、この20分の1五重塔を次は、ケンポナシ(玄圃梨)による仏像彫刻が待っている。いや、むしろこちらのほうが本番で、いつもそのことが頭に残っていると言ってもいい。はて、どうできるのか。大きさは? 仏様のお名前は? どの程度の精度で? 一本づくり? 合わせ木つくり?

 作るとするなら、薬師如来か、釈迦如来である。いずれ如来様をおつくりしたい。理由は、おそらく、シンプルだから、ということになる。観世音菩薩もいいが、作りがいちいち込み入っていて、私の技術では手に余る。それに台座とか、光背とか、本当に必要なのか? それがなければ、仏さまではないのでしょうか?

 私には如来様の頭髪(螺髪らほつというらしい) を彫ること自体、ちょっと面倒な気分になってしまう。人が入仏するに、それほどの様式が必要なものであろうか。大向こうをうならせるような、大衆受けするような美術品を作ろうとしているわけではない。自らの一つの瞑想のプロセスとして、仏さまと対面していたい、そのことだけなのだ。

 私がこのところ、仏像彫刻を始めたのか、と言えば、いくつかのきっかけがあったが、ひとつには、友人の友人が、不軽菩薩像を彫ったということが、SNSで紹介されていたことが大きい。そして、わがOSHOガーデンには、仏陀像が安置されている。この二つが、大きく私の仏像彫刻マインドを刺激した。

 思えば、この二つには、光背もなければ、台座もない。ごくごく人間としての、終局の、あるべき姿が映されているように思うのだ。飾りや、表面的な美しさ、飾りなどは、本当は必要ないのではないか?

 如来像か菩薩像か、で悩むなんて、他の人には、なんてひどい迷いを持っているやつなんだ、と思われてしまうかもしれない。しかし、私はここで、やっぱり如来像(ブッダ)にこだわりたい。そして、釈迦如来なのか、薬師如来なのか、は、じつは先ほどまで迷っていたのだが、ビワの葉エキスを鑿ながら、得た結論は、やっぱり薬師如来で行こう、ということだった。

 その理由はいくつかあるが、まずはわが秀麓齋寺小屋のご本尊、釈迦如来像ながら、薬壺さえお持ちではないが、あの姿は、薬師如来様であるはずなのである。だから、わが新しき仏像も、薬師如来を目指しながら、最後は薬壺さえ外してしまえば、釈迦如来になってしまうのである。あるいは、釈迦如来でありながら、小さな薬壺さえ乗せてしまえば、お薬師さまに変身ということになる。

 今日のところの煮詰めは、これまでだ。もちろん、大きな意味の違いはない。この新型コロナ・ウィルスのパンデミックの時代、早くワクチンが到来すればいいのに、と思う気持ちは、お薬師様に通じるはずである。そしてまた、現世利益的な健康よりも、ひょっとすると、それを超えた魂の癒しこそが必要なのだ、といえば、やっぱり釈迦如来様にお出ましいただかなければならないのだ。

 そんなこんなを思いつつ、ひとつひとつ、わが瞑想の道を歩んでいこうと思っております。合掌

 

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2020/07/01

Beloved Bagiya 3

2よりつづく


マ・アナンド・バギヤが2018年12月に、OSHOスバガット瞑想センターにプレゼントしてくれたアディナタ・サマディ・セレブレーションのビディオとともに過ごしました。
動画配信したかったけど、技術的なことなどで、それはしなかった。でも、みんながそれぞれの方法で祝い、シェアしてくれて、嬉しかった。
❤️バギヤ❤️ありがとう。みんな、ありがとう。LOVE

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Prem Rasata

Ma Anand Bagiya left her body at 12:00 noon on 30th June (Canada Time)/ at 1 am on 1st July (Japan time)

バギヤは日本時間の7月1日午前1時にボディを離れました。
自宅で3人の親密なお友達と私(オンライン)が見守る中、とても穏やかで美しい最期でした。

バギヤはDevaPremにOshoのローブを身体に掛けてもらい、Oshoミュージックを40分ほどかけて、みんなで歌い踊りました。
バギヤはベッドに横になり、右手でゆっくり微かにダンスしてました。
Oshoの講話を聴き終わった頃、ドクターとナースが到着しました。

ドクターは若い綺麗な女医さん、用意はいい?と確認されてバギヤは静かに頷き、ドクターによって薬が入れられました。

本当はその時サイレンスで見守るはずが、
私達は、思わずみんなでOsho!Osho!Osho!! I love you! I love you!
と叫んじゃいました。バギヤ〜うるさかった?

薬を注射器のようなもので入れていくとき、思ったより何回も入れて10分か15分くらい?長く感じました。だんだん静けさが増して、最後は本当に深い沈黙の中でバギヤは永遠のスティルポイントに入りました。

たぶん、「安楽死」を選ばなかったとしても、バギヤは今日ボディを離れていただろうと感じました。でも「安楽死」を選んだからこそ、こんなにも多くの友人達が愛と気づきの中でひとつになって瞑想とセレブレーションでバギヤを見送ることが出来たのだと思います。存在が起こしてくれた愛と光に溢れる奇跡だと思いました。

ミュージックが始まる前にバギヤに少しの間声をかけました。
「本当にたくさんの友人達やバギヤのことを知らない人達も、
みんなで瞑想してチューニングしてバギヤと一緒にいるんだよ。
色んな人が歌や踊りでセレブレーションしてる。
アタサもシタール弾いてる。マノーゼもバギヤのためにチャンティングしてくれてる。
みんながついてるよ。見守ってくれているよ。

そしてそれだけじゃなくて、バギヤがいるから、みんな今ここにいて、
自分の愛や命と繋がって自分自身を観ることが起こっているんだよ。
あなたすごいよ。Bagiya、you did great job❣️

って言ったら、目を見開いて手で👌マークをしてくれました。
(Bagiyaはもう殆ど喋れないし、笑うこともできない、顔の筋肉が働かなくなっていたの)

最後はバギヤの身体の上に綺麗なお花でいっぱいに飾ってもらったのを見届けてお別れしました。Oshoの愛が至福の庭に降り注いでいました。私達みんなの上にも。
周り中に愛と光が溢れています。
バギヤと一緒に過ごしてくれたみなさん、ありがとう💗🍀🌸🌻🌹🙏

7月4日にバギヤと一緒にハートダンスして歌おうって日にちを決めてたんですが、
ほんの5日前にバギヤの旅立ちの日程が突如今日に決まってしまったので、それが叶わなくなりました。
それで7月4日の午後14時〜急遽、オンラインでバギヤの最近と今日のシェアを兼ねて、ミュージックでお祝いしたいと思います。まだ何も決めていませんが。

死の床のバギちゃんらしい笑える話しも、ミステリアスな話も、心に触れる話も、まだみんなとシェアしたいなって思って。急なので都合が付かないかもしれませんが、ぜひミュージックとお話会で、バギヤを感じてハートが温まる時間を一緒に持てたらと思います。
明日また詳しく案内しますね。今日はバギちゃんをハートに眠りにつきます。

おやすみなさい💕🙏

love Rasata

 

 

 

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2020/06/30

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <13>

<12>からつづく  

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「京都人の密かな愉しみ」 <13>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ


 気づいてみれば、このドラマシリーズは、死に色濃く縁どられている。少なくとも、死のベットが3回でてくるのだ。

 久楽屋7代目の告白のベット。

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 二つ目は、エミリー・コッツフィールドの母親の死のベット。これも告白だ。

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 三つ目は、陶芸家 三隅静谷の死のベッド。これもまた、告白と言っていいだろう。三つが三つとも、恋や愛に関わる告白だ。

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 これ以外にも、列挙しておくなら、

 清哲の母親の死。

 さくらさんの死。

 バー月の奥さんの死。

 パリの和菓子職人の奥さんの死。

 仏師の前妻の死。

このドラマは、恋、愛とともに、死が常に語られているのだった。

つづく 

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Beloved Bagiya 2

1よりのつづき

自ら余命を宣告されたり、友人をホスピスに尋ねたことはあったけど、間接的とはいえ自ら安楽死を選んだ人を見守ることは、初めての体験です。人生の神秘を感じます。

打つ雨に甘さを増して梅香る  把不住

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Prem Rasata

「愛するバギヤへ」
先日は、バギちゃんがまもなくボディを離れることのお知らせだけだったので、
今日は思いっきり、ラブレターを書く。
もうバギヤには読んでもらえないかもだけど、でも自分のために書きたい。
バギヤの所には、ナースが毎日来てくれて、色々なお友達がご飯作ってもってきてくれたりしてる。自分のことは自分でして自宅で暮らしていたけど、ここ数日、急激に体力が弱ってきているみたい。一昨日転倒したこともあり、バギヤが一人にならないように、友人達が交代で来てくれて、ナースも毎夜居ててくれるらしい。なので安心です。
カナダでバギヤは驚くほどテイクケアされていて、愛されている。
まさにBeyond small Familly。日本からも世界中の友達からも数えきれないラブメッセージ。バギヤ、本当にみんなから愛されているね。それは、バギヤが惜しみなく愛を与えてきたからだと思う。
バギヤ、あなたは本当にすごい人だよ。
死があと数日にせまっていても、
「おっはー!」なんて陽気なメッセージが来たりする。
バギヤのスピリットはちっとも変わらない。
バギヤとは34年来の親友でよくオンライン女子会をしてきた。
胸にしこりがあって癌でないか検査してくる、って会話した頃からこの年月、
バギヤがたどった道のりをずっと見守ってきた。
様々な勧めや溢れかえる情報の渦の中で、自分で調べ自分を信頼して、ありとあらゆる治療法や健康法、手術や抗がん剤にも向き合いバギヤはいつもトータルにその時の最善を尽くしてきた。
迷いや後悔、悲しみや落胆や絶望、身体や心の痛みがどれだけあったことか私には想像出来ないだろう。なのにバギヤはいつもオープンで、この瞬間にいて、人生を存分に楽しみ抜いてきた。(実際につい最近まで本当に元気だった。)
その道のりの中で削ぎ落され浄化され磨かれてきたものがあると思う。
バギヤは完全にヒーリングされてきている。
病気が治ることがヒーリングというなら、それは水平の次元のヒーリングだ。 
バギヤには垂直のヒーリングが起こっていると思う。
バギヤは最近身体は急激に痩せてきているというのに、この貫禄、ハラが座ってドーンとでっかく見える。なんということだ!
こんなに痛みが酷くて耐えがたいのに、軽やかで心優しい。人の悩みに耳を傾けたり、人の身体の心配までするゆとりがある。まるで観音さまか、菩薩さまか?
死を前にして、バギヤはごく普通だ。怖がることも、執着することも、希望をもつこともない。何の特別さもない。ただそこにいる。
だからバギヤといると、私も当たり前のことのように死について寛ぐことができる。
まるで無垢な子供たちが未知の深淵を不思議さいっぱいでのぞいているみたいにも感じる。
感謝に溢れて愛の中で出発するバギヤ、
あなたは本当にすごいよ。
アナンドバギヤ、至福の小さな庭にOshoの愛がいっぱ降り注いでいる。
明日はあなたの最後の瞬間を祈りで見守るね。どんな最後も全くオッケーだよ。
私もそのうち通る瞬間だから。誰もが通る瞬間だから。
「安楽死」を選ぶってすごいよね。こんなに意識的に愛に囲まれて肉体を離れることってないんでないだろうか。カナダは進んでいるわ。
本当にバギヤはユニークで新しい世界に先端切って突入する探検隊の隊長さんだって誰か言ってたけど、本当にそう。
しかも早い死ではない。バギヤの体調をみてると完璧なタイミングだ。
存在の計らいの凄さにひれ伏します。
あなたの勇気と愛と瞑想のスピリットに感謝します。
愛しているよ。一緒に過ごした全ての時間をありがとう。
まだ全然書き足りてないけど、ボチボチ書いていくよ。
もうバギヤとお喋りしたり、Facebookで投稿見たり、良いね!をもらえなくなるなんて寂し過ぎるけど、バギヤはいつもここにいるから、
いつもみんなと一緒だね。愛があるところで。
love ハグラサタ
写真は去年の10月ドイツに遊びに来てくれた時の、めっちゃ元気だったんよ。

3につづく

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2020/06/29

「親鸞」京都・宗祖の旅 澤田 ふじ子

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「親鸞」京都・宗祖の旅
澤田 ふじ子 (著)  1990/10 淡交社 単行本 149p
No.4411 ★★☆☆☆

 京都の町ではつい最近まで、何があっても悪く言ってはならぬタブーが三つあった。

 一つは東西両本願寺をはじめとする数多い寺院、一つは西陣、一つは祇園である。これらの内幕をあばいたり、また悪口をいうのはタブーとされてきた。京都の市民は、古くからこれらの三つからなにがしかの恩恵を受けて暮らしており、祇園は恥部をあばくことにもなりかねなかったのだ。p108「京都 親鸞の旅」

 この小書を含むこの「京都・宗祖の旅」シリーズは、実にコンパクトで、白黒ながら画像も多く、手っ取り早く印象を受け取りたい私のような一見さんには、とても便利な入り口でもあるが、逆に言えば、当然、底の浅い、半端な印象の発信元にもなりかねない。

 獏とした親鸞の90年にも及ぶ人生と、それに連なる800年の浄土教の流れに、簡単に堡塁を打ち込んで、ざっくりと理解しようという試みには、簡単に応じてくれるが、はてさて、こんな読書でいいのだろうか。

 よくわからんものには、深く触れずに、悪く言わずに、さっさと通り過ぎるほうがいいに違いないが、それでもやっぱり日本仏教といわず、日本の精神性の大きな流れと評価される親鸞および浄土教が、これまで私の人生と、大きく距離を取って存在していたことに、今更ながらに、理解の光が差し込んでくるのである。

 親鸞その人を一人の人間としてとらえることには、必ずしも違和感がないものの、その教団の流れというものを、大局的に見た場合、う~~ん、と呻かざるを得ないのは、私だけだろうか。

 弓聖と言われる阿波研造の菩提寺・石巻市門脇の称法寺が浄土真宗であったり、幸田露伴の「五重塔」に出て来るのが阿弥陀様だったりして、すっかり日本文化になじんでしまっている親鸞や浄土教ではあるが、いたるところに違和感を感じてしまうのは、私だけなのか。

 親鸞でよいのであれば、若き日に私はインドまで行き、OSHOと出会うことはなかったであろう。その原点が、いま、さらにはっきりと見えてくる。

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2020/06/28

「彫刻刀で作る仏像」 入門編 増補・改訂版  関侊雲他

<初版本>よりつづく
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「彫刻刀で作る仏像」 入門編 増補・改訂版
関侊雲 (監修), 紺野侊慶 (監修), スタジオタッククリエイティブ (編集)  2018/02 単行本: 176ページ
No.4410 ★★★★★

 初版本
2010/07に出版されているが、その後、仏像彫刻を趣味とする人々が増えているのか、8年後に増補・改訂されている。前回は、止むにやまれず始まってしまった私の仏像彫刻だった。まず、素材があった。そして、テーマがあったのだ。即時にスタートするには、手元にある身近な道具を活用するしかなかった。

 カヤの木があり、薬師如来というテーマがあった。子供たちが学校時代に使った彫刻刀の何組かが押し入れに残っていた。まずはここがスタートだった。必要に迫られ、まずは手当たり次第、当たって砕けろ精神でぶつかっていくしかなかった。

 結果、それなりに形になったものの、それは一時的な熱狂で終わろうとしていた。面白い、奥の深い世界だ、ということは分かったが、あまりに奥深く、自らの手によってたどり着ける世界ではないのではないか、という疑念に付きまとわれた。

 疑念があるのはそのままだが、また素材がやってきた。そしてテーマもやってきつつある。今度の素材はケンポナシ(玄圃梨)である。そもそもは仏像ではなく、仏像を収納する箱などの素材として使われているらしい。仏像の作品数も少ない。だが、その素材の質を理解すれば、仏像になるかもしれない、という読みがある。

 テーマは、ふたたび薬師如来でいこうかとも思っている。されど、もっとも違うのは、サイズである。同程度の大きさでは、どうも納得がいかない。五重塔製作も、以前の40分の1では満足できなくなった。現在再スタートしたわが五重塔工作も、サイズはかつての倍、20分の1である。つまり、長さで2倍、面積で4倍、体積では8倍となる。制作時間はともかく、注意度、集中度においても、どうやら8倍必要とされるのではないか、とわかり始めた段階である。

 おそらく仏像彫刻もまた2倍の大きさなら、8倍も10倍も集中度が必要とされるだろう。だが、私は今回は2倍以上、4倍の大きさの仏像がつくれないか、と無謀な思いに取りつかれ始めている。流さで4倍、面積で16倍、体積で84倍である。それって無理? 無理だろうな。

 やめとけやめとけ、無理無理。心の底から否定的な思いが湧き上がる。諦めかける。いや諦めた。だが、やっぱりまた湧き上がる思い。そんな逡巡のうち数年が過ぎ、ケンポナシの乾燥度もそれなりに進んで、早く加工してくれ、と言い出しているようにさえ、私には感じられる。

 だが、今回は、手元の彫刻刀だけ、というわけにはいかないだろう。斧やのこぎり、ノミや計測機器も必要となろう。一本作りなのか、合わせ木構造なのか? それにテーマは、薬師如来でいいのだろうか。観世音菩薩とか、阿弥陀如来でなくていいのだろうか。そこに思いがめぐり始めると、手は止まり、そもそも彫刻そのものの道が遠く感じられるようになる。

 現在は20分の1五重塔を制作中である。おそらく制作時間は、最短期間であと2か月。場合によっては一年から数年かかってしまうかもしれない。色は塗るのか、収納はどうするのか、設置場所は・・? 検討課題は決して少なくない。そして、この五重塔とにマッチングの上で、つぎなる我が仏像彫刻も存在しているのだ。

 おそらく大きさは2~4倍まで。それ以上大きくは作れない。そもそも材料に恵まれていない。技量もなければ、収納する方法もないだろう。現実的には2倍程度だろうが、それさえも、ちょっと無理かもしれない。

 そして現在ブレているのは、テーマだ。やはり薬師如来でいいのか。今回そこで行けば、テーマは全体的に固まってしまうかもしれない。そうではなくて、釈迦如来とか、阿弥陀如来とか、なにか他のテーマでいくのか。ここんとこがまだわからない。つまり期が熟していないのである。

 今のところは、粘土制作どころか、画像のコピーから始めるしかない。ほどよい大きさに原稿を拡大コピーして、身近においてみる。生活の中、部屋の中、そして他の作品との兼ね合いはどうか。金属素材でつくったiロボットのように、本当は原寸大で行きたいのはやまやまだが、そうはいかない。それでは永遠にたどりつかない計画となってしまう。

 その辺を逡巡しているのが、今夜である。まぁ、じっくり楽しんでいこうではないか(笑)

 

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「よくわかる 仏像彫刻」関 侊雲 他 <2>

<1>からつづく
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「よくわかる 仏像彫刻」 思い通りに彫る55のコツ (コツがわかる本!) <2>
関 侊雲 (監修) 2017/07 メイツ出版 単行本: 128ページ
★★★★★

 この本が出版された直後に、私は不思議な縁で著者と出会うことができた。そしてツーショット写真まで撮ることができることができるようになったのに、当時、まだこの本を手にとることはなかった。そのうち読もうと思っているうちに、なんと3年があっという間に過ぎ去ったということである。

 この本、基本が書いてあり、キチンとこの辺を身につけなければならないのだろうが、ついつい早く初心者を脱したくて、背伸びし過ぎて、結局、長続きしなくなるのである。いけないいけない。毎回反省するのだが、結局痛い目に遭えば、やっぱり基本は大切だなぁ、と原点に戻ることになる。

 この本は粘土を使ってひな形を作る方法や、パーツパーツの集中的練習ができるようになっている。表紙の画像なども、どこか質感がしっとりしていて、テカテカに光りがちな完成品に比して、おお、っとこちらの心に差し込んで来る。

 「コツがわかる本」、「思い通りに彫る55のコツ」。タイトルもこちらの心をわしづかみにしてくる。もう一回原点に戻って、再読、精読だなぁ。

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2020/06/27

「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 関侊雲<4>

<3>からつづく

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「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 <4>
関侊雲 紺野侊慶(監修) 2011/09 スタジオタッククリエイティブ 大型本: 168ページ

★★★★☆

  再び仏像彫刻に舵をとりつつある当ブログであるが、参考書の類も見直しのタイミングである。思えば、関侊雲師のこちらの書は、なんと2011年の9月に発行されているのであった。そうか、あの3・11の動乱期のあのタイミングであったのだ。

 当ブログにおいてはまだ方向性がはっきりしない次点であったし、そもそも仏像を彫刻しようなんて思いもしなかった頃である。これまで、参考にしてきたのだが、結局、この書は3回引用しただけで終焉してしまったようだ。

 なるほど、こういう内容であったか、と納得。継続も終了してしまった理由もわかる。

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